第11話 夢幻の夜
「す、すまんロイド! すっかり遅くなっちまった!」
三時間ほどして、ドミニムが戻ってきた。
かなり飲まされたのか、顔が真っ赤だ。
「ああ、ドミニムさん。災難でしたね」
「随分と引き止められちま……って、え?」
懐からバンダナを取り出そうとしていたドミニムが固まった。
二度見、三度見。さらに瞼が削れそうな勢いで目を擦る。
「えええええ!? なんじゃこりゃあああ!」
叫んだ瞬間、腰が抜けた。
親方はへたり込み、床を見つめる。
「お、俺は夢でも見てんのか!?」
「夢じゃありませんよ。ちゃんと現実です」
「夢じゃねえって……お前さんよお!」
まだ腰に力が入らないらしく、ドミニムは四つん這いで近づいた。
塗りたてのタイルを至近距離で観察する。
そして「ほああ」と変な声を出した。
「ムラもねえ。はみ出しもねえ。どうやってこの時間で……」
「やってるうちに、コツを掴みまして」
「コツ、ねえ……まあ細けえことはいいか!」
ドミニムは額をぴしゃりと叩いた。
理解できないなら考えない。そういう顔だ。
その割り切りは、プログラムにも似ている気がした。
「とにかくありがとうよ! これは礼だ。取っとけ!」
「あ、はい」
ドミニムは財布をゴソゴソやる。
そして最後は、財布ごと突き出してきた。
僕は反射で受け取ってしまう。
だけど、中身は銀貨十枚どころでは無く三十枚は軽く入っていた。
「こ、こんなに!?」
「ああ。今回は恩人だ。特別に上乗せだ」
「……ありがとうございます。遠慮なく頂きます」
僕は銀貨を自分の財布へ移す。
それから銀貨二枚を摘まんで、ドミニムへ返した。
財布も一緒に差し出す。
「なんだそれ」
「今月分の家賃です。忘れそうだったので」
「ああ……いや、いい。向こう半年はタダでいい」
「え?」
ドミニムはニヤッと笑って続けた。
酔いの勢いなのか、本気なのか分からない。
「弟子になるなら一生タダだ。おまけにウチの娘も付けてやるぞ」
娘って、それは跡継ぎになれって意味だ。
光栄すぎて、喉が詰まる。
でも、僕にはやることがある。
「お気持ちはありがたいです。でも……」
「まあまあ。返事は急がなくていい」
ドミニムはランタンの火を絞り始めた。
仕事場の明かりが、順に落ちていく。
僕も反対側の壁の灯りを消した。
「じゃあ、僕はこれで」
「ああ! 今日は助かった! また頼むな!」
扉に鍵を掛け、解散する。
時刻は日付が変わる少し前になっていた。
使った鍵は夜間口の衛兵が預かる手筈だ。
安心したドミニムは先に帰っていった。
さて、自分ももうこの場所には用がない。
タブレットの充電も必要だ。
ほんの数時間前までからっぽだった財布が、今では銀貨で満たされている。
ああ、酒場で何を食べよう。そんなことを考えながらエドール邸の敷地内を歩く。
もう少しで、裏門……というところで、例のあの人に出くわした。
「……貴方。随分と余計なことをしてくれましたのね」
「セルフィナ様」
偶然じゃない。たぶん待っていた。
妨害が失敗したことも、恐らくもう知っている。
だから、自分に反抗した僕に一言言いたいに違いない。
嫌味か、それとも罵倒か、はたまたその両方か。
「どうして、私の邪魔をするの」
ところが、予想に反して彼女の口から出てきたのは意外なほど弱弱しい疑問の言葉だった。
セルフィナは顔を背け、視線を落としている。
夕方の刺々しさが、嘘みたいだった。
「……先ほどは失礼しました。ですが、決してセルフィナ様の邪魔をしようとしたつもりではありません」
僕が言うと、セルフィナは黙った。
これだけのために呼び止めたのか。
それとも、まだ何か言いたいのか。
それより、この状況がまずい。
夜遅く、婚約直前の令嬢と二人きり。
見られたら、面倒どころじゃ済まない。
「それでは、僕は失礼します」
「お待ちなさい」
通り抜けようとした僕に、制止が飛ぶ。
疲れもあって、口調が少し尖った。
誤解を生みかねない現場に、とんでもないことが起き続けた一日の疲労。
それらが積み重なった状況に、僕はいい加減うんざりしていた。
何か言いたいことがあるのなら、はっきり言って欲しい。
――そんな気持ちが、ついぶっきらぼうな態度に出てしまう。
「まだ何か?」
「……その格好。貴方は冒険者ですのね」
「ええ、まあ」
「そう……神具のランクは?」
セルフィナの意図が全く掴めない。
冒険者や神具のランクなんて、僕とセルフィナに何の関係があるというのか。
「……夜も遅いですし、その話はまた今度にしませんか」
「そうですわね。呼び止めてごめんなさい」
「いえ。こちらこそ、色々すみませんでした」
セルフィナは顔を上げた。
そして「くすっ」と小さく笑う。
同年代の少女みたいな、柔らかい表情だった。
「どうして謝るのかしら。嫌な思いをさせたのは私の方よ」
僕は返す言葉に詰まった。
あのセルフィナが謝った。
それだけで、頭が追いつかない。
「いえ。そんなことは――」
「……貴方、名前は?」
夕方は聞きたくないと言っていたはずだ。
なのに今は、まっすぐ聞いてくる。
僕は一拍置いて答えた。
「ロイドです。ロイド・アンデールと申します」
「ロイド……ね。覚えたわ」
セルフィナは少しだけ頷いた。
それから、さらりと次を投げてくる。
「ロイドは明日もギルドへ行くのかしら」
「ええ、まあ」
「そう。なら、今日のところはもういいわ。お行きなさいな」
「は、はあ。それでは」
解放された僕は、夢を見ている気分だった。
通用口へ向かって歩き出す。
背後から、穏やかな声が追いかけてきた。
「おやすみなさい。ロイド」
「セルフィナ様も、良い夜を」
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
☆やブクマして頂けますと作者のやる気が100倍になる!…かもしれません。
軌道に乗ればこちらの作品も挿絵を入れていきたいと思います。
どうかよろしくお願いします!!




