第三十二話 蹂躙
南門から延びる道は、そのまま南にある本村へそして領都へと続いている。すぐに南門から名主の言葉を伝える早馬が駆け出していった。
そこへアーノルドとジェシカ、メグの三人が来た。
「アニキッ! トライヘッドだってッ!? 」
「はやく、お前達も手伝えッ!! ――デミはどっか隠れてろッ! 」
アーノルドの質問に答える余裕もなく、シルベスタは櫓の上で矢を放つ。
「重たいあんたじゃ櫓が壊れる」
デミと入れ替わりに、ジェシカがアーノルドの横をするすると櫓に登っていった。
「ホラ、ジャマな筋肉は退いて」
魔導師用の杖をもったメグがジェシカに続く。
「筋肉重くないし、櫓が軟いだけだし」
二人を追いかけるようにアーノルドが櫓を登る。櫓のハシゴがミシミシと音を立てる。この期に及んでまだ冗談を言えるだけ、冒険者として活躍した三人には多少の余裕があるようだ。
「「「――ッ!? 」」」
だが、そんな彼らも、門の外、空堀の向こうで腕を伸ばすようにして門扉を叩く魔獣を見て、言葉を失った。
数々の冒険をしてきた彼らにとっても、それは見たこともない異形のバケモノだった。
魔獣のベースとなる獣は熊で間違いない。
普通の熊の頭のある位置に、凶暴な雄たけびを上げる熊の頭が二つあった。そして背中にもう一つ熊の上半身が後ろ向きに生えていて、そこにも頭があった。
腕は普通の熊と同じ位置に二本、脇腹に一本、後ろ向きの上半身に二本、腰の辺りに一本生えていた。
そんな異形のバケモノが、三マイトルは離れた空堀の反対側から、門扉側に上げられた跳ね橋に向けて鋭い爪が光る腕を叩きつける。
爪というよりもまるで爆発魔法がぶち当たっているような重量級の攻撃だ。
はじける様に、ジェシカが矢を放つ。
「当たっているはずなのに……」
だが、矢は分厚い筋肉と皮、そして剛毛に阻まれて刺さらない。
「ならこっちよ」
続けて詠唱を終えたメグの魔法が、トライヘッドベアを炎で包む。しかし、魔獣の六本の腕がその炎を打ち払い、多少表皮の剛毛を焦がしただけで終わる。
「どうすりゃいいのよ……」
「ジェシカ、矢は急所を狙って打て。目とか口とかッ! 」
「目? っていっぱいあるけど、頭が三つ、口が三つ、目は六つ……」
「だったら狙い放題だな。メグは火力の弱い魔法じゃ意味がねえ、もっと威力のある魔法を打てッ」
「ええ、……でも時間かかるわよ」
「そんな時間稼ぎは、アーノルドが何とかしてくれる」
「ええ、オレかよ。オレ遠距離攻撃できないんですけど」
「このノーキンが! 石でもレンガでも何でも投げろッ! 」
さすがは、元々冒険者パーティのリーダーで四人の中では最年長のシルベスタだ。絶望的な状況の中でも、なんとか軽口を言って弟、義妹たちの士気を高めている。
(だがいつまで持つかな。魔獣が面倒がって一旦引いてくれればいいが)
普通の獣ならば、人間が反撃してきた時点で、もっと効率の良い獲物を求めて逃げることもあるだろう。だが魔獣は根本的に性格が違う。
もし本能で闘うことを求めているのであれば、むしろ喜んで闘うだろう。
シルベスタの思いもむなしく、トライヘッドベアは一向に引き下がる様子は見せない。
シルベスタやジェシカが狙いを定めて魔獣の顔に何本もの矢を放つ。しかし魔獣はすばやい動きで首をひねって矢が急所に当たるのをギリギリで避ける。身体自体には矢は何本も当たっているが怯む様子は見えない。
アーノルドがデミに手伝わせて拾ってきた石を投げるも、効いているとは思えない。
(万が一の時は、みんなを逃がす時間だけでも稼がなければ)
時折、他に攻め入る場所は無いかと左右を見回すそぶりはあるが、一向に移動しようとはしない。
「よし出来た。特大の一発をお見舞いしてやるわよ! 」
長文の詠唱を終えたメグが、魔力の込められたうす青く光る杖を構える。
眼下には、門扉をカバーするために跳ね上げられた跳ね橋を、相変わらずバカ力で攻撃する魔獣がいる。
「行っけええええーーーーーーーーッッッッ!! 」
振り下ろされた杖から放たれた、直径一マイトルはある火炎弾が魔獣を直撃する。
グオオオオオオーーーーーッッッッ。
と魔獣が断末魔の悲鳴を上げる。
いや上げたかに思えた。が、それは実際には、魔獣が気合を入れた雄たけびだったのかもしれない。
直撃したと思った火炎弾は、魔獣の横から突き出ている三本の腕で受け止められ、抱きしめるようにして潰された。魔法の炎は四散して、そのまま四方にその残滓を飛ばして消えた。
「そんな……」
多少の煙と、獣の毛が焦げた匂いだけが漂ってきた。だがその向こうのトライヘッドベアは健在だ。ブスブスと体毛がまだ少し燃えているが、致命傷にはほど遠いようだ。
ニヤリ。
トライヘッドベアとメグが目があった。メグは魔獣が自分を見て口角を上げて笑ったように見えた。
次の瞬間、魔獣がさらに力を込めて跳ね上がった橋を攻撃した。
激しい破壊音と共に橋板が空堀に落ちていった。橋板そのものよりも、橋を持ち上げていたロープか、もしくは蝶番の金物が壊れたのだろう。もう門扉を守るものは無い。
「アーノルド、ここを頼む」
そう言って、シルベスタが櫓を離れ、近くで様子を見ていた名主に声をかけた。
「門扉が破られるのも時間の問題だ」
「本当なのか」
「なるべく時間は稼ぐが……村のみんなは、本村か、領都へでも避難させたほうがいい」
この状態ではそれを否定することは名主には出来なかった。
振り返ると、村の大半の者がそこに集まっていた。 闘うことに関しては素人の村人でもそれは明らかだった。
わかった――。そう言うと名主は、「みんな本村に避難するぞ」と決断を下した。
村人がみな一目散にその場を離れた。
「身の回りのものだけでいい、重いものは置いていけ」「あわてるな、爺さん婆さんに手をかしてやれ」
名主が大声で叫んで指示を出す。
「デミッ! 」
喧騒の中、シルベスタが娘を呼んだ。
「本村へ避難するように、爺様に言ってくれ」
「う、うん。で、父ちゃんは? 」
「少し時間をかせがにゃならん。ちょっと遅れて逃げる。お前は爺様を手伝ってみんなを守るんだぞ」
「わかったわ。わかったから父ちゃんは絶対……」
絶対戻って帰ってきてね――。そう言おうと思った。門の外にいる魔獣がどれほど危険かはここからでもはっきり判る。時間稼ぎがいかに危険なことかも。
もう逢えないような不安にあおられデミが、そういいかけた。その時。
「アニキ、門がッ!! 」
アーノルドの叫び声に振り向くと、すさまじい破壊音と共に、門扉の片方が吹き飛んで、ジョシュア達の傍を掠めていった。
門が壊された弾みで篝火の一つが倒れ、その火が近くの木造の家に燃え移った。
グワラゴァーオオオオオオオォォォーーーーーーーーーーーーーンンンンンン
トライヘッドベアが雄たけびを上げた。
深さ二マイトルはある空堀だが、底に立つとちょうど頭一つ分が地面から出ていた。
魔獣はそこから、村の中を睨むように覗き込む。そしてジョシュアを見て口角を上げてニヤリと笑った。ような気がした。
魔獣は空堀をよじ登り、村の入り口立ち上がって櫓を破壊する。櫓と共に叔父や叔母が地面に叩きつけられた。
その真っ赤な口、闇のような黒い瞳、異形の魔獣がデミを見てたしかに笑った。
デミはもう地面に脚を縫い付けられたかのように動けなくなってしまった。
デミッ逃げろ!
父親の声が遠くに聞こえた。
シルベスタが剣を抜いて、トライヘッドベアに突っ込んで行き、片腕で弾き飛ばされたのが恐ろしくゆっくりと見えた。
そして再び空に向かって雄たけびを上げた。
もう自分も死ぬのだろう。デミはそう思った。
誰か助けて。しかし誰も助けてはくれない。
父も叔父も叔母も倒れている。周りには動く気配は無い。
絶望という名の黒い何かが、心の中にしみこんでくるのがわかってデミは恐怖した。
遠くで悲鳴がかすかに聞こえた。そうだ、村人を逃がす時間を稼がなければ――、そう思った瞬間、腰の刃渡り二十数センチマイトルのナイフを握り締め、それを魔獣に向けて構える。
こんなナイフ一本で何が出来るというのか、恐怖にすくんで心が折れそうになる。
だが、やらなければ。今、闘えるのは自分だけなのだから。でも……。
出来るわけないという恐怖とあきらめ、やらなければいけないという正義感と闘争本能がせめぎあっている。
心臓が高鳴る。息が苦しい。
魔獣が腕を振り上げる。驚くほどゆっくりと。だが自分の身体は録に動かない。
動いて、動いてッ、動いてよッ!
ギリギリ恐怖心に、闘争本能が勝って魔獣の腕に剣を突きつける。がその腕は止まらない。あっさりと魔獣の片腕に弾き飛ばされ、猛烈な勢いでデミは壁に叩きつけられる。
全身を痛みが駆けめぐり、息が出来ない。
ああ、死ぬんだな、そう思った。が、その次の瞬間に異変が起こった。
魔獣の背中に生えた上半身が、盛んに威嚇の声を上げ始めたかと思った次の瞬間、その背中で、激しい爆発音がして魔獣がよろめいた。
魔獣が振り向いたので、デミから魔獣の背中が良く見えた。背中全体が焼け焦げ、背中から飛び出した熊の上半身が気絶したのか死んだのか、腕をだらりと下ろして、舌を出して動かない。
熊の股下から外にいる何かが見えたが、何がいるかはわからなかった。
だがそれが何なのか、デミにはわかった気がした。
神の使いといわれる獣。
――森の危険な魔獣を一掃していなくなった聖獣。やっぱりいたんだ。
そう思ったとき、そのシルエットが、小さなシロクロのずんぐりとした動物に見えてきた。それはよく知っている動物にそっくりだった。
『ずいぶんと、オレの庭で遊んでくれたようだな』
「ウソ、……ペン・・・ペン? 」
デミの記憶はそこで途切れた。