第二十九話 ペンギン 昔を思い出す
黒狼の様子が少し変ったような気がした。
その動きって、絶対領域の事か?
『その動き。死角から襲ったにもかかわらず、それを察知してそのまま振り向きざまに拳の裏で殴る、その動き』
ああ、絶対領域+裏拳のことか。
何処で覚えたって言われても……。
『え~っと……昔、洞窟に住んでいたチビ狼を相手に遊んでいたときに、真後ろから飛び掛られたから、振り向いた拍子に手の甲があたって……あん時遊んでた狼も黒い狼だった、な? 』
記憶にあるチビ狼が、オレ頭の中で、目の前の黒狼オーバーラップする。似ているかな。
『遊んで……クッ』
黒狼が悔しそうに鼻筋にしわを刻む。『で、そのチビ狼に親の狼は居なかったのか』
『そういえば、……洞窟の奥で、いつも寝てばかりの母親狼がいたよう……な』
オレの記憶の片隅にあるメス狼がの姿が目の前に黒狼とぴたりと重なった。
『いた、それも身体のでかい黒い狼だった。そうだ、お前はその黒い狼とそっくりだ』
オレは記憶にある黒いメス狼と、目の前の黒狼を頭の中で見比べながら呟いた。
山で修行をして野宿生活をしていた俺は、ある嵐の日さすがに洞窟に避難をすると、そこに隠れ住んでいたのが黒い母親狼とその息子のチビ狼だった。
その母親狼は怪我でもしていたのだろう、洞窟のようなねぐらの奥で横になっていた。
野生の狼は用心深いはずが、その狼はオレがねぐらに入っても、グルルルルとのどを鳴らして威嚇をするが、襲ってくることも逃げることもしなかった。
それだけ体が弱っていたのだろう。
その代わり、……そのメス狼の傍にいたチビの黒い狼が、いつもオレにじゃれ付いて飛び掛ってきた。そしてオレはいつも片手で受け流したり、デコピン一発で撃退したり。オレの背後から飛び掛ってくる事もあったが、その時は振り向きざまの裏拳で撃墜したりしたものだ。
何日か同じ洞窟で寝泊りし、その間にエサなどやってなんとなく仲良くなった。
その間、チビ狼は元気がありまくるくらいオレにじゃれ付いてきたが、母親狼は殆ど動かなかった。
怪我をしていたようなので、ある日回復魔法をかけてやった。だが、怪我が治っても母親狼は動かなかった。多分、怪我をして体力を消耗してしまい、そこまでは回復できなかったのだろう。オレが与えるエサをもらってしばらくは生きながらえていたが二、三ヵ月後に死んでしまった。
そしてチビ狼も、暫くして突然その洞窟から消えた。
あれはもう何年前のことだろうか。
ようやく気が付いた。このでかい黒狼が、あの時のチビ狼だったのだ。
『キサマ、本当にあのときの人間のオスだったのか。……変わったな』
『変わったのはお互い様だ』
『いや、キサマの方が絶対に我より変わった、間違いない』
断言された。……まあそうだな、人間からペンギンに種族変わってるし。
『そうだ、お前にもらったものが、確か……』
オレは空間魔法の効いた巾着袋から、少し茶色がかった棒のようなものを取り出して、黒狼に放ってやった。
『おお、これはッ! 』
黒狼はそれを咥えて、夢中で噛み始める。
『お前にもらった骨だ。たしかでかい猪の後ろ脚の骨だったかな』
チビ狼がいなくなる時、オレに置き土産にしていった。それがいつも咥えて楽しんでいたお気に入りの猪の骨だ。その骨を今返したのだ。
『おお、懐かしい味だ。うん、美味い』
黒狼は、大きく尻尾まで振って喜んでいる……。そんなに嬉しかったのか。
こうしてみると、やっぱりあのチビ狼なんだな、喜んでる姿が一緒だ。
『ふむ、こうしてみるとキサマは、やはりあの時の人間のオスなのだな。我が骨をしゃぶっている時に、我を見る目つきが一緒だ』
同じことを考えていたようだ。
『我が骨を楽しんでいると、ホントうらやましそうに見ていたからな。だから分かれるときにプレゼントしてやったのに。返すとはな。もうお前にはやらんからな』
ガリガリと齧りながら、骨を必死に抑える黒狼。
そんなものいるか。
けど、オレってそんなに物欲しそうな目をしてたか?
『……この骨、前よりも小っちゃくなったな。おまえ大分かじったな? 』
骨なんか齧るか! お前がでかくなっただけだ。
そんな黒狼とオレを見てドン引きしてるのが、奥さんの灰色狼と、双子の子狼だ。
そりゃそうだな、さっきまで殺そうとしてた相手と急に仲良くなって、さらになんかもらって喜んで齧っているんだからな。
『そっか、久しぶりに戻ってきたのに、人間のオレが居なくなっていて』
『うむ、それで森で見つけた変な生き物が、昔人間のオスが持っていた巾着袋を持ってたので、人間のオスをキサマが殺したと勘違いしたのだ』
オレは黒狼の背中に揺られて、黒狼たちの住処、山の中腹にある洞窟へと向かっていた。
鹿肉と交換で、オレとジョシュアたちの命を助けてもらったので、森の中で分かれてもよかったのだが、鹿肉の内臓が入った壷を運ぶのが大変そうだったので、オレが巾着袋に入れて運ぶことになった。
だが、オレの脚では山の洞窟までどれだけかかるか分からんので、背中に乗せてもらうことにしたのだ。
黒狼は一旦オレの事を信じると、あとは従順にオレの言うことを聞いてくれた。チビ狼のときはオレがエサをとってきて分けてやったり、母親狼が死んだ後は埋葬してやったり色々世話をしてやったからな。かなり懐いているようだ。
その道すがら、オレは黒狼がなぜあんなに激高していたのか話を聞いていた。
『つまり人間だったオレがいなくなってて寂しかったと、いうわけだな』
『寂しいとか言っとらん』
またまた強がり言っちゃって。
『なんだか不愉快な視線を感じるが』
おっと、この黒狼なかなか鋭いカンをしてらっしゃる。にやけた視線は慎まないとね。
そんなこんなで、あっという間に山の中腹にある洞窟にたどり着いた。
『うむ、何も変わっていない。だが洞窟が小さくなったな? 四匹で暮らすにはちと手狭だな』
洞窟が縮むかッ。お前の身体がでかくなっただけだ。
オレにしてみれば、前と比べて洞窟が異様に広く感じる。なんか時の流れを感じるな。
オレは巾着袋から、鹿肉や内臓の入った壷を取り出してやる。黒狼たちは真っ先に内臓に群がり、あっという間に食べつくすと今度は鹿本体にかぶりついた。
腹が減ってたんだろうな。すごい食欲だ。
手持ち無沙汰なオレは洞窟を見て回る。
入り口から少し奥まったところに、ベッドのように一段高くなった岩があった。
黒狼の母親の狼がいつも寝ていた場所だ。
『なあ、お前の母親は怪我をしてずっとここで寝ていたが、元々はなんで怪我をしたんだ』
オレはずっと疑問だったことを、黒狼に聞いてみた。
母親狼は身体も大きく、子供を生んだばかりだったとはいえ、並みの獣にそう簡単にやられるような狼ではなかったと思う。
『あれは母者ではない、正確にはババサマだ。ババサマと言うと怒られたのでと母者呼んでいた』
な、なるほど。人間も狼もメスは歳を指摘されたくないのか。そっか歳だから回復魔法をかけても完全には回復できなかったんだ。最後は老衰だったのかな。
それでもその前に身動きできないくらいに怪我を負わされたのだ。
いったい何があったのか。
『話せば長くなるが……』
鹿肉を食べ終えた黒狼がペロリと口周りをなめてから話し出した。
『トライヘッドベアが出た。ホントの母者はそれに殺された。ババサマの母者もそれにやられてここに逃げてきて、我も敵討ちに行ったがやられて、またここに逃げてきたのだ』
……あまり長くなかったな。だが話は分かった。
魔獣か、それもトライヘッドとは。
多分母親クマが三つ子を身ごもっている時に魔獣化し、三つ子は一体化して、頭が三つ多分腕は三対六本くらいある魔獣クマが生まれたのだろう。
もう少し詳しく話を聞くと、その魔獣クマが生まれたのは多分三、四年前。縄張りが近かったため、母親狼と祖母狼が戦ったが、生まれたばかりとはいえ魔獣クマの強さは圧倒的で、祖母狼と黒狼は命からがらここに逃れてきたのだという。
そしてこの洞窟で傷を癒している時に、オレが洞窟にやってきたのだそうだ。
黒狼は母親が死んだ後、敵を討つべく魔獣クマを探しに戻ったが、魔獣クマは場所を変えたらしく元の場所にはいなかった。そしてつい最近魔獣クマが戻ってきため戦ったが、返り討ちにあい、怪我を負わされ逃げてきたという。
『お前は、そのガタイで負けたのか。よっぽどその魔獣クマが強いのか、もしくは……』
――もしくは黒狼の方が戦うのが下手なのか。と、言おうとして灰色狼や子狼たちの顔が険しくなったのでやめておいた。
『我は弱くない、母者もそうであったが、我もまた、かの森では無敵だった』
オレが言おうとしたことに気が付いたようだ。悪かったよ。
『だが、あの魔獣クマは特別だ。トライヘッドだからなのか、ガタイも普通の魔獣クマよりも大きい。それにあの膂力は半端ではない。あの腕の爪で殴られれば我の剛毛とてもとても防ぎきれるものではない。それに……』
黒狼は忌々しそうに口角を歪める。『あやつの身体には、生半可な牙や爪は届かない』
そういうことか、とオレは納得した。
多分、黒狼は普通の魔獣クマとは戦って勝った事があるのだろう。だが、今回現れたトライヘッドの魔獣クマはそいつ以上に大きく強いのだろう。
そして魔獣で、しかも長生きする奴は段々とその皮膚が魔素によって硬質化していくことがある。今までの話から推察すると生後三、四年傍っているって話だからな。力の強い魔獣クマがさらに全身鎧を着た、って感じかな。
『だが、キサマの魔法ならあるいは通じるかもしれない。魔獣クマを倒すのに力を貸せ』
いつの間にか、話が変わってきたな。




