第二十七話 それは勘違い
いったい何処にあったのか。なんだか知らないうちに地雷を踏んだようだ。
黒い狼は鼻筋に深いしわを刻んで威嚇をしつつ、慎重にオレの胸元に鼻を近づけ、匂いを嗅いできた。
――なんだ?
鼻の先にあるのは、あの空間魔法の効いた巾着袋だ。
巾着袋の匂いを嗅いでいる?
『もう一度聞くぞ。キサマ、この袋をどこでどうやって手に入れたのだ』
どこでって……。
そう、これはまだ冒険者として駆け出しだった頃、レベル上げの一環として世界のさまざまな遺跡ダンジョンへ潜っていた時に、奥に隠された宝物庫で見つけた物だ。
『これは、オレがまだ若い頃、遺跡に潜ったときに、宝物庫で――ッ!?』
『ウソをつくなッ!! 』
なぜ巾着袋の事を知りたがるのか、不思議に思いながらも発見したときの事を説明しようとしたところ、鼓膜が破けるかと思うほどのバカでかい声でさえぎられた。
少し離れた所で様子を見ていた灰色狼と子狼もびっくりしていた。
『ウ、ウソっていわれてもなぁ』
『この袋はある人間のオスの物だ。我の目は節穴ではないのでよく覚えている。なにより我の鼻は誤魔化されんぞ。その巾着袋に残った匂いがあの男のものだからな。』
あの男って、オレの事?
こいつ、生前のオレが巾着袋を持ってた事を知ってるのか。
この巾着袋は生前のオレが身に着けていたもので、滝に打たれて修行をして死んだ時も持っていたし、その後川に流され白骨化した後も、そのまま身につけていた物だ。
白骨化するくらいだから、結構な時間川にさらされ続けていたはずだが、まだ微かに匂いが残っていたのか。
狼の鼻ってすげえな。
……ってか、オレってそんなに匂ってたのかな。
『そうか、キサマあの男を殺して、その不思議な袋を奪い取ったのだな』
へ? なんでそんな発想になるかな。勘違いも甚だしい。
と驚いたが、今のオレはペンギンだ。黒狼はオレ(ペンギン)と生前のオレ(人間)が同一人物だと気が付かないのだと、オレはようやく気が付いた。
いくら俺が持っていたものだと言っても、傍から聞いたらなんのこっちゃなのだ。
『えっと、それは勘違いで、この袋は人間の時のオレが持っていたんだけど、オレが死んで生まれ変わったオレが拾った、という訳なんだが分かるか? 』
『……さっぱり』
そりゃそうだな。言ってるオレ自身よく分からんからな。
それからオレは根気よく説明をした。
オレは元々人間で、修行中に命を落とし、魂だけになって消え失せるところを女神に救われて――救われたかどうか微妙なところだが――、転生して今はペンギンの姿になったことを。この巾着袋は女神の導きで死んだオレの白骨死体の首に下げられていたものを手に入れたことを説明した。
『転生とはなんだ』
『生まれ変わりって言って、肉体を離れた魂が、別の肉体に宿るっていうか』
『幽霊みたいなものか? 』
『う~んと、まあそんな感じか、な? 』
『……そうか転生して、今はそのペンギンとかいう生き物に憑りついているのか』
憑りついている……。ちょっと違うけど、もう説明も面倒だし、なんとなく伝わったみたいだからいいか。
『そうそう、そんな感――ッ!? 』
『そんなウソ信じられるか! どうせあの男の隙を突いて殺してその袋を奪ったのだろう。ホントだと言うのなら証明して見せるがいい。あの人間のオスは、我や母者でも敵わなかった剛の者よ。その生まれ変わりと言うのなら、さぞかし強かろう』
伝わらなかった。
お前の言う剛の者は、ペンギンに隙を突かれて殺されるような奴だったのか? そんなに弱くは無いだろう――。と言いたかったが、そんな暇はなかった。
黒狼は一足飛びに俺に向かって飛び掛ってきた。
やばい、と感じて即座に避けようとして、出来なかった。
速い! と思う間も無く、
『グギャッ』
多分、生前のレベル九十九のオレであれば全然問題なかったのだろうが、今のペンギンのオレはスピードが遅すぎた。避けようとしたのが全然間に合わず、オレは黒狼の体当たり、というか前脚の突き食らって飛んで行き、大木にぶち当たり地面に叩きつけられた。
い、痛いっ!
黒狼はオレを吹き飛ばした後、オレを見失ってキョロキョロしている。まさか前脚だけの当たりでオレが飛んでいくとは思っていなかったようだ。
今の最初の一撃から、オレに噛み付こうとしていればそれで全ては終わっていた。前脚の当たりで態勢を崩してから噛み付こうとしたから、かえってオレを吹っ飛ばしてしまったのだ。
このチャンスに逃げられるかな。
『父ちゃん、あのシロクロのサルは? 』
『逃げた』
『ねえ、戻って鹿食べようよ』
『いや……』
オレを探しあぐねて黒狼親子が何やら集まって話をしている。『あの人間の子を追うぞ』
『え、逃がすんじゃないのかい』
灰色狼が怪訝な表情で聞き返す。
まずい、今から追いかけられたら、デミたちが村に着く前に追いつかれるかもしれない。
オレは低木の陰から聞き耳を立てる。
『あの嘘つきペンギンとの約束など、律儀に守るもんではないわ』
なんだと、この野郎。
やはりこのまま逃げるわけには行かない。もう少し時間を稼がないと。少なくともデミたちが村に帰りつけるまでは。
立ち上がれ、歯を食いしばれ、オレ。
オレは痛む身体に鞭打って、低木の陰から身体を現した。
骨の鳴るような痛みが全身を包んだ。が、そんな事言ってる場合じゃない。
『ほう、逃げたかと思ったぞ』
逃げられたらよかったが、そうも行かない。
『子供達には手を出さないと、約束したはずだ』
『だったら実力で守って見せるんだな』
『手向かいすると言ったはずだ』
『……』
黒狼は何を考えたのか、押し黙る。すると母親狼と子狼がオレの真後ろに立ち位置を変えた。灰色狼が子供達を一番安全そうな場所、オレの真後ろに避難させたようだ。
『……うむ』
黒狼は満足そうに頷いた。以心伝心、家族で何度も一緒に闘っているうちに考えていることが伝わるのかな。
だが、これはまずいな。さすがに見えない位置にいられると、風魔法を当てることが出来ない。
生前のオレなら目をつぶっていても、気配察知で魔法を当てることが出来たが、今のレベルでは無理だな。
ペンギンの身体では首を回すのも一苦労。わずかでも後ろを振り向いたら、その瞬間に黒狼に襲われて終わりな気がする。
もう子狼狙いは無理だな、目の前の黒狼を相手にするしかない。
まあ勝てないだろうな。いやまあ、負けてもいいか。
デミとジョシュアが村に逃げ込めるだけ時間がかぜげればそれでいいんだ。
レベル百を目指したオレが、高々レベル二十かそこいらの黒狼相手に死ぬのは滑稽かもしれないが、友達をかばって命を落とすのならまあ悪い死に方ではあるまい。
前世では人との交わりを拒絶し、ろくでもない死に方をしたんだ。少しは進歩したと言えるだろう。
だがまあ時間稼ぎだけじゃなく、死に花はもう少し派手にしたいから、手向かいするぞ。
オレは、黒狼が様子を見ているのをいいことに、無言のうちに心の中で詠唱を行う。
本来は心の中でも詠唱は必要ないのだが、今のレベルでは詠唱しないと魔法は発動できない。手を上げるだけで痛いが、ガマンだ。
オレは心の中で詠唱を始めた。