となりの密室
何が新しいのか年明け早々の出社に変わらぬ顔ぶれ、けれど二十五年も同じビルの中で過ごして来たのに知らぬ扉の存在は、忘れていた何かの感情を突き上げた。
新たに置かれた自販機脇に、元は何が在ったか記憶に問いかけ、カップに注がれる珈琲を待っていた。
そうだ、このフロアは十六年前にも、企画が通ってプロジェクトチームを任され……
確か、首切り三悪女の……
あゝ、相馬・宇賀・春日だ。
企画は春日君のミスで全部台無しになった挙げ句、宇賀君が他社にプレゼン資料を横流ししてたのが発覚して、相馬君も共犯で……
何にせよ、厄災のような女共だった記憶の方が強いな。
でも、それを教えてくれたあの子は
……何処に行った?
気持ち悪いタイミングで珈琲が出来たと知らせる自販機に手を入れるが、脇の扉が何かを訴えている様にも見え、熱いカップに手がやけ記憶が巡る。
「熱っ!」
「大丈夫ですか?」
中年期の始まりに零れた珈琲が肥え始めた腹を指摘する様で皮肉に映る。
そんな枯れ始めの私に心配の声を掛けてきた若手の子……
「あぁ、すいません。いや大丈夫です」
「でもシミが……」
そう言って給湯室の中性洗剤でシャツを洗ってくれたのは……
記憶に浮かぶその子の顔を、思い出そうとすればする程に砂嵐が吹き荒ぶ。
開けて何かあるのかも分からないが、居ても立っても居られずカップを持ち替え、扉に手をかけた。
「はい?」
密室の様に窓も無く、びっしりと資料が入った棚が周りを囲むただ一つの机から、独りの女性が振り向き私の顔を見て立ち上がる。
歳は三十代も中頃か……
何処か見覚えのあるその顔が、私に向けた笑顔に全ての記憶が蘇る。
「……竹内君か?」
「はい、三浦部長はここに何か?」
そうだ、彼女はあの三人の悪事を告発して……
「ここは監査部の部屋か?」
「いえ、あれで監査部からはお払い箱になりました。ここは掃溜めの資料室です」
そうだ、先に私へ知らせたが故に……
「……隣の企画部に来ないか?」
「今ですか?」
私の顔をスグに判った反応に、部への誘いを部屋への誘いと聞く判断。
私はいつから忘れていたのか、彼女への感謝を返す時が今ようやく。
「これから、ずっとだ」
遅過ぎるかもしれないが、人事権に口を出せる様になったのも今は去年。
「あの企画、今の時代ならイケるんじゃないか?」
「……実は、ここの暇に続きを作っていたんですが」
虫の知らせか春に向け、新たに旧友を迎えた年の初めの一日に、年を忘れた春が来た。
夫婦別姓の無い事に尽きる話ではありますが、互いに歳を重ねても名前を変えていない彼女の返事と、返す感謝の意図に含みを持たせ、恋愛の機運も可能性に秘してはいますが、迎える春に何を咲かせる?
なので漢字ではない、となり の密室。