聖堂の女神像
「リオ君には日課として、今日から毎日聖堂の掃除をしてほしいのです」
「はい。お安い御用です。シスター」
僕の傷はあれから間もなく完治した。傷跡もうっすらと見える程度にしか残っていない。手当てに薬草を使ったと言っていたけれど、ひょっとしてすごく高いものだったんじゃないだろうか……。
死にかけているところを助けてもらったうえ、治るまでいろいろお世話になったのだ。毎日の掃除くらい、さきほど言ったようにお安い御用というものだ。
修道院といえばとても大きなイメージがあるけれど、以前シスターが一人で守っていると言っていた通り、ここの敷地はそこまで大きくない。
先ほどシスターの言葉に出てきた聖堂の他には生活空間である小さな建物がいくつかと、あとは花壇と菜園くらいのもの。
そして僕は聖堂に案内された。この建物もそこまで大きくはない。シスターの手で扉が開く。シスターに続いて僕も足を踏み入れた。
聖堂というだけあって、建物の奥にひとつの石像が鎮座している。この大陸で広く信仰されている女神様だ。壁には色鮮やかなステンドグラスがいくつかはまっており、様々な色合いの光が部屋の中に降りそそいでいた。
他に目立つものと言えば机と椅子くらい。この聖堂をひとことで言うと、質素な感じかな。でもなんだか厳かな気持ちになる。
そんな感情を抱いている僕を優しい瞳で見つめ、シスターは掃除の際に気を付けることをいくつか僕に伝えた。
「それではよろしくお願いしますね、リオ君」
「はい。任せてください!」
こんなに大事そうな場所の清掃を任された僕は誇らしい気持ちになって、つい大きな声で返事をしてしまった。
シスターはにっこりと笑って立ち去っていく。
僕はシスターが用意してくれた掃除道具を持ち、聖堂の中をもう一度ぐるりと見まわした。やはり、一番目を引くのは女神の像だ。もう少し近くで見てみたいと思い、奥の台座に向かって歩いていく。
僕も名前だけは知っている、大陸で一番信仰されているであろう女神様の石像は、まっすぐ遠くを見つめている。慈愛、慈悲の心にあふれる女神として有名だ。
死の淵にいた僕をずっと看病し、さらにこうして居場所を与えてくれたシスターもまさに女神様の優しさを体現していると思う。
女神様の信徒は神聖魔法の使い手で、怪我や病気の際にはよくお世話になる人が多い。ただその性質的にか、冒険者のパーティーに加わる人はほとんどいないと聞く。
しかし、慈愛に慈悲……か。正直言って、今の僕には最も似合わない感情だと自嘲する。
ふとしたタイミングで、僕をあんな目にあわせた奴らの顔が思い浮かんでしまう。
エイブ、ベルガモ、シモーヌ、デルモンド。
自分たちの手で死地に追いやった僕に対して、あいつらが投げつけた言葉。僕はその一言一句を今でも覚えている。シスターの前では復讐は望まないなんて格好いいことを言ったけど、やはり僕の心には明確な怒りが残っているようだ。
掃除用の布を持つ手に力がこもる。そのことに気付いて僕ははっとなった。
いけないいけない。こんな神聖な場所で、暗い感情を発散したら女神様が汚れてしまうし、シスターにも失礼だ。少なくともこの聖堂を掃除する間は考えないように努めよう。
僕は深呼吸をし、心の中で女神様とシスターにごめんなさいと謝ってから、掃除を開始した。
◇◆◇◆◇
あれから何日間かおなじように聖堂の掃除を続け、僕の仕事ぶりは問題なかったのか、今では聖堂の鍵を預けてもらえるようになった。
ちなみにその間、この修道院を訪れた人間は一人もいなかった。
シスターは買い出しに行くのか時々外出し、結構な時間が経った後に荷物を抱えて戻ってくる。
どうやら、この修道院はかなりの僻地にあるようだ。
ただ、それはシスターと共に静かな時間を過ごせたということ。
規則正しい時間に寝起きし、シスターと一緒に食事を取り、シスターから聖堂の掃除以外にもいろいろな仕事を任され、空いている時間には他愛もないことをお喋りしたり。
今の僕にはこの聖域のような場所がとてもありがたかった。心の傷が完全に癒えるには、まだまだ時間がかかりそうだったけれども。