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鼠ノ使用人  作者: 華森那智
3/3

2.友ノ壁

「初めまして、おれは今日からお世話になるヴィア・エステートです。まだあなた方のお名前を存じ上げませんので、教えていただけますか」

 部屋に入り、混乱しつつ傍に控える僕たちに、微笑みながら中性的な声でそう告げたヴィア様に、僕たちはますます驚きが隠せなかった。

「初めまして、私は夜見はろ、こちらは双子の妹、夜見ひろでございますわ。そしてこちらはれー太に、ニッケルワット・リング……ニットとお呼びください」

はろの紹介に、僕たち一同は一礼する。

「そうですか。はろさん、ひろさん、れー太さん、それにニットさん。これからお世話になります」

「ヴィアさま、ひろたちにはそれほど丁寧にしなくてもいい、です。ひろたちは使用人だから、ので」

 ひろの言葉に、ヴィア様は首を振る。

「父が貴族というだけで、おれ自身は貴族ではありませんから、あなた方と同じ立場のはずなのです。おれがあなた方に対してもっと雑に扱うのなら、おれに対してもヴィア様ではなくヴィアとお呼びください」

 驚愕、の一言だ。

 僕たちは使用人であり、ヴィア様はその主だ。ここには絶対的な主従関係が存在する。

「できればあなた方にはおれの従者ではなく、お友達になって頂きたいんだ。だめかな?」

 なんという申し出。

「いえ、そんなわけには……」

「父上にもおれは使用人として働きたいということはお伝えしたはずなのだけど、却下されてしまって。おれはあまり友達が多くないから、仲良しのお友達が欲しいんです。せっかく同い年なのだし、どうでしょう?」

 僕らは顔を見合わせる。

 使用人が主とお友達だなんて、聞いたことがない。だが……

だめかな? とうるうるした目を向けてくるヴィア様に、心が揺らぐ。

はあとため息をついて、僕は口を開いた。

「ヴィア様、それはご命令ですか?」

ちょっと、と制止しようとするはろには目もくれず、僕は真っすぐにヴィア様の赤い瞳を見つめた。

「うん、お願いです」

ヴィア様は、全く僕の目を逸らさずに、負けじとジッと目を向けてくる。

再びため息をつきつつ降参の意を込めて視線を逸らした僕は、()()()に手を差し伸べる。

「ヴィア、これからよろしく」

「うん、よろしくね、ニット」

 笑顔で握手を交わす僕とヴィアに、三人は深くため息をついた。






 三年後。

「はい、おれの勝ち~」

「チックショー!!」

「れー太の野郎、懲りねえなあ」

 向かい合って、身長差によってさながら息子と父親のように座るヴィアとれー太のテーブルの上には、ほぼ白に染まったオセロ。よく見る光景だ。

 三年前に初めて僕ら使用人と、主人のエステート卿の息子ヴィアが「友達」という奇妙な関係になってから、僕らにオセロブームが到来し、無敗の僕にはろとひろが続き、ヴィアとれー太の最下位決定戦が未だに勃発しているとは驚きだろう。

「ヴィア、もう一回だ! 次は負けねぇ!」

「おれに向かってそのセリフを言うのは何回目かな、れー太クン」

 正確には、れー太の最下位脱却戦。この場にいる誰もが分かっている。

「れー太は弱すぎるからね~もっと練習してから挑まなきゃ、ひろもそう思うでしょ?」

「はろの言う通り」

 部屋が笑いに包まれる。

 誰が三年前に今日のこの光景を想像できただろう。

 僕をはじめ、使用人たちは最初、ヴィアの不可解な行動に肝を冷やしたものだ。

 一五歳の男にしては低すぎる身長ながら自分で着替えをしたり、掃除洗濯、それだけに留まらず厨房に立って料理をしようとするわ、挙句の果てには朝の五時に僕の部屋に僕を起こしに来たこともある。あの時はまさか寝坊をしたかと、一気に顔面の蒼白になった。

 本人曰くそれは「普通のこと」なんだそうだが、そうなっては僕ら使用人は何をすればよいというのだ。

 結局、一緒に仕事をするということで話がまとまり、今日までヴィアはお坊ちゃんでありながら使用人と同じことをするなんていう訳の分からない状況から変わっていない。

 エステート卿も何となくこうなることは予想できていたらしく、僕らがお咎めされることはなかった。むしろ協力的で、ヴィアが僕らと部屋が離れすぎていて不便だと言ったところ、僕ら四人は男女で両隣の部屋を使わせていただくことになった。

 今までには味わったことのない困惑こそあれど、ヴィアも喜んでいるし、僕らも退屈な婦人付きよりヴィアの下でいる方が気楽で楽しい。

 ヴィアはニコニコ笑いながら、デスクから一冊の赤い本を取り出す。

「ヴィア、これから読書でもするの?」

 僕が尋ねると、ヴィアは首を横に振った。

「これはね、おれの日記帳。今の勝敗を記録しておこうと思ってね」

 表紙には大量の花に雨が降る模様。元気に見えるけれど、泣いているような――

「この模様、ヴィアらしいな」

 僕の言葉に少し驚いた素振りを見せたヴィアだが、すぐいつもの穏やかな顔つきで愛おしそうに日記帳を見つめた。

「そうだね……これはおれの全てだから」

「それなら、大事にしろよ」

 日記帳を抱きしめて頷くヴィアは、とても幼く見えた。

「お、ニットとヴィアは何を話してるんだ?」

「私も気になりますわ!」

「ひろにも、教えて、欲しい」

 ひろの頭を撫でながらまた今度ね、と三人に告げ、僕に向けてウィンクするヴィアはさっきまでとは別人のようだ。

 そういえば。

「ヴィア、そろそろ剣の稽古だよ」

 僕が耳打ちすると、ヴィアはそうだった、と立ち上がる。

「爺のところに行ってくるよ。はろとひろはれー太にオセロ特訓しといて、ニックはおれと一緒に来てくれ」

「任せて、ひろと一緒にれー太がせめて相手になるくらいにはしとくね」

「うむ」

「絶対いつかお前にギャフンと言わせてやる……」

 目を閉じ、天に向けてそう誓うれー太に呆れてもはや何もかける言葉が出てこない。

「じゃあおれは訓練着に着替えてくるから、ニックは先に部屋の外で待っていておくれ」

「御意っす」

 僕はヴィア用の木刀を用意し、廊下に出た。




「待たせたね、さあ行こうか」

「遅刻して爺さん怒らせたら大変だしな」

「えっもうそんな時間かい!?」

「そうでもないけど」

「なんだ、驚かせるなよニック!」

 不満げに頬を膨らませるこの男には、まるで男らしさがない。

 肩幅も狭く、腕も細い。そう、これはまるで――

「ニック?」

「っヴィア、どうした?」

「何をぼーっとしてるの? なんか心配事でも?」

「い、いや、何でもない」

 しまった、いくら友達といえど、今は部屋の外、勤務中。

 他の方々に醜態を晒すわけにはいかない。

 気を引き締めなおしているその時。

「見た? 庶民の息子だわ」

「忌々しい、全く、旦那様はなぜあんな子をこの屋敷に……」

「しーっ、ほらあの世話係がこっち睨んでるわ」

「あの目。野性的で恐ろしいですこと」

 再度睨むと、一度震え上がった二人のメイドは早々に去っていった。

 慌ててヴィアへ目を向けると、狭い肩幅を更に狭くしてぽつりぽつりと歩幅を進めていた。

「ヴィア……」

「気にしないで、おれは気にしてないからね」



 この三年間でヴィアについて新たに知ったことはたくさんある。

 嘘つきで、強がり。そして――

「はあああっ、はっ、」

「まだまだ、脇が甘いのじゃっ!」

 剣の腕が、かなりのものであることだ。というよりも、できるのは剣だけではないのだろう。身のこなしが、軽い。

 低い身長を上手く利用して、相手の突きを器用に躱す。

この屋敷にいる剣の名手、かつては戦場で戦っていたという爺と、互角とまではいかずとも、これほどまでに長く打ち合える相手はそういないだろう。

「はあっ、はあっ、」

 ヴィアはまた、息切れすると元から高めの声がさらに高くなる。

「今日はここまでじゃ。自主練でよく研究しとけぃ」

「はい、ありがとうございました、爺さん!」

 白い髪に、汗で束ができている。首にタオルをかけ、わしゃわしゃと汗を拭き取るヴィアに、僕は男ながらも色気を感じずにはいられなかった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「ニット、ありがとう。みんなも夕飯まで休憩してくれ」

「ヴィアもお疲れだなあ! 今から風呂か?」

「そう、汗が張り付いて気持ち悪いからね」

 れー太の問いに頷き、四人が部屋から出て行ったのを確認したおれはほっと息をついた。着替えをもって部屋の風呂に向かう。

 爺……剣士の爺は、厳しいながらも全力でおれの指導にあたってくれている。とてもありがたいことだ。

 おれは()から体を動かすのが得意だった。

『お前、陸上の素質あんぞ。ハードル走で大会に出てみないか?』

『いやいや先生! 私はまだ陸上部入ったばっかの一年生だし、先輩方が出るだろうから枠余ってないっすよ~』

『先輩たちもお前の実力は認めているから文句はないそうだが』

『まじすか、じゃあちょっくら出てみますわ! ガハハ!』

 恩師と初めての会話を思い出す。頑張った分だけ、褒めてくれる人だった。爺は恩師と重なるところがある。

 盛大な拍手と、先輩たちからの称賛の声が脳内に響いた。

 あの時は……楽しかったなあ。

 生きてるって感じがしてた。

『お前天才だな! 一年で優勝だぞ! やっぱり先生の目は確かだったぞ』

『せんせーのご指導のおかげですってば!』

 笑うとできる先生の頬の皺が、ひどく懐かしい。

 

「やだなあ、しばらく忘れてたのにさ」




次回の投稿は少し先になります。

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