1.愛人ノ子
よし、奥様の部屋の掃除は終了っと。
「れー太、そっちはどうだ?」
「おう、終わったぞ」
「そしたら五時まで休憩だ、ちょっと遅いけど昼飯行こうぜ」
「おっしゃあやっと食えるぜ……」
朝の九時から夕方の四時まで全く休憩なし、そんなことは僕ら使用人……ボーイとメイドにとっては日常である。
僕たちはこれでもだいぶ待遇がいい方だ。なぜなら……
「今日もいい匂いだぜ! 夜見姉妹の飯は格別だよなあ」
そう、同じくここエステート邸で働く双子のメイド、夜見はろと夜見ひろの作ったご飯は、そこら辺のものとは訳が違うのだ。
「あっニットとれー太! 今からお昼かしら?」
はろの明るい声が食堂に響く。
「そう、僕らもうお腹ペコペコだよ!」
僕の言葉に、はろとひろは満面の笑みを浮かべた。
「今日はカレーだけども、ニットはいつも通り大盛りでいいわね?」
「うん、そんで、れー太は特盛りで頼むよ」
「任せて、ひろがよそってあげる」
「おう、さんきゅ!」
この姉妹、はろは明るくて活発、ひろはおとなしくて穏やかだから、見た目はそっくりでも雰囲気でかなり二人の見分けがつきやすいのだ。
ニッケルワット・リング――略してニット――が僕の名前だ。
エステート卿のもとで働くメイドとボーイから生まれ、今まで僕も両親と同じようにここでボーイとして働いてきた。
幼馴染のれー太とは物心つく前からの仕事仲間だ。いつも僕らは二人で仕事をこなしてきたんだし、同年代で僕ら以上に連携して仕事ができる使用人はいないだろう。
僕らはエステート卿の奥様のお世話をさせていただいている。貴族だから当たり前といえばそれきりなのだが、傲慢で注文が多い。だが僕らと年が変わらない娘のノノカ嬢はそれを大幅に上回るワガママ娘で、駄々をこねるあの姿を一目見れば、誰も現状奥様に仕えることに不満がある者はいないだろう。
そう、不満は全く、これっぽっちも、なかったのだ。
「ええと旦那様、それは私どもが、で間違いはございませんでしょうか」
「ああ、一か月後からお前たちを私の子の世話係に任命する。異動だ」
僕の問いに平然とした表情で答えるエステート卿に、全員青ざめる。
エステート卿のご子息って、明らかにノノカ嬢だよな……
「し、しかし、失礼ながら旦那様、ノノカ様には既に他の使用人が……」
そう、もうあのワガママ娘に慣れているベテランの使用人たちがいるのだろう。僕らは誰もあんなお嬢様に仕えたくはない、それがもれなくここにいる同年代のメイドとボーイ全員から、ひしひしと伝わって来た。
れー太の震え声に、察しの良いエステート卿は大声で笑い、「何、ノノカではないぞ」と告げる。
ノノカ嬢ではない? 僕はエステート卿と奥様の間に他のご子息がいらっしゃるなんて話は聞いたことがない。
「あれは愛人との子でな、ノノカやお前たちと同じ今年一五なのだ。あの子の母親がついこの前逝っちまってな、ここでも肩身が狭いだろうし、同年代のお前たちに世話を頼みたいと思ったのだ。いいな?」
ノノカ嬢じゃなかったのは幸いだが、エステート卿のお子様であることのは変わりないわけで、あまり気乗りする話ではない。
だが、エステート卿の子供を想う暖かな目に、とても断る気にはなれなかった。
「かしこまりました。このニッケルワット・リング、必ず旦那様のご期待に応えてお見せします」
肩に手を当て、忠義を誓った僕らに、ああと頷いたエステート卿は僕らに下がるようにおっしゃった。
「ニット、旦那様の話、どう思う」
「どう思うも何も、旦那様からのご命令は絶対だ。誠心誠意ご子息に仕えることにするよ」
「ま、そうだよな……」
「れー太の気持ちは分かるわ、私もやっていけるか心配だもの」
「はろだけじゃない、ひろも心配」
「僕もあんまり乗り気ってわけじゃないけどね」
僕らが新しく仕える方はヴィア様ということだが、当日になるまでお会いすることはないそうだ。
ヴィア様にお仕えさせて頂くのは僕とれー太、はろとひろ、その他五人の使用人だが、その五人は奥様と兼任するため、いつもヴィア様に付きっきりでいるのは僕ら四人。二十数人仕えているノノカ様と比べるとなんとも心細い数だが、旦那様にも何かお考えがあるのだろう。
とにかく残り一か月、精一杯奥様のもとで働かせて頂くことにしよう。
あと、心の準備も。
そして全く待ちに待っていない一か月後。
お迎えのために僕らは正装でエステート邸の門前に立っていた。
遂に彼――ヴィア様は現れたのだ。
馬車のドアが開く瞬間、全員が息を呑む。
どんな方なのだろう。
僕ら使用人は、主人を一目見た瞬間から、その方によってどう接すべきなのかを見極めなくてはならない。エステート卿なら軽く世間話の談笑相手になることが大切だし、ノノカ様には十分に低頭から接さなければ機嫌を損ねてしまう。僕らが今までお仕えしていた奥様は、必要以上に話しかけてしまうとすぐ不快にさせてしまうので、ほどほどに。
では、ヴィア様は?
真っ白なスーツに身を包み、上品に馬車から出てきたその方は。
透き通るような長めの白髪に、おしとやかなお顔つき。狭い肩幅や低い背丈からは、ひどく心細さを感じる。ゆっくり赤い綺麗な目を見開き、僕らに一礼をする。
僕らに対して頭を下げたヴィア様に慌てて膝をつき、肩に手を当てた。
かすれた声でありがとうと言った彼は、ゆっくりエステート邸入り口のドアに向かって歩みを進める。
分からない、一五年間一日も休まずボーイとしてこの屋敷で働いているが、全くわからない。
ただ一つ分かること、それは。
雪のように微笑んだヴィア様は、とても儚げで、美しかった。




