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鈍太守

梁書列伝七十・韓家伝


先の司寇(しこう)(司法大臣)に、韓洪という名臣がいた。

先帝の(かん)(てい)が即位して以来、その信頼を受けて制度改革を一手に引き受けた大臣である。

朝議にあってはその信に応えるために不断の努力を見せ、若い頃は将校としても働き、私にあっては文人としてでも大成しただろうと言われた。しかしながら、結局桓帝の治世後半は乱世となり、その中で彼は傾いた王朝の再建を果たせなかった自責の中で死んでいった。

その男には、三人の息子がいた。


長子は太守として赴任し、梁を支える官吏として代軍に攻められ果てた。

次子は齢十代で詩人として名を馳せたが、病を得て死んだ。

そうして、この三番目の息子は、韓氏の家督を継ぐこととなった。


名を、(かん)(しょう)、という。

不肖の息子である。



天下の趨勢は決したと言ってよい。

数多の群雄から四分されたのも束の間、いまや天下に残るは二つの勢力のみであった。

即ち、南方より興って東西の辺土から中原まで天下の過半を併呑した楚か。

仮朝のある許と北方の辺土で生きながらえている梁か、である。

この時、韓章は梁の一将軍として、そしてなにより太守として(かく)(えい)という邑を守備している。

大邑である。覚州(かくしゅう)の州都であったこの都市は交通の要衝であり、更に北にある今の梁都たる許とは北方の大都市として並べて語られたこともあるような都市であった。しかし、である。

大邑である。――だが、もはや楚国の中では幾らでも同じ規模の街はあった。

要衝である。――だが、あえてここを通らなくても楚軍は幾らでも許へ進める。

天命とは、既にそのようなものであった。


韓章は自らの記憶を見直すとき、彼は父から褒められた覚えがなかった。

長兄は大層評判の良く、優秀な人材であった。そして務めを果たそうとして死んだ。

次兄は変わり者と呼ばれたが、その文才は本物であり、父はそれを愛した。

韓章にはどれもなかった。あえて言えば、多少なりとも戦における勇気をみせたが、それはいわば匹夫の勇に近いものであり、将帥としてそして韓氏の棟梁として求められるものではなかった。

だが、兄たちは父より先んじて死んだ。そして、父は嘆きながら死んだ。

そうやって、韓章は韓洪の後を継いだ。


――楚王、出師。

その報せを聞いた日、韓章は死んだ父になんと報告すべきか大層悩んだ。この男は既に三十を過ぎていたが、幼子のように、毎日父の位牌を前にして日々の報告を行うことを一日たりとも欠かさなかったからである。

結局、日々のように報告することとした。そうして、守兵を集め、城壁を見直し、装備を整えさせた。


あえて言えば。

この時の覚衛は洪水の前のひとつの石ころであった。既に許の朝議では楚王への降伏すら論議されるようになっていた。ここで許に撤退しようとあるいは楚軍に降伏したとて、韓章は処罰されなかっただろうし、そもそも梁にそれだけの力は残っていなかった。

事実この楚の遠征において、覚衛以外の邑は次々と降伏し、あるいはその守将は早々に逃げ出した。


だが、韓章は戦いに備えるよう命じた。

成程、彼が受けた君命は覚衛を守備せよというもので、許に退けとも降伏せよとも命令されていないのである。

――さあ、こい。

と全身で韓章は楚軍を迎え撃つ気配を見せたのである。

かくして、この鈍感な守将に、覚衛の人々はみな流された。それどころか

「覚衛は戦うらしいぞ」

という話を聞いた各地の梁軍はにわかに覚衛へ集まりだしたのである。

そうして守兵は三千あまりだったのがいつの間にか一万を超えるまでに膨れ上がっていた。



覚衛を囲んだ軍を率いたのは高純(こうじゅん)という。

楚王高固の長子であり、いわば楚の太子であった。この太子は奇遇なことに韓章とはほぼ同い年である。楚軍の本隊ともいうべきこの軍は十万を従え、従う将帥もそのほとんど楚の譜代の将軍たちであった。

彼は楚王とは違い、理屈で生きてきた。そこで常のように覚衛に降伏の使者を走らせた。今次遠征ではそうして降るものがほとんどだったからである。また、楚軍の消耗を減らしたい想いが強かった。

そうして当然のような顔をした韓章に拒絶された。


重い息をついた高純は楚軍に攻撃を命じた。

城攻めはつらい。だが、他の城のように此度も容易く落ちるであろうと思った。彼の左右を固めた老臣たちも、そうだろうと思った。

なるほど大邑である。が、傷んだ城壁の様子があちこちに見て取れる。

なるほどそれなりに兵はいる。が、自軍よりは少なくかつ練度のばらつきが見て取れる。

理屈と経験から、そう彼らは判断した。そして、この若君の武勲を増やすのであれば、まあ仕方ないかという笑みさえ浮かべた。

そうして彼らは覚衛を攻めた。


そうして攻めること二十日。

韓章は朝から晩までひたすらに城壁に立ち続けている。

覚衛は、未だ健在であった。



「なぜ落とせぬのか」

高純は心底苛立った声で呟いた。幕下の将軍たちはいずれも苦い顔をしている。彼らを責めたい気持ちをこの若者は必死に抑えつけている。将兵の動きに怠慢さがあるとは思えず、彼らの動きに不足があるとは言ってはいけない言葉だった。なにより、主将は己なのである。

――彼らに吐いた言葉は、全て己に返る。


この時の韓章の指揮ぶりを語るのは難しい。

彼は元々覚衛にいた守兵を中核に、四方の門を守らせ、各地から勝手に来た援軍を隊ごとにそれに付けて、ひたすらに己が持ち場として命じた城壁を守るように命じた。

それだけである。

あとの彼は、正門前の楼閣にあって、敵軍を見据えていただけである。

最初はこの守将の指示を仰ごうとした兵たちだったが、なにも答えない韓章を見て、いつしか誰も聞きにこなくなった。そうして士卒はみな、己が持ち場にてひたすらに守り続けた。

史書には、幾度も彼は敵兵の矢に晒されたが意に介さず立ち続け、その姿のまま飯を食い、時々微睡み、日暮れとともに父の位牌の前で瞑想した、と記録されている。

その姿を頼りに、士卒は盾を構え、矢を放ち、戈を振るった。

――韓子を死なせるな。

城兵たちはみなこの一念で守り続けたといってよい。

こうして楼閣に立ち続ける韓章は守兵の不動の核となった。



異常な士気といってよい。

史書を紐解くとき、こうした事例が起きる。なにか一線を超えた主将が現れた時にそれに引きずられるかのようにそれはいつまでもいつまでも続く。そして、それが引き起こされるのまた、史書に列挙されるものであった。



この時の楚軍からすれば、その目標は梁都の攻略にあるはずだった。

覚衛はあくまでもその途上に過ぎず、さらに言えば無視しても構わない存在のはずだった。

だが、高純、というよりは楚軍は総意としてそれを選んだ。



あくる日、楚軍は明朝から再度の総攻撃を始めた。

この一日中に落とすという気概を全軍に漲らせて、彼らはそこを目指した。

韓章のいる、覚衛の正門をである。


異常な戦場であった。

「敵将を討て」

「韓子を守れ」

敵も味方も、気づけばみながみな、正門の周囲に集中し始めた。囲んでいるはずの楚軍も、城兵に広く守っていたはずの梁軍も、である。まるで数多の命を韓章が吸っているかのように。

豪雨のような音を立てて、楚軍の矢が楼閣に降り注ぎ、刃が付いていればものを問わずに、楚軍から韓章ひとりを目掛けて放たれた。

そして、日没を迎え夜になっても戦いは続いた。あまりの激しさに両軍とも炬火を持つことすらなく、獣のように戦った。


翌朝。

崩れた楼閣には、韓章ひとりがいまだ旗を片手に立っていた。



目の前の惨状を認識しながら、韓章は口角が上がりそうになるのを耐えていた。

なにひとつ面白くないのに、笑ってしまいそうになる己がおかしかった。

不意に、父はまだ俺を怒るだろうか、と彼は考えた。


あまりに未熟な将であった。そんな人間のために、一体どれだけの兵が死んだか。

この覚衛を守って。守ってそして、どうなるのか。

そうした思考に、朝日の光を受けて、韓章は思った。


――どうでもよい。


蒼天の果て。楚軍のはるか向こうを望みながら、韓章はついに笑い声を上げた。



この日。もはや楚軍すべてから精彩というものが失せた。

緩慢な動きで昨日の犠牲者を収容し、弔いを行った。そうして緩やかに覚衛を囲んだまま、動きを止めた。

韓章ははて、と首をかしげたが、城兵の弔いを優先させた。



さらに翌日。

楚軍からひとりの使者が出た。その者は韓章に梁の滅亡を伝えたのである。



楚の統一後、高純の近臣にひとりの男が侍るようになるなのだが。

楚の史書には、特段の功績は記されることはなく、にもかかわらず、高純はその男が死ぬまで傍に置いたという。


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