偽帝
梁書列伝七十二・偽帝公孫夏
西京内の廟堂にあって、ひとり、微睡の中にいる初老の男がいる。
男の名を
――公孫夏
といった。
史書には偽帝、あるいは大逆人として記される人物である。
公孫氏、という一族は梁開闢以来の権門である。
というより、梁建国以前からの名門であった。一介の武将に過ぎなかった梁の太祖張勝は、時の公孫氏より后を迎えたことで、
――公孫氏ほどの者が見込んだ相手ならば
と、各地の支持を得、その地位を築いたのである。
以来、公孫氏は皇族たる張氏に準ずる一族として重きをなした。
彼らの父祖の地は、西方であった。騎馬民族たる西戎にいつ襲われるか分からぬ土地である。その地最大の豪族たる公孫氏が、数多の武将を輩出したのは、当然のことである。
当代の公孫夏も、そういった人物であった。
梁国最大の豪族であり、最高位の将軍位に登り、自身の妻には先帝の娘を迎え、時の皇帝である桓帝の皇孫に后を送り、その身は副都である西京にあって西戎に備え、戦い続けた。
そういう、人物であった。
が、今の彼は、梁に背き、雍と号して自ら皇帝を称した。
そして、その国は、一年と持たずに滅亡の間際にいる。
微睡の中で、彼は表現の出来ぬ昏い建物にいた。
――これは、なんだ。
意識はある。が、その身は動かず、真綿で首を締められているような息苦しさの中にある。
その中で。ひとりの男の姿が見えた。
――父だ。
老いた父の姿である。いや、その奥には数多の男の姿があった。
――祖霊だ。
直感といってよい。ここは墓だ。そう感じた。
息苦しさの中で、彼は思わず跪いた。
「夏よ、夏よ」
男たちが、己の名を唱和する。怒りか、嘆きか。
昏い声であった。
黄泉の向こうにいるはずの父祖が、己を罰しているのか。
不意に、更に意識が遠のいた。その瞬間であった。
父が、なにかを、告げた。
ーーなぜ、こうなったのか。
思わず口からもれかけた言葉を、押さえきり、この美青年は早足で父を探している。青年の名を、公孫敏という。
公孫夏の嫡子にして、彼の擁立を取り仕切ったのは、この青年であった。
優秀である彼が見て、既に梁の命数は尽きていた。故に、その泥船から公孫氏を守るための選択が、独立であった。
成程、長年西京を始め、西方は中央の混乱に巻き込まれていることへの嫌悪感と、迷惑感を持っていたのは事実である。そして、西方において、公孫氏が事実上の王家として貴ばれてのも事実である。そして、才覚は己のほうが父よりあると考えながらも、実績のなさを認めるだけの自己認識のあった彼は、臣下たちと謀り、すべて後戻りできない状況に追い込んで、父に建国を宣言させた。そして、己は皇太子摂政として事実上、政権を運営した。
ただし、この青年はすべてが小癪であった。
そう判断したのであれば、長年、梁の忠臣として尽くしていた公孫夏ではなく、自身が立つべきであった。
何故、父が哀れなものを見る目で己の謀に乗ったのか、それを考えるべきであった。
何より、梁がまだ滅亡も明確な破綻もする前に、皇帝を僭称することの重大さを考えるべきであった。
その結果が、ここにある。
西乞率いる梁軍に、雍軍は一度ならず二度も大敗した。
しかも、そのうちの二度目は公孫敏自身が元帥として指揮を執り、後退する敵を追撃したものである。
短期間に主力を破られた雍に、他の群雄が吞気に見ているだけのわけがなかった。
南方を既に制圧しきった楚が、安陽をめぐる梁と代を無視し、楚王高固自ら十二万の兵を率いること報告が来たのである。
「陛下」
朝堂に父がいる、と聞かされた公孫敏が、中に入ると、そこには既に武装した父と群臣たちがいた。
――しまった。
と、思わず彼は思った。実はこの時、この青年は、父の首を土産に、自らの身を守ろうと考えていたのだが、それどころではないことが分かった。
「敏か。丁度よい。支度せよ」
梁に敗れた弁護を口にする前に、公孫夏に機先を制される形で声がかけられた。
その声が、ひどく機嫌のよいことに、彼は終ぞ気づかなかった。
「出陣だ。楚王の首を獲りにゆく」
「なあ、おい」
帷幕の中、長年の癖である組んだ足に頬杖をあてる姿で、一代の英雄、高固は傍らの諸将に呟いた。
「誰だ、公孫夏が老いて耄碌したと言ったやつは」
西京の南、賀陽山の麓に対峙した両軍であったが、夜明け前に、雍軍の攻勢で戦が始まって既に一刻。楚軍は朝食を取る前に襲われている。朝餉の最中でないことだけが救いであったが、腹を空かせた兵の動きは露骨に悪い。寝起きのまさにその時を襲われたのだから仕方があるまい。対して、雍軍はよく兵が動いている。
「あらかじめ粥でも食わせたのでしょうな。枯飯だけではああはなりません」
旗上げ以来、軍師として差配を任せている柴禄がそう答える。もっとも、彼の声にも動揺が見て取れた。
「それにしても」
高固はやはり呆れたような声で続けた。
「雍が弱兵と、誰が言ったのか」
高固は己が率いるだけあってこの軍は精鋭を中心に揃えたはずであった。如何に奇襲の形になったとはいえ、すぐさま立て直すだろう、と当初はそう、考えていたのである。
しかし、であった。
「魯江も死んだか」
全六段に並べた楚軍の陣営は、既に三段まで破られている。四段目も穴が開きつつあり、五段目である高固の直営から既に何隊かが、増援に回しているが、状況はよろしくない。なにより、公孫夏はその全軍を持って突進する中で、的確に各段の主将格を討っている。
新参に譜代、貴下の将軍たちが次々に死亡や重症の報告ばかり来るのだから気が気ではない。高固が思わず呟いた魯江に至っては、柴禄よりも古く、挙兵前からの仲であった。他の優秀な者が麾下に加わろうと、その忠誠から高固が何よりも頼りにした将である。
――それも、死んだ。
「僅か二万。その半数以上が騎兵とはいえ、こうも荒らされるとは」
柴禄の言葉が、楚軍首脳の本音であった。
「報告!公孫敏を討ち取りました!」
「いらんわ、そんな小僧の話なんぞ」
数少ない朗報ではあるが、高固は切って捨てる。幾人かの雍軍の将帥を討ち取ってはいたが、なにせ、四段目も抜かれ、高固の本営も本格的に戦闘に入りつつある。
「殿、殿」
柴禄が焦ったように指差した方向に目を向け、高固は目を見開いた。
公孫夏が、そこにいた。
「お初にお目にかかる。公孫夏である」
もとは白かったのであろう甲冑を鮮血であちこち染め上げ、公孫夏はそう名乗った。
「楚県大亮の生まれ、高固です」
陣幕を出て、自らの出身だけを告げ高固は思わず拝礼した。そうしたいと思った。
「一代の英傑、楚王のもとにたどり着けるとは思わなんだ」
公孫夏はそう笑いながら、一度、二度、血を吐いた。
奇妙な間であった。
いつの間にか、剣戟の音はやみつつある。
――それは、楚軍が雍軍を駆逐しつつあることを示していた。
「楚王に問いたい。我が雍の兵は強かったかな」
馬上で血を吐きながら問う公孫夏に、高固は顔を上げると
「大層強かった。なにより、我が腕も奪われた」
本音であろう。それを聞くと再度、公孫夏は大笑した。
「成程、楚王の首は獲れなかったが、代わりに腕をもいだか」
大笑したまま、公孫度の躰が、馬上からずるり、と落ちた。
なんのことはない。
結局、息子にのせられてように見えて、私は、我々は示したいだけであったのだ。
黄泉の父祖の声を思い出す。
――夏よ、夏よ。
――示せ。示せ。
――公孫氏を示せ。
――張氏に勝て。
納得はない。にも関わらず、不思議な満足感の中、公孫夏は二度と起きなかった。
楚王高固は、公孫夏の遺体を手厚く弔い、西京に入ると、彼の幼い孫を自ら養育し、成人してからは公孫氏の祖廟を祀らせた。
天下統一後、彼は群臣たちから最も苦しい戦いを問われると、旗上げ時の楚県の戦いでも、代王との両軍共に二十万を数えた黄津の戦いでもなく、真っ先に賀陽山の戦いを上げたという。