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大樹将軍

梁書列伝二十四・大将軍西乞

一人の小太りの中年男が、野に寝そべっている。

覇気を感じず、どこにでもいるような一兵士に見える男だ。

ただし、である。


見るものが見れば、枕代わりに用いている倒木の横に無造作に転がしてある兜が、高位の将軍であることがわかるであろう。


男の名を

――西乞(さいこつ)

という。


梁国上将軍として、まさに滅亡の淵に佇む帝国の屋台骨として存在する当代随一の常勝将軍であった。


「将軍!」

副将として、長らく彼を補佐する驃騎(ひょうき)将軍である白術(はくじゅつ)の声に、ようやく男は目を開けた。


「なんだ、白子(はくし)

「なんだ、ではないわ!この愚物!」


長く伸ばした白髭を揺らし、白術が答える。白術のほうがわずかに年上ではあったが元は同格の身ということもあり――無論、公の場では弁えた言動を取るが――、彼らは気安い仲であった。

二人とも、もとは一介の兵士であった。特に西乞なぞは、族譜と家祖の位牌さえ残っていなければ、士という身分すら怪しかった家柄である。

それが、この世の混乱の中で、最上位の将軍にまで出世するような世となった。


「公孫夏、あれは出てくるぞ」

「でしょうな」

憤怒の表情を隠すことなく吐き捨てるように白術が述べると、西乞はなんともないかのように答えた。もっとも、それは白術も予想内の対応であったらしく、その場にどかり、と座り込むに留めた。


曹子(そうし)には、気の毒なことをした」

溜息をもらすような白術の声に、西乞はわずかに頷くに留める。

――この時、彼らが仕える梁帝国は、滅亡への道を転がりだして久しい。

既に天下は四分されており、その中でも畿内を保持する努力を続けた梁は、その代償として周囲をすべて囲まれている。中でももっとも打倒すべき敵は、副都であった西京を制圧し、西方にあって国号を雍とし、皇帝を自称する公孫(こうそん)()であった。

公孫夏打倒のため、西乞を主将、白術を佐将としたこの西方への十三万の遠征軍は、梁にとって数少ない信頼できる兵力であった。


秦水を挟んで対陣していた公孫夏の雍軍を大破し、西京(さいけい)を囲むに至るまでは、確かに順調だった。

そして、同じく信頼できる数少ない正規軍であった(そう)(けん)率いる軍勢は、絳にあって梁を守る東の守りで『あった』。

――それを、過去形で語る日がこようとは!


曹賢、という人物は愚直な人物であった。本来であれば既に高位高官に登る権門の身でありながら、梁の危機に「戦働きのほうが役に立とう」と、今に至るまで前線に立ち続けた老将である。なるほど、旗鼓の才は西乞のほうが優れよう。が、見るからに頼もしそうな風采と、数十年間、戦場にあって梁の危機を支え続けた経歴は、廟堂にすら影響を与えた。

それが、永遠に失われた。


直接彼を討ったのは、東方で勢力を張る代王であろう。それは誰もが事実として承知している。

そして、代王が軍を起こしたのは、間違いなく西乞不在を契機としたということも、である。


「安陽はそう遠くないうちに包囲されよう」

「そして、それを知ったあの偽帝はこれ幸いと兵を繰り出す、と」

まったくもって分かりやすいわ、と吐き出す白術に、西乞は苦笑を浮かべる。

都の危機とあれば、いつまでも暢気に遠征を続ける訳にはいかない。


「で、だ。我らが『大樹将軍』はどう対応する気か」

にやりと笑いかけながらの問いかけに、この大将軍は嫌な顔を浮かべた。


「白子まで、そう言いますか」

「無論よ。それで兵の士気が上がるならな」

西乞。この将軍は、本人の望まないままに、ひとつの綽名があった。すなわち、『大樹将軍』。


かつて軍功を称されて褒美を問われた兵士が次のように答えた。

「しからば、このまま軍籍にある限り、西将軍のもとに留まりたく」

栄達でもなく、このまま指揮官のもとに留まるとの言に、官は問いかけた。「何故、西乞の指揮に留まるか」と。すると、


――かの将軍の下であれば、我らみな、大樹の安らぎが如き安心をもって戦に臨めましょう。


慈父への信頼を述べるがごとく、その兵は答えた。

西乞とは、そういう人物である。



余談がある。

その一介の兵士が発した戯れの回答は、宮中にまで届いた。ある日、西乞が出陣前に廟堂に登った。すると、主君たる桓帝から

「大樹よ、武運を祈る」

と直接声をかけられたのである。

この日より、『大樹将軍』の名はいわば名誉称号の響きをもった。



話を戻す。

西乞はこの名を好まないことは、親しい者の中では周知の事実である。

「念のため問うが、白子まで同じ考えではないでしょうな?」

「まさか」

そこまで貴様に命は預けんわ、と憮然と白術が答え、安心したように西乞は表情を緩めた。そして事もなげなく言葉を続けた。


「どうも、こうも、ありませぬ。退くしか、ありますまい」

「安陽までか?」

西乞は首を横に振った。


「安陽は落ちますよ」

さらり、と告げられた内容に白術ははじめて絶句した。




西京を囲んでいた梁軍であったが、夜半、するりと撤退を開始した。

明朝、これを奇貨とした公孫夏は、息子である『皇太子』公孫(こうそん)(びん)を大将とし、追撃を開始する。



「ほう、孺子(こぞう)め、やるではないか」

再び対陣となった梁軍の本営で、愉快気に白術が笑みを浮かべた。その様子を息子である白啓は意外なものを見る目で見ている。此度の遠征が初陣ではあるものの、彼はいわば、次代の幕僚候補として西乞の本営に預けられている。


彼の知る父は、豪快ではあったが喜色、というものを見るからに浮かべることは少なかった。

「儂になにかあれば、西子を頼れ」

と事あるごとに告げる父は見ていたが、その対象である西乞を見た時に

――これが、本当に将軍か。

という困惑を抱いたのはそう古い記憶ではない。


が、その困惑は遠征の間、兵たちから向けられる信頼に触れるにあたってあらためられ、秦水での会戦での勝利で疑いは消滅した。

その時、父は先陣として別陣に構えていたため、会戦直前の姿を目の当たりにしたのは今度がはじめてであった。


公孫氏は梁建国以来の武門の家柄であった。皇帝を自称するまで公孫夏は梁の将軍であったし、対峙する雍軍を指揮する公孫敏にしても、齢十二の頃には軍略で父をも論破した、と噂される者であった。

雍軍は攻めに攻め、梁軍は緩やかに防ぐ、という形のまま、戦いは続いた。

この理由の一つには、梁軍は後退を優先させるため、輜重や軍の一部を先に先にと進めていたのがある。会戦時、雍軍八万に対して、梁軍は五万ほどであった。


「それだけあれば十分よ」

主将、佐将ともにそう豪語し、同時に彼らは直接殿軍の指揮を執った。

この日、先に布陣した梁軍は左右を厚くし、本陣を中央後方に控えて布陣している。上空から見れば、両翼をはばたかせて、敵を包むことを目指したかのような陣である。後からやってきた公孫敏はそれを見ると、中軍に精兵を集め、一挙に中央を食い破るを目指すこととした。

朝方から始まった会戦は、間もなく日が昇りきろうとしていた。

左右に伸びている梁軍の中央が押されはじめ、陣形の歪みが明らかになったその時であった。


「伸びきったな」

ひとり言のように呟いた西乞の声が消えきる前に、白術は席を立った。

「出るぞ」

五十を過ぎたとは思えぬ身軽さで馬上の人になると、くるりと戈をまわして瞬く間に突撃していく。その後を、彼の直属の騎兵たちが、一糸乱れず追走していった。

「鼓を打て、黒旗をあげろ」

白術たちが敵の先鋒にぶつかるまさにその時、西乞は梁軍に総攻撃を命じた。


鎌首をもたげた蛇が瞬時に獲物を得るが如く、白術らは突破のために疲弊した雍軍の前衛を食いちぎると、そのまま中軍に大穴を広げていく。



――夕刻、勝者として梁軍は凱歌をあげながら悠々と撤退していった。




安陽、と呼ばれた都は、いたるところに戦災の跡を残していた。

皇帝不在となったこの都市を数日前に落して絶頂の最中にいた代の若き将軍、劉度は得られるだけ得た財物を持って、帰途に就こうとしていた。

功績を得、財物も得、前途は明るく、彼は更なる栄達を得られると無邪気に信じ切っていた。


彼とその兵が、安陽を去ろうとした、まさにその日。

復讐の一念に染まった西乞率いる梁軍が疾風のごとく襲い掛かった。


「何故、ここに西乞がいる!」

劉度の叫びは記録されることなく、城門の露と消えた。




かくして、安陽を回復し、代軍を討つことで曹賢以下の無念をわずかに果たすと、許に逃れていた桓帝に復命した。

病床にあった桓帝は自ら西乞に対して饗宴をもってもてなすと、ついに官を大将軍に進め、司馬(軍務大臣)までを兼ねさせた。

大将軍任命は、建国時の名将であった桓尚と公孫融以来のことである。



それを見届けるように、白術の名は史書から消えるのであった。



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