招待状
「朝方ぶりですね、バケツ。フセンは、お久しぶりです。この前下層支部で出会った以来ですか?元気そうで何よりですよ」
「…ハコさん」
「あー、本当に、…性格悪いっすね」
突然声をかけてきたハコさんは、ぼくらの後ろ、路地の壁際に積まれているぼろぼろの机の一つに座ってこちらを見ていた。ハコさんが、朝に別れたときと何も変わらない口調で話しかけてくる。フセンさんから何も聞いていなければ、ぼくは何も疑わずにハコさんの近くに走り寄っていただろう。
「愚兄の性格については、私からは何も言えません。…それより、バケツ。良い子で待っていてくださいと言ったのに、どうしてこんなところにいるのですか?」
「…ハコさん…」
「はい、ハコですよ、バケツ。質問に答えてくださいね」
「ハコさんは、…ハコさんとマルさんは、ぼくの敵なんだね」
「………ええ、そうですね。…ああ、あの子は…図書館は、中立派でしたね。こうなることも、最低限予想はしていましたが…まさか、本当に介入するなんて思いもよりませんでした」
「っ、ルーペさんは、栞は無事っすか!?」
ハコさんは机に浅く座って、別の机に軽く背をもたれかけている。ぼくが質問を無視して敵なのかと聞いたのに、焦って否定するのでも、何か誤魔化したりするでもなく、普通に肯定されてしまう。ぼくがバケツの下で顔をこわばらせていると、フセンさんはその後に続いた図書館の言葉に反応して、少し焦ったような声でぼくとフセンさんのあいだに立つ。フセンさんが動くのにつられて、握られたままのぼくの手も路地裏の奥から来た方の道へと戻る。それを眺めながらも、ハコさんは脱力したまま声を発する。
「どちらも無事ですよ。“中立派”に危害は加えません」
「…それなら、よかったっす。」
「本当は、午前の仕事が終わり次第、バケツを王城へ連れて行こうと思っていたのですが…いろいろあって、迎えが遅くなってしまいました。そして迎えに行ってもあの惨状。すわテロリストの仕業かと事情を聞けば同僚の仕業!我々も、それはもう驚きました」
「…マルさんは、どこにいるの?」
「愚兄なら、まだどこかの空間で迷っていますよ。以前から、兆候は見えていましたが…今回の登城により、それはより顕著になっています。そのうち、私のことも忘れてしまうのかもしれませんね」
「えっと、それは…どういう意味?」
「ふふ、続きは、王城までの道中にお話ししますよ。さあ、バケツ。こちらへどうぞ」
和やかな雰囲気のまま差し出された手を見て、思わず一歩後ずさると、ぼくを隠すようにフセンさんが体をずらす。
「新人研修の途中で連れて行かれるのは、困るっす。ルーペさんから聞いて無いっすか?」
「ええ、図書館の修復はあの子が、新人研修の続きはあなたが請け負ったと聞いていますよ」
「ただでさえ王立騎士団の乱入のせいで予定がめちゃくちゃなんすよ?予定の半分も教え切れていないいうちに王様に謁見させました、なんて言ったら俺がルーペさんに怒られるっす」
「…それは、まあ、あれは天災みたいなものなのでご愁傷様です、としか……今日はもう勉強なんてやめて、我が主にお目通りして、また明日続きを教えれば良いではないですか。ルーペさんには、私から言っておきますよ」
「っ、明日じゃ意味なんて!いや、…明日は、別のバイトがあるし、引き継ぎも大変だし…今のうちにきりのいいところまで教えておきたいんすよ」
フセンさんはぼくを庇ったまま、ハコさんは手を下ろして机に座ったまま静かに話を続けている。ぼくが声を荒げかけたフセンさんに驚くと、それに気がついたのかフセンさんはすぐに冷静さを取り戻す。
「…ハコさんも、なんとなく気がついてるんすよね?このままじゃいけないって、分かるっすよね?」
「いいえ、いいえ。何を言いたいのか、分かりません。……さあ、選んでください。反逆者とその被害者として仲良く登城するか、正式な招待客としてバケツ1人で登城するか。」
「っ、それは、マルさんの指示っすか」
「いいえ、私の独断ですよ。…私は、ポスト兄弟の弟は、兄の味方です。我が主の忠実な僕です。それでも、彼らよりはまだ正気を保っているつもりなんですよ。」
ハコさんはそう言いながら、机の上から降りて立ち上がる。
「フセン、あなたこそ、この状況が良くないことは分かっているでしょう?自分のやるべきことが分かるでしょう」
「なにを言って…?」
ハコさんは、一歩一歩ぼくたちの方へと歩いてくる。
「バケツ…哀れな迷い子。あなたの願いが何であれ、あなたの正体が何であれ、あなたは王に謁見しなければなりません。それは、こちらに来たもの全てに適用されるルールです。」
「ハコさん…?」
「私は、あなたの味方ではありません。あなたの願いを叶えることも出来ません」
ハコさんは、ぼくとフセンさんから離れたところに立ち止まって、片手で何かを差し出した。
「それでも、何かしらのチャンスを残すくらいの慈悲が…そうするだけの愛着が、芽生えてしまったのも事実です」
「それは…?」
「………!その印は…」
「正式な招待状です。…無理矢理連行されるのと、招かれて自主的に赴くのでは、意味が違うでしょう?」
白い封筒に、赤い丸が付いているのは見えるけれど、あまり詳しいところまでは分からない。ただ、それはなにやら重要な物で、ぼくを後退させようとしていたフセンさんを止めるような価値があることだけは理解できた。
「…中を見てもいいっすか?」
「ええ、どうぞご自由に。バケツも拒絶はしないでしょう?」
「え?ああ、うん。見せてもらえるなら見てもいいんじゃないかな?」
フセンさんは封筒を受け取ると、ハコさんの方を見たまま後ずさりしてぼくの近くまで戻ってくる。封筒を渡したハコさんは、警戒を解かないフセンさんに肩をすくめて数歩下がると、机の近くの壁により掛かる。
「そこまで警戒しなくても良いでしょうに…ほら、私は帽子の手入れでもしていますよ」
「それはお気遣いドーモっす…このまま退却してくれてもいいんすよ?」
ハコさんは何も答えず、壁に背を預けたままの体勢で、帽子を脱いで装飾をいじっている。フセンさんは、わざとらしくため息をつくと、気を取り直してぼくにも見えるように封筒から取り出した手紙を広げた。
「えっと…?なんか知らない漢字とかがいっぱいだなあ」
「本物じゃないっすか!?!?!」
「当たり前でしょう。…まさか、偽物だと思っていたんですか?疑うことも、偽造することも、不敬にあたりますよ。」
難しい文章が並んでいる手紙に苦戦していると、それに気がついたのかフセンさんが簡単にかみ砕いて説明してくれた。曰く、ここの王様が、ルールに則って新人であるぼくに会うから、この手紙を届けたひとに城まで連れてきてもらってね、とのこと。
「読みましたね?理解できましたね?」
「……っす。確かに、これがあるのとないのとでは状況が違いすぎるっす。」
「どう違うの?」
「バケツの存在が、犯罪者から招待客に格上げです」
「あー…城に行くのは変わらないんすけど、君の扱い方がもう少し丁寧になるっす。」
「なるほどね…え、フセンは?」
「招待客はバケツだけですよ。…フセン、あなたの捕縛命令は出ていませんし、あなた宛の招待状もありません」
「まあ、そうっすよね…少しだけ、俺達だけで秘密の話しても良いっすか?」
「………ええ、どうぞ。それくらい、耳栓でもしながら、そこの机で待ちますよ」
「ありがとうございますっす」
ハコさんは机の上に座ると、ズボンのポケットから何かを取り出して、耳(?)に突き刺した。今までに何度かハコさんの横顔を見る機会はあったけれど、耳とか穴とかなんて無かったと思う。てっきり耳栓をするなんて冗談だと思っていただけに、実際に耳栓らしき物をしたことに驚きを隠せない。じっとハコさんの方を見ていると、フセンさんがぼくに目線を合わせるようにしゃがむ。ぼくの肩に両手を乗せて、ゆっくり語り始める。
「いいっすか、よーく聞くっす。作戦変更のお時間っす」
「うん」
「正式な招待状を受け取ってしまった以上、君はハコさんと…後に合流するであろうマルさんと一緒に、王城に行かなきゃいけないっす」
「…王城へ行くと、帰れないんだよね。……ぼく、もう帰れないの?」
「いいや、君は俺が必ず!確実に!おうちに帰すっす。」
肩に置かれた重さが増す。帰れないことへの不安か、肩の痛みなのか分からないけれど、視界が潤む。
「それじゃあ、どうすれば良いの?」
「君が王城へ行くあいだ…最悪王様に会うまでには、俺単体で協力者に会って、君をおうちへ帰す準備をして、そして君を迎えに行くっす」
「ぼくが王城に行って、準備が終わり次第フセンが迎えに来る…」
「そうっす!…その間、君は出来るだけ時間を稼いでほしいっす。君は、王城に行くまでと、王様に会うまでの時間を、出来るだけ長引かせるんす」
「…どうやって?」
「何でも良いっす。図書館の様子が気になるとか、アイスが食べたいとか、目につく物全てについて質問するとか…勿論、やり過ぎれば無視されたり強制的に城に引きずられてしまうんで、そこは君の腕の見せ所っすよ」
「ぼくに、できるかな…」
「できるできないじゃなくて、やるんすよ!」
フセンさんにそっと手渡されたハンカチで目元をぬぐう。クリアになった視界、フセンさんの背後には、再び帽子をいじっているハコさんが見える。
「バケツを被ったのと、それを外さなかったのは正解っす。今後も外しちゃだめっすよ?」
そっと呟かれた言葉に、こくりと首を振って返事をする。なんとなくで始めた行為が、今まで続けてきた行為が正解だと言われて、自分に自信がつく。
「きみは、今まで致命的な間違いは何も犯していないっす。…だから、大丈夫っす。俺はすっごく急ぐし、王様との謁見だって王城について即座に行われるわけでもないっす」
「…フセンが、もし間に合わなかったら?」
「あー……その時は、どうにかして王様から、お城から逃げるっす。」
「どうにかして、って…作戦って言えるの、それ?」
「へへ、実は俺、作戦立てるの苦手っす」
「…それはなんとなく気がついてたよ」
「………そろそろ、良いでしょうか。秘密のお話は終わりましたか?」
聞こえてきた声に意識を向けると、ハコさんは帽子を被り直して、こちらに顔を向けていた。フセンさんと顔を合わせてうなずき、ジェスチャーを送ると、ハコさんは耳栓を取り出して、ポケットにしまい込む。机から立ち上がり、こちらに近づいてきたハコさんは、フセンさんに向かって敬礼する。
「フセン、我らポスト兄弟の代わりに我が主の招待客を保護してくださり、さらには新人の研修業務を担っていただき、誠に感謝します。どうぞ、散歩の続きをお楽しみください」
「あー…そういうことにするんすね…いやー、市民としての義務と、俺の親切心によるものっす。あまり、お気になさらずっす……そうだ、最後に一つだけ。君は、君の願いを…諦めないでほしいっす!」
「ぼくの、願い…」
「さーて、迷子の引渡しも完了したし、俺は散歩に戻るっす!迷子の君も、おうちに帰れるといいっすね、それじゃあ!」
「っあ、ありがとうー!」
お互いに大根どころではない役者ぶりを発揮してフセンさんとお別れをすると、ぼくはハコさんに向き直る。
「フセンと話す時間をくれてありがとう、ハコさん」
「なんのことやら?ですが、一応礼は受け取っておきますよ」
「あはは…今から、王様のお城まで行くんだよね?マルさんはどうするの?」
「そうですね、愚兄は未だにどこかを迷っている様子です。バケツ、ここで愚兄を待つのと、ここから出て愚兄を待つのでは、どちらが良いと思いますか?」
急がなくても良いの、との言葉はすんでの所で飲み込んだ。ハコさんは敵で、ぼくは時間稼ぎをしないといけない。下手な発言をしてお城に到着する時間を縮めるなんて良くない。そう分かってはいるけれど、ハコさんの対応が変わらないのでどうしても油断してしまう。しっかりしなくちゃ、と気持ちを切り替えて、口を開く。
「うーん、のんびり待つのも悪くは無いと思うけれど、マルさんを迎えに行った方が良いんじゃないかなあ」
「ええ、それも良い案でしょう。とはいえ、愚兄が今どの辺りにいるか察知するにも、ここの空間は少し…混線しすぎています。間を取って、路地裏の出口の方に歩きながら、愚兄を探せる場所を見つけましょうか」
迷子になったら下手に動くより一カ所にとどまるのよ、なんてママの言葉を思い出しながら迷子の対応と真逆の行動をハコさんに提案すれば、想像とは少し違う発言が帰ってきた。
「え、ハコさんはマルさんの居場所が分かるの?」
「ええ、当たり前でしょう?もちろん、ある程度の制限はありますが…もう少し緩やかな空間に出ることが出来れば、愚兄の居場所など即座に探知できますよ」
「へえ、すごい…じゃあ、マルさんもできる?」
「それは…どうでしょうか。以前ならば確実に出来ていたと断言できますが……今の愚兄では、少し難しいかもしれません」
「ふーん…?あ、もしかして病気とか、老化現象とかが原因?」
「ふふ、故障や劣化であればどれほど………いいえ、いいえ。これは、バケツには関係ないことです。さて、そろそろ、移動しましょうか。ここで待っていても、愚兄とはいつまで経っても合流できそうにありません」
おや、もしかしてこの場でとどまるのが正解だったかな?ぼく、選択間違えたかな?と背中に冷たい汗が流れるのを感じながらハコさんの背中を追う。
「(いや、まだ大丈夫…マルさんを探すには緩やかな空間?に出なきゃいけないみたいだし、場所が分かっても合流するまでに時間がかかるだろうし、それに…ハコさんは普通に会話してくれる。)」
「それにしても、どうしてこんな辺鄙なところまで来たのですか、バケツ?」
「どうして、って…それは、ほら…フセンの授業の一環ってヤツだよ」
「なるほど、勉学に励むのは良いことです。私も、日々何かを学ぶという行為については重要性を感じているのですよ。そのため、時間が空けば読書を嗜んだり、そこで得た知識を実践したりしてせめて思考力の育成や知識の蓄積を絶やさぬようにと………(略)………」
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「だからバケツも学ぶことを怠らぬように…おや、ようやく見つけましたよ、愚兄」
「うん…そうだね……えっ?あー!わあいマルさんみっけ!!」
歩くこと十数分、ハコさんは緩やかな空間に出ても、「おや、ここから少し遠いですね?まあ、続きを話していればすぐでしょう」とながーく話し続けていた。マルさんを見つけるその時までノンストップで話すハコさんに、ぼくは話題が続くことへの感心よりも逆に、ハコさんが長話を始めるキーワードを口に出したことへの後悔が上回ってきていたところだった。
「とっても探したんだよマルさん!」
聞き初めは時間稼ぎが出来て良いなあなんて楽観視していたけれど、次第に気がついたのだ。ぼくだけではハコさんの話を止められない。そういえば朝もマルさんがハコさんの話を止めていたなあと思い出したのは、果たしてハコさんが話を初めて何分の時だっただろうか。
「わはは、坊主には苦労をかけたようだな!まあ、坊主もそのうちハコの話を止めるコツが掴めるさ」
「え、えー?そうかなあ…」
「まったく、愚兄が迷子になるから思わぬ足止めを食らいました!さあ、早く王城へと向かいましょう」
「あ?そんなに急ぐなら、笛で呼べば良かったんじゃないのか?」
「えっ、そんなことできたの?」
思わずハコさんの方に視線を向けると、ハコさんはふいと頭をそらした。
「…知識としては知っていましたが…笛を使う機会なんてそうそう無いので失念していました。それに何か問題でもありますか?」
「ハコさん…?」
「まあ、オレも実際に笛の音なんて聞こえるか分からんけどな!」
「マルさん…??」
拗ねたような声色でそっぽを向くハコさんと、おおらかに笑うマルさん。ふたりが敵だと聞いたときはどうなることやらと恐れたけれど、実際に会って話してみれば昨日の夕方から見てきたポスト兄弟の緩やかな日常が目の前で繰り広げられている。もしかしてぼくが意図的に時間稼ぎしなくてもどうにかなるのでは?
「わはははは、はー…やれやれ、いつまでも油を売っているわけにはいかねえな。早いところ路地裏から出て、乗り物でも拾うか」
「む、良いことを言うではありませんか。…出口はこちらですよ愚兄、バケツもこちらへおいでなさい」
…いつの間にか、テレビや漫画でよく見るような、いつもは漫才みたいなことをしている兄弟が連携すると物事が早く進む現象が起きていた。フセンと別れた所からずいぶん離れてしまったし、フセンがこちらに来るような気配はまだない。…やっぱりぼくが時間稼ぎを頑張らないとだめだね!