不思議な図書館
「あれは、国立図書館の中層支部だ」
正面の建物へと足を進めながら、マルさんが口を開く。
「図書館?」
「おう!坊主が今どんな状況なのか、説明してくれるヤツがここにいる」
そういえば、昨日マルさんがぼくと出会った時、そんなことを言われて彼に着いてきたような気がする。てっきりハコさんがそうなのかと思っていたが、どうやら違うらしい。
「またあの子に押し付けるつもりですか………?」
「わはは、適材適所だ!それに、早い内にアイツと会わせておいた方がいいかと思ってな」
「そう、でしょうか?」
「おう!それに、いつまでもバケツにかかりっきりにはいられないだろう?………それとも、オマエは、仕事を投げ出すのか?」
「っいいえ、いいえ!私はまだ働けます!我が主から戴いた仕事を途中で投げ出す事などあり得ない!」
「だろう?オレ等には仕事があるし、坊主は知るべき事がある。アイツに会わせるのが最善なんだよ」
感情がジェットコースターみたいに振れるハコさんと、笑いながらも芯がぶれないマルさんの会話を聞き流していたけれど、どうやら話が一段落ついたようで、二人は黙り込んでしまった。突然の静寂を少しだけ気まずく思いながら、図書館の中へと足を踏み入れた。
「よう!会いに来たぜ!」
「げぇ、トラブル拾いのマルじゃん………また面倒ごとを持ってきたの?」
「いやいや、お前が考えているようなことじゃねえよ?今回は、ただの一般的な新人を1人連れてきただけだ」
入り口から見て正面、天井まで届くほどの本棚を背にして三方向がカウンターになっている場所に、直立する虫眼鏡がいた。その人は木の丸いフレームに丸いガラスがはめられた姿、つまりは虫眼鏡のような頭をしている。彼か彼女か分からないその人は、ぼくたちの姿、特にマルさんを見た途端、書類整理の手を止めて、とても嫌そうな声を上げる。………声を聞いても、男性と女性どちらの声にも聞こえて判別は出来なかった。
「おはようございます、ルーペ。愚兄が毎度お世話になっています。こちら、昨日保護したバケツです。新人か迷子か判断がつかなかったので、こちらへ連れてきました。バケツ、こちらはルーペ。我々兄弟の幼馴染で、図書館の司書です」
なんだか気安そうに話しかけるマルさんと、一見嫌そうな声をしながらも普通に会話するルーペさん、そしてそんな二人の会話をぶった切って、ルーペさんとぼくを紹介するハコさん。薄々感じていたけど、この兄弟は我が強い。
「こんにちは…バケツです、よろしくお願いします」
「うん、こんにちは。私はルーペ。よろしくね」
少し気まずく思いながら挨拶をすると、こちらにガラス(視線?)を向けたルーペさんから挨拶が返される。カウンター越しに差し出された手を握り返していると、それを見ていたマルさんが両手をたたく。
「よし!これで挨拶は終わったな?ルーペ、オレたちは仕事に行く。終わったら迎えにくるから、それまでバケツの面倒を見ておいてくれ。坊主も、コイツの言うことをそれなりに聞いて待ってろよな!」
そう言い残すと、マルさんはぼくの頭を一撫ですると、踵を返して図書館の出口に向かう。
「…ハァ。あの愚兄、本当に全部押し付けたな…。ルーペさん、本当にいつもありがとうございます。このお礼はいつか必ず。バケツ、良い子で待っていてくださいね?」
それを見たハコさんもぼくを撫でて、ルーペさんにお辞儀をして行ってしまった。なんとなくハコさんの背中が見えなくなるまで見つめていたが、我に返ってルーペさんに声をかける。
「ええと………ルーペさん、ぼくはどうしたら………?」
「ふふ、怖がらなくてもいいよ、バケツくん。これから、私と一緒に、お勉強しようか。」
ルーペさんは優しい声でそう言うと、繋ぎっぱなしだった手をそっと離して、カウンターの奥に手を戻す。
「まあ、お勉強の前に代わりの司書を呼ぶから、少しだけ待っていてくれるかな?そうだな………あっちに見える読書スペースがいいかな。適当に、本でも読みながら待っててね。」
「はーい」
図書館に声が響かない程度に静かに、それでもできるだけ元気よく返事をして、カウンターから離れる。
「………ああ、もしもし、栞ちゃん?急用が出来たから、カウンター業務を代わって欲しいんだよね。いますぐ中層支部1階のカウンターまで来てくれる?………え、なに?聞こえないんだけど?さあ、10分以内に来てくれるよね」
後ろから聞こえてくる、優しさの中に圧力がある声は、聞こえなかったことにした。やっぱり、ルーペさんも我が強いんだなあなんて思いながら、青い背表紙の本を手に取る。ちらりと後ろを見ると、ルーペさんは肩と首の間に電話を挟みながら、書類に何かを書いているところだった。ぼくが見ていることに気がついたのか、ペンを置いてひらひらと手を振っている。それに手を振り返してから、意識を本に集中させる。いつまでも、人の仕事を邪魔するのは良くない。適当に選んだ本だけれども、待ち時間くらいはつぶせるといいなあ。
結果を先に言うと、ぼくが適当に選んだ本は微妙にハズレだった。短い話がいくつも書かれている本で、どれほどかかるか分からない待ち時間を潰すにはちょうど良かった。ぼくは、テレビも本も、一度見たものは最後まで見たい人間なので、長編を手に取っていたらルーペさんとのお勉強に集中できなくなっていただろう。(一冊読み切ってもルーペさんはカウンターにいたから、問題はなかったかもしれない。)だから、本の構成には文句がない。しかし、この短編集は、そのどれもが怖い話だったのだ。悪さをするとやってくるおばけの話、路地裏に消えた迷子の話、体がどろどろに溶けた人の話など、怖い話しか書かれていない。100%おばけブックである。面白くはあるけれど、あまり楽しめる内容ではなかった。
「冒険の話が良かったなあ」
「ああ、冒険譚なら赤い背表紙のヤツがオススメっすよ」
本を閉じながらつぶやいた独り言に返事が返されて、びっくりしながら横を見る。そこにいたのは、某タイヤの真っ白なキャラクターを人間色で塗ったような人だった。目や口の部分は立体的にでこぼこしていて、髪や肌はそれぞれ違う色がついている。
「え、と、誰?」
「ちっす!俺はフセンっす!しがないアルバイトっす」
明るい声とともに差し出された手をおそるおそる握りながら、じっくり相手を観察すると、紙が1枚ずつ重ねられて手の形をしていることに気がつく。手のひらと指だけでなく、爪の部分に至るまでもが、紙の重なりで精巧に再現されている。これで、一定区間ごとに太さや色に違いがなければ本物の人間に見えただろう。
「へへ、そんなにじっと見られると恥ずかしいっすねえ」
その声にはっとして、つかんでいた手を離して謝る。
「わわ、ごめんなさい」
「そんなに気にしていないから大丈夫っすよ!それで、君は迷子っすか?」
「えと、違います。ぼく、ルーペさんを待っているんです」
「ルーペさんを、待っている?………ああ、新人研修っすか?急用、ってこのことだったんすねえ」
フセンさんは、一人で話して、一人でなにやら解決したらしい。腕を組んで、うんうん、とうなずいている。そんなフセンさんにどう声をかけようか悩んでいると、後ろからルーペさんと木製の人形のようなものが歩いてきた。
「やあやあ、お待たせ、バケツくん。栞ちゃんが遅刻したせいで、ずいぶん待たせてしまったね?」
「それは、ルーペさんが突然呼び出したから「今何か言った?」いいえ、何でもないですごめんなさい」
ルーペさんの一挙一動におびえている人は、栞さんと言うらしい。テレビで見たことのある、シンプルなパペット人形やデッサン人形のような見た目で、顔の中心には大きな穴が開いている。その穴には、赤い紐が結ばれていて、余った紐はポニーテールのように後ろの方に流されていた。
「えっと、この子が噂の新人くんですか?」
「バケツです、よろしくお願いします」
栞さんはぼくとルーペさんを交互に見比べる。ちょうどこちらに穴(視線?)が向いたところで、自己紹介をする。
「ああはい、これはご丁寧に………名前、言えるんですね?」
「栞ちゃん、挨拶」
「ひえっ、すいません!あ、えと、栞です。ここの司書見習いで、ルーペさんの部下です………」
「そして、俺が流浪のアルバイター、フセンっす!栞の幼なじみっす!」
ルーペさんに促されて、栞さんは慌てて頭を下げながら自己紹介をする。それを見たフセンさんも、両手でピースをしながら軽い調子で二度目の自己紹介をする。
「おや、今日は君のシフトだったかな、フセンくん。それとも、ふふ、栞ちゃんに連れてこられたのかな?」
「うっす、今日は休日っす!栞が、『フセン、一人で行くのは怖いから着いてきてぇ』って言うので同行したっす」
「そんなことは言ってないでしょ!?たしかに、いつもの無茶ぶりだったら生け贄にしようかな、とは思って声をかけたけど!そんな弱々しく言ってないわよ!」
しなを作ってあまり似ていない声まねをしたフセンさんを見て、おどおどしていた栞さんは頭の紐を振り回しながら声を荒げる。
「栞ちゃん、うるさいよ?元気があるのは良いことだけど、早く業務に取りかかるんだよ」
「そっすよ、栞。図書館ではお静かに、っす」
「ヒェッ、すみませんルーペさんお許しを………フセンは後で話があるわ………」
栞さんは、ルーペさんの声を聞くと同時に気をつけの姿勢になると、肩を落としてカウンターの方へ歩いて行った。暗い声をかけられたフセンさんは、やれやれと肩をすくめると、ぼくの背中をぽんぽんと軽くたたいてルーペさんに声をかける。
「それじゃあ、俺はこの子の新人研修が終わるまで栞の手助けをしてるっす。ルーペさん、終わったら声をかけてほしいっす!」
「栞ちゃんを手伝ってもバイト代は出ないけれど、いいのかい?」
「それでも「うん、そうだね。君もどうせなら新人研修に参加するといい」あの」
「おいで、二人とも。お勉強の時間だよ」
はいっす、とうなだれたフセンさんの背中をポフポフとたたく。
会議室のような部屋に入って手招きをするルーペさんは、ゲームに出てくる魔王みたいだった。