ポスト兄弟の家
「あらためて、自己紹介をするぞ!オレはポスト兄弟の兄、マルだ!愚兄ってのはコイツが勝手に言ってるだけで、俺の名前ではないからな!」
「えっ」
グケイは名前ではない?あだ名みたいなモノなのかな………不思議そうな顔をしているのを見かねたのか、シュッとした方のおじさんが口を開く。
「私はポスト兄弟の弟、ハコです。愚兄は愚兄ですが、個体名としては「マル」が正しいですね」
「そうなんだ………えっと、迷子のバケツです。マルさん、ハコさん、これからよろしくお願いします」
ポスト頭のおじさんたちに連れてこられたのは、公園からかなり離れたところにある、一階建てで少し寂れた細長い建物の一室だった。ここに来るまで3人で会話はしていたものの、自己紹介はまったくしていなかった。部屋に入ってからようやく気がついたのでそのことを伝えたら、最初に会った筒状ポストのおじさんが名乗り始めた。
ぼくも一応拾ってもらった身ではあるので礼儀正しく自己紹介したいけど、ママとの約束「知らない人に本名を名乗らない」を守って、ずっと被っているバケツをそのまま名前にした。二人に嘘をつくことに緊張したものの、よろしく、と軽く返されて話は進む。
「ここはe-682長屋だ。少しボロいが、住めば都ってな」
「上層のタワーには劣りますが、下層の宿舎よりはマシでしょう」
「ふうん?」
よくわからないけれど、とりあえず返事をしておく。迷子になってから、知らないことと見たことがないものばかりで、どこから質問すれば良いのかも分からない。
「坊主、腹は空いてないか?」
「ママとごちそう食べたから平気」
食べたのはお昼ごはんだけど、不思議とおなかがすいていない。
「そうか、なら風呂入って寝るか!詳しい話は明日にしような」
「ああ、私はシャワーだけなので、お先に失礼します」
「おう、ついでに風呂湧かしといてくれ」
ハコさんが入り口とは違う扉を開いて、スタスタと部屋を出て行く。マルさんはそれを見送ると、部屋の中央、ダイニングテーブルと椅子のあるところまでのしのしと歩いて行った。ぼくはというと、どこにいれば良いのか分からず、入り口に立って部屋をきょろきょろ見回している。
部屋の造りは、むかし一度だけ遊びに行った、友達の家に似ている気がする。扉がいくつかあるが、あれは開けないと部屋かトイレかお風呂なのか分からないなあ。本当に着いてきて良かったのだろうか。ママはどうしているだろう。考えることが多すぎて、つい視線を床に落としてしまう。
「あー、坊主、ちょっとこっち来い」
そんなぼくを見かねたのか、マルさんが手招きしてぼくを呼ぶ。
「どうしたの、マルさん?」
「やることなくて暇なら、これ手伝ってくれないか?今日はいつもより量が多くてな。さっさと終わらせないとハコにどやされちまう」
マルさんの手元を見ると、たくさんの手紙が置いてあった。マルさんを挟んで左側に手紙の山がたくさん、右側には分類されてまとめられたいくつかの手紙がある。
「地区番号ごとに分けたいんだが………坊主は文字読めるか?」
手紙の山から1枚引き抜いて宛名を見ると、自分の知る数字と同じものが使われている。
「読めるよ。数字ごとに分ければいいの?」
「ああ、順番は考えなくて良いから、とにかく数字ごとに分けてくれ」
マルさんはこちらに目を向けず、正面の椅子に指を向ける。家にあるものより少し高い椅子になんとか座り、手紙の山から手紙をつかむ。思ったより手紙の量が多いのでは?そんな考えが顔に出ていたのか、ちらりと顔を上げたマルさんが、悪い顔で笑ったような気がした。
黙々と手紙を分類する。長い時間たくさんの手紙を分類していると思うのだけれど、いっこうに手紙の山は小さくならない。
「こんなにたくさんの手紙、毎日分けているの?」
無言で作業するのにも飽きてきて、手を動かしながら話題を投げる。
「いや、毎日ではないぞ。こんなに量が多いのは週末くらいだ。とはいえ、今日はいつもより多いけどな」
「まあ、繁忙期に比べたらかわいいものですよね」
「へへ………あれは、辛いよな………」
「ふうん?大変なんだね」
いつの間にか背後にいたハコさんが口を開くと、マルさんは作業を続けながら、どこか遠くを見るように呆ける。
「はやくデジタル化すれば良いものを………そうすればもっと楽になるのに」
「まあ、上ではデジタル化したことで郵便屋の数が減ったらしいし、一長一短だろうな」
意識が戻ってきたのか、マルさんはハコさんの愚痴に言い返すとまた作業に集中し始めた。
「ふむ………ああ、バケツ、愚兄の手伝いご苦労様、交代です。風呂場はそこの扉を開いてすぐです。タオルは右の引き出しに入っているので、自由に使うと良いでしょう」
「ありがとうございます、いってきます」
そう言って椅子から降りて扉に向かうと、ハコさんはさっきまでぼくが座っていた椅子に腰掛けて、手紙の仕分けを始める。
「今日はいつもより手紙が多いですね?」
「不思議だなあ………何でだろうなあ………?」
「こら、何か知っているでしょう、さっさと吐きなさい」
「わはは」
賑やかな声を聞きながら、扉を開く。
「坊主、風呂は肩までつかって10数えるんだぞ!」
「話をそらさない!」
扉を閉めるまで賑やかで暖かい声が続いていた。
「だから!報連相をしっかりしろと!毎回!言っているでしょう!」
「わはは」
「笑い事じゃありませんよこの愚兄!どうりで減らないわけですよ!」
お風呂から上がると、兄弟ゲンカが勃発していた。
「いやあ、笑うしかねえよなあ」
「我らが王のご乱心程度で回らなくなるなんて、上層部の郵便屋どもは何をしているのですか」
「いやあ、アイツらも途中までは回せていたようなんだがなあ………お、上がったか坊主。湯加減はどうだった?ぬるくなかったか?」
ケンカをしながら素早く作業をする器用な2人をなんとなしに見つめていると、こちらに気がついたマルさんが声をかけてくる。
「うん、いい湯加減だったよ」
「そうでしょう。私は愚兄とは違ってちょうど良い温度、というものが分かっていますからね」
「言うほど狂ってはいないと思うんだがなあ」
「お黙りなさい。この間のあれは、お湯ではなく水というのですよ、愚兄?」
「2人とも仲が良いんだね」
「まあな!!」「まさか!?」
同時に返事をした2人を見て、ケンカするほど仲が良い、なんて言葉は飲み込んだ。こういう関係に安易に口を挟むべきではない、とは一昨日見ていたドラマの台詞である。
マルさんとハコさんはその後もなにやら会話をしていたけれど、おもむろにマルさんが立ち上がる。
「じゃあ、最後はオレだな。ちと時間がかかるかもしれんから、坊主は先に寝ていていいぞ。ハコは………それを少しでも片付けておいてくれると助かるな………」
「嫌ですよ。愚兄が望んで得た仕事でしょう?私には関係ありません」
「そんな冷たいこと言うなって。オニイサマの一生の頼みだぜ?」
「それはもう聞き飽きました。バケツ、こちらへどうぞ。愚兄は放っておいて先に寝てしまいましょう」
ハコさんは手元の紙束を素早くまとめると、マルさんを無視して颯爽と立ち上がり、ぼくの背を押す。
「バケツは布団とベッド、どちらが良いですか?」
「ええと、布団の方が好き」
「それは良かった。布団もベッドも用意はできますが、ベッドを組み立てるのは骨が折れますので。ゲストルームはこちらですよ」
ハコさんは文句が聞こえてくる後ろをちらりとも見ずにぼくを玄関近くの扉に連れて行く。いいのかな、と思って後ろを振り向くと、マルさんが悲しそうな顔でこちらを見ているような気がした。
「手伝ってあげないの?」
「これが初犯ではないので、情けはいりませんよ、バケツ。あれに何度も付き合っていたら身が持ちません」
思わずハコさんに話しかけるが、ハコさんは冷たい反応である。
「それに、愚兄はただ構って欲しいだけですよ。ああやって無理な量の仕事を引き受けて、誰にでも良い顔をして。この仕事中毒八方美人め………」
「え?」
何事かをボソボソとつぶやいたハコさんを不思議に思って聞き返したけれど、なんでもありませんと返された。
「布団は正面のクローゼットから適当に引きずり出してください。電気のスイッチはこれです。何かあったら愚兄を呼ぶと良いでしょう。それではバケツ、良い夢を」
昨日のテレビで見た執事のように扉を開けてくれたハコさんにお礼を言って部屋に入る。
「おやすみなさい………マルさんも、おやすみなさい!」
扉が閉められる前に、もう姿が見えなくなったマルさんにも声をかけると、おう、おやすみ!と元気に返される。あの悲しそうな雰囲気から予想だにしない元気そうな声が聞こえたので、大人はウソツキだ、なんて先週見たアニメを思い出した。
言われたようにクローゼットから布団を出して、いつも家でやっているように眠る準備をしていく。準備を終えて横になれば、疲れが出たのか、まぶたが重くて開けていられなくなる。
ママに早く会いたい。目的を達成するには休むことも大事だと言っていたのはどの番組だったかな。ここの人たちの頭がぼくと違うのは何でだろう。
とりとめのないことが頭に浮かんでは消え、次第に眠気にすべて押し潰された。