ゴマ油、野菜炒め、ゆで卵。
ヴァ―ゴ村に戻ると、すでに陽は傾きつつあった。そのこともあってか、ヒルダは早速ジャンの家でとある作業に入っていた。
まずゴマをカラカラになるまで煎る。
「しかし今度は何を作るんだ?」
「まぁ、見てればわかるわよ。本当はいろいろと工程を踏まなきゃいけないんだけど、生憎出来ないからね。飛ばすわよ」
ゴマ独特の風味豊かな香りが庭に広がる。
「うまそうなにおいだなぁ……これだけで腹いっぱいになりそうだぁ」
「においで腹が膨れるか。……それで、何をしておるのじゃ?」
椅子に腰かける2人。ハガーとライザ。……まぁどうしてここにいるかは置いておいて……
「油、作ってるのよ。ゴマ油」
正直雑味が現れるのは目に見えているが、それでも油をひかずに焼く、炒めるよりはマシだろう。
次にカラカラに煎ったゴマを、容器に入れる。
「ビッケ、ゴマだけをつぶしてくれる?」
「了解なのだ!」
ゴマだけを、といった理由は簡単である。
さっきのように『ビッケちゃんパーンチ』なんてされたら、容器ごと破壊させられるからだ。
洗った木の棒を使って、ゴマをすりつぶし始める。
ゴリゴリとした音が響き、やがて徐々にゴリゴリした音から、少し粘り気がある音になってきた。
「のだ?」
「いいのよ。続けて」
そのまま5分ほど、ゴマを押しつぶし続けると、ゴマから油が噴き出していた。
「油……?」
「そう、ゴマ油。本来はここから、熟成とかを挟まないと雑味は消えないんだけど……とりあえず今日使う分だけは、濾過するだけで使うわ」
そのまま先ほどと同じように、紙を使って濾過する。黄色いゴマ油が、トロッとした感触でこぼれてきた。
「すっげぇ!ゴマから油まで作れちまった!?」
「もはや、魔術の類か……!?」
口々に声が聞こえる。……そうか。ゴマ油の作り方もわからないのか。という事は……
「さて、ここで熟成しないとおいしいゴマ油が作れないんだけど……それだと時間がかかって仕方ないわね。晩御飯どころの話じゃないかも知れないわ」
「じゃあ、今から熟成させるのだ!ボクはおいしいほうがいいのだ!」
おいしいほうがいい。なるほど。
「オイラもその方がいいな!少しでもおいしいほうがいいだろ!」
「ワラワもじゃ!」
「じゃあオレも」
4人とも、熟成させた方がいいと。なるほど。
「ちなみにその熟成、どれくらいかかるんだ?」
「そうね……」
「ざっと2週間」
「「「「やっぱいいです」」」」
……本来のゴマ油の作り方は、まず選別で一定の大きさ、重さの粒を選び、焙煎。油を搾り、その後濾過。2週間ほど熟成したうえで、最後にもう一度濾過し、濁りの原因となる雑物を取り除く。だが一応今作ったゴマ油もどきも、油としての素質は十二分にはある。
「でも、それで何作るだぁ?」
「簡単に言うと、野菜炒めを作ろうと思うの。さっき作った塩も含めてね」
そういうと、ヒルダは手際よく野菜を並べた。
「ナイフとか、刃物を貸して」
「あぁ。これでいいか?」
それは狩猟用の短剣だった。まぁ、切れれば何でもいい。あらかじめ鉄の力で生み出していたトレイに、材料を切っては並べていく。
と言ってもすべての材料を使うわけではない。玉ねぎ、ピーマン、ニンジン、キャベツ。包丁ではなく短剣で野菜を切る。何だか不思議な感じがするが、そうも言っていられない。
「すごい手際だな」
「これでもあたし、料理得意だからさ。あ、そうだ。ジャン、さっきの鍋、洗ってくれない?それでその中に、水と卵を入れて。火を起こして20分ほど茹でてくれる?」
「……?わ、わかった」
ひと通り野菜を切り終えると、次は火を起こす。
「簡単なのだ!」
と、腕を上げるビッケ。確かに慣れた手つきで、火を起こしていく。
「うまいのね。火起こし」
「お兄ちゃんもボクも、狩りに生きる魔族だから、火起こしくらい簡単なのだ!」
狩りに生きる……自分が暮らしてきた世界では、考えられないような言葉だ。
「……」
その様子を不安そうに見守るライザ。もしかして、火が怖いのだろうか。
まぁそれは置いておいて、自らの魔法で作り上げたフライパン……の、ような器材に、ゴマ油もどきをしき、フライパンを温めながらゴマ油をゆっくりと回して伸ばしていく。
そこへ野菜を放り込むと、ジューっと、焼ける音が聞こえてきた。
そのまましんなりするまで野菜を炒める。
ヘラもフライ返しも無いので、やはり製鉄の魔法で薄い鉄を生み出し、それで代用。フライパンに当たると傷付いてしまうので、慎重に炒めないといけないが……それでも炒められるものがあるとないとでは全く違う。
フライパンを振るだけではどうしても熱が均等に伝わりにくいからだ。ある程度野菜をいためたので、塩をぱらぱらと振り、少しキャベツで味見してみる。
「……」
味に深みがないが……それでも生で食べるよりは塩気がある分、食べやすい。ヒルダはそれを、木の皿に入れた。
皿に盛られた野菜炒めは、油を吸って輝きを増し、その体から湯気を出している。
「うおぉ~!うまそ~!」
「これ、さすがにはしたないぞ」
と、言いつつ食べる気満々に触角をビクビクと動かしているライザ。
……おっと、20分ほど経っただろうか?
「ジャン、お湯だけ捨てて、冷たい水を入れて」
「え?茹でたのに……冷ますのか?」
「いいから」
首をひねるジャン。まぁ、作ったことがないならわかるリアクションだ。冷水にさらす前に、ほんの少しだけ殻にひびを入れておく。
そして滑って落とさないように殻の表面の水分を落とし……完成。
「さ、出来たわよ。野菜炒めと、ゆで卵。4人で分けて食べて」
「「な!?ワラワ(オイラ)もいいのか!?」」
わざとらしい……
早速全員、手づかみで野菜をつかみ、口に放り投げる。感想は……容易に想像できた。
「お、おいしい!おいしいのだ!」
「塩の塩気が聞いてるし、素朴な味だ。これならいくらでも食えるぞ!」
「ほほ、かようなほど美味な食事を食べたのは久しぶりじゃ」
「うめぇ!うめぇ~~~!」
がっつく4人。
こう言った光景を見るのは、久しぶりな気がする。
まだ『こっちの世界』に来て少ししか経っていないのに。向こうの世界の事が懐かしく思える。
「ところでこれはどうやって食べるのじゃ?」
ライザの声で我に返る。ゆで卵を手にしていた。
「それはこうやって、ひびの入ったところから殻をむいて……」
慣れた手つきでゆで卵の殻をむく。
つるんと、簡単に殻は剥け、白色の肌が中からお目見えする。そこに先ほど作った塩をひとつまみして……ライザに手渡す。ライザはそれを口に運んだ。
「……!?」
驚いた表情を見せるライザ。……口に合わなかった?そう言った不安は、すぐに払拭させられる。
「なんと美味な!?うぬらも食べてみよ!早く!」
「急に催促し始めたな……」
同じように殻を剥く……
ベキョッ!
「あ、握りつぶしちゃったのだ」
……どうしてそうなるんだろう……
「仕方ないわね……はい。下の殻の部分まで食べちゃダメよ」
自分用のゆで卵の殻を剥いてビッケに手渡すと、ビッケはそれを口に運んだ。
「「「うま~い!(のだ)!」」」
ゆで卵だけで、ここまで喜んでくれるとは思わなかった。普段どうやって卵を使っているんだろうか。
そしてその後も、魔族たちは野菜炒めに手を伸ばし続ける。
一心不乱に食べるその様は、まさにおいしいものを前にした子供そのものだ。なんとなく、ヒルダの顔もほころんで……
……ほころんで……
「あ、あの」
「うん?……あっ」
野菜炒め。(ヒルダの分を含め)完食。
「…………すまん。つい夢中になってしまった」
「ま、まぁ……いいんだけど……」
……結果、ヒルダの今日の夕食は、キュウリ3本だった。
その夜……
「……」
そのままベッドを使っていいと言っていたので、そこに寝転がる。
すでにビッケは、気持ちよさそうに眠っている。
自分の右手を見るヒルダ。今日という日が来るまでは、当たり前な出来事が当たり前に繰り返し起こり、当たり前に過ぎ去っていったはずだ。
それが、今日になって、あっけなく崩壊した。
突然こう言った異世界に来て、意味の分からないコスプレイヤーのような犬の耳、犬のしっぽを付けた姿になった。見た目的に『ウェアウルフ』というそうだが……
そしてさらにはこの、体から鉄を生み出す力。一体この体に、何が起こっている?
「眠れないのか?」
ジャンが部屋に入ってきた。
「あ、ごめん。心配かけちゃった?」
「いや、オレもただ眠れないだけだ」
窓の外を見ると、不気味なほど真っ暗で、星の光だけが見える。コンビニや街灯などの明かりがない世界は、これほどまでに静かなのか。
「ねぇ、ジャン」
「なんだ?」
「……ありがとう」
頭を下げるヒルダに、ジャンは首をかしげた。
「あたしのこと、助けてくれたんでしょ?まだお礼を言ってなかったし」
「別に構わない。それより……礼を言うのはオレの方だ。あんなにうまい飯を食べたことは久しくなかった」
窓際に二人して立つ。
「本当に、食で苦労しているのね」
「あぁ。王都の奴らに、あらゆる食材、調味料を差し止められている。今はまだ平和だが、いつ王都の奴らがこのヴァ―ゴ村に来るかわかったものではない。そうなった時に、オレはビッケを守れるか……」
「ビッケ?」
こくりとうなずくジャン。
「ビッケに聞かれるとまずいからすり替えたが……本当は王都の人間に殺されたのはオレではなく、ビッケの父親なんだ」
「……そうだったの」
「あぁ。ビッケの父親はタウロス族の中でも相当の実力者でな。王都に反旗を翻した時も、前線で勇ましく戦った。だが、度重なる王都側の攻撃に、ついに倒れた。その父親の遺言で、オレがビッケを預かることになった。そうしたらビッケは、オレの事を{お兄ちゃん}と呼んで甘えるようになってな……」
淡々と話すジャンの顔は、静かにビッケの方に瞳を向けていた。
「だから、うまいものを食べて笑顔になる。そんなビッケを見られて、オレはホッとした。ありがとう。ヒルダ」
「……あたしは元の世界では、そうやって生きてきた人間だからさ。当たり前の事をやって、褒められることもないんだよ?」
ふっと笑うジャン。
「さて、オレは明日狩りに行こうと思う。出来れば肉を取りたいんだが……お前もついてくるか?」
「うん。あ、でも、その前にやっておきたいことがあるから、その後でもいいかしら?」
「あぁ、いいが……何をしたいんだ?」
するとヒルダは、空の容器を手に取ってこう言った。
「作るのよ。調味料の定番のもうひとつ……砂糖をね」
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同時刻……ヴァ―ゴ村から北に歩いて15分ほどの村、リオ村。
「く……く……くくくくく」
倉庫のような場所で作業をしていた男の魔族は、肩を震わせ笑っていた。ガラスのような容器の中に樽からそれを注ぐと、その液体は黒色に近い茶色。そして、風味豊かなにおいがする。
「ついに出来た……ワタシの労力の結晶が……これを使えばワタシの計画は……くくくくく……あ〜っはっはっはっは!あ〜っはっはっはっは!」
「げほっげほっ!」
ちなみに著者は料理はあまりできない方です。
あるものを作り出し高笑いする魔族の目的は一体……?