よん
翌朝。朝食の席についたルチアの顔を見て、アンヌは仰天した。
「どうしたのよ、ルチア。ひどい顔しちゃって……」
ルチアとアンヌは互いに名前で呼び合っている。アンヌのほうがなにかと優秀なこともあり、どちらが姉かわからないと言われてしまうこともしょっちゅうだ。
「え〜そぅお?」
眠い目をこすりながら、ルチアは答える。寝坊したので、今朝は鏡も見ていなかった。
「うん。目の下にすっごいくまがでてきてるわよ」
「う〜ん、ゆうべあんまり眠れなくて」
「そうなの? いつもは子供みたいに早寝早起きなのに、珍しいこともあるものね」
アンヌは少し笑って、優雅な仕草で紅茶のカップに口をつけた。
鏡も見ていないルチアとは違って、きちんと髪を結い上げ、春の訪れを感じさせるミモザ色のドレスに着替えていた。
(アンヌは……ビクトールのこと、どう思ってるんだろう?)
昨夜からそれが気になりだして仕方なかったのだが、いざアンヌの顔を見たら……聞くのが怖くなった。
アンヌにも嘘をつかれたら、どうすればいいのだろう。
ビクトールとアンヌ。一番身近で、大切な人であるふたりが自分に嘘をつく。その事実に耐えられるだろうか。
「あら、もういいの?」
スープもパンも半分以上残った状態でフォークを置いたルチアに、母親が心配げに声をかける。
「うん……ちょっと食欲なくて……」
ルチアが言うと、すぐさまアンヌが反応する。
「具合でも悪いんじゃない? ルチアから食欲がないなんて初めて聞いた気がするわ」
「そうなの……ちょっと熱っぽいかな〜なんて。だから、今日は部屋で休んでおくね」
「うんうん、絶対そうしたほうがいいわ。後でお水と薬を持っていくね」
アンヌは真剣な顔でうなずいた。
(私が食欲ないってそんなに驚くべきこと?)
ルチアはちょっと不満に思ったが、たしかに記憶にあるかぎりで「食欲がない」という台詞を口にしたのは初めてだったかもしれない。
私室でしばらくゴロゴロしていたが、ほぼ朝食抜きだったのでさすがにお腹が空いてきた。
タイミングよく、ぐ〜という乙女らしからぬ大きな音がお腹から響いた。
(そろそろミーアが昼食をこしらえている時間かな? 少し味見させてもらおーっと)
ルチアはするりとベッドを抜け出すと、二階にある私室から一階の食堂へ向かうため屋敷のど真ん中に配置されている螺旋階段を降りる。
半分ほど階段を降りたところで、階下から聞こえてくる声に気がついて足を止めた。
下をのぞきこんでみると、楽しそうに笑い合っているアンヌとビクトールの姿が目に飛びこんできた。
別になんのことはない、他愛ない話題のようだ。けれど、時折言葉を止めて見つめ合うふたりは、なんだかとても絵になっているように思えた。
ビクトールは情熱的な瞳でアンヌを見つめ、生き生きと本当に楽しそうに彼女に語りかける。
ルチアといる時には、見せたことのない顔だった。
アンヌも、いつものしっかり者の彼女とは違った。頬を薔薇色に染め、初々しくはにかむように笑っていた。
ふたりの間に流れる空気は、ビクトールとルチアの間のそれとはまったく違う。もっと、柔らかで、キラキラと輝いていて、甘くて、濃密だった。
いくら鈍感なルチアでも、これは気づかないはずはない。
(あぁ……ふたりは両思いなんだ)
ショックなのか、それとも納得なのか……自分でも自分の気持ちがよくわからない。
ただ……ビクトールと築いていくはずだった幸せな家庭。すぐそこにあると信じていた未来が、急速に遠ざかっていくことだけは、ルチアにもはっきりと理解できた。
「あっ、ルチア!」
ルチアの存在に気がついたアンヌが片手を上げて、ルチアを呼んだ。
「もう起きて大丈夫? ビクトールがね、昨日ルチアの具合が悪そうだったからってお見舞いに来てくれたのよ」
「大丈夫かい? ほら、ルチアの好きなシナモンパイを持ってきた。君には花よりずっといいだろ?」
ふたりのいつもと変わらない笑顔がたまらなく痛い。
ルチアは笑おうとしたけれど、死んだ魚のような目に口角があがっただけの、チグハグでおかしな表情になっただけだった。
「えーっと、お腹の調子がすっごく悪くて……だから、ふたりで食べちゃって」
「ルチアってば。いくら幼馴染でも、それは男性に話すことじゃないと思うわ」
アンヌの正論を最後まで聞かずに、ルチアは逃げるように部屋に戻った。
部屋に入るなり、彼を呼んだ。
「シンちゃーーん! 起きてる? 出てきてよ」