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神獣とは会話が成立するらしいことがわかった。ルチアが話しかければ、彼の姿は見えなくとも頭上から返事が降ってくるのだ。
「あなたの声は他の人には聞こえないの?」
ビクトールの様子を見たかぎり、ルチアにしか聞こえていないと思うのだが、念の為確認しておくことにした。
《うむ。わしの声も音声化した他者の本音もお前にしか聞こえん仕様じゃ》
「やっぱりそうなのね。じゃあ次は……」
(これは伝わる?)
ルチアは心の中で神獣に話しかけてみた。が、反応はない。今度は声に出してみた。
「神獣なのに私の心の声は聞こえないの? それだとあなたと会話するとき、私はひとりでブツブツ言ってるヤバい人になっちゃうんだけど」
心の中で会話できたら便利なのにとルチアは思ったが、すぐさま神獣に反論された。
《仕様変更できぬこともないが、それだとそなたの心中は全部わしに筒抜けになるぞ。よこしまな思いつきや不埒なことなんかも……》
「仕様変更、遠慮しておきます」
別によこしまなことや不埒なことばかり考えているわけではないが、得体の知れない生き物に心の中をのぞかれるのはいい気分ではない。
《それから、わしは一日のうち3分の2は睡眠にあてておる。でないと神の力を維持できんからな。だから、話しかけても返事がないときもあると思っておけ》
それじゃ、神獣というよりぐうたらな猫じゃないか。ルチアは思ったが、口には出さないでおいた。
《あぁ、でも心配するな。誰かの嘘はわしが寝てても自動で音声化されるからな》
「いや、その嘘がどうたらってやつは本当に本当なの? さっきのビクトールの声だって、あなたの悪戯かなにかじゃ」
《音声化には、わしはなんの手心もくわえられないぞ。ただそのまま相手の心を音にするだけじゃからな》
「えー? 本当に? うさんくさいけどなぁ」
《逆に、なぜそなたはそんなに自信満々なのだ? あの婚約者に愛されていると確信を持てるものがあるのか?》
「えーっと……それは……ある……とは言えない……かなぁ」
ルチアの声は小さい。
親が決めた許嫁同士。仲は悪くないと思うが、そこに愛はあるような、ないような……。
《では、あの男がアンヌという女を好きでもなにも不思議はないじゃろうが。あの声が、正真正銘のあの男の本音じゃよ。さっ、わしはもう寝るぞ》
「あっ、待って、待って! あなたの名前はなんていうの? あなたじゃ不便でしょ」
《神獣は神獣じゃ。名はない》
「じゃ、不便だからシンちゃんでいいかな?」
《神の遣いに対し、ちゃん付けとは何事か!》
その声は、大地が震えるような大音量で降ってきた。
「そんな大声で怒鳴らないでよ〜。じゃあシン様にしましょ。これで文句ないわね」
《まぁ……よいか》
神獣はまんざらでもなさそうに言った。
ルチアはこれまで平凡な人生を歩んできた。神様とか幽霊とか魔法とか超能力とか……そんなものは全部まとめて、創作の世界にしか存在しないものと思っていた。
そんなわけだから、はっきり言ってビクトールの心のうちより神獣の存在のほうがはるかに衝撃的だった。だからちょっと、考えるのが遅くなったのだ。……ビクトールの心の声については。
心臓に悪い一日を終え、ベッドに潜り込んだ後で、ようやく彼のことに思いを巡らせた。
あの後、ルチアの体調が悪いのだと心配したビクトールは「打ち合わせなんていつでもできるから」とすぐに帰ってしまった。
そういえば、彼は今日アンヌに会ったのだろうか。
(ビクトールがアンヌを、ねぇ……う〜ん。ありえない! とは言い切れない……のかなぁ)
ルチアの心の声はなんとも歯切れが悪い。そんなことない、彼は私を愛していると断言できないのが辛いところだった。
ビクトールとルチアが幼馴染ということは、当然、アンヌと彼だって親しい間柄なのだ。
(そう言われてみると、物静かなビクトールはアンヌのようにおしとやかな女の子のほうが好き……なのかなぁ。ていうか、物静かじゃなくても普通の男の子は私よりアンヌを選びそうな気もする)
自分で思いついた正論に、ルチアの心はずーんと沈んでしまった。
いつもは寝付きのいいルチアだが、その夜はなかなか寝つけなかった。