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ルチアはウィスリーズ子爵家の長女として生まれた。下にひとつ年下の妹と十歳離れたまだ幼い弟がいる。
ウィスリーズ家はそう大きくもない領地と領民をなんとか守っている中流貴族だ。
癖のないまっすぐな黒髪と紫色の瞳は父親譲りだ。女性としては背が高いこともあって、ルチアはどこか中性的な容姿をしている。
金髪碧眼を至高とするこの国の美の基準に照らし合わせると……まぁ美女とは呼べないかもしれない。
貴族の娘の嗜みである楽器やら刺繍やらダンスやらはことごとく苦手で、乗馬や狩りが大好きだ。
母親は口を酸っぱくして女性らしくしろと言うが、ルチア自身は別にこのままでいいかな〜なんて楽観的に考えていた。
なぜなら、ルチアにはすでに将来を約束した相手がいるから。といっても、別に情熱的な恋をしたわけではなく……父親同士が親友で、生まれてすぐに決められた許嫁だ。
それでも、彼ーービクトールとは気が合うし、穏やかで優しい彼をルチアは好ましく思っていた。
彼とならきっと温かい家庭を築いていける。許嫁が彼で本当によかったと、自身の幸運を神に感謝していた。
この日、ビクトールは半年後に控えているふたりの結婚パーティーの打ち合わせでルチアの元を訪れていた。
そこで、彼女は知るのだ。昨日出会った神獣が幻覚ではなく、本物だったことを。
「久しぶりだね、ルチア。少し日に焼けた?」
柔らかそうな栗色の髪が日の光にキラキラと輝いた。ヘーゼルの瞳が優しげにルチアを見つめる。
「うん。暖かくなってきたから、毎日のように遠駆けに行ってるの。このあいだは、かなり大きな鷹を……」
鷹がいかに大物だったかを手でしめそうとして、ルチアははっと口をつぐんだ。母親の小言を思い出したのだ。
『いくら優しいビクトールでも、最低限の妻のつとめは果たしなさい。でないと、いつか愛想をつかされるわよ』
「えーっと、でもね、結婚式に向けてダンスの練習も頑張ってるのよ。アンヌに教えてもらいながら……先生が優秀だからそれなりに上達してると思うの」
妹のアンヌは姉とは大違いの、賢く、しとやかな娘だった。
楽器も刺繍もダンスもプロ並みで、ちょっとした所作がものすごく美しいのだ。
顔だちそのものはよく似た姉妹なのだが、アンヌのほうは「田舎貴族の娘とはとても思えない。王家の姫君だと言われても信じるぞ」ともっぱらの評判だった。
ルチアがあわてて言い繕うと、ビクトールは白い歯を見せて笑った。
「無理しないで。ルチアはそのままのルチアでいいんだから」
(や、優しい! ビクトールってば、神様より慈悲深いんじゃないかしら。本当に本当に、私は幸せものだわ)
ルチアは幸せを噛みしめつつ、ビクトールのためにも、もう少し本腰をいれてダンスの特訓をしようと決意したのだった。
「なんだかちょっと気恥ずかしい気もするけど……結婚式、楽しみね」
「そうだね……本当に」
言いながら、彼はルチアから視線をそらした。……自分と同じように、彼も照れているのだろう。まるで兄弟のように、森の中を一緒に駆け回って育った仲なのだ。今さら男女を意識するのは、どう頑張ったって恥ずかしい。
だが、その瞬間、ルチアの胸に焼けるような痛みが走った。
「いっ、熱っ、痛っ」
そして、頭上から声が響いた。
《これは嘘じゃ。わしが本音を音声化してやる》
《はぁ……あと半年か。仕方ないこととはいえ、辛い。どうして、許嫁はアンヌじゃないんだろう》
最初の台詞はあの小汚い野犬の、続く台詞はビクトールの声として聞こえた。
「どうしたの、ルチア」
ビクトールが心配そうに顔をのぞきこんできた。いつもと変わらない、優しい目で。
「ごめん、ごめん。なんでもない……」
(わけあるかー! なに、今の声?
本当にビクトールの声なの?……アンヌって、どういうことー?)




