96:セイジの元へ
「もう1ヶ月以上学校に来てないよね、セイジ」
心配で憂鬱そうな言葉を口にしたのはマリアだ。
「事情は不明。教師に聞いてもはぐらかされるばかりか、僕たちにも何も相談せず休み続けるなんて・・・来た時に絞めないとね」
「マリ、引き締めるの『締める』が絞め殺すの『絞める』に聞こえた。女の子の前で口にするべきではない、気をつけて」
「ああ、ごめん。思わず。武闘クラブの方も顧問にしか話してなかったみたいでペアでやるメニューの調整が大変なんだ。でも、ここにいる6人もレイ以外はそんな聞いてないから消化不良でしょう?」
女が居なければ別に平気で口にしても良い、という意味にも取れるシオンの注意にマリはいつも通りの穏やかで爽やかな笑みを浮かべる。
「シオンは注意点がずれてる。マリは作り笑い止めたらどうだ?」
冷静にツッコミを入れるのはカナタだ。サラとマリアは視線を合わせて男どもの会話に苦笑し、レイは淡々と本に目を通している。いつも通りの日常にセイジという存在が欠けていた。
「でも、レイはセイジからそれらしい事を聞いたんでしょう?理由とか聞いてる?」
何度か色々な人物から投げかけられた質問。それはマリであったり、カナタであったり、教師であったりしたけれどそれはレイと2人きりの時でこんな時に質問して来る者は居なかった。
「聞いては無いけど、推測は出来る。でも、他人のプライベートを公言する趣味は無いから」
「そっか。そうだよね、セイジが言いたくなかった事なんだろうし」
聞き耳を立てたのは質問して来ていないサラとシオンだ。マリアも半分レイの答えは予想していたのかそこまで落胆はしていない。因に既に聞いて来たマリやカナタはレイの答えを知っているので聞き流している。
「・・・セイジがまだ出会って間もない私に休学する事を伝えに来たのは私がセイジの事情を多少なりとも知っているから。色々揺さぶったりもしてみたしね。知っているから別に事情を言っても良いか、って心境だったんだと思う」
揺さぶった、等の少々不穏な言葉も聞こえたがそこはあえて無視して今まで疑問に思いつつも聞けなかった事を聞いてみる。
「レイは、どうやってそんな情報を手に入れてるの?セイジの事もだけど私の事も」
サラの質問に対して、レイは口元にうっすらと微笑みを浮かべた。
「そう言えば、兄上の事も結局何処から情報を掴んだのか未だに分からない。レイの情報網はどうなっているんだ?」
シオンも控えめに聞いて来る。レイは微笑みをキープしたまま、
「天からのお告げです」
と情報網の一端を口にした。しかし、レイの口調はレイが良く冗談を口にする時と同じにして、微笑みに深みをもたせてみる。それだけでレイが冗談を言っているのだ、と全員がはぐらかされた気分になる。
「結局、教える気はないんだな」
カナタの言葉にレイはフフ、と笑うだけだった。
「でも、調べて欲しい事があるのなら可能な限り協力するけど?閉鎖的な国の情勢から日向の丘に野生している全ての草花の名称まで私が調査できると判断した事なら無償で調べます。ああ、勿論無償は友人・恩人・気が向いたとき限定で」
レイの紡ぐ口上は嘘くさいが、レイならば調べられるのかもしれない、と思ってしまうのがレイのレイたる所以だった。因に日向の丘とは南東に位置する広大な丘で植物の宝庫とも呼ばれる程草花の種類が多く、未だかつてその丘に野生している草花の名称を完璧に把握した研究者は居ないと言われている。大掛かりな調査を行う度に新種を発見するとの噂もある。
つまり、調べたとしても完璧に名称を調べるのはほぼ不可能だし、新種があるとすればそれに名前はついていないので全ての植物の名称を知るのは難しいのだ。
「レイなら涼しい顔でそんな難しい事も遣って退けちゃいそうだから、あんまりそう言う事言わない方が良いよ?」
「出来てもやらないし、頼まれても断るから大丈夫」
それならさっきの口上は何だったのか?とツッコミを入れたくなるのだが結局全て冗談だったのだろうと全員がその話題にケリをつける。その切っ掛けを作ったのはマリだった。
「セイジの家知ってる人いる?」
全員が首を横に振る。セイジは貴族の多く住む区画に住んでいるので誰も遊びに行った事が無い。行き来は簡単なのだが、その区画は店があっても値段が高いので一般学生が気軽に遊べる場所が無いのだ。遠い、という事も理由の一つにある。その区画に住む学生は大体が寮に入るので徒歩登校しているセイジは珍しいのだ。
「調べれば直ぐ分かる。セイジの様子を見に行きたいの?」
レイがそう答えながらマリにそう聞くと、
「お見通しだね」
と答える。苦笑しながらも、マリの目は真剣だ。
「・・・・・・いいんじゃない。セイジも別にお見舞いに行くかも、って言ったとき拒否しなかったし。私もそのうち行くつもりだったし」
少しの間考えてからレイが言外にセイジの家の場所を調べる事に賛成する。ついでに一緒に行く事も仄めかす。では、自分たちも、と他の者も全員がセイジの様子を見に行く事を希望する。
「でも、レイの言ったお見舞い、ってどういう事?セイジ病気ではないんでしょう?」
何となくレイの物言いが引っかかり、サラが質問して来る。
「私の言うお見舞い相手はセイジじゃないよ。それに、セイジの家を調べてもセイジは多分自分の家に居ないと思う」
「どういう事?」
首を傾げ尚も質問して来るサラに「まだ言えない」と答える。
「会いに行く計画だけど、平日は難しいから今週の休日にしようと思うんだけど、大丈夫?」
マリが考えた計画を口にする。最後の言葉はレイに向かってだ。レイがちゃんとセイジの家を調べられるか、という事だろう。
「平気」
素っ気なく即答する。その裏で、
(そろそろ調整が必要な時期か)
と、レイはある考えを巡らせていた。
計画を立てた次の日、レイは帰宅早々アルに呼び出された。
「セイジ君の様子を見に行く、とシオンが言い出した」
「はい。私も一緒に行きます。他の友人達も一緒です。何か問題が?」
「いや、レイ達が行く事には特に問題はない。いつも通り私達の誰かに許可と何処へ行くのか、大まかの帰宅時間を伝えてくれれば反対はしない。だが、シオンが一緒という事になると話は別だ。セイジ君の家はコルセール家、爵位を持っている。例えそんな考えは無かったとしても、王族であるシオンが行くというのに色んな考えをもつ輩も居る」
少々遠回しな言い方ではあるがアルはシオンがセイジの家へ行くのを良く思っていない。そしてそれは王家の考えでもあるのだとも理解する。
「つまり、シオンがセイジの家に行く事を良く思っていないんですね」
普通の口調で、そして表情を変える事無く淡々とアルに確認をする。
「なら、アルはシオンの従兄弟としてどう思っているんですか?」
レイは王家の考えも貴族の考えもどうでも良い。レイはアルの考えを求める。
「・・・従兄弟としては、正直自由になって欲しい。シオンは兄を差し置いて皇帝になりたくないと願っていたが、周囲はそんな意見を聞かず兄の目が治るまでシオンを縛り続けていた。その所為で少し前までワザと無茶な行動をして自分から命を危険に晒した事が何度もある。逆にシオンの兄は皇帝として民が安心して暮らせるようにと願っていたが以前の体の時には無理だと見放されていた。今、皇太子殿下は以前のハンデを取り戻す為に目覚ましい成長を遂げている。しかし、シオンの立場は依然として微妙な状況だ。皇太子派の人間から見れば邪魔な存在であるし、元第二皇子派の人間から見ればなんとか皇太子と対立させてシオンを皇帝としたいと考えているだろう。コルセール家は中立の立場だ。その家へシオンが行くとすれば対立の火種となる危険がある。命に関わる事に発展する可能性もある。シオンには今まで縛られていた分自由に、しかし立場も考えて行動して欲しいと思っている」
アルの考えはシオンに自由になって欲しいが立場も考えて欲しい、というものだ。従兄弟として、心配しているのだろうがそれでもやはり自分たちの立場を捨てきれていない。無責任にセイジの家へ行っても良いと思う、とは言えないのだ。
「そうですか。でも、セイジが居るのはコルセール家ではないので大丈夫だと思います」
「・・・どういう事だ?」
「ですから、セイジは自分の家には居ないんです」
ハッキリと、分かり易くレイがもう一度同じ言葉を繰り返す。
「セイジの家の近くの新興貴族テーベリア家に居ます。数代前に爵位を得て貴族の中でも地位を確立していますが今まで重要な地位に就いた事がありません。領地は無いですが古くから続く商家で優秀な商人を数多く輩出している家です。質の良い珍しい品を扱っているようで有名貴族御用達だそうです。私の言いたい事、分かりますよね?」
「シオンは客としてその家に行けば問題は無くなる」
「ええ。それでも駄目なのなら私にはアルにシオンについての判断を任せます」
アルは溜息を吐いた。アルはこれでも城の情報部門の者に色々と調べてもらっていたのだ。しかし、調べて来たのはセイジの家に関する事が主だった。1日2日では仕方が無い事だが、レイの情報はそれ以上だ。
「何処でそんな情報を仕入れて来るんだ?」
「・・・秘密です」
ストレートに聞いて来るアルを以外に思いながらもレイはニッコリと笑ってそう答えた。友人達に言ったような「天からのお告げ」はアルがレイと神々が知り合いという事を知っているので言えないのだ。
「用がこれで終わりなら宿題があるので部屋に戻ります」
アルは苦笑してそれを許した。
週末、学校前に何時ものメンバー+アル、ファラル、そしてベクターが集まった。
ファラルはレイの付き添いで始めから居たが後からやって来たアルとベクターはシオンの付き添いだ。シオンはフードを被り、少々不機嫌そうな様子だ。
「えっと、その髪と目どうしたの?」
マリアがシオンに対してそう問いかける。シオンはアルを睨みつけて、
「アルにやられた」
と不機嫌さを隠す事無く忌々しげに呟いた。
シオンの髪は何時もの輝くような金髪ではなく、アメジストのような瞳の色も変わっていた。淡い黄緑の髪に灰色の瞳。
「正体を隠す為です」
アルの口調は反論を許さない。そして、取りつく島も無い。
「そんな事より、行くよ」
催促するのはレイだ。レイがそんな風に早く行こうとするのは珍しい、と皆が思うが口にはしなかった。レイにはファラル以外知らないある裏事情があったので早く行こうとしているだけだ。別に早く行かなくても目的の事は行えるのだが出来るだけ早く行った方が楽なので、レイとしては早く済ませてしまいたかった。
レイを先頭に皆が歩き出す。
暫く歩いてレイが立ち止まったのは【蓮華館】よりも少し大きい屋敷の門の前だった。セイジにはレイが事前に話を通している。レイが呼び鈴を鳴らすと使用人が姿を見せ、少し待つように言われる。セイジに事実確認を取りに行ったのだろう。
「テーベリア家」
ふと、そう呟いたのはカナタだ。
「セイジのファミリーネームはコルセールでしょう?」
マリアが意味が分からない、という目でカナタを見つめる。
「俺の実家が商家なんだ。この家紋はテーベリア家のものだ」
素っ気なく、情報を知らない人間にとっては全く分からない会話も知っている者であればきちんと繋がる会話をカナタがする。レイはクスクスと笑って、
「カナタの言う通り、ここはテーベリア家。セイジの家はこの隣」
そう言ってレイは右隣の屋敷を指差す。この屋敷よりももう少し大きい屋敷がそこにあった。
「でも、セイジはここに居る。ほら」
レイが玄関に目を向けると、そこからセイジが飛び出し、小走りで駆け寄って来る。
「久しぶり」
友人達にそう声を掛けた後、アルとベクターを見て一瞬戸惑う様子を見せる。レイは、
(ああ、説明不足だったか。『皆でそっちへ行く』としか伝えてなかったから)
と今の状況を見て自分の行動を省みる。
「私達はシオンの護衛だ。気にしないでくれ」
アルがセイジの様子を見て話が伝わっていない事を理解したのかそうフォローする。
「取りあえず、中に」
そう言ってセイジが皆を案内する。最初に通されたのは応接間だった。
「人数分のお茶、お願いします」
近くに居た使用人にそう声を掛けると全員に椅子を勧めた。直ぐに全員分のお茶が用意され、セイジに再会の言葉と近況を報告する。暫くして、今まで一度も言葉を発しなかったセイジが口を開く。
「久しぶりだね、セイジ。でも、再会の挨拶はこれ位にして、早速僕達に何の断りも無く休学した理由でも聞こうか」
柔らかい口調の中にも少しの棘を含み、笑っているが目が全く笑っていない笑みを浮かべながらマリはセイジにそう語りかける。その威圧感はかなりのものだ。セイジは自分が冷や汗をかいている事に気付く。
「理由は、ごく個人的な事なんだ。でも、自分だけの問題でもないから言わなかっただけ」
「でも、僕達が怒っている訳を知らない、分からないとは言わせないよ?」
「・・・黙っていなくなったのは悪かったと思ってる」
マリの威圧感は増すばかりだ。セイジは声が震えないようにそう言葉を出すのが精一杯だった。
「分かってるなら、どうして何も言わずに居なくなった?あの後、クラブの調整がどれだけ大変だったと思ってる?それに、心配もした」
「・・・ごめん」
セイジにはそれしか言えなかった。
「マリ、それ位にしておいて。さて、セイジ。食事はきちんと摂ってる?体作りと勉強は怠ってない?」
マリの独壇場はレイによって遮られた。
「うん」
解放された事にセイジはホッとし、レイの質問に答える。レイと別れる直前に交わした内容をセイジはちゃんと覚えている。
「それにしては、顔色が悪い。ちゃんと眠ってる?」
「・・・・・・」
セイジは笑って誤摩化そうとした。
(まあ、好都合か)
レイはそう思ってそれ以上突っ込む事は無かった。
「言われてみれば、少し疲れた顔してるわ」
サラが心配そうにセイジの顔を見る。
「やつれたような気がしないでもない」
シオンが冷静にセイジの様子を言い表す。
「そうかな?」
またもや曖昧な笑みを浮かべて恍けた返事をする。それ以上何か言う事も出来ず、結局セイジは自分の生活についてハッキリと口にする事はなかった。
「でも、どうして自分の家に居ないの?」
それは全員の疑問でもあるだろう。レイはその理由を知っているが、質問したマリアは大体の当たりをつけることしか出来ない。ましてや、セイジの事情を全く知らないシオン、マリ、サラ、カナタに至ってはマリアのように当たりをつける事も出来ない。アルは調査の結果から大体の事を把握しているがシオンやベクターには特に知らせていない。ベクターは完全な部外者だ立ち入った事を教えるつもりも無く、この部屋に居る者の中で当事者であるセイジを除き何となくでも事情を知っているのはレイ、アル、マリアの3人だけだった。
「そこは、諸事情で言えない。・・・・・・でも、ハッキリ言える事はこれは自分の中にあった選択肢の中から選び取った結果、って事だけ。後悔はしてないし、するつもりも無い。上手くいけばまた復学するつもりもある。だから、あんまり心配しないで」
「心配するなって方が無理な事、分かってて言ってるのか?」
「・・・・・・」
カナタの言葉にセイジは黙る事しか出来なかった。カナタは溜息を吐くと、
「長居するのも迷惑だろうから、そろそろ帰ろう。セイジ、復学するの皆待ってるから。その内、また様子見に来る」
と、言った。
「うん、今日はありがとう」
笑顔を浮かべ、何処か名残惜しそうな様子を隠しながら友人達に来てくれたお礼を言った。
殆どの者がセイジに別れの挨拶を述べ、立ち上がって部屋を出る。マリアが立ち上がって出て行こうとするのを止める手があった。
「ど、どうしたの?レイ」
マリアの手首を掴んでいるのはセイジに別れの挨拶も告げず、椅子に座ってお茶を飲んでいるレイだ。彼女がマリアの質問に答えたのはカッブの中身を飲み干してからだった。
「少し待ってて」
その答えもマリアの質問に完璧に答えた訳ではなかった。そんな2人の様子に部屋の外に出ている帰ろうとしている者達が気付き怪訝そうな顔をしている。ファラルはレイの背後に立っているのでレイが帰ろうとしない限り帰らない、という態度だ。セイジが、怪訝そうな顔をしている者達に、
「レイとマリアには伝えておく事があって」
と説明する。レイは、
「先に帰ってて。道、分かるよね?」
と皆に言葉をかける。アルが不審そうな顔をしながらも頷き、レイは部屋の外に居る人達を笑って見送る。セイジはお見送りで皆について行った。
部屋に残されたのは暢気にお茶菓子を摘むレイと、その背後に佇むファラル、そして混乱した表情を浮かべているマリアの3人だけだった。
程なくしてセイジが戻って来る。扉を開けた状態で立ち止まると平然としているレイとファラルとは対照的に状況を理解していない、という表情を浮かべているマリアを見て苦笑し、
「マリアに言ってないの?」
とレイに質問して来る。緩慢な動作で立ち上がり、セイジの方に体を向けてレイは首を小さく縦に振った。
「特に問題もないから。案内よろしく」
「付いて来て」
手招きしながら待っているセイジにレイが歩み寄る。必然的に手を掴まれているマリアも近付く事になり、ファラルはレイが動いたのを見て機械的に体を動かす。
「レイからの伝言を鳥が伝えるとは思ってなかった。人語を喋らない筈の鳥がいきなり喋り始めたかと思うと『分かった?』って聞いて来て反射的に頷いたらその鳥が急に砂に変わった事にも驚いた」
「普通のことじゃない?」
淡々と当たり前の事のように語るレイにセイジは苦笑を隠せなかった。普通は足に手紙が括りつけられていると思うので二重に驚いた。
「あ、この部屋だよ」
ある部屋の前でセイジが足を止める。それに伴いセイジの後ろを歩いていた3人も足を止めた。セイジがコンコン、と部屋の扉をノックして「入るよ、ミューシカ」と声を掛け扉を開ける。
部屋は広いが全体的に小さい女の子向けの物が多かった。ぬいぐるみや本棚の中に目立つ絵本、壁紙は小さい子が好みそうなデザインでカーテンは壁紙に合わせている。窓は大きめで今は開けられている。鏡や化粧台、衣装ダンス等は可愛らしいデザインだがレイやマリアが使っても違和感の無い品だ。
アンバランスさがある部屋の中で一際目立っているのは天蓋付きのベッドだった。細部にまで精密な細工や彫刻がしてあり、見れば見る程高価な品であるという事が分かる。見る者がみれば細工の他に幾つもの高度な魔法陣が彫刻によって彫られている事が分かるだろう。大きさから大人が使う物である事を推察できるがこの部屋には合っていない。確かにデザインは可愛いらしさが目立つが、どう見ても大きさが部屋の様子に合っていない。
そのベッドの上で誰かが眠っている。体つきや服装から女性である事は分かるが顔が纏められた天蓋によって見えなかった。髪はレイよりも長いようで太もものあたりで左右に広がっている。
「今日は紹介したい人が居るんだ。俺の友人のマリアとレイ。話した事あるだろう?」
セイジが1人でベッドに近付き、眠っている女性に話しかけるが、相手は言葉を返す事はおろかピクリとも動かない。息づかいさえ聞こえてこない女性は生きているのか、死んでいるのかさえ分からなかった。
セイジが入り口で立ったままの3人を手招きする。レイが「失礼します」と呟いて躊躇い無く入室するのを見て、マリアが慌てて部屋へ入る。ファラルは最後に部屋に入り、扉を閉める。その間に、セイジはベッドの側に立ったレイとマリアを紹介する。
「右がレイで、左がマリア。2人とも、この眠っている人は俺の幼馴染み。婚約者でもあるけどね」
レイは知っているので特に驚きはしないが、マリアは目を見開いて驚いている。
目の前で眠る女性はマリア達と同い年に見る。しかし、生きているのか分からない程に血の通っていない痩せこけてやつれた顔、痩せ過ぎの体、閉じられた瞼、青い唇は年若い彼女の生気や少女らしい魅力や快活さを損なわせていた。
「前に、少し話した事あるよね。ミューシカは5歳の時から眠り続けているって。今は、魔術や治癒魔法なんかで生命活動が行われているけど、これから先目を覚ますかどうか分からないんだ。一生、このままかもしれない。俺は、ミューシカが目を覚まさない限り復学するつもりは無いんだ。それが、俺のけじめ」
「・・・・・・」
眠っている彼女を見下ろすセイジの目にはただ慈しみと愛しさがある訳ではない。セイジの顔に浮かんでいるのは悲しみや後悔、自分を責めるような表情も浮かべている。
マリアはセイジの突然の告白に目を見開いたが、掛ける言葉が見つからない。セイジは戸惑っているマリアに苦笑を浮かべ、ただ目の前の眠っているミューシカを見下ろしているレイの横顔を見つめた。
「セイジ、本気で願えば良い。そうすれば彼女の瞼は開く。本気で願わなければ彼女はこのまま一生の眠りにつく」
急に慰めなのか無神経なのか判断のつかない言葉をセイジに向けた後、レイはファラルに近寄り何かを受け取った。そしてその何かをセイジに手渡す。それは小袋に入った香だった。嗅いだ事の無い、でも仄かに甘く懐かしいような匂いのする小袋はセイジの手に2つ載っている。
「1つは彼女に、そこの机の上にでも載せておけば良い。私が調合した香で、効果が出るかは分からないけど一応色々考えて調合してる。赤いのが彼女ので、セイジはこっちの青い方。寝る時に近くにあれば尚効果有り」
「あ、ありがとう。わざわざ作って持って来てくれて」
「どういたしまして。ちなみに効果は一日だけ。明日の朝には無くなるから」
レイの言葉に頷きつつも、
(効果は一日?)
とセイジは思っていた。何が起こるというのだろう?その疑問はもっともだったが、
「さて、私の目的はそれを渡す事だったからそろそろ失礼する」
どこまでもマイペースな事を口にしたレイのせいで、セイジの疑問は消化不良のままになってしまった。しかし、効果があるにしろ無いにしろ、レイから貰った香が気に入ったのは確かなので取りあえずレイの言う通り、肌身離さず持っていてみよう、と思った。
効果、の意味をセイジが知るのはもう少し後になる。
レイとマリアとファラルを見送っていると風が吹いた。その風は手に持っていた香の香りを運ぶ。すると、一瞬意識が遠のく感覚があった。どこか、深い所へ体を引き込まれるような感覚はハッと、我に帰った瞬間に消える。
一瞬訝しげに手の中にある香を見つめる。香りはするが先程までの感覚はない。
(疲れてるのか?)
そう思って、セイジは香の事を考えるのを止めた。
踵を返してミューシカの部屋へ戻る為に足早にそこを立ち去る。
後に残った香の残り香は直後に吹いた風によって完全に消え去った。
セイジの幼馴染みのミューシカ登場です。
登場人物の名前をオリジナルで決めるのは難しいです。なので、登場人物の名前は自分の直感や名前の響きで決めた者もあれば、神話を参考にした者もいます。
ミューシカは目を覚ますのか?レイの考えている事は何なのか?香は何の意味を持っているのか?全ての謎を次に明かしたいですが、長くなると2話になってしまうかもしれません。




