93:豊穣祭~2人の舞姫~
豊穣祭は3日間、連日連夜行われる。夜になっても町の灯りが完全に消える事は無い。
城では毎夜、夜会が開かれ、町でも昼は露天が所せましに並び、神殿に関連する場所では神殿の催しを見る者の人集りが出来ている。夜は至る所の広場で絶えることなく炎が焚かれ、踊りを踊る。
帝国の豊穣祭は大陸で一番有名だ。大陸中から人が集まり、露天では各地の特産品やらが何でも並ぶ。
その一方でスリや盗みが多発するので自警団や兵士はてんてこ舞いになる。また、裏取引等が騒ぎに乗じて起こりやすくなるので担当の人間は忙しい、まさに嵐のような毎日を送る事になる。
その中で、アル達は一日中緊張感はあるもののまだ良い方だ。アル、ロリエ、ヘルス、ベクター、ファラルの仕事は夜会の警備だ。アルは王族の近衛騎士として夜会に参加しているし、ロリエ、ヘルス、ベクターも夜会に参加しながら警備についている。ファラルは自らの希望で城の門番の控えをしている。
豊穣祭初日の夜。レイは午前中に舞の裏方の仕事を終わらせ、明日の踊りの打ち合わせが夜まであるマリアを残してサラと共に露天巡りをしていた。
カナタ、セイジ、マリの3人は豊穣祭に乗じて開かれるチームごとの腕試しに武闘クラブとして参加し、順調に勝ち進んでいる為に一緒に回る事はできなかった。
そうしているうちに陽が傾き始める。レイは学園の寮に一度は「1人で大丈夫よ」と言ってレイの送りを断ったサラを説得して送り届け、【蓮華館】に帰る道ではない道を進んでいる。レイが歩いているのは露天がない裏道だ。表の道の喧噪が嘘であるかのように静まり返っている。いや、微かにその喧噪が聞こえて来るのだが、それが一層裏道を寂しくさせている。
祭りの間、この辺りは一時的に治安が悪くなる。頑張っている兵士達がいるので人通りの多い場所では喧嘩騒ぎなど、羽目を外し過ぎた為に起こるもの等が多いが裏道はもっと危険だ。子供も大人もその事を分かっているので近付かない。
兵士達もここに見回りに来るのは朝と昼だけだ。
好き好んでここにやって来る人間は祭りで気分が高ぶった恋人同士か、何か良からぬ事を考えている連中だ。
裏道の分かれ道。耳を澄まさなくても聞こえている声がある、女の嬌声だ。レイの行こうとしている場所はその嬌声がする場所を通過する方が近い。
そう判断すると、レイは出来るだけ速く目的地に着く為に道を曲がった。
程なくして睦み合う男女の姿が見えて来る。2人とも気付いていないらしくレイは自分の気配を完璧に無くした。男女の行為の横を気付かれる事無く通り過ぎようとした瞬間、
「いや、いや、ここまでしてるんだから突っ込んで!!」
女の方がレイを呼び止める。しかし、その声は女性のものではなかった。
「舞の事?レオモンド」
途端、男の姿が掻き消え、女の体が大きくなり顔が変わる。着ている服も先程の開けた女性の服ではない。
レイは気付いていた。だからこそ、あえてここを通ったのだ。特に急いでいる状況でもないのに睦み合う男女の邪魔をするような酔狂さは持ち合わせていない。
「恥だ、父上の奴っ!!嫌がらせにここまでするなんて。どこまで執念深いんだ!?」
「息子に女装させて楽しむくらいでしょう。私に見つかるまで幻影とその行為を続ける呪いでも掛けられた?」
笑みを含んだレイの口調にレオモンドは顔を背ける。心無しか顔が赤い。
「父上が、レイが自発的に舞を踊る理由を聞いてこいと言われたんだ。ついでに、俺も興味がある」
レオモンドはすぐに真顔に戻ってレイにそう問う。
「友人の為。でも、私の為にもなるでしょう?例の事、ちゃんと進んでる?」
レオモンドはすぐに、
「ああ、後少しだ。順調なら半年、どんなに遅くても一年」
「ふうん、そう。あと、少しなのね」
レイは笑みを浮かべた。その笑みは彼女に関する事でしか見る事は出来ない。愛しい人を思い出す、その人の幸せを自分勝手でも祈るような笑み。
その笑みを見て、レオモンドの中に言いようのない色んな想いがごちゃ混ぜになった感情が現れるが外には出さなかった。
「丁度いいわね、最終日の事なんだけど、__を_____で____に____てくれない?」
レイの頼みに、レオモンドは一瞬鼓動が速くなるのを感じた。
あの事がバレている筈が無い、とは思っているが先程考えていた事もあり急にこんな事を言われてしまえば動揺してしまう。
「いいよ、母上もレイに会いたいって言っていたし」
動揺は完璧に押し隠し、レイにそう返事を返す。
「じゃ、2日後に」
これ以上一緒に居るとボロを出してしまいそうな気がしてレオモンドは早々にその場を立ち去った。
一人きりで裏道に立っていたレイは何処かぼんやりとしていた。レイの中にあった疑いは確固たる確信にかわった。立ちすくんだままのレイは格好の獲物だ。
周りは殺気立った連中によって囲まれている。襲いかかられたのは背後からだった。
気付けば周りは紅く染まっている。呻き声をあげる男達を無視してレイはそのまま歩き出す。
ふと、紅く染まった自分の格好に気付き、やっと我に返る。
「流石に、この格好では行けないか」
レイは行こうとしていた場所を諦めて【蓮華館】への道を辿り始める。
2日目、今日は朝から舞の舞台裏に呼ばれたレイは指導者が口にした言葉を考える。
本来なら、今日裏方に入るのは午後からだ。マリアがレイを緊急招集したので、レイは今ここに居る。
「本人は納得しているんですか?」
「足の捻挫がかなり酷くて、本人も悔しがってはいるけど納得しているわ」
「捻挫程度であれば治癒魔法を使用すれば良いと思います」
「治癒魔法は、自然治癒力を低下させるからあまり使うわけにはいかないわ」
「では、何故私なんですか?私の舞を、先生は見た事がありましたか?」
レイの言葉に、指導者は反論できない。
「実力が不確かな人間よりも、多少自然治癒力が落ちることを覚悟の上で治癒魔法を使った方が良いと、私は思います」
正論だ。だからこそ、反論が出来ない。
捻挫の話は本当なのだが、本人は治癒魔法を使ってでも治して踊りたいと言っている。その中でレイを押したのはレイの舞が素晴らしかった、という事だけは覚えているレイの舞を見た少女達だった。実際は見ていないので不安なのだが、少女達の強い勧めと、もし駄目であったとしても代役は他にも居る。まだ午前だ、余裕は無いが時間が無いわけでもない。
「良い機会じゃない。私はレイと一緒に踊りたいわよ?」
マリアが心理戦などマル無視して自分の欲望に忠実に口にする。
「私は裏方希望よ。表には立ちたくない」
「そこをなんとか、お願い!レイ」
そんなマリアの頼みに、レイは仕方が無いというように溜息を吐き、
「マリアが頼むなら」
と拍子抜けしてしまう程いとも簡単に了承した。
「一応言っておきますが私は代役ですし、私の保護者にも伝える暇はないみたいなので名前は出さないようにお願いします。出すのなら本来踊るはずだった子のものにして下さい」
それだけ伝えると、レイはマリアに手を引かれて一通り舞を通して見たあと、練習無しに衣装合わせに入る。そのまま打ち合わせになり、他のメンバーに紹介されそこでレイがマリアとともにメインの役をやる事を知り、内心溜息を吐く。
「最後に一回通すわよ!袖から出てきて」
辺りが静まり返り、楽器が鳴り始める。メインのレイとマリアは一番最初にでて、一番前に並び立つ。
凛とした空気が流れ、舞が始まる。
普通ならば間違えたり息が合わなかったりするのだが、レイとマリアは完璧に合っていた。
(私が合わせてるんじゃない、レイが合わせてくれてるんだ)
マリアは普段通りに踊っているだけだ。合っているのはレイの御陰だという事にレイの才能を痛感する。
舞が終わった瞬間に、周りからは拍手が起こる。
レイはまたマリアの模倣で踊っていたので実力を出してはいないがマリアと合わせるのには良かった。
「個性は無いけれど、完璧な踊りだわ」
指導者の言葉に、レイは穏やかな笑みを浮かべるだけだった。個性はあえて出していない。
午後の舞を踊り終わり、レイは1人だけ指導者に呼ばれた。
「貴女には舞の類い稀な才能があるわ。シュワルツ学園に行く気はない?」
「ありません。用がなければこれで失礼します。ああ、神殿に属する舞い手が平等の立場であるにもかかわらず不正な勧誘を行った事は誰かに御伝えした方が良いですか?」
「っ!!」
レイの脅しは効いたらしく、指導者は動揺を顔に表す。技術はあるが精神力の無い人なのだろう、と頭の片隅で考え部屋を出た直後レイはその指導者の事を忘れた。
午後からの舞が始まり、手伝いに来たサラはレイの姿が見えない事をマリアに伝えようと控え室に向かう。しかし、そこに衣装を着たレイを見て一瞬固まっていた。
事情を説明した後、サラはレイの顔をまじまじと見て、
「嫌がってたのに・・・」
と呟く。レイは微笑をうかべて、
「マリアがお願いして来たから」
と理由を述べた。
本番の舞台袖、いい位置の観客席を陣取っているのはマリ、カナタ、セイジ、そして見覚えのない穏やかな顔をした大人の男性だった。
ニコニコと嬉しそうに笑っているその男性に対してマリは顔を赤くして何かを言っている。レイが聞き耳を立てると、
「父さん、いくらマリアの晴れ舞台が楽しみだからって今からそんなに笑うの止めて。もう少し締まりのある顔をして」
「ん?マリはマリアの晴れ舞台が楽しみじゃないって言いたいの?」
マリの方へ向けられた笑みは先程の穏やかなものではない。笑みのままなのに何故か恐怖を感じてしまう顔だった。
「お集りの皆様、これより『秋の舞』が開始されます。舞台に御注目下さい」
魔法によって大きくなった声の指示通り、全員の視線が舞台に向く。一方、舞台裏のサラも舞台に向かって歩き出すレイとマリアの姿を見ていた。
(((何で、レイまで?)))
事情を知らないマリ、カナタ、セイジはそう思ったが口には出さなかった。
舞台の中央の一番前に、レイとマリアは立っていた。
(き、緊張がっ)
マリアは内心そんな事を考え、レイの方にチラリと視線をやる。レイはまともな練習を一度もしていない筈なのに堂々と、その場に立っていた。マリアとレイの視線がぶつかる。
まるでマリアの心を見透かすように、レイは小さく、だが艶やか微笑んだ。つられてマリアも笑みを返す。
それだけで、マリアの緊張感は吹き飛んだ。後はもう、舞を楽しむだけだ。
静かに、しかし力強く笛の音が舞の始まりを告げる。
レイとマリアは同時に、舞い始めた。
その年の『秋の舞』は長く語り継がれるだろう。
まだ年端もゆかぬ2人の舞姫の舞は観客の胸を打った。豊かで、若い力に溢れた具現のような舞は観客の大歓声の中で終わりを迎えた。
もう一度、と言う声も多かったが神殿で舞う舞にアンコールは無い。その後にも舞われる舞があるのだ。アンコールに応えてしまえば進行に差し障りが出る。
2人の舞姫はそうして、惜しまれながらも静かに退場して行った。
控え室に戻ったレイとマリアを追ってサラが控え室の扉を開けた。
「2人とも、凄い、感動した」
「「ありがとう」」
感動でそれ以上の言葉が見つからないでいるサラにレイもマリアも同時にそう言った。
「凄いのよ!神殿の人達も『神殿専属の舞い手になって欲しい』って言っていたの。観客の人達も2人の事噂しているわ!」
2人が褒められた事を自分の事のように喜んでいるサラにレイもマリアも素っ気なく、
「「そう」」
と言った。意図する事は違ったのだが何故か言葉が重なってしまう。
「レイと2人で踊れて、満足したの。これからもまた踊ろうか悩んでいたんだけど決めた。私、もうこういう事には参加しない」
マリアの唐突な宣言にサラは驚き、「どうして?」と尋ねるがレイは驚きも、理由に興味を持つ事も無かった。
セイジは舞台の上で舞うレイとマリアをジッと見つめていた。
(決断の、時)
2人の舞は見事だ。完璧に踊りが揃いどんな複雑な踊りもピタリと決まり、且つ優美だ。しかし、感じるのは豊かな心や、飛び跳ねるような若々しさ。
そんな2人の舞を見て脳裏に浮かぶのは大切に、忘れてしまわないようにしまっている記憶の欠片。
満足そうな笑みや、セイジの前を走りセイジを振り返って名を呼ぶ声。木の実を採ろうと木に登り降りられなくて泣く顔。喧嘩をした後に見せる一瞬の後悔。
ずっと、気付いていた。だから、逃げた。
でも、レイはセイジに逃げているという現実を突き付け選択を迫った。
(答えを、出さなければ)
セイジは、静かに決意した。舞が終わり、舞い手の少女達が退場してゆく。誰も気付かないくらい一瞬、レイと目が合った。そして、ゆっくりとレイが笑みを浮かべる。それはまるで、レイがセイジの決意を全て見透かしているかのようでセイジは、言いようのない恐ろしさを感じた。
着替えを済ませ、サラとマリアに用事がある事を伝えレイは目的の場所へ行く。外はもう日が落ちかけていた。
今回は人通りが多い場所から向かう。昨日の裏道はレイが反射的にお痛をしていたせいで、その後の処理をした兵士達が定期的に見回りをしていて面倒なのだ。
レイが目指しているのはファラルの居る城の門の一つだ。場所はあらかじめ聞いているので迷う事は無い。
門番にファラルの居場所を尋ねると門番の1人が物凄く丁寧な対応をされファラルの居る場所まで案内された。ファラルはたった一日でこの門の門番をその身が纏う雰囲気で支配したらしい。
ファラルは優雅に本を読んでいた。
「言うべき事は?」
レイが部屋に入った瞬間にファラルは本を閉じ、射抜くような視線でレイを見る。門番の兵士はあり得ない程整った顔から向けられる視線に恐怖していたが、レイは平然とファラルに近付き、
「昨日ここに来られなくて、ごめんなさい」
「他には?」
「勝手に決めて、ごめんなさい」
淡々と言葉を紡ぐファラルに、レイも淡々と返す。それでも、ファラルよりもレイの方が言葉に感情が入っていた。
「終わった事だ、仕方が無いか」
「ありがとう」
結局レイを許したらしいファラルはそう言うと、レイに本当の笑みでお礼を言われ自身も他人から見れば無表情だがレイから見れば笑っている顔で、レイの頭を撫でた。
「体の調子は?」
「かなり良い。結構長く不調だったけど、ようやく環境に慣れて来た。しばらくはファラルに頼らなくても平気」
「そうか」
「じゃあ、顔もみたし、話もしたし、そろそろ帰るね」
「送る」
レイが帰る事をファラルに告げると、ファラルは事も無げにそう言った。
「ま、待って下さい!仕事はこれからで・・・」
一緒について来ていた兵士が慌ててファラルを注意する。ファラルはその兵士に目を向ける。それだけで、兵士は恐怖に体を支配された。
グイッとレイがファラルの顔を自分に向ける。
「1人で平気よ」
ファラルはレイのその言葉の裏を正確に読み取り、大人しく従った。
館に戻ったレイは館の仕事を手伝い、早々にベッドに入った。
(ファラルに気付かれなくて良かった。初日に行っていたら気付かれていたかもしれないけど)
頭に手を当てて天井をぼんやりと見つめる。頭の中は昨日に比べてグチャグチャだったものが整理されている。ふと、心に浮かんだ感情がレイを支配しようとした。それを上回る理性がその感情を押さえつける。
“魂鎮めの舞”それは、2人で踊る“鎮魂の舞”
(お母さん)
前回の“魂鎮めの舞”は緋の双黒1人で踊られた。しかし、彼女が舞っていた舞台の上では誰にも見えない所でミアも踊っていた。
「私も、師匠と同じものを捧げます」
レイの決意を知る者は誰もいなかった。
「レーイ!こっちこっち!お父さんが朝一番で一番良い席取ってたの」
マリアが今日、“鎮魂の舞”が舞われる大神殿の門の前でレイを呼んだ。もうサラやカナタ達は来ているらしい。先導されて着いたのは舞台の一番前の中央だった。舞台と観客席には少し距離があるので一番前の席が一番良い席なのだ。
「良く、取れたねこんなに良い場所」
「お父さんとマリが門が開くと同時に沢山の人と追いかけっこして取ったのよ。人数分の席にさっさと荷物を置いて全員が来るまで番をしているの」
観客としては物凄い暴挙だが他の観客も似たり寄ったりの状況だ。むしろ、していない人の方が多い。
「良いお父さんね」
「ええ。それに、お母さんとラブラブなの」
マリアは両親が大好きらしい。
「これで、全員かいマリア?」
「うん。レイ、私の父のジークフリード・クルシューズ。医者なんだけど、時々軍医として城に勤めに出たりもしてるわ」
「初めまして。レイと申します。昨日はご挨拶が出来ず申し訳ありませんでした」
「こちらこそ、初めまして。会えて嬉しいです。昨日の事は仕方がありませんよ、あの後の騒ぎは大変でしたから。私達も今日のこともありますし、早々に家に帰りました」
それからも少しの間和やかに会話をし、全員が席に着く。舞が始まるのは夜だ。しかし、今はまだ昼にもなっていない。
舞台の上では前座の舞や楽器が奏でられたり、歌が歌われたり語りや劇が演じられたりしていた。
「では、ここで私に協力してくれる人を1人皆さんの中から選びましょう。そうですね、一番前に座っている女の子にお願いしましょう」
舞台の上に居た男の奏者がレイを指名する。催促されて、レイはやれやれと言うように腰を上げた。これを行っている存在の意図が見え過ぎていて苦笑を浮かべないのに精一杯だ。
飛び入り参加企画は珍しくないのか余興として周囲の観客が囃し立てている。上手だろうが下手だろうが飛び入り客に文句を言う人間はいない。
レイの格好はフード付きの薄手の上着の下に水色のシンプルなワンピースを着ている。レイはフードを被り上着の中に髪の毛を入れていたので顔は周りにバレない。見えない、と言った方が正しいかもしれない。
「哀傷、痛哭、悲しみの歌の代名詞『生者の葬送』歌えるかい?」
舞台の上の立ったレイにレイを呼んだ1人の奏者がレイの耳元でそう囁く。レイは「ええ」と答える。
「では、始めよう」
フードと逆光によって観客達にレイの顔は分からない。奏者が曲を奏で始める。レイはその音を聞きながら始まりを待つ。
奏者の腕は一瞬で観客を魅了する。腕は確かだ。
スッとレイが息を吸い込む、舞台の上は話す声や楽器を鳴らす音が大きく聞こえるように魔法が掛けられている。レイは悲しい歌を歌い始めた。
あの人は何処に居るの 私の愛しい人 誰かが言う あの人は“死んでしまった”のだと 私は叫ぶ「嘘よ」と 信じたくなくて
私は走る あの人の元へ 信じたくなくて 私は叫び続ける 大切な愛する人の名を 探して 探して 私が見つけたのは
愛しい人の骸 その骸さえ私の目の前で 灰になる 風とともに散って行く愛しい人 追いかけても 追いかけても 追いつかない
痛みが 悲しみが 私の心を締め付ける 「連れて行って 私も 連れて行って」 そう叫んでも あの人には届かない
この苦しみはどうすれば良い この悲しみはどうすれば良い この怒りはどうすれば良い いっそ 私も愛しい人の元へ 行きたい
レイが歌ったのは『生者の葬送』のさわりだけだった。それだけで、レイと奏者の音は人々の心に真っ直ぐに入って来て目を逸らす事を、聞こえないふりをする事を許さない。
迫力に圧倒され、観客達はシンとなる。鳥のさえずりさえ聞こえない。届くのは奏者の奏でる音とレイの歌声だけ。
その歌は会場だけでなく神殿の奥深く、門を越えて町中に広がる。
全ての人がその歌に引き込まれるように会場へと自然に足を向ける。
聞くものの心に真っ直ぐに入って来る悲しみや絶望、怒りが否応にも自分の中の苦しい記憶を思い起こさせる。
歌が終わる頃には神殿の中にいる人口は先程までとは明らかに多くなっていた。その殆どが涙を流している。大切な存在を失った、残された者が静かに涙を流す。いつの間にか泣いてしまう2人の音に、声に、ただ引き込まれて涙を流す。
レイは歌い終わり、最後の一音を奏者が弾く。余韻は長く、長く続き人々の心に何時までも残る。
始めに拍手をしたのはサラだった。その目には涙が溢れている。マリアも、マリも、セイジも、カナタもサラに続く。一拍遅れてマリアの父が拍手を送る。それは次々と感染するかのように広がって行く。
沢山の拍手と観客の混乱に舞台袖で茫然と涙を流していた係の者が急いでレイも奏者も舞台袖に誘導する。
レイはマリを振り返って、
『ご・め・ん。も・ど・れ・な・い・と・お・も・う』
と口パクで伝えた。マリは騒ぎにチラリと目をやった後、心得た、とばかりに頷いた。
「すみません、この騒ぎでは外に出るのは危険ですから。ほとぼりが冷めるまでここで待機していて下さい」
「分かりました」
係らしき人物は2人にそう言った後また忙しそうに何処かへ走り去って行った。
「すみません、巻き込んでしまったばかりにこんな事になってしまって。ですが、あれ程素晴らしい歌い手だとは思いませんでした」
「白々しいね、アルマ。レオモンドから言いつけられた仕事でしょう?」
「気付くのが早いですね。つまらない」
奏者の口調も声もガラリと変わった。
「そう言えば、アルマって人の魂を運ぶ仕事してたね。忙しいわよ、今日の夕刻」
「私は、貴女が信じられない。あれ程の命を弄び、殺しながら、あれ程の歌を歌える事が。人ではないからですか?」
「そうかもしれないわね。でも、最近は大人しいでしょう?」
「ああ、毎日のようにあんな事を続けられた日にはこっちが過労で倒れますよ」
レイと、レイにアルマと呼ばれた奏者はまるで親しい仲であるかのように言葉を交わす。実際、2人は会った事があった。
「別に、一ヶ所に人を集めなくても平気だったのに」
「一ヶ所に集めた方が魂を集めるのも楽だろう?体と精神への負担が軽減されるならそれが一番だ」
「御気遣いどうも。私がアルマの音貶してから練習でもした?前よりも上手になってた」
「貶されてから、天界で一番と歌われるリュート奏者の矜持をかけて貴女に追いつこうとしました。けれど、結局無理でした。始めは私の音を聴いていても貴女が歌い出せば私の音はもう誰の耳にも届かない」
「そう。もっと練習すれば良いわ。いつか、私を凌駕する音を聴かせてね。じゃ、私もう行くから」
2人の別れはとてもあっさりとしたものだった。レイはそれだけ言うとその部屋から姿を消した。
豊穣祭の最中、人の出入りが激しい神殿では強力な魔力制限がされている。その中でいとも簡単に、誰にもバレないように移転の魔法を使う事は余程の実力者でも難しい。それを、レイはまるで呼吸をするかのように行った。その行為に、レイの実力を痛感する。
アルマは溜息を一つ吐くと自分もその部屋から姿を消した。
突然姿を現したレイにセリナは驚き、目を見開いた。
レイの要望通りその部屋にはセリナとレイ以外誰もいない。なので、急に姿を現したレイを見たのはセリナだけだった。
「衣装は、それですか?」
「ええ、そうよ。着付けは1人では出来ないから貴女を待っていたの」
「普通に着せ合っていて舞が始まるまでに間に合うんですか?」
「もう少し早く来ると思っていたんだけど、この時間なら完璧に着るのは無理ね」
用意されている2人分の衣装は、服はまだ良い、動きやすく着易い。でも、付属品が余りにも多過ぎた。
服を飾る装飾品。鏡の前に置かれた髪の結いかたと完成見本の絵。足や手、首、頭に飾る装飾品。その他諸々。
「普通に着ようと思ったらまず無理ですね。それに、この装飾品の多さ舞うのに邪魔になる。髪もこの絵通りにすれば、舞っている最中に崩れます。・・・顔を隠すベールか仮面は無いんですか?」
「そんな筈無いわ。全ての条件を呑んでもらったんだから」
「騙されたみたいですね。仮にも、神に仕える神官達に」
レイは淡々とそう口にする。その中には侮蔑も、呆れも無かった。まるで当然、と受け入れるような口調だ。
「では、着ましょうか」
そう言ってレイはパン、パンと手を2回鳴らした。その途端、服も装飾品もひとりでに動き出す。着ていた服はスルリと脱げ用意された服がその代わりに纏わる。そうかと思えば次々に装飾品が舞の邪魔にならない程度に2人の体を飾りたてていく。
髪の毛は見本とは別の形に結い上げられ、控えめに飾られる。しかし、髪の毛を装飾品で飾っているのはセリナだけだった。レイは単純に背中で一つにくくられているだけだ。しかし、くくっているリボンが髪に編み込まれている事で控えめながら華やかだった。
ものの数分の出来事だ。
鏡で全身を見ても予定していた格好よりもスッキリとまとまりながらも神秘的な雰囲気を醸し出している。2人は全く同じ格好をする予定だったが、レイは分かり易い所に共通点をつくりながらも細部の装飾にセリナならセリナの雰囲気に合わせたもの、というように違いを持たせている。
「凄いわね。でも、本当に顔を隠すものが無いわ」
セリナの呟きに、レイは微笑を浮かべる。
「平気です。こんな事もあろうかと色々用意していたので」
そう言ってレイは先程まで自分が着ていた服のボケットから袋の小物入れを取り出した。その中にはミニチュアの、しかし、かなり精工なベールや剣、仮面等が用意されている。
それら全てをテーブルの上にザッと出すと、その中からベールを2つと剣を2つ手に取る。
『あるべき姿に』
簡単な呟きの後、レイの手の中にあったそれらは本物のサイズへと変化した。
「こっちの、ベールと剣を使って下さい。愛用の物より使いにくいと思いますがその内手に馴染みますから」
レイの手に残っているのは真っ白なベールと黒や深い青や緑をあしらった剣だ。対して、差し出されたベールは白い中に仄かに黄色がかったものだ。そして、剣は赤やオレンジ、黄色があしらわれている。
「暇ですから勝手に“魂鎮めの舞”の内容を口にしても良いですか?ぶつぶつ呟くのが鬱陶しいなら止めますけど」
「“鎮魂の舞”と“魂鎮めの舞”は、内容が違うの?」
「ええ。文献で軽く調べて分かった“魂鎮めの舞”が2人で踊られる理由に繋がります」
それから、レイの語る昔話や逸話は時が経つのを忘れさせた。
コンコン、と扉をノックする音が聞こえる。
「舞台袖に移動して下さい」
扉越しに聞こえる声と、遠ざかっていく足音。
「徹底していただいていて、有り難いです」
レイは既にベールを着けている。セリナもだ。なので別に部屋に入ってこられても良かったのだが、セリナの気遣いと要望はしっかり通っているらしい。
「では、移動しましょうか。この格好だと、きっと誰も気がつかないわ」
「そうですね。・・・・・・最後に、これだけ。何があっても舞を中断しないで下さい。当然の事のように振る舞って下さい。全ては私が行おうとしている事なので、何も気にせず舞に集中して下さい」
レイの意味深な言葉の真意をセリナが理解したのは舞が始まってからの事だった。
本当に、セリナとレイの格好では誰も2人が“魂鎮めの舞”を踊る2人だとは気がついていなかった。気付いたのは舞台袖に立った時、既に音楽が鳴り始めた頃だ。
「その格好で舞うおつもりですか!?」
高位の神官らしき男がセリナを非難するように問うが、セリナは鷹揚に頷いて「ええ」と答えた。その雰囲気に周囲が圧倒される。
「行きましょう」
セリナはレイにそう声を掛ける。高位の神官の静止の声を尻目に、2人は舞台へと歩き出した。
シン、と一瞬で2人の纏う空気に飲み込まれ静まり返る人々。楽人の鳴らす楽器の音さえ聞こえ事はなく、ただ静寂がその場を包む。
一般解放されているとはいえ、皇帝一家、神官長等も大神殿から2人の姿を見ている。
(あの髪の色、レイ?)
神殿の一室、座り心地の良い椅子に座りながらシオンは遠目からでもよく分かる美しい薄茶色の髪を持つ舞い手に興味を持った。しかし、薄茶色をした髪の持ち主は幾らでも居る。舞い手がレイだ、と断言できる証拠はどこにも無かった。
スッとレイとセリナは同時に鞘から剣を抜いた。
そして、激しく、凄絶なまでに美しく、悲しい舞が始まった。
それは、殺し合いのようだった。キラリ、と陽にきらめく刃が宙を舞い相手に向かって繰り出さたり、天に向かって突き出されたりする。何度も、どちらかの体がその刃によって血を流す、と思う場面があったが2人は紙一重で体も、髪も、服も傷つかないように優雅にかわしてゆく。
その舞は、恐ろしいものだった。しかし、それ以上に美しい物だった。天上の舞とは、2人の舞の事だろう。そのとき、観客は誰もが我を忘れてその舞に魅入っていた。特に、薄茶色の髪をした者の存在感に人々は圧倒されていた。
がむしゃらに舞っているかのようで優美。
鮮烈な印象を与えるのに儚い。
何かと戦っているかのようで全てを受け入れている。
日が沈む。
辺りが闇に沈みかけた頃、2人の舞は終局を迎えていた。
激しく、そして静かな舞を見ている人々はその舞が一瞬にも永遠にも感じられた。響くのは剣の交わる音、2人が舞う度に手や足に着けられている鈴の音。
そして、その瞬間は来た。
実際の舞にこんな場面は無い。しかし、体が勝手に動く。まるで、剣に引きずられるかのように。
体が勝手に剣を下に振り降ろし、セリナの足は一歩下がって体を舞っているレイの横に立った。
レイはその行動を予知していたかのように一歩前に足を踏み出す。
薄茶色の長く美しいレイの髪がふわりと揺れる。
セリナの構えていた剣はその美しいレイの髪を切り落とした。
地に落ちる前に、レイは自らの髪を手にしていた剣で掬い上げる。長かった美しい髪は不揃いで肩までの長さになり、人々は声にはしなかったが動揺を隠せなかった。
しかし、2人はそのまま最後のゆっくりとした舞を続けていた。
レイが体を動かすたびに剣先にある髪の毛がハラハラと数本宙に舞う。変化は、それからだった。
完全に闇に沈んだ地上に小さな光が生まれた。それは、レイの周りに生まれた。一つ、また一つと光が生まれるとレイの剣先にあったレイの髪の束が大きな光の塊となり、会場を包んだ。
幻想的な光景だった。
その光は、暖かかった。
その光は、優しかった。
その光は、悲しかった。
その光は、寂しかった。
その光は、強かった。
その光は、儚かった。
光は、沢山の人の元へ飛んでいった。
会場に居る人だけでなく、遠く、遠く離れた場所に居る人にも一瞬で会いにいった。
大切な人に、
“ありがとう” を言う為に。
“さようなら” を言う為に。
光は、会いたかった人の心に一瞬だけ触れる。
光は、大切な人達に最後の別れを告げると名残惜しそうに行くべき場所に行く為にレイの元へ集まる。
「余計な事を・・・・・・。気紛れか元々こうしようとしていたのか。慈悲深いのか冷徹なのか。時々、分からなくなる。否、どんな存在にも当てはまらない者を理解する事なんて出来ないか?」
自問自答。堂々巡りの疑問。それに答えられる者は何処にも居ない。あるいは、レイの母親、師匠であったら分かったのかもしれない。しかし、レイを理解する存在は居なくなってしまった。
大陸中を一瞬で飛び交う無数の光の輝きは夜の、まだ星も出ていない空に幻想的な美しさで煌めいている。
「これから、忙しくなる」
レイの具現化した無数の光を空から見ていたアルマは淡々とそう呟く。そして、手に持っていたリュートを奏で始める。
レイの周囲に集う光達はレイの体を取り囲む。セリナは驚きながらも冷静に対処していた。つまり、レイの言う通り舞を続行していたのだ。レイの髪の毛を切り落してしまった時も動揺はしたがレイが行った通りその動揺を誰にも悟らせはしなかった。
今は光に包まれているレイを茫然と見ながらも最後の舞の体勢から少しも動く事は無い。舞い手が退場するのは楽人が演奏を再開してからだ。
しかし、楽人達は楽器を鳴らす素振りさえ無い。ただ茫然と目の前の光景を見ていた。
ふと、セリナ自身もベールの下で涙を流していた事に気付く。
その事に気付いたらしい最前列に居た夫、ジークフリードが目にうっすらと涙を浮かべた顔で、心配そうにセリナを見つめる。今にも舞台の上に上がってきそうな様子の父をマリが涙を堪えながら手で諌め、隣に居た泣きじゃくっているマリアの頭を抱き寄せて宥めていた。
舞っている最中。レイの目には既にフワフワと浮く光が見えていた。しかし、その輝きはとても弱く何処か淀んでいた。
レイとセリナが剣を動かし、舞うたびにその光を切る。実体はないので実際には通り過ぎるのみだが切られた光は淀みを無くし、輝きが増す。でも、これだけではまだ足りない。この、彷徨う光を上に向かわせる為にはもう少し力が必要だ。
セリナの舞いに意識を向け、その手に持っている剣に念を込める。
勝手に動く体に動揺しているようだが周りにはそんな素振りを一つも見せない。このとき、レイは初めてセリナをパートナーにして良かったと感じた。
レイはセリナの舞いに合わせて一歩前に足を踏み出す。元々予定していた事だ。何の躊躇いも無い。
風を切る剣の音、耳元で聞こえた何かが切れる音。ハラハラと顔にかかる短く、不揃いになった髪。地に落ちてしまう前にそれを剣で救い上げる。
切り落されたレイの髪に光が集う。全てを知っているかのようにまず最初に動いた光が髪を中に取り込む。すると、誰の目にも見えるようになった。次の瞬間には我先にと光が髪を取り込んでゆく。
“鎮魂の舞”と“魂鎮めの舞”の違いの一つに捧げものがある。“魂鎮めの舞”は舞い手の一部を神に捧げるのだ。それは感情や、記憶などの見えない物である事もあったし、レイの様に髪や目、手や足だった事もある。捧げものは舞い手の力に影響するので力が弱ければ命までも差し出した者が昔、居た。
ふと、リュートの音色が聞こえる。目を凝らして空を見上げると遥か遠くにアルマの姿が見える。
その音に引かれるように、名残惜しそうな様子を見せる光をレイはその身に集める。レイの体を取り囲むその光はレイの姿を覆い隠した。人々にはアルマのリュートの音が聞こえていない。
『聞こえるだろう?リュートの音色が。ゆけ、その音に向かって』
声には出さず、光にそう伝えると光達は寂しそうに、不安そうに、しかし、大切な人達にある願いを込めてアルマの元へ向かう。
(タイミングとしては、今よね)
レイがそう考えた瞬間、自身の体が光に包まれるのが分かった。それは足から始まり、ゆっくりと上へ広がる。
その光が完全にレイを包み、消えたとき、舞台の上にはもうレイの姿は何処にも無かった。
急に光となって消えてしまったレイは何処に居るのか?
短くなったしまったレイの髪はどうなるのか?
今回の〜2人の舞姫〜はレイ×マリア、そしてレイ×セリナの事です。
セイジの決意も話に入れようと思っていたのですが、長くなってしまったせいで次に回す事にしました。(次に入るかどうか分かりませんが・・・)