82:貸本屋
コン コン
扉がノックされる。今日は休日で仕事は昨日のうちで大体処理済みだ。現在はそこまで急いでいない書類を片付けている最中だった。
「どうぞ」
扉の外に居るのが誰かは気配で分かった。
「失礼します。少し、相談が」
レイは微笑みを浮かべてアルの部屋に入った。
「どうかしたのか?レイ」
仕事の手を休めて、レイに向かい合い用件を尋ねた。レイは姿勢を正して真っ直ぐアルの目を見つめ、微笑を浮かべながら、
「外出には同伴者が必要だと言われていたので。アルと一緒に、行きたいお店があるんです」
そしてついでのように「ああ、ファラルには遠慮してもらいました」と付け加えた。
「別に、構わないが・・・・・・。私と一緒に?」
「はい。少々特別なお店なので」
それ以上は何の説明も無かったがアルはレイと共に行く事を決めた。
「行きたい店は、どの辺りにあるんだ?」
「さぁ、何処にあるかは分かりませんが、ちゃんと辿り着きますよ」
その不確か言葉に、アルは急に不安になった。
「道、分かっているのか?」
「はい」
「それにしては、同じ所をぐるぐる回っていませんか?」
「回ってますね。でも大丈夫です。ちゃんと目的地には着きますから」
アルにはその言葉が何処までも楽観的な言葉に聞こえた。
「もう少しで着くと思います」
レイとアルが歩いているのは大通りから外れた脇道で周りには人気が疎らだ。アルの言う通り、レイは同じ所を何度も何度も歩いている。
レイの足取りに迷いは無いが、アルの足取りには不安感と躊躇いがある。
何度も同じ所を歩いていたはずなのに、今回だけ言いようのない違和感を感じた。
「もう、見えて来る頃ですね。アルは違和感に気付いてると思うけど」
「さっきまでは」
「無かったですよ〜。あのお店は少し特別なんです」
驚きを隠せないでいるアルを尻目にレイは迷い無くその店の扉を開いた。
「いらっしゃい。こんな早くに、また客が来るとは思ってなかったですよ」
無愛想な声が聞こえて来た。レイは不快な表情を見せる事無く、
「十数年ぶり、ですか?」
と自然に言葉を返した。
「ミア!?」
驚いたような声とともに、足音が聞こえ、声の主が現れる。
「ミア、では無いな。君は?」
丸眼鏡をかけた30代前半程の男が現れる。背も体型も男性の平均で、瞳の色は鳶色で髪は黄土色。切れ長の目は知性が宿り、神秘的な雰囲気を纏っていた。
着ている服は白いシャツの上に神官が普段着ているグレーの上着、下はゆったりとしたジーンズをはいている。
「初めまして。レイ、と申します。ブックマスター」
「初めまして、といってもそんな気がしない」
「そうでしょうね」
レイとレイが“ブックマスター”と呼んだ男性は2人で盛り上がった。
「ミアは、死にました」
「・・・・・・そうですか。惜しい人を無くしました」
彼は本当に残念そうに見えた。
「ブックマスター『血の契約』について書かれた本は右の奥での棚でしたよね?」
「よく知っていますね。ミアの知り合いなら当然かもしれませんが。でも、それよりも先に、彼を紹介していただけませんか?」
「アル、入り口近くで何してるの?」
驚いた様子で振り返ったレイがアルに問いかけるが、アルは未だに戸惑っていた。帝国内でこんな店がある等聞いた事が無い。何故急に現れたのか、怪しい事が多すぎて2人の会話について行けなかったのだ。
「噂くらいは聞いた事無いですか?『この町の何処かに特別な貸本屋がある』って」
レイは、どんな説明をしようかと少しだけ考えて、そう聞くと、
「七不思議として昔から流れている噂だが」
そう答えたアルに、ブックマスターが、
「その貸本屋です」
と答えた。
「ここは異空間にある店だから、普通に暮らしてる人は来る事は出来ない。来れる人も少数だしね。だからここまで辿り着く事の出来る道はないけど、何処からでも行ける」
レイは店内を物色しながら簡単な説明を続ける。アルが聞かされた情報を脳内で処理していると、レイが嬉しそうな声で「あ、あったー」と呟いた。
「一応、その本禁書の上にここ以外ではもう見つからない希少本。初めて来るお客なのに、何故その本がここにあるって知ってるんですか?」
ブックマスターがレイの持って来た本の希少性にと疑問を口にする。
「ミア経由です。内容も知ってますよ」
簡潔に言葉を返し、アルに本を手渡す。
「今から読んで下さい。『血の契約』についての基礎知識です」
レイから手渡された本は存外分厚かった。読んで下さい、と言われたので取りあえず本を開こうとするとブックマスターに椅子を勧められた。その申し出を素直に受けて窓際の椅子に腰を下ろし本を開いた。
ふと気になってレイを見ると、ブックマスターと本について語り合っていた。
「ミアが気になりつつも結局読む事のかなわなかった本を出してきます」
「お願いします」
ブックマスターが店の奥に引っ込み、レイはアルの元へとやって来た。
「進んでますか?」
「同じ所を何度も読み返したりしているが一応全てに目を通した。だが、信じられない。私の知っている常識とはかけ離れている」
「そうでしょうね。でも、ミアは直ぐにその本の内容を受け入れました」
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《血の契約》
血の契約とは悪魔と交わす契約の事である。悪魔と人間の血液の交換によって交わされる契約である。ただし、それ以前の手順を踏まなければ契約を交わす事は出来ない。
魂の契約とは違い、血の契約は悪魔が人間に好意的な場合にしか交わす事は出来ない。
魂の契約に相性が関係なく悪魔の能力との等価交換なのに対し、血の契約は相性が双方の契約の利潤に関係する。
契約を強める方法はこまめに契約を交わすこと。これはどちらか1人が行えば良い。
血の契約を行う悪魔は高位の場合が多く、理性を失う事はほぼ無い。
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目の前でレイがニコニコと笑みを浮かべていた。
「簡単な説明しか書いてませんけど、分かり易くはありますよね」
「これでも、十分複雑な内容だと思ったが・・・・・・」
「それは先入観があるからです。一番重要な血の契約の交わし方が書かれてないですよ」
「それはそうだが」
レイの言葉にアルは言葉を返すが、どうしても納得出来なかった。だが、本には論理的に血の契約について書かれていて信じざるを得ない。
「レイ!ミアに貸し出そうと思っていた本です。もって帰りますか?読んで帰りますか?」
「今読みます。アルももう少し本を熟読したいみたいですし」
机の上に置かれた本は今、アルが読んでいる本よりも遥かに分厚かった。レイは嬉々として本に手を伸ばしページを物凄い速さで捲り始める。
「本当に、ミアにそっくりですね。彼女と同じ読み方です。読むのは速いくせに本を傷つける事はなく、内容も隅々まで理解している」
その言葉を聞いて、アルは疑問に思っていた事を口にする。
「ミアとは、どういう人物なんだ?」
まず、ブックマスターが、
「このお店の常連だった方です。彼女以降、御二人がようやく来られたお客様ですよ。レイの話では既にお亡くなりになられているらしいですが・・・・・・。そういえば、レイとミアの御関係は?」
「私の母親」
事も無げに答えられた言葉にブックマスターもアルも固まってしまった。
「予想はしていましたが、改めて聞くとやはり驚いてしまいますね」
「だが、レイはイクス大陸にいたのでは?」
今現在、レイのいる大陸をファルデン大陸という。この世界には2つの大きな大陸があり、もう1つをイクス大陸と呼ぶ。
こちらの大陸では魔法等が盛んなのに対し、イクス大陸では魔法は嫌悪の対象であり、魔力を持って生まれた者はその事が発覚した時点で迫害、最悪の場合殺される事もある、という噂が流れている程だ。
しかし、信仰する神が同じである、といった事から元々は共に暮らしていたのだろうと推測されている。
交流は一年に片手で足りる程しか無い。
「はい、イクスの生まれです。数年前まで住んでましたよ。私の母、ミアはある事情でイクス大陸に渡って、私の父と出会い私が生まれ、数年前に死にました。父は私が生まれてすぐに死にました」
本から目を離す事無く、だが普通は本を読みながら話すべき事ではない事を話しているレイに、ブックマスターが驚いた顔になる。
「彼女が、そんなに早くに亡くなるなんて思ってなかった」
「母の言い分では、父が死んだ時にミアである母も死んだらしいです」
「ハハッ、彼女らしい。レイの父上とは相思相愛だったようだね」
「ええ、私が父に嫉妬してしまう程に」
その言葉にまたブックマスターが笑みを漏らす。アルはどう反応して良いのか分からなかった。
「レイは数年前まで母親と共に暮らしていたのならファラルとは何時、出会ったんだ?」
取りあえず、聞ける事ならば聞いておいた方が良いな、と頭に浮かんだ疑問をレイにぶつける。
「母が亡くなって数年が経った時かな。色々あって、悪魔の贄になった時に現れたのがファラルで、ファラルの方から血の契約を結んできた」
簡単な説明だけで、それ以上語る様子をみせないレイを見てこれ以上は聞き出す事が出来ない、と判断した。
「魔術などは何時学んだんだ?」
「師匠からです」
「師匠?」
「ええ。物心ついたときから師匠は私に師匠の知識の全てを教えてくれました。ですが、ファラルに出会う数年も前に私が殺しました」
その言葉にアルとブックマスターが同時に息を呑んだ。ブックマスターは悲しそうに俯いて、レイの頭に手を置き、
「貴女は、修羅の道にいるのですね。ミアと、同じように。その醜い争いが終わった時、貴女はどのような運命を辿るのでしょうね。幾度の絶望が貴女に地獄を見せ、怒りと悲しみがその身を苦めている」
と呟いた。だがレイは未だに本から目を離す事無く、
「その感情は遥か昔、既に過ぎ去って行ったものばかりです」
「そうですか」
二人の会話に付いて行けなかったが、もしかして、と思った事を口にする。
「その師匠という人物を、知っているんですか?」
アルがレイにではなく、ブックマスターに向けて言った言葉にブックマスターは一瞬レイを見つめた後、ゆっくりと頷いた。
「直接、話した事はありません。この店に来たのはミアでした。でも、彼女からレイの師匠の話は何度か聞いた事があります。ミアはその方の事を愚かだ、と評していましたが私が聞く限りではとても聡明で、純粋で、孤独で、哀れな人だと思いました」
それ以上は聞く事が出来なかった。レイが本を読み終え、パンッ、と音をたてて本を閉じそちらに意識が向いたからだ。
「これはもう読んだから返します」
そう言ってブックマスターに本を片付けさせた。アルとレイは向き合う形で座っている。レイは二冊目の本を手に取りまた読み始める。
「レイは、昔三人暮らしだったのか?」
「いえ、母と私の二人暮らしです。師匠は必要な時にしか出てきませんから」
アルにとって居心地の悪い沈黙が流れる。
「レイの母上も、師匠殿も素晴らしい魔術師だったのか?」
「素晴らしいかどうかは分かりません。ですが、私は尊敬していました。私にはそれで十分です」
「そう、か」
会話が続かない。過去に何度か既に犯人だと分かっている上でゆっくりといたぶるように尋問をした事があった。その時の犯人達は最終的に声を出せなくなったいた。
(状況は少し違うが、こんな気持ちだったのか)
相手に向かって言葉を伝える事が出来ない、それは物凄い重圧感がある。
「アルは、何人家族なんですか?」
不意に本を閉じたレイが質問して来た内容に、呆気にとられた。それでも反射的に、
「両親ともに健在だ。子供は私一人で、一緒に暮らしては無いが祖父母もいる」
「そうなんですか。アルは、何時頃魔術を学んだんですか?」
「生まれた時、目を開けた瞬間に『漆黒の者』だと周囲に知られていたからな。力の暴走もあって一時神殿に預けられたあと、賢人殿に手ほどきを受けた」
聞かれるままに答えた事でなんとか会話が繋がった。
アルが居心地悪そうにしているのが直ぐに分かった。
このままにしておくのも一興、と言う考えが一瞬頭を過ったがここにアルを連れて来た迷惑を考えて既に知っている事をアルに質問した。
他愛無い会話をする事によってアルの居心地の悪さがなくなって行くのが分かる。
何となくレイの意図が理解出来たのか、アルから感謝気持ちが伝わって来た。
それから暫く会話を続け、戻って来たブックマスターも会話に混ぜてお喋りを続ける。
「ブックマスターは今何歳でしたっけ?」
「外の世界は今何年ですか?それから逆算していけますが」
「でも、軽く10000歳は超えてますよね」
「ええ」
「そんなに生きてるんですか!?」
レイとブックマスターの会話にアルが驚く。
「この店の中に肉体に関係する時間は流れてないですから。ここに居る限り、肉体年齢は永遠に31です」
「本好きが高じてずっと昔にあった凄惨な事件の最中、当時の神によってここで生きるか、御二人が住んでいる、この店の中から言えば外界で生きるかと聞かれてこっちを選んだ結果です。何時でもこの店を辞める事は出来ますが、今の所その予定は無いですね」
そう言ったあとお茶を飲むブックマスターに、アルは躊躇いがちに、
「ずっと一人で寂しくは無いのか?」
と聞いた。するとブックマスターは笑みを浮かべて、
「お客さんが来てくれますから。来て下さる方は少ないですがリピーターの多い店ですので。一人の方が訪れれば、その方が歩けなくなるまではここに通っていただける程です」
と答えた。しかし、少し悲しそうに「勿論・・・」と前置きすると、
「100年程、誰も訪れない時期もありました。でも噂は流れているでしょう?その意味を理解出来る方が必ず現れ、この店に来ていただけます。一人のときは基本的に本を読んでいるので時間が経つのは早いですから」
過去や現状を語るブックマスターの表情は淡々としたもので、特に寂しい等は感じていなかったようだ。
しかし、ミアのときはこんな淡々と語る事は出来なかっただろう。ミアは500年ぶりのお客だったからだ。
ブックマスターは人間だ。いくら孤独に強くしてもらったとはいえ、500年は長過ぎた。
ミアの記憶の中で、初めて店に足を踏み入れた時、彼は他人を求めていた。そしてミアという他人に出会った事で救われたのだった。
暫くお喋りをして、ふとアルが店の中にある時計に気付いた。既に昼時を過ぎている。
「もうこんな時間なのか。そろそろ帰らないと」
「そうですか。では、御用があればまたいらして下さい」
ブックマスターの言葉にレイは頷いて「本。持って帰るのは大変ですから、また来ます」と答えた。
「またのご来店、御待ちしています」
嬉しそうな様子のブックマスターに、ミアの思い出の中にあった彼の嬉しそうな顔を思い出し、レイは口元に自然に笑みを浮かべていた。
店を出ると、空気が一瞬にして変わったのが分かった。どこまでも静かな雰囲気だった店から一歩踏み出すと沢山の音が聞こえた。
ふとアルが後ろを振り返るが、そこは薄暗い道が続くのみで先程まで自分がいた店が夢のように思えて来る。
「ファラルを連れて行かなかったのは、あそこの店主が悪魔を苦手にしているから。・・・・・・どう接していいのか分からなくなったんだって」
よくわからない説明をされアルは内心、首を傾げた。
(悪魔の事を、普通に受け入れる事の方が難しいだろう)
口には出さなかったが、レイは振り返ってアルの心内を全て見通しているかのような笑みを浮かべた。
「私は普通じゃない。ある意味、とても特別な存在。家族は皆普通とは違った。だから私は師匠を殺した」
「言っている意味が分からない」
「分からないように言っていますから」
「なら、何故そんな言葉を口にする?」
レイは不意に真顔になった。
「多分、他人に聞いて欲しかったから。人間に、聞いて欲しい事だったから。それに、ミアの話を一人で聞く勇気がなかった。これでも、私は弱虫なんだよ」
笑いながら自分を弱虫、と口にされても今までの事を知っている分説得力が無かった。
「人は誰しも、弱さを持っている。自らの弱さを認めず、目を向けようともしない者はただの愚か者だ」
アルが口にした言葉に、レイは一瞬だけ意外そうな顔をした後、ふわっと蕾が綻ぶように笑った。
その笑顔を見た瞬間、アルはレイを抱きしめたい、という誘惑に駆られたがすぐに自分を律した。
レイはアルのその変化に気付く事は無かった。
レイの母親の名前はミアです。彼女にも色々な事情があります。ミアはレイの師匠であった『緋の双黒』とは親しかったようですね。(ミアが彼女の事を「愚か」と評していた事から)
アルの方はレイに対する感情に微妙な変化が訪れました。しかし、レイは家族でない者に対して愛情を持ち合わせていません。
(ファラルに対しては何かしら特別な感情を抱いていますが、それを口にするつもりは無いようです)