81:消えた違和感
アルに早く帰るよう言われているのは本当だった。
「別に、こんなに早く無くても良かったんだが・・・・・・」
帰宅したら直ぐに寄るように言われたアルの部屋にはアル以外にもロリエ、ヘルス、ベクターが居た。
「それにしても、魔力検査で魔力はほぼ皆無って言われていたのに」
戸惑っているようなロリエの言葉にレイはにっこりと微笑みを浮かべて「隠してたから」と答えた。
その言葉に全員が何とも言えない複雑そうな表情になった。
「それで、話って何?」
「レイの今後の処遇について話し合っておく事がある」
真面目な顔は、見る者がみれば冷酷と称する者も居るだろう表情にレイは柔らかく微笑んで、
「そうですか」
とだけ答えた。臆する事もなく、動揺する事もなく、レイはただその言葉を受け止めた。
「レイの魔力については既に公になっている。後日、魔力保有量の測定する。これに異論は?」
「特に」
元々、測るべきだったものを隠していたのだ。最初から測っても良かったのだが、面倒な事になれば隙をついて楽に逃げられると思って隠していたのだ。
「次に、暫くレイに監視がつく。四六時中ではないが、暫くの間は外出も同行人をつける事で許可する。これはファラルやレイの友人では駄目だ。ここに居る4人に声を掛けてくれ。これは決定事項だ」
「分かりました」
何処までも素直なレイの返事には嘘・偽りは感じ取れなかった。
「最後に、この事を全て話しておくべき人物が数人居る。これはレイに決定権がある。どうする?」
「・・・・・・その、アルが私の事を話す人物による」
少し悩んだ後、レイがさらりと言った。
「現在の『双黒の賢人』、皇帝陛下、大神殿の神官長、各国の『漆黒の者』だ。勿論、秘密を口にしないように善処する」
その言葉を聞いて俯いて何かを考えていたレイは、
「皇帝陛下と、各国の『漆黒の者』の方には話しても良いと思いますが『双黒の賢人』と神官長様には内密に。神聖なる神官殿には不快な内容でしょうし、双黒の君には聞きたくも無い言葉でしょうから」
と答えた。ロリエ達にはレイが悪魔憑きだと言う事はいっていないだろう。
「わかった。話はそれだけだ」
「では、失礼します」
そう言って部屋を退出したレイは自室に戻った。
鞄を放り投げ、ベッドに体を預ける。
どうしようもない焦燥感がレイの心を掻き乱していた。
体をギュッと縮こませて新品の制服が皺になるのを気にする事なく左手で鷲掴みにして胸を抑えている。
右手は何も見えないように目の上にやり、襲って来る苛立を必死に我慢している。
息は荒く、顔はどんどん青白くなっている。冷や汗が流れて来る。
唇が微かに動く。だが、その口から音が漏れる事はなかった。それなのに、
「レイ」
傍らに現れ、レイに声を掛けたのはファラルだった。
「レイ」
反応を返さないレイにファラルがもう一度名前を呼んだ。抑えたり、流したり、と体にも精神にも魔力にも負担になる事を続けていたせいで、レイの体は疲弊していた。その中でのアルの言葉はレイに追い打ちを掛けるのに十分なものだった。
それでも、動かない右手を必死でずらし、開く事さえ億劫な瞳を少しだけ開き、焦点をファラルにあわせる。
「辛いのか?」
「・・・少し、だけ。直ぐに、治まる」
その言葉を聞いて、レイの体を支えながら起き上がらせる。
おもむろに指を一本口元に運んだファラルは、暫くしてレイの閉ざされた唇に自身の唇を落とした。舌も使って口をこじ開け、ファラルが含んでいた液体をレイに移す。
レイがその液体を飲み下すのを喉の動きで確認すると唇を離した。
「ゲホッ、ゲホッ」
液体を飲み下した途端、レイは激しく咳き込んだ。ファラルはその体を労るように抱きしめ、背中をさする。
レイの様子が落ち着き、ゆっくりとファラルから体を離す。
「どうして?」
そう尋ねるレイの目には少しの非難と、大きな戸惑いがある。何度も行われた行為のあと、レイは必ずこのような目をする。
「血の契約は行われている。ファラルから何度も血を貰わなくたって大丈夫だよ?」
「分かっている。だが、回復にはこれが一番手っ取り早い。私は、お前が苦しんでいる姿を好き好んで見ていたいとは思わないんだ」
ファラルの言葉は何度も聞かされた答えだ。それでも、戸惑ってしまう。
「そんな事をしても、何も変わらないのに?」
「そうだな」
淡々としたファラルの言葉にレイの顔が一瞬だけ泣き出しそうに歪む。だが、ファラルも本当はレイと同じ気持ちなのかもしれない。
「私の家族は、お母さんだけだったの」
「知っている」
「それでも、父親が居なければ、私は生まれない」
「当然の事だな」
「父親は、死んだとお母さんに聞いた。私も生後間もなかったけど、自分の父親が死んだときの事は覚えている」
「そうか」
「私は、周りに異性が居なかった所為か一般に愛だの恋だのが分からない。お母さんと父親の馴れ初めも、他人の幾つもの恋物語も知っているのに、私には男への感情が欠落している」
何度目かの会話。行き着く先は同じ答え。
「ファラルは、ファラル以外の何者でもない。私は、それ以上に思えないの」
レイのか細く、悲痛な叫びにもファラルは表情を変える事はなかった。それから静寂が降りた。レイが深い眠りにつく。急激な変化に体が休息を求めたのだろう。
「俺は、お前の父親になりたいとは思っていない」
小さく呟いたファラルの言葉は眠っているレイには届かなかった。
暗く、何処か執着じみた視線がレイを見つめる。
「レイ、お前の望む俺で居よう」
淡々とした言葉、いつも通りの無表情。ファラルが内心何を考えているのかは分からない。
レイの目がゆっくりと開かれた。眠りについてからそれ程時間は経っていない。
「頭が冴え渡ってスッキリしてる。気分爽快」
起き上がりながら口にする言葉は内容とは反して皮肉がたっぷり込められていた。
「相変わらず、ファラルの血は毒のようね」
ファラルに向けたレイの顔は血色もよく、目も生気に溢れていた。今は魔力の整理が上手く行われていないので快活な様子だが、もう少し経てばその雰囲気を完璧に隠すのだろう。
「全て使いようだ。レイは私の血に引き込まれるような事はないだろう。他は知らないがな」
「確かにそんな事態に陥る事はどんな状況下であっても無いと断言出来るけど、気分の問題。・・・・・・暫く、1人にして」
レイの言葉にファラルは素直に従った。
1人になった部屋で去来する記憶に必死で耐えていた。
ファラルの血はあらゆる意味で全てを活性化させる。その最たるものが魔力であるというだけだ。レイにとってそれは薬であり、毒である。
ファラルの血はレイの脳を活性化させ、幾つもの記憶が流れるように頭に浮かぶ。
暫くして、漸くその流れが落ち着いた。視線を窓の外へ向ける。夕日は沈み、空が段々と闇に染まって行く。
「父親なんて、父さんなんて・・・・・・大っ嫌い」
現在のレイの髪の色も目の色は父親と同じ色だ。変化させるのに一番変化させるのが簡単だった。でも、レイは父親の事が嫌いだった。
(くだらない執着。くだらない理由。でも、私にとっては唯一の人が私を一番に想ってくれない)
子供じみた理由だった。それでも、大切な理由だった。
母はそう言う意味での一番はレイではない、とハッキリと宣言していた。でも、一番大切にし、守る者はレイなのだと言ってくれた。
今では何となく理解出来るようになった母の言葉。それでも当時は納得ができなかった。
溢れ頬をつたうモノは涙。
蓋をした記憶までもがレイの頭に去来した。感情の変化無しでは受け止めきれなかった。
それでも、声をあげる事は無い。静かに、涙は流れ行き次第にとまる。
心は凪のように穏やかだった。記憶の余韻に影響され流れた涙は存在しなかったかのように跡さえも消えていた。
体を起こし、立ち上がる時、ふと違和感が消えているのに今更ながら気付いた。
当然だ、とも思う。レイの場合はファラルの血を飲めば消えかけた魂さえも元も戻る。効果がでない場合もあるが、それは本当にどうしようも無い時のみだ。そして、そんな事態にはまだ一度も陥っていない。
「消えてしまえば、良かったのにね」
自嘲気味の笑みを浮かべながら呟いた言葉は、レイの脳裏に幾つもの記憶を浮かべさせる。
「でも今、消えてはいけない」
言い聞かせる言葉は自分へ向けて。そして、凪いだ心のまま、またレイは決意を強くした。
「あ」
不意に声をあげたレイは重要な事を1つ忘れていた。
「宿題してる暇無かったんだ」
学生らしい事を呟くと、放り投げていた鞄を所定の位置に置いて宿題となっているページを開いた。必要最低限の過程、もしくは結論を書いてものの数分で全てが終了する。
宿題を終えたレイはふと思い出した事について考えを深める。
「出来るだけ早い方が良いかな」
カレンダーを見つめて呟くレイの表情はほんの少しだけ面白がるような笑みを浮かべていた。
ファラルが悪魔だと知っているのは現在アルのみですが、他の“漆黒の者”や皇帝には後々、伝える事になります。
ロリエ達やマリ達はレイには実は魔力があった、と言う程度にしか知らされていません。勿論、学園も知りません。
悪魔憑きの事をアルが口外しなかったのは神の保証があったからです。そうでなければ今頃レイは捕まっているでしょうから。レイ自身もその事は理解しています。
そして、レイの(普段の)外見はレイが大嫌いな実の父親似です。その内、レイの母親と父親の事を書けたら良いなぁ、と思っています。




