80:好奇の視線
事件から1週間程が経った。学園は漸く落ち着きを取り戻し、損壊した魔術科の校舎が立て直されている間、魔術科は特別棟で授業を受ける事になる。レイにとっては久々の登校だった。
「はい、注目!今日からこのクラスの一員になるレイさんです。飛び級や武術大会、先の事件で知っている人は多いと思いますが普通科から魔術科に転科してきました。レイさん、挨拶して」
魔術科の飛び級生である証の真新しい制服に身を包んだレイが面倒だ、という様子を隠しもせず、
「レイです」
と俯きながらぞんざいに自己紹介をして頭を軽く下げた。転科試験はちゃんと受けているので問題は無いが、クラスの雰囲気が重くなっていく。“普通科の生徒が魔術科に転科?どうして?”とでも思っているのだろう。
「彼女は優秀で、召還魔法などの高度な授業はもっと上の学年と受けてもらう事が決まっています。それから、学外の仕事を手伝ってもらう、という話もあるのでもしかすると後数年で卒業、という可能性もあります」
先生の言葉にクラスのざわめきが一層大きくなる。レイから魔力は感じるが、とても読み難い。実力がどれほど、潜在能力あるのか全く分からなかった。
一方、レイの方は少々うんざりしていた。
(鬱陶しい視線)
そんな事を思いながら軽く魔獣に食い千切られた方の手を動かす。ほんの僅かに違和感があるだけで、数日もすればその違和感も払拭されるだろう。
「レイさんの席はあそこよ」
示された席へ向かう途中、何の洗礼か幾度も悪戯程度の魔法を使われる。レイは特に気にとめもしなかったが、その洗礼を受ける気もなかった。生徒達の使った魔法は全て不発に終わる。
因にだが、このクラスにレイが意識した事のある生徒は居ない。魔術科と言ってもサラやカナタと同じクラスではないのだ。一番人数の少ないクラスがここだっただけだ。
「皆さん、レイさんと仲良くして下さいね」
疎らに声が上がる。だがレイの方にはこれ以上“仲良し”の友人を作るつもりは無い。
(放っておいてくれないかな・・・)
そう言って、結局その一時間目の間に最初の挨拶以外に声を発する事無く、クラスの人間も近寄りがたい雰囲気を感じて話しかける者もいなかった。
「では、前回の応用の魔術を教えます。呪文は_____です。この訳をしなさい」
教師の話はレイの耳を通り過ぎて行く。支給された教科書を開く事無く虚空を見つめている。教師は気付いていても四古参の教師達に何かいわれているのか特に注意はしてこない。
その理由の1つとして、問題を起こさない、とレイが学園と約束していないからが挙げられる。
「実技に入ります。先程教えた呪文を唱えて下さい」
レイを除く生徒全員が呪文を呟く。それだけで年齢にしては強力な魔術が発動する者もいれば、結局発動しない者も居た。先生は何もしようとしていないレイに対して漸く注意をした。
無表情のガラスのような瞳の上目遣いは、人形のような顔の造作と相俟って背筋がゾクリとする程不気味だった。だが何故レイに対してこれほどまでに認識が薄いのか、とも思う。だがその疑問もレイを意識する事が無くなると思い出せなくなった。
先生に注意されて漸くレイの手が動いた。
声は、聞こえなかった。だが、レイの指先には安定した炎の渦が完成している。その魔法を先生が実技終了の合図を出すまで維持し続けた。
レイの表情からは何の感情も読み取れないが、クラスの生徒の視線を一身に集めている。
(やりにくい上に、気分最悪)
魔力を抑えているのにはある理由があったが、その理由をいえない今、また魔力を封印したとしてもまた面倒な事が起こる事は目に見えている。
レイはまた魔獣に食い千切られた方の手を軽く動かした。相変わらずの違和感がレイの気分を不快にさせている。予想では既にその違和感は消えている筈だったのだ。
思い当たる原因は2つあった。1つ目は体に限界が近付いている。2つ目は魔力を抑えるのを止めたから。
レイにとって魔力は普通の人とは違う意味を持っている。ファラルが血を飲み、その結果増えたファラルの魔力の余剰をレイに移すのにはその意味の為だ。レイ自身は必要ない、と思っているが拒否したとしても無理矢理魔力を移される。
その時、漸くクラス中の視線を初めて意識した。だがそれは一瞬だけで、直ぐにその視線を意識しなくなった。
そうしている間にも時間は経ち、授業終了を告げる鐘が鳴った。
「・・・・・・」
レイは無言で立ち上がる。周りの視線など全く気にせず教室内を横切ると、そのまま教室を出て行った。生徒も教師も呆気にとられてその行動を見ていたが、レイが教室を出て行った瞬間に気付かないうちに教室内に存在していた言いようのない威圧感・緊張感・圧迫感が消え失せた。
だが、問題が1つある。
レイが出て行ったのは後ろの扉だった。お手洗いに行くのなら前の扉を出て行く方が近いのだ。目立つのが嫌で後ろの扉を使ったのだとしても十分に目立つので意味がない。更に、レイが教室を出て歩いて行ったのは右だった。
この教室は廊下の右端にあり、この教室の隣には階段しかない。因に、お手洗いは左だ。
次の授業は移動教室でもなければ、選択授業でも自習でもない。そのまま教室内に居て普通に授業を受ける。それなのにレイは何処に行くとも言わず教室を出て行った。
((((((サボリ?))))))
生徒と先生全員の思考が完璧に重なった瞬間だった。
授業の始まりを告げる鐘が鳴る。レイは空き教室にポツンと佇んでいた。クラスの生徒達が考えた通り、サボリだ。
次の授業は、数学だった。教科には特にサボる理由はないが“魔術科”というクラスの雰囲気に嫌気がさした。
魔力とは天賦の才であり、訓練次第でその才能を伸ばしたり、魔力が少なくても最小限の力で大きな効果を生み出したりする事が出来るが結局は潜在能力がものを言う。レイの師匠が有り余る魔力を持ちながらも、魔術の事を“あったら、あったで良いもの”と言う捉え方をしていた所為かレイも同じような考えを持っている。
『大量の魔力保持者でなければ使えない魔法等、その大量の魔力の持ち主が存在しない限り無用の長物。私はそんな事を研究するくらいなら魔力など関係なく使える道具や作れる薬、もしくは魔力が少なくても効果の出る魔法を研究する方がよっぽど有意義だと思うのよ』
でも、魔術を否定していたわけではない。使えるものはフルに活用する。そうする事で自分の事を、守りたいと思った存在の事を守る事が出来るかもしれないから。
(あの時は、遅すぎた。でも、今度はまだ間に合う)
レイの見据える視線の先には一度その門をくぐった城が見える。自然と手に力が入るのを感じて、視線を逸らす。
近くにあった椅子に腰掛けると、また何を考えているのか分からない表情で、何かを考えだした。
そのままボーっと過ごしていると誰かが教室に入って来るのが分かった。
「授業には、きちんと出なければなりませんよ?」
「普通科であれば、まだ授業を受けようという気力はありました。例え気乗りがしなくても、です。学園長先生」
レイは学園長を立ち上がって見つめていた。これは座ったまま、この学園では最高権力者である学園長と話すのは無礼な事だ、と思ったからだ。
「魔術科は、御嫌いですか?」
「いえ、そう言うわけではありません。ですが結局、集団で共に勉学に励むと言う事をした事がなかったので興味がないとは言えます」
言葉を濁したのが学園長には分かった。
「私は、魔術科と普通科の違いについて聞いたつもりなのですが・・・貴女なら、正確に意味を掴めていた筈です」
学園長が指摘するが、レイは全く表情を変えない。自分の質問に答えてくれるのかどうか、全く分からなかった。
「先程も言った通り、嫌いなわけではありません。興味がない、が一番近い答えでしょう。・・・魔術科と普通科の違いは私の受け止め方の問題です。普通科は身元引き受け人の方達が全ての費用を払っていただいていました。ですが、魔術科は無理に転科させたから、と授業料の免除・制服や教科書は無償支給等、授業を受ける気になれません」
「・・・そうですか。ですが、科を戻す事は出来ませんよ?」
「理解しています。ですから、その中でささやかな抵抗をします。幸い、問題を起こさないように。とは約束していませんから」
「せめて程々で、お願いします」
「相手によりますが、限度をわきまえたいとは思っていますよ」
こうして、レイの魔術科での問題行動はある程度まで黙認される事が決まった。
「レイ、今この教室から出て行ったの学園長先生?」
授業終了の鐘の後、カナタが学園長と入れ違いで空き教室に入って来る。
「うん。約束、というよりは密約?を交わしたというか・・・」
「学園長先生と?」
サラの質問に頷きつつ、逆に、
「何でここに来たの?」
「次、高等機関の授業で一緒受けるから。案内しようと思ったのに、教室行けばサボリって言われて探しに来たんだよ」
「ふ〜ん」
気のない返事したレイの表情は変わっていない。だが、何処かレイが少し疲れている気がした。
「疲れてる?」
ストレートに聞いて来たカナタに、レイは小さく微笑みを浮かべ、結局答えなかった。
本日二度目の自己紹介でもレイの印象は悪いだろう。だが、それは少し無愛想な子だなぁ。というだけで不快には思われていないだろう。
「誰と組むのが良いか・・・」
先生の呟きには何人もの生徒の名が挙げられていく。そして、レイは知らない生徒と組まされた。名前は教えられたが忘れてしまった。思い出す気もない。
「よろしくお願いします。先輩」
丁寧に頭を下げ、当たり障りのない程度に言葉を交わす。名前を覚えていないので名前を言わずに先輩と呼んだ。
順番が来て対戦相手の先輩と向き合う。
『我が 契約霊 ケイキ 我の声に応え 今 ここに 召還されよ』
相手がそう呟くと腰程まである少し癖のついた金色の髪にプラチナの瞳を持った青年が召還された。
(雷属性か)
レイはそう思っただけで何も行動を起こさない。
「ミズノエ?」
対戦が終わったカナタの契約霊、ミズノエがレイが対戦している所へとやって来た。
「何か?」
近付いて来たミズノエにレイは首を傾けて尋ねた。そうするとミズノエは言葉につまりそのままレイと向き合うようにして立っている。
「ファラルの事は大丈夫ですよ。もう気にしてないと思いますから」
「そう言う事ではないのじゃ。不快かもしれないが、あれから其方の事を軽く調べたのだ。其方はっ」
「それ以上言わないで下さい」
小声での言い争いは周りには聞こえない。ミズノエはそれ以上何も言えず、ただ視線をケイキに向けた。ケイキはミズノエの表情とレイの少し困ったような笑みで全てを察してくれたらしい。
「すまないが、今回のお前の声に答える事は出来ない。ただの修練なら尚更だ」
生徒の方は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。確かに突然の事で驚くだろう。
「何故?」
「言えない。こちらの事情を察してくれとは言わないが納得してくれ」
そう言いつつも、ケイキの視線はレイに向いている。
「噂とは、直ぐに巡るものなんですね」
笑顔でミズノエに向けて言った言葉はミズノエを戦慄させた。
「す、すまない。じゃが、決してただの好奇心で調べたわけではっ!」
「分かっていますよ。気にしていません。恐らく、遅かれ早かれその内全てが露見しますから」
それだけ言うとレイは対戦者に向かって、
「術の行使の仕方のアドバイスを受けました。始めて下さい」
と声を掛けた。相手は動く気配のない自分の契約霊に戸惑いながらも対戦を始めた。ミズノエはカナタの元へ戻りレイの対戦を注視している。
『風よ 彼の者を 切り裂け』
相手の生徒がレイに攻撃の魔術を繰り出した。レイはただ立っているだけだった。微動だにせず、相手の攻撃はレイに当たる筈だった。
風はただの風となり、レイの前髪を軽く舞い上げ通り過ぎて行った。
「「「は?」」」
何人もの生徒が呆気にとられてその光景を見ていた。相手の生徒が放った魔術はレイの来ているローブ切り裂き、相手の生徒が勝つ筈だった。
『炎よ 彼の者を 囲え』
レイの周りに火柱が幾つも立ったがみるみるうちに小さくなる。レイはまだ一度も言葉を発していない。だが、明らかに何かがおかしかった。
何度も呪文を唱えるが、その度に発動はするがレイに全く効かない、と言う事が続く。既に偶然ではすまなくなっていた。
『音よ 彼に 静寂を』
漸く口にした言葉がそれだった。その言葉を聞いた瞬間、相手の生徒から音という音が消えた。何も聞こえないのだ。
周りの喧噪も自分の声も、心音も。
またレイの口が小さく動いた。すると自分の世界に音が戻って来た。
「何だ、今の・・・」
恐怖だった。何も聞こえない事が。時間が来て、そこで対戦が終了した。
「ありがとうございました」
お礼を述べるレイに言葉を返せなかった。レイは全く気にしていない様子で、次の指示を先生に尋ねていた。
他の生徒の対戦をぼんやりと見ているとカナタがレイの隣にやって来て、「ミズノエと何話してたの?」と聞いて来た。
「世間話。カナタの契約霊なんだねミズノエさん」
「ミズノエと自分の力の釣り合いは取れてないけどな。ミズノエが居るからこそ、俺は高等生と対戦出来る」
その言葉にレイはクスクスと笑い、
「強くなれるよ。ミズノエさんがカナタを気に入って契約を交わしたんだから」
「編入試験の時ファラルさんに会ってから、ミズノエの様子が少し変わった。レイに対しても少しおかしい。原因が分かるか?」
レイとファラルの名を出すという事は2人が関係していると確信しているからだろう。
「分かるけど、言うべき事ではないし、言う気もない。ごめんね」
授業が終了するとカナタは前の授業を受けていないレイを教室の前まで連れて行った。
勿論、授業を受けさせる為だ。レイも観念して教室に入って行った。
授業中、ずっと好奇の視線に晒され、聞こえる雑音がうるさかった。不快な気分のまま、一日が終わり、部室に向かう。
「レイ!」
扉を開けた瞬間、マリアがレイを抱きしめて来た。
「久しぶり」
マリがマリアをいさめつつ、言葉をかけて来る。
「1週間を久しぶりとは言わないと思うけど?」
ひねくれた答えを返すと、
「私達にとっては長かったんだよ」
とサラが補足した。
「レイに関する噂が出回ってる。元々飛び級生は注目される存在だから。それに、武術大会でも色々あったし・・・何か変な事あった?嫌がらせとか」
セイジの言葉には首を横に振る。
「そう。なら良いけど」
取りあえず注意くらいはしておいた方が良い、という忠告を受け、レイは素直に頷いた。
「それにしても、どうして魔力があるって教えてくれなかったの?」
ふてくされた様子のマリアがレイに聞いて来る。
「必要ないと思ってたから。まあ、その内バレた時で良いかな、って思って」
本を読みながら答える。
「何か、水くさい」
セイジが不満そうに呟く。レイはセイジに視線を向け、
「これでも、他人よりは仲良く接してるつもりなんだけど」
そのレイの言葉には全員が違和感を感じた。
「レイは、何処となく人とずれてるよね」
「そう?」
「そうよね。普通、本当の友達はそんな風には思わないから」
「へぇ、そうなんだ」
そんな事を口にしつつも、レイの感情は全く入っていなかった。ただ形式的に口にしただけだ。
(普通、か。私は普通じゃないからね)
人が怖い。
何を考えているのか、分かってしまうから。
人が憎い。
大切な者を傷つけるから。
愛する人は血の繋がった家族だけ。
家族の愛しか知らなかったから。
その後に知った愛は、知るのが遅すぎた。その時にはもう、私は愛を拒否していた。
「レイ?」
サラの声が耳に届いた。いつの間にかボーッとしていたらしい。
「何?」
そう聞いたが、サラは言葉に詰まる。何秒か黙っていた後、
「なんか、ボーッとしてたから・・・・・・」
「特に大した事は、何も考えてなかったよ」
「そ、そう」
少し不安だったのだ。黙り込んだレイには何の表情も浮かんでいなくて、何処かへ消えてしまいそうな気さえした。
「何でもないよ」
もう一度繰り返したレイはサラの心を見透かしているようで、ほんの少しだけ恐ろしかった。
「そろそろ帰るね。色々あってアルに早く帰るように言われてるから」
本と鞄を手にしてレイが部室を出て行った。その時、レイが居た時に感じていた威圧感が消えた。
「言っちゃいけない事かもしれないけど、レイが怖かった」
マリアの言葉に、セイジも頷いた。サラは頷く事はなかったが同じ事を考えていた。
「レイの魔術だが、今まで見た事もないような対戦だった。レベルが違った」
「魔力はよく分からないけど、威圧感は凄かった。いままでどうして気付かなかったんだろう?」
レイの本質は変わっていないのだろう。だが、雰囲気が変わってしまった。
「変わったのはレイの方だけど、レイが変わったのを感じて、私達も変わっているのよね。・・・・・・それが、良い方なら良いけれど悪い事なら私達の方が変わっていると思う。レイは、雰囲気は変わっていても態度は変わっていない気がするから」
サラの言葉に全員が沈黙した。
「今まで通り。それが一番難しい」
ポツリと漏れた誰かの言葉は全員の心に響いていた。
レイの変化に5人は戸惑い気味です。そして、レイも色々とお疲れ気味です。