78:不可抗力の出来事(後)
レイはファラルと共に校舎の中を歩いていた。魔獣には遭遇し、襲われた瞬間だけ倒す事にしている。それでも2人が歩いた後には血が点々とついている。
「頭、痛い」
入る直前は楽しそうな様子で血色のいい顔をしていたが、今は既に疲れた様子で青白い顔をしていた。フラフラとした足取りで、それでも魔獣が襲いかかって来るとファラルが動く前に動いて倒していた。
「魔力のバランスが崩れている。急激に魔力を上げたせいで体に無理が生じたんだろう」
淡々とした口調でファラルが診断を告げる。レイにもその事は分かっていた。
「歪で、難儀な体ね」
レイはそう呟いて、立ち止まった。
「あっち、か」
正確な場所が分からないので感覚を使って探っている。それでも入学試験の時に来た事があるので構造は分かっている。
レイとファラルはある部屋の前で立ち止まった。
「ここ、見た事がある気がする。記憶の中で」
部屋には召還陣資料室と書かれていた。
「ああ、そうか。どっかの見本の陣に触った瞬間繋がる筈の空間を変えたんだ」
どうやって学園に歪みを繋げるのかは分からなかったので何パターンか考えていた中の1つにその考えもあった。もう1つ有力だったのは召還魔法を使う生徒の魔法を無理矢理歪みに繋げるというものだった。だがその場合には生徒の将来がかかるので実際にそうなるのかどうかは微妙な所だった。
扉に手をかけると一瞬時が止まる感じがした。レイの脳内には部屋の中の映像が浮かぶ。
室内には一応配慮をしているのか神かレオモンドがかけた結界が張ってあった。だが、あくまでも人と資料限定だったので校舎等の被害は甚大だ。
「校舎を直せ、という事になるのかな?」
レイはそれだけ言うと扉を蹴った。歪みは総じて黒色をしていて不意にそこに現れている。歪みと言っても、そこから魔獣が出て来るタイプと、その付近に出て来るというよりも急に出現するタイプがある。今回は校舎の至る所に出現するタイプだ。
レイの薄緑の筈の瞳は黒く染まり、薄茶色の髪は闇を彷彿とさせた。ファラルの深緑の瞳も血の赤に染まり、濃い群青に近かった筈の髪は闇を彷彿とさせた。
『闇より生まれし 異界への歪みよ 消え去れ』
手をかざしながらぞんざいな口調で言葉を紡ぐと風が巻き起こり、歪みを包んだ。その瞬間部屋に魔獣が現れ、レイがかざしていた手に襲いかかった。レイはかざしていなかった手でもう一方の手を庇った。
魔獣はかばった方の手に噛みつき、食い千切った。その魔獣はレイの腕をゆっくりと味わうように咀嚼した。牙の見える口元からは血が溢れ、骨が折れる音が聞こえる。
レイは軽く眉を顰めただけだったが食い千切られた腕からは大量の血が噴き出すように流れている。自分の腕を食い千切られた事に無頓着のレイとは対照的にファラルは顔に鬼神の如き表情と殺気を纏い、レイの手を飲み込んだ魔獣に近付き、蹴り上げるとゆっくりと直ぐには殺さないように剣を突き立てていく。尻尾から始まり四肢を全て切り落とすと、眼球を抉り、舌を切り落とす。丁寧とも言える作業で魔獣は息絶える事も許されなかった。
「容赦ないね。その状態で何年生かすの?」
ファラルは答えなかったが、暫く生かした後に魔獣の存在など忘れたように振る舞い、餓死させるのだろう。という考えに行き着いた。
ファラルが魔獣を消したのを見た後、レイはもう一度「容赦ない」と呟くと興味を失ったかのように薄くなった歪みを見つめた。
千切られた腕から流れ出る血は止まる気配が全くない。だがレイには歪みを消すという役目があり、治療する暇がなかった。ファラルがレイの手の無くなった腕を持ち上げると、流れる血を飲み始めた。すると流れる血は段々と少なくなり、ついには止まった。だが、千切られた腕は肉が見え、骨が見え、血が滲んでいた。
「手の一本や二本、どうなったって良いのに。今までもあった事だし。その以上の事だったあったのに。毎回毎回、何をそんなに怒るの?私は普通と違うって分かってるでしょう?」
「黙れ。私は私のやるようにやり、したいようにする。お前を傷つけるモノには報復を、それは私自らが決めた事だ」
「それが私自身であっても?」
「当たり前だ」
レイはその言葉に嬉しそうに、可笑しそうに、そしてどこか悲しそうに、寂しそうにクスクスと笑った。
漸く歪みが消え、魔術が終わると崩れ落ちるかのようにレイはその場へ倒れ込んだ。ファラルは直ぐさまレイを抱きかかえた。レイの髪も目も元の色に戻っていた。ただ1つ、食い千切られた腕を除いて。
手の無くなった腕を一瞬だけ痛ましそうに見たファラルに気付き、レイは微笑んで、
「大した事じゃないわよ」
と血の気の引いた青白い顔で言った。その時、開け放したままの扉から何人もの人間が部屋に入って来た。
「レイ!」
先ず最初に呼ばれたのはレイの名だった。名を呼んだのはアルだった。ファラルが扉の方を振り返ると息を呑む声がした。ファラルの髪と目は闇のような黒と、血のような赤のままだったからだ。
何時の間にか、レイの食い千切られた筈の腕が元通りになっていた。
目の前に居る闇と血をその身に宿す男は誰だろう、と一瞬考えた。先ず部屋に入って一番最初に見えたのはレイの長く美しい薄茶色の髪だった。誰かに抱え上げられているのを見て、思わずその名を叫ぶと、レイを抱えた男がゆっくりと振り返った。
一瞬、状況を忘れ魅入ってしまう程の美貌だった。赤い瞳は、魂を奪われそうな恐ろしい感じがすると共にその目に見つめられている事に喜びを感じる気持ちがあった。
黒髪は別に良い、問題なのは魂を奪われそうになる血のように赤い瞳。それは、悪魔の証。
「ファラ・・ル?」
いち早く正気に戻ったのはアルだった。髪も目も違うが、顔の造作、背丈、雰囲気が同じだった。アルが名前を呼ぶと、何時もは表情をあまり動かさない筈の彼が口元に小さく笑みを浮かべた。
「何故!」と訪ねようとした瞬間眩いばかりの光が部屋を包み、全員が目を閉じた。次に目を開けると、部屋に居る者の数が増えていた。
(バレた)
レイはアルの声を聞きながらそう思った。アルはファラルの正体に必ず気付く。
(そろそろ、神とレオモンドが来る。それに、もう1人?)
部屋に人間が近付いて来るのに気付いた瞬間、先程まで無かった方の手が近付いて来る強大な力の塊にまた消えてしまわないように必死に留めようと努力する。今の所、手に感覚はない。今の状態では少し動かすのが精一杯だ。物を触ったり、掴んだりは出来ないだろう。だが時が経てばもとの手のように使えるようになる。
普通、切断された手は強力な治癒魔法と切断されたものが無ければ元通りになる事は無い。また、くっついたとしてもそのままくっつく事もあれば、場合によって腐り落ちる事もある。
(わざわざ言わなくても良いか)
自分の手を軽く見てそう判断すると、次の瞬間に起こるであろう事を想像して身構えた。
辺りが光に包まれるがレイもファラルも目を見開いたままある一点を見つめていた。
その内光がおさまり、レイとファラルが見つめている場所には何者かが3人立っていた。1人はレオモンド、他の2人の内1人は誰もが知っている人物。もう1人は黒と赤の髪と瞳を持っていた。
「久しく顔を見ていなかったな。息災だったか?」
「見ての通りです。イシュタル」
「見ての通りと言われてもな」
「御託は良いですから、早く事情説明をして下さい」
「私の言う事は御託か?これでも一応お前の事を心配しているのだが」
レイはファラルに頼んで既に降ろして貰っていたが、それでもファラルに体を支えてもらっている。レイは神であるイシュタルを見て思いっきり顔を顰めている。その顔は“迷惑”と物語っていた。
「さて、本題に入るか」
めまぐるしく変わって行く話にアル達はついて行けなかった。それとともに直ぐに反応も出来なかったが、ハッとした瞬間に神に対する礼儀として跪いた。
「ああ、今は別に礼儀には構わんよ」
神がやんわりと礼儀が必要ない、と言う。そして、
「さて、関係のないものは今見た事を全て忘れ、立ち去るが良い」
そう言った瞬間、アル以外の兵士達が倒れていた男も連れて部屋から出て行った。部屋の人口密度は減ったが、その分アルにかかる重圧が増した。漸く、神が口を開く。
「今回の事は、私が仕組んだ事だ。レイが居るので無理矢理ここに歪みを移動させたのだ。本当は学園付近の町中に現れるモノを、な」
「・・・・・・」
神の言葉にアル達は言葉を失っていた。幸い今回は死者が出なかった。気を失う者は多くいたが怪我人は少なかった。歪みが学園内に出来たのに、だ。
「レイには、その歪みを消してもらったんだ。今は感じるだろう?レイの魔力を」
レオモンドがそう言ってレイに視線をやる。
「この部屋では、君の術は意味の無い物だ。全員が君が何者かを分かっている」
言葉の意味に気付き、ゆっくりとアルが瞬きをした。次に目を開いた時にはアルの琥珀の目は黒へと変化していた。
「さて、漆黒よ。お前には訊く権利がある。時間の許す限り、答えられる範囲まで、答えよう」
悠然と笑みを浮かべた神は、レイに冷めた目で見られ、息子に睨まれていてもその視線に耐えていた。
「では、まず・・・・・・ファラルは、悪魔なのか?」
聞きたい事を神ではなく、ファラル自身に問いかけた。ファラルは無表情のまま頷く。
「では、ファラルとレイの関係は?」
「契約よ。私はファラルと契約してるの」
レイがにっこりと笑って答えた。アルの顔がサッと青くなるのが分かった。説明が足りないのも分かっている。だがそれはレイが説明する必要は無い。するべきは、
「君が考えているような事は無い。あり得ない、と言っておこうか。2人の契約は人界では一般的ではないからな。それに、2人の関係がバレなかったもの、君等と出会ったもの、我らが仕組んだ事だ。暫くは、君以外悪魔の事を覚えている者は居ないだろう。それでも、君等の思っている悪魔としてファラルが暴走を始めれば止めに入る事を約束しよう」
神がちゃんと説明を行った。ファラルが付け加えて、
「俺が、レイの魂を喰うわけがない」
と言った。俺、と自分のことを言っている辺り、静かに怒っているらしい。怒った時に時折“俺”と言う事がある。そんな時にはこれ以上その話題を出さない事が肝心だ。
何となくその事を感じ取ったのかアルはそれ以上聞く事は無かった。神が保証したのもそれ以上聞かなかった理由の1つだ。
「レイは、何者だ?魔法を、使えるのか?」
「前にも同じような質問をされたね。私は私。レイという存在。魔法が使える事は隠してたけど、でもほぼ完璧に抑制してるから無い時は全く使えないようにしてるから」
自信を持って言いきっているが、普通は隠すものではない。
「なぜ、レイは神々と知り合いなんだ?なぜ、神々がレイに依頼をする?」
「私が少しおかしい存在だから、気になって監視してるんだよ。多分、アルの事も見てるよ?運命とかに干渉し難いんだって漆黒とか特別な存在は。これ以上深い事は言うつもり無いけど」
面白がっているような表情の中に関わるな、という警告を感じ取り、アルはそれ以上聞く事を諦めた。
「ファラルは、本当に害は無いのか?」
「多分。断言は出来ないけど暴れるなら魔界に送り返すし」
その質問にはレオモンドが答え、チラリと隣に立つ悪魔らしき男を見つめる。
「先程から聞きたかったが、彼は?」
どう切り出そうか迷っていたらしいアルは漸く悪魔らしい男の事を尋ねた。
男は待っていた。
抱きしめたいと思っていた。
声をかけたいと思ったいた。
だが、出来なかった。止められていたのだ。声をかけられたら言葉を発して良い、と言われて。
そして、その時が来た。
何よりもまず彼女の体を抱きしめた。
「会いたかったよ、レイ。初めまして」
「初めまして」
周りの空気を一切無視していきなりレイを抱きしめた黒髪赤目の男は先程までレオモンドの隣に居た筈だ。それがいつの間にかレイを抱きしめていた。
挨拶を交わした瞬間、その男は歓喜に酔いしれていた。彼女が、レイが自分に対して声をかけてくれていると思うと時折無いのではないか?と思う程動かされる事の無い心が動く。
愛しい 守りたい 優しくしたい 可愛がりたい 甘やかしたい
彼女の為に動く事を厭わない。
そう思った瞬間、横から物凄い衝撃が男を襲った。近くにあった棚にぶつかる。めり込んだ、と言っても良い。
「誰が、勝手に、触れていいと言ったか?」
レイはファラルの腕の中にすっぽりと収まっていた。上を見上げるとそこには見てはいけない類いの表情を浮かべたファラルが居た。
声は地獄の底から沸き上がるかのような低く恐ろしい声だ。レイは片手を上げるとファラルの頬を引っ張った。すると、ファラルの意識はレイに向けられ雰囲気が軟化した。
「いきなり蹴るのは酷い。ただ私に抱きついただけでしょう?それに、ファラルの弟さんでしょう?」
「許可無く触れるものは、我が弟であろうと許さん。いや、弟だからこそ許さない」
会話について行けてないアルは、ぽかん、とした表情を浮かべていた。
「いっ、たー・・・・・・本気で蹴らないで下さいよ、兄上。・・・・・・周りを見ずに突っ込んだ事は謝罪いたします。申し訳ありません。ですが、気持ちも察して下さい!初めてなんですよ!会ったの!ずっと、ずっと、ずっと!!会いたいと思っていて、やっとチャンスが来たんです!あの奪い合いに勝つのにどれだけ苦労したか!兄上は良いですよ、何時もレイに会えるんですから!でも僕たちは偶にしか会えないんですよ」
「知るか」
バッサリ切った。ファラルの目は相変わらず冷ややかだ。
「それよりも、質問に答えたら?」
レオモンドが口を挟む。そこで漸く自分がまだ名乗りもしていない事に気付いた。
「ああ、僕の名はシアド。そこに居る者の弟です。因に、魔界の第五王子」
簡単すぎる程簡単な紹介だったが語っている内容は深かった。
「・・・と、言う事は・・・ファラルは魔界の王子?」アルが愕然と呟くと、
「兄上は第二子です。現在は長兄が魔王の座に就いています」
シアドが説明する。だがアルの頭は色々な情報が一気に入りすぎた為混乱状態にあった。
「さて、そろそろ時間だ。他にも質問したい事があればレイに聞け。レイの魔力は周りにもバレているだろう。すまないが、後の対処は任せた。我々はこれからちとやる事があるからな」
神の言葉にシアドが愕然とした表情になる。まだレイとともに居たかったのに、と不満を露にしている。
「さて、帰るぞ。ああ、我らとレイの関係は他言無用だ。勿論、レイとファラルの契約の事もな。時が来るまでは隠しておいて良い事だ」
3人の姿が段々と薄くなっていき、そして消えた。
夢を見ている気分だった。
先程まで神々が自分の目の前に居た事も、魔界の王子とあった事も。ファラルが魔界の王子だという事も、レイとファラルが悪魔と人間として契約を交わしている事も。
考えてみると、夢であって欲しい気分だった。
「アル?大丈夫?」
笑みを浮かべながら自分を見つめて来るレイを見て、よくわからない感情が自分の中に生まれるのを感じた。自分の顔が強張るのを感じる。
レイとファラル、2人が契約を交わした人と悪魔という事実に沸き上がって来るのは黒い感情の塊だ。その事に気付くと自嘲の笑みを浮かべた。
「何時から知っていた?私が漆黒だって事を」
「最初から。賊を追いかけて来たアルを屋上から見てた」
「私が2人を知る前からか」
アルの笑みが深まる。レイはそんなアルをジッと、ただ無表情に見つめていた。
「全て、2人が仕組んだ事か?」
「いや、出会ったのは偶然。神が仕組んだ必然かもしれないが私もファラルも何も知らなかったから」
「そうか・・・・・・」
長い、長い沈黙が3人の間に流れる。アルは2人を見つめていた。黒く、暗く、冷たい目で。
「私は、悪魔と人の契約を認めない」
そう言ってレイとファラルの関係を拒絶した。
「アルの叔父が、悪魔の研究に手を出したから?その所為で一族が辛い目にあったから?」
レイが淡々と語る言葉にアルは目を見開いた。
どうしてその事を知っているのか、と。
「アルの叔父には、あった事がある。もう死んでいるけどね。私とファラルが出会ったのはその叔父がファラルを召還したから」
「何故、私の叔父だと?」
「アルの記憶を読んだから」
何でも無い事のように言うレイにアルの頭は痛くなる。だが、叔父の話を聞いて知りたい事も出て来た。
「外へ出よう。事情を説明しなければならない。ファラル、君の処遇は私が決める。レイ、君は学園での立場が変わる事になるかもしれない。2人とも、覚悟をしておいてくれ」
その言葉にレイはただ笑っていた。
校舎からアルとレイ、そして髪と目の色を変えたファラルが出て来た。
「レイ!」
カナタが駆け寄って来ようとするが、アルに阻まれる。
「すまないが、今レイに接触するのはやめてもらおう」
「と、言う事らしいから。どうせならマリ達に私が無事ってこと知らせてあげてくれない?」
服に所々血痕がついているが、レイが怪我をしているようには見えなかった。それよりも気になった事は、
「魔力が」
カナタの呟きにレイが困ったように苦笑した。
「余裕が無くなってね。今まで大部分隠してたのに」
その言葉にカナタは少し顔を引きつらせた。感じる威圧感が半端じゃない。強固な結界を見てから予想はしていたがこれだけの魔力をあれほどまで完璧に隠せるのは難しい。
「バイバイ。次また会える時が来るのかは分からないけど」
冗談めかして言うレイにカナタの思考が一瞬停止した。引き止める間もなくまた歩き始めたレイは一度もカナタを振り返る事は無かった。
ファラルは魔界の王子です。強さの理由が分かっていただけたでしょうか?
レイとファラルの関係がバレました。アルは悪魔との契約に潔癖な所があるので、これからレイとファラルがどうなるのか?を書いて行こうと思っています。