75:疑惑と試験発表
「化け物だ、あんな娘がこの惨状を作り出したなんて、信じられるか?」
「容赦ないな。そんな娘を引き取るなんて、アルシア隊長凄いよな」
死体の処理をしながら兵が囁き合う。その様子を見ながらアルは溜め息を吐いた。
(色々面倒な事になりそうだな・・・しかし)
レイの暴れた後は凄い事になっていた。何人かの新人が外に出て胃の中の物を吐き出している。こんな光景をロリエに見せる訳にはいかないので部屋の洗浄はアルの役目になるだろう。
「隊長!盗品と思われる品がある部屋を幾つ、か・・・」
意気揚々と部屋に飛び込んできた兵の一人が部屋に入った瞬間顔面蒼白になる。部屋はアルの魔法で血の匂いが屋敷内に籠らないように窓からだけ出るようになっているので不用意に飛び込むと一気に変わった空気に気分が悪くなるだろう。
「報告ご苦労。照合するために持って帰る。積み込んでおけ。勿論、壊さないように。場所が足りなければ応援を呼べ」
「は、はい」
口元に手を当て涙目になった兵はアルの指示を聞くとそそくさと部屋を出て行った。
「これで最後です」
血に染まった死体を兵が担架で運んでいく。見てみると部屋には血痕などが残るだけになっていた。それでも匂いはとれない。
「出ていろ。巻き込まれないよう他の者にも伝えておけ」
指示をすぐさま理解し部屋を出て行く兵達全員を見送った後、アルは血だらけの部屋をじっくりと見た。
至る所に血痕が飛び散り、血溜まりの中を踏み歩いたせいで足跡が血で描かれている。壁に飛んだ血痕の中には小さな肉片が見える。
全体をゆっくり見回した後、アルはおもむろに右手を前に出し、手のひらを上に向けて言葉を発する。
『清廉な風よ 清らかな水よ 深紅の血をとかし ここに集めよ』
ゆっくりと部屋の空気が変わり、アルの目も琥珀から黒へと変わっていく。みるみるうちに落とされていく血は渦巻いてアルの右掌の上に球体を形作る。
『固まれ』
最後の言葉で大きかった球体が程の大きさに変わった。血を凝縮したものだ。掴んだもの赤というよりも黒く、ずっしりと重量感がある。
部屋の中は血がついていた形跡など跡形も無くなっていた。
『消えろ』
アルの手に闇が現れた。血の塊が闇に包まれ、消えた。そのとき、屋敷内にいた魔術の心得のあるものには戦慄が走った。
「ファラル」
先程まで持っていた血の塊が消えた手のひらを見ていたアルはいつの間にか目の前にいたファラルを見て驚いた。気配が全くしなかった。
「レイは?」
ファラルはレイを連れて帰ってまた戻って来たのだろう。それでも魔法を行使している最中に来なくて良かった、と思う。
「館の浴場だ。冷水でも浴びている。目が黒いままで外に出る気か?」
「・・・いや、色を変えるよ」
意外だ、と言う目でファラルを見つめた後、瞬きをするとアルの目は黒から琥珀に戻っていた。
「驚かないのか?」
「何にだ?」
「私の目が黒い事に、だ」
「別に何の感銘も受けないが?ただの漆黒だろう」
さもどうでもよさげなファラルの態度にアルは苦笑を浮かべた。
「確かに、神と比べれば凄い存在でもないな」
扉を開け、部屋の外へ出る。ファラルもその後に続く。廊下を歩きながら、アルはファラルにレイの事を聞く。
「レイの様子は変わりないか?」
「特に無い」
「そうか」
会話が続かなかった。聞きたい事は多くあるが聞いていい事なのかは分からなかった。
「レイと神は、どんな取引をしているのか教えてもらう事はできないか?」
「本人に聞けば良い」
結局知りたい事を聞く事はできなかった。
「レイの剣の指南はファラルがしていると言っていたな」
「そうだ」
「どんな鍛え方をした?13で出来る事ではないぞ」
「スパルタだ。魔物の巣窟に一週間程放り込んだり、盗賊集団を壊滅させたこともあるな」
思い出を語るような口調で言うファラルに、アルの方が顔を蒼くした。
「よく生きていたな」
「・・・・・・」
ファラルはアルの言葉に何も返さなかった。
「鉄臭い・・・」
冷水を浴びながらレイは呟いた。体に水をかける度に赤い液体が流れて行く。髪の毛が血で固まっていく。冷水を頭から被っているが寒がっている様子は全くない。
黙々と水をかけて行く。暫くして漸く流れて行く水が赤くならなくなった。
「こんなものか」
水をかけるのをやめる。もしここに何も知らない他人がいればレイが水をかけ始めた時点でレイを止めていただろう。レイの体温は普通の人間なら死んでいる、と思う程冷たくなっている。だが、レイは全く顔色を変えていなかった。
使っていた道具を片付けるとお湯をかける事無く外へ出た。ファラルが用意したのか柔らかい真っ白なバスタオルとゆったりとしたデザインのワンピースが置かれていた。血だらけだった制服は既に新品同様になって着替えの横に置いてあった。
体を拭いて着替えると、制服を持って自分の部屋へ向かう。部屋に入ると机の上に服を置いて直ぐにベッドに向かった。最近は調子が悪く体のバランスが取れていない。
「使ったのにな・・・」
呟きは誰にも聞かれる事はない。少なからず周りの影響を受けているのだろうがそれだけではないだろう。
ゆっくりと目を閉じると重い倦怠感が体を襲った。無意識に胸を掻きむしり、体を丸めて何かを堪える様に耐える様に顔を歪める。
どれほどの時間がたったのか分からなかった。ノック音の後扉が開く、傍らに人の気配が感じられた。被った布団から顔を出し、自分を心配そうに見つめる顔を見上げる。
「レイ?大丈夫か?」
聞こえて来た声はファラルのものではない。それは分かっていることだった。
「平気。眠いだけ」
レイは微笑みながら自分を心配そうに覗き込んで来るアルを見つめ返した。
「それならいいが・・・。無理はするなよ」
その言葉にレイは素直に頷く。だが、内心は全く違った。
(無理をしなければ、どうしようもない。この体は・・・)
冷めた頭でそんな事を考えているとファラルが部屋へ入って来た。レイとアルに一瞬視線をやるが、何を思っているのかは分からない。
ベッドに近付くと、レイの布団を剥ぐった。アルが目を見開いて唖然としている。
「起きろ」
「はい」
大人しく起き上がり、体をほぐすと立ち上がる。アルが慌てて、
「休ませた方がいいんじゃないか?」
と提案する。レイは苦笑を浮かべて、ファラルは無表情に、
「「鍛錬を怠る訳にはいかない」から」
と言った。初めて見た時以外2人の鍛錬の様子を見た事が無い。一度だけ見たときは恐らく本気を出していなかったのだと、今になって理解出来る。
「様子を、見ていてもいいか?」
「構いませんよ」
レイはにこやかに返した。ファラルは相変わらず全く表情を変えない。
部屋から出た3人は屋敷の裏手に回った。
「例え、どんな鍛錬でも口を挟まないで下さいね」
レイがやんわりと、だが有無を言わさぬ口調でアルに警告を与える。アルは苦笑しながらも「分かった」と答える。だが、直ぐにその言葉を後悔する事になる。
これ以上隠す事も出来ないのでブレスレットの飾りから適当に1つをとる。交差した2本の短剣だった。
「久々だ」
飾りが短剣へと一瞬で変わる瞬間はアルにとって衝撃だった。
「レイは、魔法が使えたのか?」
「違うよ、これはファラルの魔法」
くるくると短剣を手の中で動かす。アルが見る限り、レイの持っている短剣も、ファラルの持っている長剣も刃の潰されていない真剣だった。
「かかってこい」
ファラルの言葉に、2人の言う“鍛錬”が始まった。
目にも留まらぬ速さでレイがファラルに襲いかかる。ファラルは一歩も動かずに、レイが懐へ入ろうとした瞬間に剣を薙ぐ。金属がぶつかる音がしてレイの体が宙を舞う。空中で体勢を整えている時にファラルが切り掛かる。アルの背筋が一瞬ゾクリとするがレイは顔色1つ変えず器用に体をひねって剣を避けた。
着地した瞬間に、短剣の1つをファラルに投げつける。ファラルは剣を使って短剣を弾き返す。弾き返された短剣がレイの顔に返って来る。レイは一瞬の判断で返って来た剣を素手で受け止める。
顔色を変えずに行われるその“鍛錬”をアルは“殺し合い”としか表現出来なかった。それでも先程のレイの言葉に頷いてしまったので介入は出来ない。ファラルを見れば平然としている様子なのでギリギリの所で手加減はしているのだろう。それにしても、
(容赦のない・・・)
迷い無く踏み込んで行くレイを無表情に見つめながらファラルは剣でレイの攻撃を全て防ぎ、瞬時に攻撃にまわる。剣だけでなく体術を交えているので、何度かファラルの蹴りがレイの鳩尾に入り、地面に衝突して咳き込む。それでもレイは怯む事無くファラルに向かって行く。
手に汗握るとはまさにこの事だった。ファラルは倒れたレイの首を目掛けて勢いよく剣を刺そうとするときがあった。レイは紙一重でそれを避け、ファラルの剣は深く地面に突き刺さる。
短剣をファラルの頭部に向かって投げた瞬間、レイは剣でその短剣を払うであろうファラルに向かって走り出した。ファラルの懐に入り、心臓目掛けて短剣を振った。
全ては一瞬だった。レイの体が地面に落ちる前にファラルがその体を受け止める。
「今日はここまでだ」
「また負けた・・・」
レイは自分の頸部をさすりながら沈んだ目をして呟いた。レイの首には普通なら骨折するような衝撃がぶつけられたのだ。咄嗟の判断で骨折はしないように衝撃をずらしはしたが、本当の刃の部分でやられていれば死ぬ。
「短剣キャッチしてその柄を当てる、か・・・。絶対に弾くって思ったのに!それでも、勝てたかどうかは自信無いけど」
レイは茫然としているアルを見てニッコリと笑った。ファラルもアルを見つめる。2人の雰囲気は、口外するな、と言っていた。
(口外する訳にはいかない。確かにそこらの兵士より強いが・・・強すぎる力は、自分を縛る鎖となる)
自分の様に縛られる事態に陥るのは避けたいと思った。
「レイ、怪我はないか?」
心配そうなアルの言葉にレイは一瞬驚いたような顔になったが、直ぐに笑みを浮かべて頷いた。その様子にアルはホッとした表情になる。
腕を掴まれる感覚があった。腕を掴んだのはファラルで、交差した短剣の飾りがレイの手のひらに握られた。直ぐにブレスレットにつけると、ブレスレットを見たアルが「見ても良いか?」と聞いて来た。レイは素直に見せるが外す事は無かった。
「これが、全て武器になるのか?」
「うん。一通りの武器が小さくなって金属に変わってるって言えば、分かり易いかな」
珍しそうな顔をしているアルを見て一応言っておくべき事かもしれない事を言う。
「多分、大量生産とかは出来ないと思うけどね。使うたびに作った人の魔力を大量に吸って原型に戻るから。大量生産なんかして複数の人が同時に使えば作った人が死んじゃう。作るのにも大量の魔力がいるみたいだしね」
その言葉にアルは「そうか」と呟いた。ファラルの魔力の数値がどの程度なのかは未だに分かっていない。もしかすると《漆黒の者》である、アルよりも強いかもしれない。
(《双黒の者》であれば分かる。だが、ファラルは双黒ではない。とすると、同じ漆黒か?)
アルはファラルを眺めながらそんな事を考えていたがその考えは的外れだった。
ファラルに対する疑惑は深まるばかりだが、今考え込んでいるアルがファラルの本当の正体を知るのはそう遠くない未来。
試験発表のせいで放課後にクラブは無い。だが、部室には部員と約一名の部外者が全員揃っていた。
「試験か〜」
憂鬱そうなセイジの声にレイは読んでいた本から顔を上げた。
「レイは勉強しないの?」
現在部室にいる6人の内5人が教科書やノートを見つめている。レイだけが本を読んでいたのだ。
「・・・した方がいいの?」
本を閉じて、質問して来たマリアに質問返しする。
「そりゃ、レイは飛び級だから勉強が出来るのは重々分かってるけど・・・先生の出す問題、えげつない問題が多くて油断してると悲惨な点とる事になるよ?」
「ふーん」
レイにやる気は見られなかった。マリアが書いていた問題の解答に視線を向ける。
「マリアってさ、暗記系が苦手?物事を関連して考える事とか」
「・・・分かる?そんなに酷い?」
「授業見てれば分かる。物事を関連して考えるには_______のが有効だから、無理して全てを暗記しても混乱することになる」
「分かった。凄いね、分かり易い説明。レイは教師に向いてそう」
「じゃあ、ここ分かる!?」
セイジが藁にも縋る思いでレイの目の前に今しがた解いていた問題を出す。科学の計算問題だった。
「ここは、量を揃えないといけないからこっちにこの量をかけて______で、答えが出る」
レイはスラスラと解き方の説明をしながら解答を導きだして行く。
「レイは、心配なさそうだね」
マリの苦笑を含んだ言葉にカナタも頷く。その時、サラが魔術の問題に頭を悩ませている事に気付いたのかカナタが声をかける。
「ここの呪文、何だったかな?」
「ああ、ここは_____で_____と続く。肉体に直接働きかける事を表す言葉を忘れなければ大丈夫だ」
ふと、聞きたかった事を口にする。
「皆の学校の成績は?」
そのレイの一言にマリアが少し考えてから、
「マリとカナタが総合的に良いかな、マリは本当に総合で、カナタは魔術の実技では学年1位らしいし。サラは魔術の実技が苦手みたいだけど歴史とかなら凄く良い。私は数学だけが自信あって、セイジは剣術の実技が得意。だったと思う。レイは未知数ね」
「でも、基礎はしっかりできてるよね?」
「そりゃ、一応帝国立の学園だからね。狭き門を潜ると頭のいい生徒はそこら中にいる。それこそ、大陸中から集まって来てるんだから。その中で結果を出すのは並大抵の努力では無理だから」
「カナタの魔術科学年1位なんかスッゴイ事なんだよ?」
マリアとレイの言葉にレイは特に何も感じなかった。
(私の感覚が狂ってるんだろうな・・・)
そう思うと急速に何かが冷えていく感覚があった。“自分は、人と違う”そう思った瞬間、サラが弾かれた様にレイを見つめた。
「サラ?どうかしたの?」
カナタが不審そうにサラを見つめる。サラにはカナタの言葉が耳に入っていなかった。一瞬、例えようのない雰囲気がレイから発せられたのだ。レイもサラをチラリと見つめ返した。既に変な雰囲気は消え失せていたが、それでも何処かに違和感を感じた。
一方、レイの方も内心では頭を抱えていた。
(制御が緩くなってた。サラに伝わった事を困るべきか、全員に伝わらなかった事を喜ぶべきか・・・)
「レイ、ここは?」
「うん、どれ?」
マリアに声をかけられて取りあえず、思考を中断する。こういう場合は他の事を考えるに限る。
「ああ、そこはここの公式を使うんだよ。で、求めるのは合計と合計の差だからここにこれを当てはめる」
「そっか。こういうことなんだ!ありがとう」
「いえいえ、御安い御用ですよ。分からなければ聞いて、分かれば解き方とか教えるから」
ニコニコと笑ってレイが答える。そう言えば、とマリが口を挟む。
「レイって、教え方上手いよね。分かり易いし、自分で考える様に教えてるし。課題の時も、あの本の内容を全部理解するなんてあの短期間では無理、って思ってたけど教えてくれたから分かったし」
「分かります。課題をした後、薬学の授業が分かり易くなりました」
サラが会話に混じる。先程の事は気のせいだ、と割り切ったのだろう。
(一瞬で良かった)
ホッとしている所に、カナタが口元に小さな笑みを浮かべながら、
「だが、正直レイ他人に勉強を教えるのが得意だとは思わなかった。気に触るかもしれないが、自分以外の人間を放って置くタイプだと思っていた」
とハッキリと言った。サラが慌ててカナタに注意する。雰囲気が少しずつ悪くなって行く。恐らくカナタはレイの事を未だに少なからず良く思っていないのだろう。謎が多い上に、本心を悟らせないのだから当たり前の事かもしれない。寧ろ、それは警戒心の少ないサラを守る為かもしれないと思うと微笑ましくも思える。
先ずは悪くなった空気を払拭する為に、堪えていた笑みを漏らす。
「フッ、・・アハッ。・・・クッ、フフ、ハッ・・・アハハハッ」
急に口元を押さえて笑い出したレイに全員がギョッとした顔になる。困惑顔の5人を他所に一頻り笑うと、笑っているうちに出て来た涙を拭って口を開く。
「あ〜あ、笑った〜。私がそう思われてるなんて、可笑しくて涙まで出て来た。・・・放って置く、というか、一番切り捨ててるのはファラルだよ。いざとなれば誰であろうと切るだろうし、私の意見を無視して暴走しそう。私の場合はどうでもいい人は放って置いたり、他人を切り捨てたりしてるけど例外もあるよ。一応、お世話になってる人とか、仲間とか、友人とかは切り捨てない。勿論、事情があれば別だけどね」
そう言いつつも、レイが笑ったのは別の理由だ。
(本質を捉えた言葉だけど、少し優しい表現だね。他人で、目障りなら放って置くどころか完膚無きまでに叩き潰すか、殺すかのどっちかなのに・・・。まあ、今はそんな事出来ないけどね)
そう思いつつ、もう1つの本音も告げる。
「それに、勉強を誰かに教えるのは好きだよ。どうでもいい人には別だけどね。誰かに知識を分け与えるのが好きな人だったからね〜、その影響かな?」
「誰の事?」
セイジが興味を持ってレイに聞いて来る。
「私の師匠と母親。これ以上は言えないけどね」
初めて、レイの口から家族の事が語られたような気がする。レイ自身もその事を他人の前で口にしたのは初めての様な気がした。
「だから、私が知ってる知識を誰かに教えるのは好きって言える、かな」
少しだけ懐かしそうな顔をしながら言ったレイに5人は声をかけられなかった。どうする事も出来ず、沈黙の中で、下校の鐘の音を聞いた。
「じゃあね」
それだけ言って、何事も無かったかの様に出て行くレイを見送った5人は、今まで抑えていたレイの過去への興味に一杯だった。
レイの師匠と母親が出てきました。話がゴチャゴチャとなってきていて私自身も混乱しています。2人の関係をこの話の前には書いているか、いないか不安です。