72:レイの弱点
「一週間、一歩も部屋から出たく無い」
扉付近では緊張感が迸る中、場違いな程の暗鬱とした呟きを漏らしたのはレイだった。
「いや、学校には必ず行け。仕置きの意味が無い。嫌なら無理矢理連れて行くまでだ」
ファラルはアルの構える剣が自分の首元にあるにも関わらず、後ろを振り返りレイに言った。
「鬼っ!こんな呪いかけて!!」
悔しそうに叫んだレイの言葉にファラル以外の全員が虚をつかれた顔になり、ファラルだけが呆れたような顔をしてまた部屋に戻る。そして布団に包まっているらしいレイの傍らに立って、布団をひっぺがした。
「触るなっ!!」
半泣きで叫んだ言葉もファラルの耳には届いていない様子だ。逃げようとしたレイをファラルが掴まえる。その瞬間、
「いやああぁぁ!!」
ファラルがレイの腕を掴んだ瞬間、レイは先程と同じような絶叫を上げた。
アル達にはレイとファラルの間に何があったのか全く分からなかった。嫌がるレイを無理矢理引っ張ってアルたちの元へ連れて行くと扉付近に居た4人はレイの様子を観察した。
制服に乱れた所など無く、寧ろ皺が所々にあるだけで状態としては汚れも無く綺麗だった。レイ自身を見ても目に少し涙を溜めている様子ではあるが何事も無い様に見える。ただ1つ、問題点があるとすれば、
「キスマーク?」
言い難い事をロリエがサラッと言った。そう、レイの首元には赤々とした跡が1つあった。
「これどうし・・・」
ロリエがその跡に触れようとした瞬間、レイはまた絶叫を上げてロリエの手を振り払った。その時にも何かあったのか今度は悲鳴を噛み殺し、しゃがみ込んだ。
「何なんだ?」
アルがそう言ってまたレイに触れようとした瞬間、レイが鋭く「触らないで!!」と叫んだ。
「自業自得だ。一週間、その呪いはとけん」
「せめて・・・3日っ・・・」
既に軽く泣いているレイを見ても触れる事が出来ず、話の内容も理解出来なかった。説明を求める視線をファラルに向けるがファラルは何も言わない。
「レイ、何があったか、言えるか?」
アルがレイに声をかけるとレイは立ち上がって少し離れる様にみんなに頼んだ。ファラルだけは聞き入れなかったが他の4人は言う通りにした。
食堂に降りると、レイは皆から離れて座る。
アル達は無理にレイに近付かず、レイの望むままにした。
「大声上げてごめんなさい」
レイは先ず、その事を謝った。そして少しだけファラルに恨みがましい目を向けると、
「確かに、私はファラルのいう通り、ファラルの忠告に従いませんでした。だからお仕置きを食らったんです。ですが、特に皆さんが想像している事はありませんでした。ファラルにつけられたキスマークは呪いです」
アルはファラルにすまなそうな視線を向けた。勘違いして剣を向けてしまったのだ。
「それで、呪いって?」
ヘルスの言葉に全員の視線がレイに向く。
「静電気です」
その言葉に全員がまたしても虚をつかれた顔になる。静電気が何だ?という顔をしているのがありありと分かる。
「私静電気駄目なんです!雷とか電撃系の魔法なら平気なんですけど、静電気だけがどうしても駄目なんです!」
レイの弱点は意外な所にあった。静電気が苦手とは誰も考えた事は無かった。
「あれ不意に来るんですよ?大して痛く無いって分かってますけど意味が分からないんです!静電気って何!?みたいに」
レイの主張は続いた。
「ファラルは酷いです!静電気が頻繁に起きる呪い何かかけて!!しかも一週間ですよ!?学校に行ったら私精神的に死んで帰る」
レイの視線の先にはファラルが居た。
「変える気はない」
その言葉にレイは項垂れた。その時、客の来訪を告げられた。
「校内大会2位?」
「聞かれてなかったんですか?」
アルの不思議そうな言葉に、先生は驚いて聞き返した。レイはアルとファラルに挟まれる様にして座っている。その顔には何の表情も浮かんでいない。
「決勝で棄権してしまったので本当の結果は分からないんですけど」
先生はそう言ってレイをチラリと見た。
レイにとっては迷惑以外の何者でもない報告をしに来た先生は選択教科の先生だった。
「普通なら伺う必要の無い事なんですが、あの様子では保護者の方に結果の報告をするのか不安に思ったものですから。それに、お話ししたい事がもう1つありまして・・・これは保護者の方の許可も必要な事で、交流試合の参加許可です」
先生はそう言って一枚の用紙を取り出した。
「取りあえず、校内ランク10位以内の生徒は参加を勧めています。レイさんは校内ランク2位、ぜひ参加していただきたいと思っています」
アルは一言、
「私はあくまでも身元引き受け人ですから、レイの保護者はファラルです。彼に決定を任せますよ」
と言った。ファラルは先生から差し出された用紙を一瞥すると、
「参加したければすれば良い。一ヶ月に伸びるがな」
「私は参加しません」
ファラルはレイに決定を任せたが、その言葉の中には明らかに脅し文句が入っていた。レイはファラルの言葉が終わるや否や先生に対して参加する意思がない事を伝えた。
「直ぐに決める事じゃないわ。じっくり考えて・・・」
「参加する気はありません」
先生がレイに言おうとする言葉を遮ってレイはキッパリと繰り返した。
「理由は?」
困った様子でレイに聞いて来る先生にレイは、
「これ以上は無理なんです。先生は私を殺す気ですか?」
と無表情に、そして真剣な顔で言った。
「あれだけの気迫が出せるんだもの。交流試合は貴女が居れば勝てる」
レイはその言葉に眉を顰め顔にはハッキリと呆れと軽視の表情を表していた。その表情に少し離れて座っていた3人と隣に座っているアル、そして目の前に座る先生は少なからず驚いていた。
段々とレイの表情は呆れが強くなり、そして口を開いた。
「学園には、生徒も教師も矜持や誇りは無いのですか?」
その言葉に感情は感じられなかった。淡々と、ただ自分の意見を述べる、という口調だ。
「『私が居れば勝てる』先生のその言葉は、聞かなかった事にします。それは学園で努力し続けて来た生徒達が積み上げて来た物を打ち砕く言葉ですから」
先生は自らの失言に気がついたらしく頬に赤みが差した。
「それに、学園に入って数ヶ月足らずの私が学園に愛校心があるとでも?」
明らかに嘲りの表情を浮かべていたレイは最後にそう通告した。
先生は既に声を出せないでいる。レイに指摘され自分の失言に気付いたとともに、レイの才能に気が付いたからといって熱くなっていた自分を恥ずかしく思った。
アルは内心先程レイが静電気だなんだと騒いで居た事を思い出し誰も気付かれない様に苦笑する。先程のレイ印象と全く違うのだ。
未だにレイの事が掴めない。子供の様に騒ぐ事は今日が初めてだが13歳と言う年齢を考えれば当然の事だった。だが今のレイを見ればとても13歳には見えない迫力と貫禄がある。
(マリア・クレイヴ・・・それはレイの筈だった。だが、手紙には・・・)
アルはそこまで考えて周りの状況に気がついた。
いつの間にかレイの表情には微笑みが浮かび、先生は何かを諦めるような溜息を吐いた。
「分かりました。レイさんに参加の意思はない、という事ですね。その意思を変える気はありませんか?」
「ありません。何かが無い限り」
「そうですか。それではこの話は無かった事に。お時間を取らせて申し訳ありませんでした」
先生はレイの両脇に座る2人に形式的な挨拶を述べると学園へと帰った行った。
レイは力が抜けた様に溜息を吐くとファラルに向かって、
「これで良い?せめて3日に減らして。1週間は流石に駄目だよ」
ファラルはレイにだけ分かる表情で、
「最初にそう設定している」
としれっと言った。レイはそれでも顔を明るくして嬉しそうに微笑んだ。その時、レイの頭にファラルが手を置いた。
レイは体を震わせただけでもう悲鳴を上げる事はなかったが、それでも痛そうな表情を浮かべた。
「少し、話がある。部屋に来てくれ、レイ。他の皆はそれぞれの仕事に戻れ」
アルがそう指示すると皆がその指示に従った。レイはアルに先導されアルの部屋へと向かった。食堂を出る前にチラリと見たファラルの表情が面倒くさそうな表情をしていたのでこれからアルに聞かされる話がどんなモノであっても、必ず面倒な内容だと理解出来た。
「レイ、これを渡そうと思っていたんだ。悪いが、中身は改めさせてもらった。あの村からの手紙だ」
アルの言葉でレイは何となく手紙の内容を理解した。
「マリア・クレイブが死んだんですね。元々、世話を頼んだのは私ですが、ここまで生かしてくれたのは彼らの力ですね。火葬を、と言っているので既に彼女の体は灰になっているのでしょう」
一通り目を通した手紙をレイは躊躇い無く破った。再生が不可能になった手紙はレイの手によって部屋の隅にあった屑籠の中へと落ちて行った。
今までに見た事の無いレイの表情がそこにあった。
「それで、アルが知りたい事は何ですか?私はマリア・クレイブを知っていますがマリア・クレイブではありません。ただの一度もそんなことを言ったつもりもないですしね」
レイは無邪気に笑った。
アルは苦々しい思いに駆られたが表情には出さなかった。レイが悪い訳ではない、アルが早とちりをしただけで。その事に、アルは自分自身を情けなく思った。
「それでは、レイは誰なんだ?」
「私は私に決まっています。レイという名の、レイという存在です。それに、何か問題でも?」
レイの逆の問いかけにアルは言葉を詰まらせた。問題は無いのだ。アルにとっては相手を見極めるのに十分な時間があり、その中でレイもファラルも少々癖が強い所があるが問題は無いと判断した。
その上、レイが何者であっても関係ない。マリア・クレイブでなくともレイが変わったわけではないのだ。元より、ファラルの場合は何の資料も無い。それでも自分の隊にいれたのだ。
例え2人が悪人でも、アルには2人を押さえる自信があった。だからこそ、身元も不確かな2人を引き取ったのだ。
(レイは、セリオンを救ってくれた。学園でも少々浮いていると聞いたが友人も居る。成績は教師が舌を巻く程、とも聞いた。引き取ったのは私だ、最後まで責任を持つべきも、私だ)
アルはそこまで考えを纏めると、
「どんな経歴をもっているにせよ、この大陸では子供に学校に通わせる事が義務づけられている。学校に通った事が無いのなら通わせるのが私達の義務だ。レイが何者であろうと、学校に通った事が無ければ私の判断は間違っていない」
「問題はない、と?」
「ああ。だが、1つ言っておく。送られて来た手紙を読んで直ぐ破るな。書いた者に対して失礼だ」
その言葉にレイは一瞬きょとん、とした顔をして次の瞬間可笑しそうに微笑んだ。
「覚えているから良いんです。寧ろ、燃やしたい気分でした。マリア・クレイブの体のように。・・・彼女が初めて変わり果てた自身の体を見たとき、彼女は狂いました」
可笑しそうに微笑んでいたレイの顔は段々と表情が抜け落ち、最後には淡々と語りだした。
「ですが、彼女には死ぬ方法がありませんでした。四肢が無く、生きる事が出来なければ死ぬ事も出来ない。今まで、彼女は生き地獄を味わっていました。そしてようやく、その地獄から抜け出せた。死ねたんです、ようやく」
窓の外を眺めながら淡々と語るレイの目には何か複雑な感情が読み取れた。
「体を燃やして、と頼んだのは彼女でした。多分、自分の体が嫌だったんでしょうね。・・・まあ、関係ない話ですけどね」
レイはそう話を締めくくると退出の許可を求め、アルが許可を出すと部屋を出て行った。
部屋から出たレイは不意に頭に乗せられる手に驚いた。
また静電気が起きレイは必死で叫びを堪えた。
「ファラル、どうして?」
レイは不満を露にした表情でファラルを見上げた。少しきつめの目で睨みつける前にファラルはレイの手を握った。またレイは叫びを堪えた。
手を引っ張られて連れて行かれたのはファラルの部屋だった。
「分かってるよ。ファラルがかけた呪いの意味は。城に入った時にかなり乱れたからそれを修正する為でしょう?でもね、他人の魔力を微量だろうが大量だろうが奪うと少なからずこっちの方に影響があるの分かっててやってるよね」
レイは腕を掴まれたままファラルの部屋の椅子に座っていた。
「いいな、って思ったの。マリア・クレイブの事。絶望しても、狂っても、人として死ねたのなら。私は満足するけどな。・・・人って、満たされると次の欲求を満たそうとするよね。浅ましい、私も、人も」
ファラルはレイの腕を掴んでいた手を離すとレイを抱きしめた。優しく、愛おしそうに。レイは一瞬ファラルの体を突き放そうとした。だが、ファラルの体はビクともしなかった。
「今、抱きしめるな」
レイはファラルに向かって顔を見せる事無く呟いた。
「これにも、弱いからな」
ファラルの言葉に一瞬の躊躇いのあと、レイはファラルを抱きしめた。
「これ以上、依存したく無いのに。弱い時に抱きしめるなって言ったのに」
ファラルはレイに見えない位置で微笑んでいた。レイはその事に気がつく事は無かった。
レイは何者なのでしょうか?アルの謎は深まるばかり。
因に、レイの弱点とは静電気と弱っている時に自分を気にして優しく抱きしめてくれる人です。甘えたり依存したりするのが苦手な子のようなので。