57:買い物の日の終わり
「お帰り。皆との買い物、どうだった?」
「ヘルスもお仕事お疲れ様。こっちはちょっとトラブルがあっただけで概ね良い買い物が出来たと思うよ」
ヘルスは玄関に立っていた。先ほどまで彼が向いていた方向には馬車が走り去っている。恐らくヘルスは馬車を見送っていたのだろう。
相手は多分、朝レイが気を遣って(実際には干渉されるのが嫌で)早めに館を出た原因である客人だろう。
「さっき帰って行った人・・・」
レイはヘルスに自分の予想を言おうとしたが結局途中でやめた。
「何?」
「ううん、何でも無い。来週には出発だから、今のうちに準備始めないといけないし、慌ただしいのは好きじゃないしね」
関係のない事を言ってヘルスの興味をそらすとレイは館の中へと入って行った。もしこれがロリエなら荷物を持つのだろうが、レイなのでそんな事をする気はないらしい。レイ自身は他人に頼る気がないので気にしていない。
レイが自室に戻ると、間を置かずしてファラルがいつの間にかレイの部屋に現れた。
「お客さん、ってアルの母親?」
「恐らくな。レイを見に来たんだろう。あの小僧がレイの身元引受人をしてるからな」
「ファラルはどうしたの?保護者ってことで呼ばれたりした?」
「そんなヘマをすると思うのか?」
「知らない」
2人の会話は淡々としていたが、その会話の端々には淡々としたものだけではない感情が紛れている。
「確か、元公爵令嬢で現侯爵夫人であり、アルの母親」
「どうでもいいだろう」
「そうだね。でも、羨ましいとも思う。家族が居るって」
「・・・・・・」
ファラルはレイの体を抱きしめた。
「躊躇いがあるのか?」
優しい手つきとは裏腹の冷たい声がレイの耳元で囁かれる。
「ある筈が無いでしょう?」
レイはファラルのされるが侭になっている。それでもレイの言葉には確固たる意志があった。
「殺してやる。邪魔をする者は全員殺す。・・・いや、人間なんか全員死んでしまえば良い。私の中にはそんな混沌とした物しか無い」
残忍で自虐的な笑みを浮かべながらレイはファラルを突き放した。
「どうして何時も、私を甘やかすの?私は自分の手であの男の命を絶つ。それは誰にも譲らない、例えそれがファラルだったとしても、ね」
そうしてレイはファラルに抱きいて甘えるように顔を埋めた。
「嫌だよ、何もかも」
「それでも逃げないのが、レイだろう」
「勿論。・・・それでも私は弱いよ」
レイはファラルの手がレイの髪を結っているリボンを優しい手つきで解いた。解かれた髪が広がる。
「・・・レイの気遣いは分かり難い。だが、そんなレイだから私はお前の契約者になったんだ。狂った優しさと理解されない気遣い、滑稽で、哀れだ」
「最高の褒め言葉ね」
2人の間にしか理解できない会話がなされ、2人にしか理解できない空気と空間がある。
「・・・・・・」
不意に2人の間に静寂が訪れる。レイはファラルの胸に顔を埋めたまま目を閉じて寝息を立てていた。ファラルはレイを優しく抱き上げるとベッドに運んだ。
レイを見つめ続けるファラルの目は契約者に対してだけでない感情があった。まるで愛する者の寝顔を見ているかのように穏やかで優しい感情が浮かんでいた。
不意にその瞳が翳り、身に纏う雰囲気が一気に黒いものに変わる。目には嫌悪が浮かび、目は睨むように細められるが見ているのはレイではない。
窓の外には館の庭が見え、その先には大きく荘厳な城が建っている。ファラルの視線はそこに向かっている。
「今はまだその時ではない」
ファラルの変化を感じて起きたレイは目を閉じながらそう言った後、レイはゆっくりと瞼を上げた。
「何千、何万年も前からここは国だった。それ以前から神は存在していた。・・・だけど、人は生きている限り間違いを犯し、歴史は塗り替えられる。都合のいいように、真実は改竄され嘘が真実となる。人は過去を知る事は出来ず、自分の考えと知識と常識でしか物事を判断できない」
レイは起き上がり挑戦的な笑みを浮かべた。
「壊してあげる、だって私が許せない。皆の常識を全て粉々にして絶望すれば良いんだ、己の愚かさに」
「自己満足か?」
「そうかもしれない。でも、私の中に確固たる意思は存在しないから」
レイは薄緑色の目に落ち着きと冷静さを浮かべてファラルの顔を見つめた。
「だからね、私を支えてくれるファラルは大切な契約者なんだよ。・・・今日は、何となく皆に感化されてこんな事言っちゃった」
「力が不安定なのは環境にまだ対応しきれてないからだろう。ここは人間が多すぎる」
「順応は早いのに、対応は時間がかかるって変かな?」
「さあな」
2人の会話はそこで終わった。
窓の外が暗くなり、うっすらと星も瞬き出した頃、レイとファラルは階下の食堂へと降りて行った。
食堂には既にアルとヘルスとロリエが居たがベクターは居なかった。
「城の厩舎でお産があるらしくて、手伝いに駆り出されてるの。多分今日明日は帰ってこられないと思う」
ロリエがレイの疑問に気付いたのか丁寧に説明してくれる。
確かにその事も疑問に思ってはいたが、一番の異変はアルだ。眉間に皺を寄せて頭を抱えて何か考え込んでいるかのように周りに意識を向けていない。眉間の皺はファラル同様“美形は何をしても様になる”という状態なので見苦しく感じる事はない。
全員分の食事が運ばれてきて漸くアルはレイに意識を向けた。
「ああ、来てたのか。今日の買い物はどうだった?」
質問はレイに向けられたもので、レイはにこやかに、
「少しトラブルがあったけど良い買い物が出来たと思う。友達の情報収が良くて、何でも安く買えたから」
「そっか、良かったな。で、トラブルって?」
アルはレイが曖昧に誤摩化した所を突いて来るが、レイは予想していたので、
「他の学校の生徒と小さな諍いが起きて・・・。でも、すぐに解決しました。約2〜3分位のモノでしたから」
と答えておいた。その2〜3分の間にレイは他校生の指を一本折ったのだ。だが、レイの主観からすれば小さな諍いで、相手がすぐ引いたので解決になり、現れてから引いて行った時間は2〜3分。怪我人が出なかった、とは言っていないので結論として嘘は言っていない事になる。
「その程度か、なら安心だな。正直、今日はレイが買い物に行ってくれて助かったんだ」
「お客さんでも来たの?」
レイが確信していながらも疑問系で質問すると、アルは「勘がいいな」と言って微笑んだ後、
「私の母が来たんだ。身元引き受け人になったと聞いて私の様子を見にきたらしい。レイが居れば紹介しなければいけない所だった。レイの許可を取っていないし、母は我を通す人だから」
「そうだったんですか・・・。でも、私は一度アルのご両親にご挨拶したいですよ?お世話になっている方のご家族ですから」
レイは悠然と微笑みながらアルにそう言った。
「分かった。次にまたリベンジがあるだろうから、その時にはレイの事を紹介しようと思う。寧ろ、私の方からレイに頼もうと思っていた所だったんだ」
思案事が解決してアルは安心したような顔つきになった。
「そう言えば、レイは来週からまた課題で何処か行くんだよね?」というヘルスの言葉に、レイが「はい」と答えた。その言葉を聞いて、
「ファラルさんも同行するんですよね?」
ロリエの言葉には、
「ああ、裏から手を回したんで大っぴらには言えないがな」
とアルが答えた。
「また、寂しくなるなー」
ロリエの呟きにレイは微笑むだけで何も言葉を返す事は無かった。
「でも、レイのグループにはファラルの他にもう一人付くって聞いたけど?」
今現在館の中でファラルを呼び捨てにするのはレイとヘルスだけだ。ファラルは名前に関して何も言わないので自由に呼ばれている。アル・ベクターの場合は“殿”付きで、ロリエは“さん”をつけている。ヘルスの場合外見が子供なので大抵の場合、無遠慮・無作法を許されるのかもしれない。
「それは、レイのための措置だ。レイは飛び級をしていて年齢が同じ学年の生徒より下だろう?課題の規則にも『グループの中に年齢が14歳以下の者が居れば専属の護衛を1人付ける』とあり、レイはその規則の対象だ。つまり、ファラル殿はレイ専属の護衛、という立場だ」
「そう言う事か。でも、そんな規則があったなんて知らなかった」
「私も、ヘルスと同じく」
「そうだろうな。学園の歴史でも、その対象になったのは少ないだろうし、対象になった生徒も出発当日まで知る事の無い規則だ」
「じゃあ、何でアルは知ってるの?」
何となく予想をしていながら質問したレイに、アルは苦笑して、
「私も、その規則の対象になった事があるからだ」
と答えた。何処までもレイの予想通りの答えだった。
いきなりヘルスがポンと手を叩くと、納得したように頷いた。何か思い出した事があったのかもしれない。
「そういえば、ファラルの他にもう1人護衛の方が付くと言っていましたけど、その方の情報を知る事は可能ですか?」
レイの質問にアルは困ったように笑って、
「教えられない、というより。教える事が出来ない。私が知っているレイのグループの担当護衛官はファラル殿だけなんだ。もう1人の方は私の隊の者ではないし、流通する噂でもないから」
「そうなんですか・・・」
レイは少し残念そうに答えるが、心うちでは、
(邪魔にならなければ、どんな奴でもいいか)
と考えていた。頼りにならないのならそれでいい。元より、ファラル以外に頼る気はないし期待もしない。それに、ファラルに頼る事自体が稀だ。レイは基本的に自分の事は自分でなんとかする主義なのだ。
食事が終わると、入浴などを全て手早く済ませてレイは殆ど眠る事のないベッドの上で眠らない夜を過ごした。
今回は少しファラルの呼び方を決定させてみました。レイの皆に対する口調は崩した言葉と敬語を少し混ぜていますが、若干敬語の方が多いですね。
(レイは内心では敬語を使いませんが、一応表面では猫を被っています)