41:入学
レイは最後に紺色のネクタイを締めた。
全身をファラルの部屋に通じる鏡に映して姿を確認した。
ティラマウス学園中等機関普通科の制服は男女ともブレザータイプで黒を基調としている。女子はを少し水で溶いたような透明感のある色が捲ってボタンで留めた袖を塗っている。上着の下に真っ白な清潔感のあるブラウス。スカートはプリーツで全体の色は茜色に黒を少し混ぜ合わせたような色に、下の部分に黒い線が二本入っている。
全体的に学園の制服は赤系統の色をを女子、青系統の色を男子の制服に取り入れている。色は機関別に年齢の低い方から淡い色から濃くなっていく。
「すっごい似合う〜!可愛いー!」
レイの制服姿を見て、ロリエは破顔しながら叫ぶような蕩ける声でレイに対してそう言った。
コン コン
ロリエが開きっぱなしにしていたドアを存在を知らせる為だけにアルがノックする。
レイとロリエの視線が苦笑しながらレイの部屋の前に立っているアルの方へと向いた。
「準備はできたのか?」
穏やかな声でアルがレイにそう問いかける。
「多分大丈夫だと思います。教科書は一応全部読みましたから忘れても大丈夫です」
レイもアルの言葉に穏やかにそう返す。
その言葉に一瞬レイとアルが固まったが、次の訪問者が来てその空気は払拭された。
「ファラル!」
レイが年相応の嬉しそうな声を上げて部屋の入り口に駆け寄る。いつの間にかそこにファラルが立っていた。
ファラルからしたらレイのその小さな駆け寄って来た体を優しく受け止める。その姿にはレイの幼さが見えてロリエとアルは微笑ましく思いながらその光景を見つめていた。
「今日から入学だ、教えた事は守れ。呼べば何時でも駆けつける。座れ、髪を結おう」
アルとロリエはファラルから向けられた視線に邪魔という感情を見つけて、
「あまり時間をかけないようにな。レイは一時間後にはここを出ると言う事を忘れないように。最後に、本当に一人で大丈夫なのか?付き添いくらいどうってこと無いんだが・・・」
ロリエは既に部屋から出て行って、アルも部屋を出る手前での問いかけだった。
「大丈夫です。職員室の位置は把握してるし、迷っても自分が大体何処に居るのかは分りますから。それに、わざわざ保護者を連れて行く事でもないような気がするし」
レイはアルにそう返した。
(十分、連れて行く理由になるだろう。年齢的にも連れて行く必要はある!)
アルは心の中でレイとの常識のズレを感じつつも、決めた事ならばと反対する事は無かった。
パタン
アルが静かに扉を閉めた。
部屋に居るのはレイとファラルだけになった。
「座れ。髪を結う」
二度目のファラルの言葉に素直に従う。鏡の前にある椅子をファラルが持って来ていたので施されるままにその椅子に座る。
ファラルはレイの背後に立ち、絡まった所など無いサラサラのレイの薄茶色の髪に丁寧に櫛を入れて梳かしていく。十分に艶やかであった髪はファラルが触れるごとに生命の輝きに満ちていくような感じを周りの者にも与えるだろう。
レイはそれ以上のモノを感じていた。快い、そして穏やかな空気がレイとファラルを包み込んだ。
ファラルの手は慎重に、丁寧に、そして正確にレイの髪を梳かし何処からか黒と白のチェックのリボンを取り出し一つに纏めた髪に結んだ。ファラルの手は優しくレイに痛みを与えないようにリボンが結ばれる。
ファラルが終わりの合図をレイに伝える。レイがリボンに触れると結び目は固く、普通の者にはそうそうに解ける結び方ではなかったがレイには結びの解き方が簡単に分かる。
「これって封印の結びの一種?」
レイが何気なくファラルに問う。
ファラルは口の端を上げて笑い、肯定の意を示した。
「何を封印した訳?」
レイがファラルに更に問うと、
「解けば分るだろう。・・・いや、もう分っているんだろう?」
ファラルが笑いの表情を崩さずにレイに逆に問いかける。
「教えた事を守れ、がヒントのつもり?分ってる事だし、言われなくてもする。・・・それに、少し障害になるだけで封印になってないような気がする」
レイは殆ど呟くように言葉を紡ぐが、
「解かず力を使えば必ずこちらに伝わる。そして、それはレイに何か害が及んでいると見なす。だが、解いて力を使ってもこちらに伝わる。だが、まだ余裕があると見なす」
ファラルの言葉の意味、それはつまり・・・、
「結局使えば来るのね。臨戦態勢かそうじゃ無いかって言うだけで」
レイが半ば呆れたようにファラルに呟く。
ファラルは不敵に笑っただけで何も言わなかった。その笑いにレイが決心した事は、
(取り敢えず、本当に必要な時以外はちゃんと解いてから使おう)
だった。
「やられっ放しにはなるな、我が愛しの契約主」
ファラルは最後に歌うようにそう呟いた。
「勿論、貴女の名誉を汚しはしない。例え貴方がそう思わなくても私がそう思ったら私はそこで果てるから。我が麗しの契約者殿」
ファラルの言葉にレイも歌うように返す。そしてレイの言葉は冗談ではない。
ファラルはそれをわかっている上でレイを見つめた。
レイは立ち上がり、鏡で姿を確認しようと移動していた。・・・不意に、
「例えば、レイが果てる事になるのなら・・・。私はそれをどんな手を以てしてでも止めるだろう______」
レイを背後から抱きしめてファラルはレイの耳元で最後はそう囁いた。
レイは鏡に映ったファラルと自分の姿を見て、微笑みながら、
「知ってる」
と答えた。
「本当に良いの?一人でっ!不安じゃ無いの!?」
ロリエがこれからレイを見送ると言う所でまたもやその話題を出した。
入学の日位は、と用意された馬車が【蓮華館】の玄関前に既に用意されている。
「くどいぞ、ロリエ。レイが良いと言っているんだから良いだろう」
アルがロリエの言葉を諌める。
レイも少し呆れたような困ったような笑みを漏らして、
「まるで不安なのはロリエの方みたい」
と含み笑いをしながら全員に聞こえるように呟いた。
「酷いよレイ〜」
ロリエが羞恥で顔を赤くしながらレイに恨み言を言った。
(わざとだからね!)
レイは心の中で清々しくそんな事を思いながら、表の顔では笑いながらロリエにごめん。と謝っていた。
「そう言えば、ファラル殿は居ないな。先程までレイと一緒に居ただろう?」
アルがレイにそう聞いてくる。レイは曖昧にその答えをはぐらかした。
「そう言えば、ヘルスも居ない・・・」
ロリエが実はずっと気にしていた事をさり気なく言った。
ベクターは今日だけレイの送迎係を買って出ていて今はレイが馬車に乗りやすいように甲斐甲斐しく馬車の内装を整えている。
そんな姿を見ていると、
(ベクターって割と凝り性?)
と思ってしまう。
「ヘルスは・・・野暮用だ」
アルが少し言葉を濁しながらロリエに説明をする。
アル達はヘルスのロリエに対する執着に気が付いているのだろう。・・・そして、止めても無駄だと言う事をわかっている。
(あの人達に報復か〜)
命を奪う事まではしなくても二度と飲酒なんてしたく無いと思わせるような事はするんだろうな、とレイはぼんやりと思った。
レイの周りには自然とそのような情報が集まってくる。レイが望むとはなしに諸々の情報はレイの周りに飛び交い、散乱している。
「レイ!準備は出来た。そろそろ出発するか?」
ベクターが御者台の近くから声をかけてくる。
レイはその言葉をベクターの方を振り返りながら聞き、またアル達の方に向き直ると、
「行ってきます」
と真っ直ぐにアルとロリエの方を見つめると、深々と頭を下げた。そして顔を上げると軽くアル達に微笑みかけてから振り返らずしっかりとした迷いの無い足取りで馬車に向かい、乗り込んだ。
ベクターはそれを確認すると馬車を引く手綱無しに馬達は駆け出した。獣使いのベクターには手綱は必要な物では無いのだ。
馬はベクターの意思通りに動き、望まない方向に行ったり暴走したりする事も無く普通の馬車馬よりも数倍も早く学園に到着した。
レイは窓から見える普段よりも速く過ぎていく景色に何の感慨も覚えず、普段よりもいくらか憂鬱な気分な事を自覚しつつも暫くはその景色に目をやっていたが途中からは目を逸らし先程のファラルとの会話を思い出していた。
『例えばレイが果てる事になるのなら・・・。私はどんな手を以てしてでも止めるだろう。それでも駄目なら無理矢理にでもレイと共に居よう、レイがそれを拒否するのなら、奪おう』
例え、レイが全力で足掻いてもファラルはレイが果てる事を許しはしない。ファラルは耳元でそう囁いた。穏やかな口調に狂気を含みながら。
レイが死ぬのなら共に死に、生きるのなら共に生きたい。良い意味では暗にそう言っているのだ。だが、悪い意味ではレイが諦める事は良しとしない。例えレイがファラルを嫌い逃れようとするのなら、その強大な力を以てしてレイはファラルに囚われるだろう、と言っている。
少々わかりにくい表現の仕方であり、ファラルにとっては感情をありのままに表現した言葉だ。言葉の解釈により意味は少しずつ変わっていく。
(力では、敵わない。逃げても、追いかけてくる。私達の証、か)
そんな事を考えている内に学園に着いたらしく馬車が緩やかに速度を落としていき、止まった。
「着いたぞ」
ベクターの声が聞こえ、レイは傍らに置いていた学園指定の鞄を持つと馬車を降りた。
「ありがとうございます。ベクター」
そう言ってアル達の時と同じく深々と頭を下げると、登校時間にはかなり遅い時間で生徒の陰は全く見えない校門をくぐり抜け職員室へと向かった。
アル達の時と同じく、一度も振り返らずにしっかりとした迷いの無い足取りで。
職員室へ行くと担任と副担任の先生が待っていると言う部屋に通された。そこに居た先生は、
「担任・副担任の先生です。因に僕が担任で、副担任がギーゼラ先生。君の教室は普通科12学年Dクラス、一番人数が少ないクラスです。色々あってね、何人かは学科変えちゃったり、退学届出して来たりしてどんどん人数が減って来ちゃって、結局10人位クラスから居なくなっちゃったんだ・・・」
わざと少し寂しそうな声音で言っているが演技だと言う事は見え見えだ。
「・・・ヘルマン先生の言う事は置いておくとして。言い訳にはなりますが、担任・副担任である私達がその役割を必要最低限以上果たしていないと言う事です。クラスに干渉しない事が原因だとはわかっているんですが、わかっていたとしても見切れない所がありまして」
ギーゼラ先生が何時もと同じ淡々とした口調でそんな事を口にする。
「つまり、何か問題のあるクラスなんですね。その原因は先生方がクラス内の問題に干渉しないからで、ようは見て見ぬ振り。結論としては問題が起こったとしても先生を頼らないように、と言う事ですか・・・」
疑問系ではなく、レイは二人に聞くようにだが呟くようにともとれる声で言った。
「突き詰めればね〜」
ヘルマン先生はレイの言葉にアッサリと肯定した。
「まあ、本当に酷ければ何とかしますが・・・。多分そこまで酷くは無いと思いますけど」
遠慮がちにギーゼラ先生が口を挟む。
レイは微笑んで、
「大丈夫です。たぶん相談する事は無いですよ?例え年上でも、生温い世界から出た事の無い生徒に負ける程、生温い旅をして来たつもりは無いですから」
と答えた。
レイの言葉には裏があった。
(好都合。最初にこう宣言しておけば、暴れた後の事情説明はやらなくて良いか。報復だって、やりやすい)
腹の内でそんな黒い事を考えながら、レイは先生達にそう言ったのだった。
「新しいこのクラスに来る生徒を紹介する。噂が流れているだろうが皆が知っての通り、特別編入試験受験者で満点合格で編入して来たレイだ。元旅人で姓はないらしいのでレイを工夫して呼ぶように。出席番号は丁度30番だな」
大雑把な説明でレイは紹介された。
「入って良いぞ〜」
ヘルマン先生にそう言われ、教室に足を踏み入れたレイは最前列に先日食堂で会ったケイン・クレバートが居るのを確認した。
ざっと見て30人前後の生徒数だが、先程の1クラスに40人前後と言う言葉を聞いている事を考えに入れると本当に10
人は生徒が居ないのだろう。
レイはそこまで考えてからニコリともせずに手招きしているヘルマン先生の隣で立ちどまった。教室を興味無さげに一瞥した後、先生に自己紹介と挨拶を促され、
「初めまして、レイと言います」
と適当且つ投げやりに挨拶と自己紹介を終えると“空いている席なら何処でも座っていい”と言われていたので、その言葉通り指示される前に最後尾の空いていた席に座った。
ヘルマン先生は相変らずの笑顔で、生徒達は怪訝そうな顔でレイに視線を向ける。
「・・・・・・」
その視線に気付いていながらも気にせず鞄の中身を机に入れていくレイにヘルマン先生はとうとう生徒達に、
「そんなに人を注目するものじゃ無いよ?レイだって緊張しているんだろうし」
(全然)
その言葉にレイは心内で言葉を返した。初めての学校入学は緊張するものだとレイは思ていない。だが、生徒達はそれで納得するのだろう。心得たりと言う風にあらかさまにレイに視線を向けるものは居なくなった。
「レイに学校の事を教えてやるの者は・・・マリアンヌ・クルシューズお前に頼む」
ヘルマン先生が恐らく女性名を呼ぶと、レイの左隣に座っていた女性徒がはい、と返事を返した。少しは自主的に手を挙げるのを待ったみたいだが、考えていたともとれる間に生徒達が旅人だったレイに少し距離を置こうとしているのが分ったのだろう。
「私はマリアンヌ・クルシューズ。マリアって呼んでね?レイさんの事はレイって呼んでいい?」
「お好きなように」
レイは妖艶に微笑みながらそう言った。マリアは一瞬その微笑みに心を奪われていたが直ぐに正気に返り、
「因に、レイの右隣に居る男は私の兄。双子なの外見はあんまり似てないけど」
と言った。
確かにマリアは燃えるような赤毛で、兄と紹介された男子生徒は藍色の髪をしていた。顔はこちらを見ないのでよく分からない。
先生の話しは終わったらしく、レイを紹介するとさっさと教室を出て行ったので会話を咎めるものは居ない。代わりにレイの方を見ながら囁きを交わすものは多くなっていた。直接言って来ないのはケイン・クレバートと同じ考えを持つものが多いからだろう。
このクラスは富裕層の子供が多いらしい。
「マリ!今平気?」
マリアがレイの右隣に居る男子生徒に声をかけると、マリと呼ばれた男はゆっくりと顔をレイ達の方へ向けた。
「レイさん、妹がうるさくてすみません。僕の名はマリウス・クルシューズ、マリアの兄です。マリ、と呼んで下さい。僕もレイさんの事をレイと御呼びしても良いですか?」
マリウスの言葉にレイは頷く、レイとしては別に呼び方にはあまり拘らない方なのでいきなり呼び捨てにされても気にしない。
マリアとマリの顔を見比べてみると確かにパッと見の顔立ちはあまり似ていない。けれど目はグレイの瞳から形までよく似ているし、明るく少し勝ち気そうなマリアと大人びて理性的そうなマリの顔は似ていないわりには似たような雰囲気があった。双子と言えば似ていないと言われ、兄妹と言えばあっさりと通るようなそんな雰囲気が。
「それでは、レイ。次の授業は移動ではないのでここで待機です。次の授業は学年総合主任のパリス先生だから部活動・選択教科の選択用紙を貰うと思う。授業が終わり次第、僕とマリアがその説明するね」
学校の事を教えるのはマリアだと先生は言っていたが、ほぼマリに教えてもらっている。先生はこれを分っていてマリアをレイに付けたのか?と思うが、マリアは見た目からして明るそうな子だ。レイがクラスで浮いたとしても気にせず話しかけてくるようなタイプだが、説明などは大雑把にこなすタイプなのだろう。逆にマリは説明などは懇切丁寧にしてくる世話焼きタイプなのだろう。
見た目は纏っている雰囲気は違えど、パッと見で兄妹だと分る程には似ている。
レイは冷めた風にマリの言葉を聞きながら、面倒くさい生徒を付けてくれた。と考えていたが、その考えは徐々にどうでも良くなり、予鈴の鐘の音が聞こえ生徒達は囁き合いを止め席に着いて準備を始めた。
マリアとマリもそうだったので、レイも他を見習い皆と同じように数学の教科書を机の上に出した。
パリス先生は年齢不詳の妙齢の女性だった。
「レイ!渡すものがあります、前へ出て来て」
レイはパリス先生の言葉に逆らわずに前に出て教卓の前でマリが予想した通りの物を受け取った。そのまま席に戻ろうとしたレイを先生は「待ちなさい!」と言って引き止めた。
レイは先程より一歩離れた位置で立ち止まりパリス先生の次の言葉を待った。
「試験の問題!何で解けたの!?一問一点の所に一カ所仕込んでた問題・・・解かれない自信あったのに〜!油断した〜アル君の時以来よ〜」
子供のように喚きながら先生はレイに詰め寄る。
レイは余裕の笑みを顔に浮かべて、
「仕込んでいた問題って、何の事ですか?あれが全部この学年なら解ける問題なのなら解けないと言う事は無い筈ですよね?」
と切り返した。
「くやし〜い!・・・フフフッ」
ひとしきり喚いた後急に先生が妖しく笑い出した。
(情緒不安定な人・・・。よく教師の職に就けたな)
レイはその様子を見ながら他の生徒のように戸惑う事も呆然となる事も無くマイペースにそんな事を考えていた。
「当ててやる・・・。私の授業の応用問題!全てレイに当ててやるっ!」
ビシイッ と音でも鳴り出しそうな素早さと勢いで先生はレイを指差した。その言葉にレイは笑って、
「一々後ろから出て行くのは面倒なので遠慮しておきます。それでも当ててくるんでしたら口答で答えても良いですか?勿論答えにたどり着く前の過程は飛ばします」
と答えた。レイはここまでハッキリと拒否された事が無く、妥協案もレイに都合に良いようになっているレイの答えに少し固まっている先生を放っておいて漸く自分の席に戻る事に成功した。
「それじゃあ、授業を始めます。先日の復習で教科書58ページの基礎問を出席1から5までの子、解いていって」
パリス先生は先程とは打って変わってちゃんと教師らしくなっていた。一応授業はまともに出来るらしい。
レイは教科書もノートも開かずに黒板に書かれていく数字の羅列をぼんやりと見つめていた。マリアとマリはレイが教科書を開いていないのに気が付いていたが、それに対し注意を促す前に先程からレイに敵意の目を向けているパリス先生がレイに指示する方が速かった。
「レイはその隣のページの3番目の応用問題を解いてね。前に出ている人達が書き終わる前・・・」
「80279」
先生の言葉が言い終わる前にレイは淀み無く答えを出した。座ったまま答えを言ったのだ、本当に答えまでの過程は無しだ。生徒達が先生とレイを交互に見つめる。
「あっ、本当だ」
気になりながらも黒板に計算を書き続けている生徒の黒板に書くチョークと黒板がぶつかる音以外に言葉を発する者が居ない中で暫くしてマリアの声が上がる。
先生はマリアの言葉に悔しそうに同意し、
「正解よ」
とぶっきらぼうに答えた。レイは先生に慰めるように微笑みかけてまたボーッと羅列されていく数字を見つめた。
その様子を見てパリス先生はますます顔を歪ませた。
「取り敢えず、レイのさっきの先生への態度と頭の良さについてはもう考えない事にする」
マリアは笑顔でそう言い放った。
「それは有り難い。私の身元引き受け人及び同居人達も同じような結論を出していた。気にしない方が良い」
レイは悠然とした態度でそう言った。(因にレイの言葉遣いは相手によって変わっていく。レイが相手に相応しいと思った言葉遣いをするので時と場合によっても変わっていくが今は素に近い話し方をしている)
マリもマリアと同じ事を思っていたらしく口を挟む事は無い。マリが口を開いたのはマリアの話に一区切りついた頃だった。
「それじゃあ、選択用紙についての説明しても良い?」
レイが頷くとマリは用紙を手にし指差し、説明しながら書き方を教えた。
「一番最初には自分の氏名と学年・クラス、性別、年齢、最後の欄に入りたいクラブ名を書いてそのクラブに出しにいく。見学してから決めた方が良いから放課後一緒に回ろう」
マリがそう言ってマリアとレイに言う。先程の授業で気が付いた事はマリアが実は意外と頭がいい事。レイが先生に始めに指された時に計算問題を解き始めてレイが座る前に解いたからだ。一分足らずだったような気がする。
「次に選択教科の事だけど、これは担任か副担任の先生に出す物で簡単に言えば体術と武術どっちが良いかって言う事。普通の授業でも一応色々やるけどね。他にも国語で古典と現代文学、社会では地理か歴史か政治とか」
マリは分りやすいように説明してくれる。
レイは部活動の用紙に目もくれず、選択教科の用紙だけを手に取り机に置いた。
早速氏名の欄に自分の名前を書き、学科・学年・クラス・性別を書き込んでいく。あり得ない程素早く書き込まれていく文字は印刷に使われるような同じ大きさの丁寧で読みやすいものだった。
「これは各欄の中から一つ興味のあるものを選んでその教科に丸を付ければ良い」
マリはレイの手が止まる頃を見計らいそう説明した。
レイは選択肢にザッと目を通すと迷い無く丸を書き込んでいく。一度も止まる事無く。
体術・武術……武術 歴史・地理・政治……政治
古典文学・現代国語……古典文学 生態・科学……生態・・・・・・
迷う事無く書き込んでいくレイにマリアは、
「もう少し考えて書いた方が良いんじゃ無い?」
と躊躇いがちに意見を言った。
その言葉にレイは顔を上げて微笑んだが手は依然として動き続けている。レイは手元を全く見ていない。そのままの体勢で「大丈夫、一応考えはまとまってるから」とレイは答えた。
喋っている間に一枚目の用紙は終わり二枚目に移るがその時にもレイは一度も手元を見ていない。だが、確実に正確に選択の欄に丸を付けていく。
また目を手元に戻したレイは程なくして全ての欄を書き終えた。
「担任か副担任の先生の授業は今日ある?」
レイの淡々とした言葉に二人は首を横に振る。レイは少し考え込むように俯きチラリと時計を確認すると不意に立ち上がった。
「何処行くの?」
マリアが戸惑ったように聞いてくる。レイはその言葉にニヤリと妖しく口の端を上げると何も言わずに教室から出て行こうとした。
「待って!まだ来たばかりなんだから迷子になる。時間も行って帰ってくる頃には授業が始まってる」
マリがそう言ってレイを引き止めるがレイの足が止まる気配はない。クラスの生徒はレイの方を注目していた。マリアは取り敢えずレイを追いかけようとして席を立った。マリもそれに続いた。
「レイ・・・は?」
レイよりも少し遅れて廊下に出た二人はレイの姿を完全に見失っていた。後ろを見ても前を見ても長い廊下の先にレイの姿はおろか、他の生徒の姿も見えない。
二人は少しの間呆然と廊下に突っ立っていた。教室内に居る生徒は二人がレイを案内していると思い、廊下に出てくる事は無かったので二人がレイを見失った事と、レイがいつの間にか消えた事に気付くものは居なかった。
マリアとマリが正気に返ったのは廊下に恐らく先生らしき人影と足音が聞こえて来たからだ。取り敢えず先生が来てから事情を説明してレイを探そうと教室内に入った二人は生徒のざわめきを感じると共に背後に何かの気配を感じた。
二人が勢いよく振り返るとそこには微笑みながら、どうかしたの?と問いかけているような顔をしたレイが居た。
「なっ!!・・・もがっ」
叫び声を上げる前のマリアの口を塞いだのはレイだった。マリはただ呆然とした風にレイを見つめている。
その様子がレイ目にはとても面白く映り、マリアの口は塞いだまま何か言いたそうなマリアの視線を無視して後ろの席まで引っ張って行った。マリはやや困惑しながらそんなレイの後を付いて行く。
クラス中の生徒に視線を向けられる中、レイは常時微笑んでいた。
「ゼーハーッ、ゼーハーッ」
レイが口を塞いでいる内に鼻も覆ってしまったらしくマリアは酸欠の状態を何とかしようと肩で息をしていた。マリは兄らしくその背をさすっている。
(これで何も叫べないかな?)
レイは自分の席に座って微笑みながらマリアの様子を見ていてそんな事を思った。マリアの口を塞いだ時にわざと鼻まで塞いだのかどうかはレイとレイの行動を予測出来るファラルにしか分らない事だった。
「レ〜イ〜!何て事すんのよっ!死ぬかと思ったじゃない!」
息を整えたマリアが立ち上がり、猛然と怒りを爆発させる。怒りをぶつけられている筈のレイは余裕の態度で、
「あんな事で死ぬって言うなんて、大袈裟。二分も経ってないでしょう?人の顔を見て耳元で叫び出されそうになれば口を塞ぎたくなるのは当たり前。一々騒ぐなんて大人気ない上に説得力も無い」
レイは微笑みの表情を変えずに辛辣なことを言った。マリアはレイの言葉に口をパクパクとさせていた。静かな教室内にはレイの言葉は隅々まで届き生徒のレイを見る目が変わった。
「そこで授業を受けるつもりですか?マリウス・クルシューズ、マリア・クルシューズ。始業の鐘は既になっています」
ちょっとした騒ぎで生徒の大半は先生の存在に気が付いていなかった。レイは気が付いていたのか机の上にはいつの間にか教科書が載っている。
「早く座りなさい、二人とも。今回は大目に見ましょう、早く準備なさい」
初老の厳しそうな印象を受ける女性教師の言葉にマリアとマリは教師の方を見て一礼すると大人しく自分の席に着き授業の準備を始めた。
(これで、他の人が動いてくれれば・・・動くだろうな〜。皆の声がそう言ってる)
レイは教師の声を聞き流しながら周りの声を聞いていた。
因に左隣からは怒りが、右隣からは困惑と葛藤の声が聞こえる。
そして、それ以外の生徒からは嫉妬・侮蔑・嘲り等の黒く、重い感情が渦巻いている。
それこそが、レイが求めていたものだった。
(人とは本当に醜く、愚かで、見苦しい・・・)
そう考えると笑いが零れそうになった。狂った様に笑い出しそうになる気持ちを必死で抑えながらレイは無表情に先生の言葉を聞く振りをしていた。
レイがマリアを怒らせた事、実は全てレイの計算でした。レイにもレイなりの計画がありました。そしてそれに利用されたマリアちゃんは気の毒ですね。
因にマリとマリアの御兄妹は貴族ではなく、町の中から実力で学園に入った子達なので身分にこだわりは持っていません。