32:校内見学(薬学)
校内に人影はなかった。授業中なので当然だろう。逆に生徒を見かけてしまったら事情を聞かなければならなくなる。
レイが意識していなくても、時折人の声が聞こえて来る。
女子特有の高い声、男子特有の低い声、先生特有の大きく通る声、校庭から聞こえるかけ声は剣術の授業だろうか?途切れ途切れに金属のぶつかり合う高く鋭い音が聞こえる。
「何処を見に行く?」
アルが全員に聞く。
「え〜と・・・先生に挨拶に行きたいな」
ロリエが真っ先に意見を言った。
「その意見には同感だ。まずは正式に挨拶に行こう、それから先生に授業の見学の許可でもとるか」
アルが話をそうまとめると、レイとファラルを除く全員が頷いた。
レイとファラルには分らない、ハッキリと言うとどうでもいい話だった。
アルが《教職員室》と彫られている扉を三回ノックした後、失礼します。と言って入っていく。
ロリエ達も同じように続くので、レイも倣って部屋に入った。ファラルも後ろに居る。
「特別編入試験受験者の身元引き受け人アルシア・トニンです。挨拶と校内見学の許可を戴きに伺いました」
アルが代表で頭を下げて口上を述べた。
「アルシア君!ローリエ君にヘルスト君、ベクトル君も!久しぶりだねぇ、元気にしていたかい?」
近くに居た教師が立ち上がって、アルの元へ近づき握手をした。全員にそれをする。
「ヘルマン先生もお元気そうで何よりです。他の先生方もお変わりなく?」
ロリエが笑顔でヘルマン先生と呼んだ教師に質問する。
「ああ、ギーゼラ先生とフォール先生には会ったんだろう?四古参は化け物並みに元気に駆け回るし、ロアーク先生はしょっちゅう倒れてる、他の先生もザハロフ先生が暫く前に腰痛になった以外変わりはないよ」
「相変らずなんですね」
ヘルスがしみじみと呟く。
「君の身長も相変らずだね」
ヘルマン先生は清々しい程の笑顔でヘルスのコンプレックスを突く。
「ヘルマン先生のその毒舌もお変わりなく」
引き攣った笑みでヘルスが答える。
(抑えろ)
(分ってる)
ベクターの小声の忠告にヘルスは素直に返事をしていた。
その言葉から、ヘルマン先生は逆らうと何かが待っているという事が分る。
「さて、そちらのお嬢さんが今回の受験者かい?」
ヘルマン先生の手が差し出された。
レイはその手を取り、
「レイ、と申します」
と簡単に自己紹介を終えた。
「そちらの方は?」
ヘルマン先生の手がファラルの方へ差し出される。
「ファラルと言う。レイの保護者だ」
こちらの紹介も簡単だった。
レイが部屋の中を見回すと、仕事をしながらこちらに注目していたり、ただ仕事に没頭していたり、近づいて来たり、仕事もせずにこちらに注目したりしていた。
全体から見れば教師の数は疎らだった。
勿論、授業中なので当然の事だろう。
「こっちに寄った、っていう事はあっちの方にも挨拶に行くのかい?」
レイにはヘルマン先生のいう意味が分からなかったが、アル達には分ったらしい。
「ええ、一応そのつもりで居ます。時間があれば、ですけど。そこで、物は相談なんですが手の空いている先生が居るのでしたら引率をお願い出来ないかと思っているんですが」
「分りました。僕が空いてるから僕が付いて行きましょう」
爽やかな微笑みで目の前に居るヘルマン先生がそう返事した。
ヘルスは露骨に嫌そうな顔をしていたが、またベクターに諭され何も言わずに耐えていた。
「それでは時間が勿体無い。早速レイさんに校内を案内しなければ」
言うが早いか、既に先頭に立ち扉を開けているヘルマン先生に、
「実は授業があるでしょう?ヘルマン先生。それに、まだ挨拶が済んでいません」
アルはそう言って、ヘルマン先生を睨む。
先生は動じる事無く、
「気にしすぎていると禿げてしまいますよ?」
と依然として笑いながら言った。
結局、ヘルマン先生は強引に押し切り授業をエスケープしてレイ達の引率に当たった。
アルは納得出来ていないようだったが、先生達にも“構わない”と諦め気味に言われてしまったので渋々了承した。
それでも部屋に居る先生方全員に挨拶回りをして今に至る。
「ここは教室棟です。学園内には建物が分類すれば9棟あって、3棟が普通科、3棟が魔術科、2棟が武術科棟が残りの1棟が共同棟です。全ての建物は学科ごとにつながっていて、魔術科・普通科・武術科をつなぐのは共同棟です。全校生徒が共同で行なう事がある場合は共同棟に集まります。校庭や裏庭・中庭は共同使用それでも学科ごとに専用の校庭はあります。森はどちらの学科も一定の学年に達すれば出入り自由です。他にも細かい建物がありますが行けば説明しますので今は省略します」
ヘルマン先生はレイの為だけに校内を案内し、説明してくれる。
アル達には勝手知ったる母校なので説明は必要ないだろう。
「アルシア君、授業の様子も見せた方が良いですか?」
ヘルマン先生が、無口と言うか必要最低限、もしくは気分が乗っている時にしかよく喋らないレイとファラルにさじを投げた。
「そうですね。その為に先生の引率を頼んだような物ですから」
あっさりと結論を出す。
「それでは、レイさんはどの授業が見たいですか?」
意見を取り入れようとしてくれるヘルマン先生に、
「薬学、の授業が良いです」
と答えた。
「魔法系・毒系・治癒系ならばどれですか?」
魔法系とは魔法を使っているような効果が出る薬草や毒薬の薬学で、3種の中では一番高度で魔法の理論が分っていないと作る事が難しい。
毒系は、どの草を混ぜれば毒になるのか、から解毒法、毒の分析、麻酔の開発、日本で言えば麻薬の研究をしたりしている。危険な研究でもあるので、先生の立ち会いのもとでしか実験などは出来ない上に、最初に嫌という程その危険性について叩き込まれる。
治癒系は比較的メジャーで一番分りやすく、広く親しまれている。新薬の研究・開発は盛んで、誰でも一度は習う必修科目でもある。
ヘルマン先生の質問には、即答で、
「治癒系の薬学の授業で」
と答えた。一応レイには3種全てが理解出来るが、魔法は今更見たくは無いし、毒はレイには意味が無い。はっきりと言えば治癒もファラルが居れば必要ないが、レイは薬学が好きだった。特に治癒系が。
「分りました。治癒はアマリリス先生です。優しいと言うか、普段は気弱な先生なので授業見学しても大丈夫でしょう」
またしても、清々しい笑顔でそんなことを言う。本当にヘルマン先生は良い性格をしている。
ヘルマン先生がある扉の前でレイ達を立ち止まらせ、先生自身は無造作に扉を開いた。
ずかずかと中へ入っていくヘルマン先生に教室内でざわめきが起きる。
「ヘッ、ヘルマン先生!?何かあったんですか?今授業中なんですが・・・」
慌てたような声が聞こえる。最後の方の言葉には困惑と混乱が見受けられ、段々と声は自信が無く小さなものになっていく。
「いえ、見学させたい者が居るんですが、良いですよねぇ?」
ふざけたような口調でヘルマン先生が言うが、疑問系で聞いているくせにその言葉はやけに断定的であった。
教室内では尚もざわめきが続いている。
「騒がしいですよぉ、皆さん?」
アマリリス先生に許可を求めたのと同じような口調で生徒に注意をする。
生徒はヘルマン先生の恐ろしさを知っているのか、直ぐに口を噤んだようだ。物音一つしない。
「で、先生。許可はいただけますか?」
恐らく笑顔で交渉しているのだろう。それも清々しい程の善意の固まりのような笑顔で・・・。
「は、はい〜」
泣きそうな声でアマリリス先生が了承の意を示す。
ヘルマン先生の性格は学園全体も熟知しているのだろう。
「入って来なさい、皆さん。許可はいただきましたので」
教室の雰囲気が変わったのが分る。
先程までは感じなかった静かなざわめきが起きているのを感じる。
「授業中にすまない。束の間、授業を見学したいと思っている。邪魔はしないので気にせず授業を続けてくれ。アマリリス先生、迷惑をかけてすみません。皆も今入れ」
アルが初めに入っていった。流石はこんな時の切り込み隊長、言うべき事が分っている。
全員で中に入っていく。
アマリリス先生は小柄な、まだ若い女の先生だった。控え目な、淡い色合いの服を着て、気弱そうな顔をしている。良くも悪くも弄られそうな人だが、嫌われる人ではない。
アマリリス先生とも面識があるのだろう。アル達は懐かしそうな顔をしていた。そして何より、アマリリス先生も嬉しいような驚いたような表情をしていたからだ。
生徒の中にも、全員を見て見惚れている子が居る。並んでいる姿は圧巻だ。
(あの人って、アルシア先輩?)
(その人って、有名なあの?)
(ああ、今は魔法小隊に居るんじゃ・・・)
(小隊の隊長って聞いたけど)
(でも、あの子誰?薄茶色の髪の可愛い子)
(青い髪の男の人と、薄茶色の髪した女の子は、見た事無いな)
(あっ、朝見た子!)
(そう言えば、特別編入試験受ける子が居るって聞いた)
(えっ!じゃ、あの女の子が?)
一斉に囁き声が聞こえる。授業は否応にも混乱してしまう。
「アマリリス先生、今日はどんな授業をしていたんですか?」
ヘルマン先生が、困惑しているアマリリス先生に助け舟を出す。
「あ、今日は・・・多岐にわたって活用出来る植物を調べて発表してもらっています」
その言葉で、生徒達が落ち着きを見せた。今が授業中だという自覚が出て来たのだろう。
不快そうな顔で、見学しているレイ達を見てた数人の生徒も、周りが落ち着いて来たのと同時に意識をレイ達から切り離した。
「そうですか、内容が分りました。中断させてしまってすみません、どうぞ続けて下さい」
ヘルマン先生は物腰柔らかにそう言った。
中断していたらしい授業が、漸く再開する。
「・・・・・・・・ということで、オウサ草には腹痛を抑える他にも、イリュラ草と組み合わせると頭痛の抑制、サンシルと組み合わせると解熱の効果があります。これで発表を終わります」
3組目の発表者の発表が終わると、先生が、
「何か質問はありませんか?見学者の方も、参加して下さい」
と聞いていた。手を上げる者は居ない、発表は完璧なのだ。
3組目の発表者の中には、レイ達の見学を不快そうに見ていた者が多かった。
「これ以上は迷惑になるだろうから、そろそろ出るか」
アルがヘルマン先生にそう言った。
レイがいつの間にか手を挙げていた、目立たない、注意を向けていなければ気付かない程度の動作で。
「どうぞ」
そう言われて、レイは口を開いた。
「足りない部分があると思います。発表された以外にも、ナツメの実と合わせれば咳止めに、コエルカの木の皮と一緒に煮詰めれば肺炎にも効きます。それに、イリュラ草は確かに頭痛の抑制をしますが、抑制はあくまでも抑制で、効果が切れた時に最初の何倍もの痛みが襲ってきます。一度に多量服用してしまうと幻覚作用もあって、廃人になる事もありますよ?それを薬と呼ぶ人は居ません」
“麻薬でしょう?”レイは言外にそう言っていた。そう、イリュラ草との組み合わせは麻薬になるのだ。これは毒薬系の授業をを取っていないと分らない事だった。しかも、教わるのは専門的な内容に入ってからだ。
アマリリス先生とヘルマン先生、そして生徒達は呆気にとられていた。対して、アル達は困ったように笑っていた。ハッキリと言うと、オウサ草は手に入れにくい事で有名な薬草だった。群生地を見つける事は難しく、実用には向かないからだ。麻薬になる、と言われても実感が湧かない。
発表していた生徒達の顔は数人を除き赤かった。恐らく赤くなっている生徒達が調べた事なのだろう。
アマリリス先生が、
「凄いわ、先生だって勘違いして覚えてた・・・」
と感嘆したように呟いた。
「それは恐らく、昔あった《リコーツ村 偽装薬事件》があったからだ、と言われています。当時、オウサ草の群生地近くにあった村の薬師が勘違をいして、オウサ草とイリュラ草で薬を作り、村人に売ったのが発端なんですが。当時、その事実が不十分に大陸全土に広がりオウサ草とイリュラ草の組み合わせは頭痛薬になる。と言う間違った情報が流れたんです。頭痛の抑制をすることと、手に入りにくいという事もあって中毒者は余り出ていませんが、その考えは広まり一部の書物にはその組み合わせが頭痛薬になる、と書かれています。・・・賢しらだった口をきいて申し訳ありません」
レイは軽々しく自分の知識を披露してみせたことを申し訳無さそうな笑みを浮かべて詫びた。
「流石、という所ですね。特別編入試験受験者なだけはある」
ヘルマン先生が笑ってレイにだけに言った。
「いえ、たまたま私も同じ間違いをしただけですよ」
レイもヘルマン先生に小声で返した。無論、嘘だ。
「そろそろ御暇しましょう。他の授業も見て回らなければ」
ヘルマン先生はアル達にそう言って先に教室を退出させた。
「それでは、すみませんでした」
ヘルマン先生は一言そう謝ると、アル達の後を追い教室を出た。
「ヘルマン先生もアマリリス先生も気が付かれていたんでしょう?何故言わなかったんですか?」
レイは、あてもなくただ校内を歩く、と言う行為をしているアル達の集団から少し離れ、ヘルマン先生にそう質問した。ファラルの近くに居るが話題に加わる気はないらしい。
「分っていたんですか・・・。聡い子ですねぇ、ですがアマリリス先生の対応は良かったと思いますよ。その方が生徒達も傷つかない」
レイは傷つかない、と言う言葉が引っかかった。
「いえ、あの授業は少数ですよ。生徒をあそこまで庇うのは。私の授業では酷い時には飛び出して行く子も居ますよ?私が精神的にズタボロにして。殆どの授業はそうです。その中でも数少ない息抜きの教科でもあるんですよ。必修科目でもありますからね、治癒系は」
つまり、飴と鞭を上手く使っているという事か。
と、レイは結論を出した。
「時間が無くなりますよ?」
いつの間にかアルが目の前に居た。
その目はヘルマン先生に非難の色を示している。
「そうですね、急ぎましょう」
全く焦っているようには見えないが、ヘルマン先生は先程の事を言い当てられた動揺を巧妙に隠して、アルの言葉に頷いていた。
今回も、草花の名前は適当です。
ヘルマン先生・アマリリス先生が出てきました。穏やかな、寧ろ気弱な先生です。でも優秀で自分のプライドよりも生徒の将来を第一に考えます。ヘルマン先生によく弄られ、姿を見るだけで拒否反応を示すようになるまで後少し!という感じです。
レイが今回出過ぎた発言をしたのは麻薬が嫌いだからです。