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血の契約  作者: 吉村巡
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146:託した言葉

 サラが自室で眠っている間、サラの母の部屋で温くなった水を取り替えたりと様子を見つつも、こまごまと動き回っているカナタへと不意に呼びかける声があった。

「……久しぶりね、カナタくん」

「ナリアさん、起きていたんですか?」

 かすれた弱々しい声は、ずっと眠っているとばかり思っていたサラの母であるティナ―リアのものだった。

 今まで眠っていた人が、起きてすぐに他人カナタを認識できるとは思えず、そう聞くと、

「少し、まえから」

 目を閉じたままそう答えた彼女に「体を起こしたいの。手を貸してもらえる?」と頼まれた。すぐに体を支えるように手助けするが、驚くほど軽い体と骨の感触がそう遠くはないであろう未来を現実に突き付ける。

 起こした体が冷えないように、ベッドサイドにあったサラが作ったらしきショールを羽織らせた。

「薬、飲めますか?」

「ええ。ありがとう」

 初めて見たときから、ナリアさんに対する印象は変わらない。

 白い肌、白い髪。

 雪のような儚さが、今は一層そう見える。

 超然とした外見は年齢すらも曖昧にしてしまう。

 温暖な気候で色素が濃い人間が多いこの国では、ひときわ異彩を放つ人。

「薬と水です」

「ありがとう」

 もう一度、小さく微笑んでお礼を口にしてから薬とコップに入った水を受け取る時、ナリアさんはようやくその双眸を露わにした。

 光によって薄紅の珊瑚から紅玉にまで色を変える、透き通る赤い瞳。

 魔物の瞳の色として忌避されることもあるが、暗く光のない魔物のそれと対峙することも多いカナタにしてみれば全く別の色にしか思えない。

「…これ、とてもいい薬でしょう?」

「魔術長が所蔵していたものです。残念ながら、もうそれだけしか現存していない、と。所持していること自体が表沙汰にできない代物らしく、快く譲ってもらえました」

「飲んですぐなのに、もう体が楽になってきたわ」

 その言葉は嘘ばかりではないようで、言葉を発するのも辛そうだったのが、穏やかな顔つきへと変化していく。

「カナタくん。私にはもう時間がないから、頼みごとをしてもいいかしら?」

 ナリアさんの唐突な言葉に、カナタは頷きとともに返事をした。

「まずはちょっと、昔話に付き合ってね」

 外見の儚さにそぐわない少女めいた雰囲気を纏うナリアさんの姿をサラにすら見せたことはないだろう、とカナタはなんとなく思った。

 あるいは、その身を蝕む病によって、ナリアさんが無意識のうちに、ずっと閉じ込めていた姿を曝け出させるのか。

 ナリアさんは決して大きくはない声で、それでも饒舌に昔語りをはじめた。


「始まりは、私の母が北の血を引く人だったことかしら」

 大陸の雪深い北の地では、冬の内職として織物や家具作りが盛んである。この国とも製鉄技術と引き換えに技術交流を行っている。

 商家の子供として、この国有数の針子だったナリアさんの母親、サラにとっては祖母にあたる人のことは情報として知っていた。

「その血が濃いのか、私はこの色に生まれたわ」

 北の人間は総じて色素が薄い傾向がある。この街にも北の地から定期的に商人がやってきており、珍しいものの忌避されるものではない。

 だからこそ、ナリアさんの色は北の血を引くから、というもので終わっても良かったのだ。

「日に当たるとすぐに火傷になる体質で、いつもフードを被ってた。日差しの強い夏は外に出ないし、格好は変だし、学校ではよくからかわれたりもした」

 小さく笑いながら、ナリアさんは語り続ける。

「どうして私だけって母を恨んだわ。それでも、両親は揺るぎなく私を愛してくれた。私が15になる年に、地震の被害によって死んでしまうときまで」

 20年以上前、この地方を襲った地震によって、少なくはない死者を出した。この街では、50人近くが亡くなり、200人以上の負傷者が出た。

「家族も帰る場所も失って教会で寝泊まりしながら、ようやく住み込みでお針子ができる職を見つけた。でも、あの母の娘ってことで色々あって、3年経っても職場に馴染めないままだった。そんな日々が嫌になって、自暴自棄になったの。職場を飛び出して、褒められない職に就いた」

 苦い口調だった。

「一番最初のお客さんが来る前には、もう我に返っていてね。自分のしでかしたことに愕然とした。なんて馬鹿なことをしたんだろうって後悔ばかり。全部終わった頃には自分の愚かしさを受け入れるしかなかった」

 良くも悪くも目立つ容姿をしているナリアさんがあの世界に足を踏み入れたのなら、この街ではもう後戻りできないことを示している。たとえ、客が来る前に逃げ出せていても、一瞬でも足を踏み入れたときから、多分普通の仕事につくことは出来なくなっていただろう。

「お店に来るお客さんたちも、相手をする女の人たちも、私は大嫌いだった。そんな人間の1人であることに吐き気すらした。女の人たちの中には借金とか、どうしようもない理由であそこにいる人だっていたのに。結局、どこに行っても私は周囲に馴染めない人間だったんでしょうね」

 最後に自嘲気味な笑みを浮かべて、けれどその言葉には後ろめたさや卑屈さはない。むしろ馴染めなかったことをどこか誇っているような気色すら感じた。

「サラの父親は、そんな大嫌いなお客さんの内の誰かよ。時期は特定できるけど、そのころ相手をした人の中の誰ということは分からない。お客さんは街の人たちだけでもないから」

 そうだろうな、と分かってはいることだが、改めて事実として口にされる言葉にはやはり衝撃もある。だからといってカナタがサラを遠ざける理由にはならない。

 サラがそのことを引け目に感じなければいいのに、と思う。

 そして同時に、ナリアさんは父親のわからない子供として産んでしまったことに、引け目を覚えているのだろうか、とも思った。

「サラがお腹の中にいると分かって、私はこの子を娼館なんかで育てないって決意したわ。娼館育ちの子は、親と同じ道に進む人が多かったから。女の子だって分かった時にはなおさらそう思った。その選択は、間違いではなかったと自信を持って言える」

 少なくとも、春を売ってお金を稼ぐことを、ナリアさんは積極的に肯定していなかった。むしろ、否定しているような空気すらあった。

「そして、サラが私を嫌わないように私の仕事についてなにも教えなかったし、守るという名目で周囲の人間に影響されないように家の中から出さなかった。でも……それはきっと、間違いだったと思う」

 その言葉によって思い出すのは、出会ったころの誰に対しても身構えて、会話すら上手く交わせないサラの姿。

 どれだけカナタが、そんなサラの手を引いてカナタの世界に連れ出そうとしても、戸惑うような途方にくれたような顔をして、ナリアさんと2人だけの世界に引き返してしまう。

「あの子の人生の根幹で、私は矛盾を押し付けた。たった2人だけの閉じた世界で、その矛盾がいつかサラを苦しめることを、あの頃の私は想像できていなかった」

 サラにとって、ナリアさんは絶対の存在だ。

 正直に言うなら、今、カナタとナリアさんのどちらかを選べという選択をサラに突き付けたとして、カナタが選ばれるという自信はない。

 ナリアさんが妬ましくて、けれどそれをサラに告げてしまえば、サラはカナタから離れていってしまうだろう。

「私はサラに、春を売る仕事を嫌うように教え込みながら、その仕事をしている母親を嫌わずに愛してほしいと囁き続けたのよ」

 たった2人だけの世界で、幼く真っ白だったサラは素直に母親の言葉に従っただろう。

 その矛盾に、気づくことなく。

 けれど、その矛盾に気づいたとき、サラはどうなるのだろうか。

「サラは、びっくりするほど優しい子だった。私には、もったいないくらい、優しくて良い子。愛している人に嫌いなところがあっったとき、むかしの私が当たり前に母親を責めていたように、あの子は当たり前みたいに自分自身を責めてるの」

 私の前では、隠そうとしているけどね。とナリアさんは言った。

「あの子は何も悪くないのに。その矛盾を抱くように育て上げたのは私で、だからこそサラが当然に責めるべきは私で正解なのに。あの子はそれを間違いだと思いこんでる」

 サラ()のことを想う時、ナリアさんの顔は紛れもなく我が子を案じる母親の顔だった。

「身勝手で醜い。けれど、愛おしくて美しい。人とはそういうものだって、あの子に伝えられなかった」

 悔しさの滲む顔だった。

「ずっと、籠の中に閉じ込めるばかり。それが、守ることだと私は思っていた。でも、心配する心に隠して、本当に守っていたのはあの子ではなく私自身だった。愛しているから、嫌われたくない。乗り越えられると思いながら、自信を持てない」

 後ろめたい気持ちが、声にも混じる。

「あの子を、良い子で居させてしまった。そのことに、今になって気づいても、これから死にく私の言葉は、もうあの子には届かない」

 だから、と。

「私の代わりに、サラに伝えて。サラを愛しているというのなら。不甲斐ない母親の代わりに、カナタくんが、サラサに教えてあげてください。母親を嫌ってもいいんだってことを。そんなことで揺らぐほど、母の愛は脆くも弱くもない。嫌われてたって、我が子を愛さずにはいられないのが母親よ」

 毅然と言い放つ言葉のあとに浮かべられた凛として美しい笑みは、ナリアさんに紛れもない神聖さを纏わせた。

 カナタは居ずまいを正して、それに答える。

「必ず伝えます。手遅れになる前に。ナリアさん」

 

 けれど、次の言葉を口にしたとき、聖母は一人の愛娘を持つ母へと変わる。

 サラにはまだ、伝えることのないナリアさんの言葉が、カナタに向けて告げられた。

「それから、カナタくんがこれからもサラを愛するなら認める条件が1つだけ」

 自分の気持ちが、数回あっただけのナリアさんにも分かったのか、と思った反面、その条件に対して身構える。

「サラサを幸せにしてね」

 どこまでも、ナリアさんの一番はサラのこと。

 カナタは、ナリアさんと同じ表情で宣言した。

「必ず果たします。僕の人生をかけて」

 だからカナタは、まず、この人を超えなければいけない。

 

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