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血の契約  作者: 吉村巡
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139:わたしの光

 ふわりふわりと、私の意識が漂う世界。

 遠いようでいて、いつも近くにあり。

 温かいようでいて、熱はなく。

 おぼろげなようでいて、鮮明な。

 光に満ちているようでいて、精彩を欠く。

 嬉しいことも、苦しいこともあった。

 まだ、そう長くもない人生を。 





 物心ついたとき、サラの家族はおかあさんだけだってことが不思議だった。

 不思議に思ったきっかけは、まだ出会ったばかりのカナタの言葉だった。

「サラには、おとうさんがいないの?」

 何の裏もない、純粋な問い。君には上か下にに兄弟がいるの?って問いかけるのと同じくらいの気持ちで、カナタはサラにそういった。

 “おとうさん”って言葉の意味を、幼いサラは理解していなかった。

 だから、問いかけられた時にカナタに何と答えを返したのか覚えていない。

 ただ、物心ついて“おとうさん”の意味を知った時、どうしてサラに“おとうさん”がいないのかカナタと同じように不思議でありながら、おかあさんに聞くことができなかった。

 けれど、成長するにつれてゆっくりと理解していくようになる。


 おかあさんは、サラが一人で家の外に出ることに良い顔をしなかった。

 おかあさんは、日中ずっと家にいることがほとんどで、朝や夕方ならまだしも昼間に出掛ける姿を見たことなんて、数えるくらいしかなかった。

 買い物は、ようやく朝市が始まるようなまだ人が疎らな時間にすませてしまうようで、おかあさんが帰ってきた物音で目を覚まして、朝食よりも先に買った物の収納を手伝うのが幼いサラの日課だった。

 サラが朝ごはんを食べる姿を見て、細々とした家事を片づけてから、

「あまり外に出ないように。出ても遠くへは行かないように」

 毎日のように、そう言い含めておかあさんは夕方まで眠る。

 サラはきちんとその言葉を守って、眠るおかあさんを起こしてしまわないように、静かに家の中で過ごしていた。

 2人きりの家族とはいえ、あまり体が丈夫でないおかあさんが支える家計は決して豊かなものではなかった。

 それでも、文字が読めるようになって本をねだったとき、おかあさんはサラのために普通の家では高価だと言われる本をひと月に数冊も買い与えるようになった。

 その本を、繰り返し繰り返し読みながら一日が終わるのを待っている。その月が終わるころには、与えられた本の中身を暗唱できるくらいになっているのが常だった。

 どうすれば今日が終わるのか困るほどの時間があって、この地区の子供たちが三日に一度通う、教会で開かれる勉強会の復習もする。難しい内容を習ったときは、時間がいっぱい過ぎていって嬉しいくらいだった。

 裏がまだ使える紙を教会でもらったときは、部屋の中や窓から見える景色、おかあさんの寝顔を丁寧に丁寧に描いたりする。

 そして、夕方の鐘の音で目覚めるおかあさんを見て、今日が終わったのだとホッとする。

 鍵を掛けて出かけるおかあさんを扉の前で手を振って見送った後、サラはベッドにもぐりこむ。

 すでに、“おとうさん”の言葉の意味を理解していた。

 サラの家が、教会で一緒に勉強している子供たちの家とは何か違うことにも気づき始めていた。


 三日に一度の教会に行くために外に出かけるときには、おかあさんがサラを見送ってくれる。

 お昼ごはんを持たせてくれて、サラは教会までの道を1人で歩いていく。

 初めておかあさんに手を引かれて、教会へ行くために家の外に出かけたときは、見るものすべてが物珍しくてきょろきょろと見回した。

 けれど同時に、そんなサラ達の様子を努めて無表情にチラチラと見てくる大人たちの姿にも気が付いた。

 彼らの目には、サラが窓から見ていた時に感じたはずの光がなくて、期待に膨らんでいたはずの心は見る見るうちにしぼんでしまった。

 家の窓から見る外の世界は、相変わらず光に満ちている。

 でも、外に出てから見る世界には光がない。

 唯一、教会で一緒に勉強しているカナタを除いて。

 だから、あんまり周りを見ないようにして教会に行く。

 教会が近づくにつれて、サラと同じように教会に向かう見覚えのある子供たちの姿が目に入った。挨拶をしようか迷って、結局できなかった。

 最初は交わしていたはずなのに、何回目かに困ったような戸惑うような目で、サラを見ているのに言葉が返って来なかった時から出来なくなっていた。

 教会までの道のりにあるお店から、他の子供たちには声をかけるのに、サラには一瞬だけ視線を向けて見ないふりをする大人たち。

 見ないようにしているのに、見えてしまうことがサラの心をチクチクと苛む。

 だから、おかあさんは外に出ないようにと言うのだろう。

 ようやく教会に着いて、一番最初にカナタの姿を探す。

 カナタは、頭が良くて魔法の才能もあって、カナタと仲良くなりたい子がたくさんいるくらい、すごい男の子。

 強い精霊と契約しているらしくて、王都にいる漆黒の方の下で修行をすることもある。二か月前もひと月くらい王都に行っていて、その間は会えなかった。

 カナタを見つけるのは簡単だ。

 人がいっぱい集まっているところを探せばいい。

 本人は、あまり人と付き合うのは好きじゃないというけど、大抵はその人だかりの中心に居る。居なければ、まだ来てないってことになる。

 時々、来てるけど人が周りにいないこともあるけど、そんなときはカナタの周りだけぽっかり空間が出来てるから、人が集まっているときよりも分かりやすい。

 今日は、カナタが先に来ていた。

 子供たちの輪の中心にいるのに、サラが来たことにすぐに気づいて視線を合わせて、笑いかけてくれたあと、周りの子たちに何かを告げて輪の中から抜け出すとサラのところにやってくる。

「サラ、おはよう」

「おはよう、カナタ」

 今日も隣に座っていいか、という問いが嬉しくて、サラは笑って頷く。

 自分から話しかけることができないサラに、カナタはとても優しい。

 それを、咎めるような目で見てくる他の子供たちに気づいていたけど、サラは唯一の光を自分から手放せない程度には欲深かった。

 歪な関係だと、なじられたなら否定はできない。カナタの優しさにサラは甘えるだけの関係だ。

 だから、もしカナタがサラから離れていくなら、それは仕方ないことだ。

 その時が来るなら苦しくても諦める覚悟を、幼いながらも持っていた。

 教会での勉強は、子供なら誰もが習う一般教養が午前。そして、午後からは基準よりも上の魔力を持つ子供だけが参加する魔術講習がある。

 すでに漆黒の方から指導を受けるほどの才覚を見せているカナタは勿論のこと、サラもカナタを除いた子供たちの中では魔力保有量が多く、午後からの講習に参加する。

 午前の授業が終わり、カナタがお昼を一緒に食べよう、と誘ってくれるのに頷く。手を繋いで、教会の庭にある小さな東屋に辿り着く。

 口下手なサラから根気強く言葉を引き出したり、話題を提供してくれたりして、1人家で過ごすときには有り余ってしまう時間が、飛ぶように過ぎていくのかが不思議だった。

「サラは、上の学校に進むの?」

「行きたい気持ちも、あるけど、はやく、おかあさんの助けにも、なりたい」

 普段から誰かとあまり会話をしないから、声は小さく、話す速度は遅い。これでも、カナタと話すようになった数年間でかなり上達した。

 教会に通い始めた頃、最初の授業で自分の意見を求められた時に「もっと早く言うように」と言われて、焦って言葉が出なくなる失敗をしてからは、そういった発表のときに当てられることが少なくなった。

 その代りのように、勉強が分かるようになった頃から難しいけど短い答えを求められたし、言うべき言葉が決まっている暗唱の時は人並みの速度でできるようになった頃に当てられるようになった。

 勉強や言葉の練習みたいな会話に付き合ってくれていたのはカナタだけだから、カナタが先生に何か言ってくれたのかもしれない。

「僕は、サラと一緒に上に進みたいな。それに、サラの紋章術とか術式の構成は漆黒の方に認められるくらい優秀なんだよ?上に進まないともったいないよ」

「…どうして、漆黒の方の話が、出てくるの?」

 サラのレベルは、この町の中では優秀の部類に入るというだけだ。カナタのように将来を嘱望されるような才能はなく、漆黒の方を見たことすらない。

 それに、カナタの才能は実戦で発揮されるものである。他方、理論と応用と精密さが求められる紋章術や術式構成は魔法の才がなくとも構わない。過去には、魔力を全く持たないながら紋章術の分野で名を挙げた者がいるほどだ。

 その人物が確立した技術は、現在まで受け継がれている。レースや刺繍に紋章を組み込むことで、自然に溜まる魔力や持ち主の魔力に反応して効果を発揮するという、高価ながらも一般化した技術だ。

 数年前に魔術講習で基礎を習ってから、材料がある時にサラも家の中で作っている。上手なのか下手なのか比較対象が見つからないけど、おかあさんには「売り物になるわ」と褒められた。

 おかあさんの死んじゃったおかあさん、サラにとっては会ったこともないおばあちゃんにあたる人は、お針子をしていたらしくて「その人の娘の言うから間違いない」と断言してくれる。

「サラがくれたお守りのハンカチを、ネレウス様に見せたんだよ。生地と同じ色の糸を使ってたから、僕は見ただけで全部を理解しきれていなかったけど、『王室御用達のお針子にも、これだけ見事な紋章を刺せる者は半分もいないだろう』って断言していたから、サラのことを自慢してきたんだ」

「それは、お世辞だと、思うけど」

 サラとしても、完成品が想像通りに出来ているから、上手にできたと思う。けれど、本物のお針子と比べて遜色ない出来なのかと言われると、自信は欠片もない。

 多分、漆黒の方はカナタが刺繍したのだと勘違いしたのではないだろうか。一般に、お針子は女性の嗜みと見られているから、男の子の、それも子供にしては器用に作っていると思ったのを大袈裟に言ったのだと、サラは考えた。

 でも、カナタの表情にも声にも、嘘をついている様子はない。

 それどころか、サラのことをまるで自分のことのように、むしろカナタ自身のことよりも誇っている様子だった。

 カナタは出会ったころから、感情に激しく左右されることがない。いつも、冷静で、穏やかで、無闇に目立つことを好まない。

 ことさら優秀さをひけらかすことはないし、周囲が勝手に騒ぎ立てるときには、一歩引き毅然として対応する。その姿はサラにとって憧れると同時に、カナタをどこか遠い人だと感じさせる。

 けれど今、穏やかに笑いながら、サラのことを自慢したのだと語るカナタは、サラよりもサラの近くにいるような気がした。

 気恥ずかしく思いつつも、じんわりと温かくなっていく心の正体が喜びであることを、カナタと出会ってから知った。

 その感情を抱きながら見る景色は、すべてがあたたかな光を持っている。

 だから、それを与えてくれるカナタに、サラはいつだって光を感じる。


   



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