137:要請の見返り
サラの容態が頭から離れないまま医務室を出たカナタは、校則違反となることも気にせずに人気の全くない廊下を疾走する。
魔術科の生徒は国家試験を受けることを目標とし、大陸統一魔術資格の取得を目指すものが多い。進路には魔法を活かせる魔術師を目指す人間が9割だ。この学園は国随一の教育機関だからか、国家魔術師試験合格率は8割以上。
その中で魔法技能ではない自らの体力や剣術の向上を重視するものは少ないが、カナタは剣術科の生徒に混じって武闘クラブで同格に剣を振るい、魔法技能以外の鍛錬も積んでいる。
カナタほどの魔法の才がありながら魔剣士として実用レベルに達している生徒は学園全体で両手に足りるほどしかいない上に、同学年では類を見ない。
魔剣士は魔術師としての才が足りない者が魔法に関わる職を得たいと選択する道である。魔術師として活躍できる才能をすでにを持つ人間は魔剣士としての前にまず魔術師として名を上げることを考える。
魔剣士の利点は、自らの適性が足りているのであれば無詠唱で武器にその特性を付与できる点にあり、なおかつ消費魔力量が最小限で済む。
大規模な魔法はそれだけで魔力を消費するし、周囲への影響も大きくなるので、才能が開花するようになるにつれて魔術師も力を押さえるために剣などに手を出すようになるのだ。
つまり何が言いたいかというと、卓越した身体技能を持つ今のカナタにぶつかる人間が居れば大惨事であろう速さである。そして、サラを思うあまりに身体機能の無意識的な制御が利かないのか普段以上の身体能力を発揮しているのに息切れ一つ起こさない。
そんなカナタが迷うことなく辿り着いたのは食堂だった。時間的に、今は剣術科の生徒が多いはずだ。夜は隠密性のある魔術科の生徒、昼は見た目で周囲を牽制できる剣術科の生徒が警護兼雑用を担っている。
入り口で魔法を行使して、走っている間にリストアップしておいた体力と筋力に見所のある生徒を問答無用で引っ張る。
緊急事態や決められた目的・場所以外での魔法の行使には校則でいくつかの決まり事がある。その一つには、『食堂、講堂、普通科及び武道科での一般生徒及び教職員を巻き込む魔法使用の原則禁止』という一文がある。
瞬く間に宙に浮き上がり、そのまま移動する何人もの生徒。
他学科、上級生や下級生、同学年など関係なく食堂中が静まり返り、どれほどの注目を浴びていても、それはカナタの前には些事であった。
そして、カナタの頭の中には校則のことなど欠片も気にする要素ではなかった。自分でも、どこか異常であると判断しながら、それでいいと開き直るような。
いきなりの事態と暴挙に目を白黒させている生徒に向かって、カナタは指示を出した。
「特別任務が下った。明日朝10時、城の転移門前で送られてくる荷を学園へと搬送する。荷の中身は不明だが、くれぐれも慎重に扱うように。明日の日中の通常任務も滞りなく行うために、代役申請を行うので各自の担当者に書類を本日中に提出。明日は朝8時に学園正門前に集合。以上、なにか質問は?」
異議を唱えれば即座にカウンター攻撃を喰らわされそうな、有無を言わさぬ気迫に、カナタが選んだ生徒達は反射的に、「了解しました!」と返事をした。
カナタは、学園の中でも指折りの実力者である。
そのとき食堂にいた誰もが、普段は冷静な彼の不用意に触れてしまえば爆発しそうな感情の逆鱗に、決して触れることがないように何よりも神経を注いでいた。
目星をつけていた人間をほぼ確保すると、カナタは次にすべきことを頭の中に羅列して行く。
食堂から次に向かうのは通信室。
(彼らの仕事の代理の話はアマリリス先生の名前を出して担当の人間に俺からも話を通しておく。俺の区分はサラが倒れたときからアマリリス先生の担当になっているからいいとして、問題はレイの言っていた荷物がどれだけの数あるか。効率を考えれば荷馬車、最低でも荷車が必要。転移陣で普通の無機物を送るときは魔力の消費を省くために規格化された箱に詰められて送られ、全てが検査にかけられる。荷物の運び出しは転移陣の性質によって転移棟内全域で魔法の行使は緊急の場合を除いて禁止されている。転移棟から学園に直通の陣もあるが、使われるのは第一級以上の制限がかけられたモノに対してのみ。検査で引っ掛からないようなものなら流石に許可は取れない)
学園は貴族地区にあると言っても、庶民地区に隣接しており、また周囲より高い場所に位置している。転移棟のある城からはやや距離がある。
(本家に連絡を取って荷運びの道具を手配して、セイジに協力を仰げば、今の町の状態なら最低でも兵用の帝都警備ルートを使わせてもらえる)
セイジの家は兵や軍、騎士、警邏などに対して顔が広い。
使えるものは使う。
普段なら友人に対してこんなことを思ったりはしないのに。
自分は、どこかおかしくなっている。
それを自覚し、けれど気に留めない。
なぜならこれが、サラを失わなないための対価である。
怖いのだ。
前よりもずっと、そう、バランドロ国から、自分とサラの故郷がある国から帰ってきてから。
大切なものが零れ落ちていくような、そんな恐怖。
そして、それをカナタはどうすることもできないでいる無力感。
通信室の管理人に許可申請書を貰おうとすると、すでにヘルマン先生から許可が出ていると返された。
手間取ることなく通信魔具をセイジの家の波長に合わせる。
上級使用人らしき男の応答があり、幾度かの言葉を交わすとしばらく間を置いてセイジが出た。
『カナタ、なにかあった?』
突然の連絡にセイジの声にはわずかに心配の色を感じる。普段ならば軽い挨拶から本題に入るところだが、
『単刀直入に言う。セイジのお父上に国の帝都警備ルートを学園生徒が運搬作業に利用させてもらえるよう働きかけていただくことは可能か?』
『ことによる。運搬作業と言ったけど、何を運ぶつもり?それは何のために運ばれる?』
セイジの声が、貴族という身分をもつゆえの義務感に満ちた真面目なものに変化する。
『わからない。レイが手配したらしいが、中身までは口にしなかった』
『レイか・・・父に、話だけは通してみる。幸い、いま家にいるからね。四半刻後にまた連絡して』
『感謝する。ありがとう、セイジ』
カナタはそう言って通信の波長を遮断する。
続けてカナタの実家が経営している店の本家へと波長を合わせる。
聞き覚えのある家令の声が答えて、カナタが形式通りに名乗り、用件を述べようとして本家当主に代わると返事があった。
正直、あの当主は苦手なのだが、今はその態度を表に出すわけにもいかない。
『やあ、カナタ君。何かあったのかい?今度はどんな頼み事を聞かせてくれるのかな?』
愉快さを隠さない当主。
『荷馬車、もしくは荷車をお貸しいただけませんか?』
『おや。君がそんなことで頼ってくるとは。学園にもあるだろうに』
『性能と整備が違います』
『構わないけど、君は何をしてくれる?そうだね、早く卒業して仕事でもしてもらおうか?』
その定型文が出てきた瞬間、切りたくなった衝動をねじ伏せる。感情を出さない声で、
『それはできません』
わずかな沈黙が続き、やがて当主が、
『ははっ、相変わらずだね。いいよ、別に。急かすつもりもないしね。どこに運ばせておこうか』
闊達に笑い出し、やがて笑いを噛み殺すように聞いてきた。
『できれば、転移棟に』
『手配しておこう。人手は?』
笑いを完全におさめて、普段を思えばありえないほどに協力的な申し出を当主のほうから出してくる。
『人員はこちらで確保しております』
『そう。用件はこれで終わりかい?』
『はい。ありがとうございます』
『構わないさ。テーベリア家の令嬢と繋がりをつけただけで、ね』
そういうことか、と納得した。ついでに、情けをかけてもらったことにも。
『自分は何も。友人との繋がりが僥倖をもたらしただけです』
『これからも、君には期待しているよ』
通信を切る。
相変わらず耳が早く、フットワークの軽い人だ。
当主には、テーベリア家のことをカナタに話さないという選択肢もあった。
「あの方は相変わらず」
思わず漏れた言葉を続ける前に気づき、深く息をする。
儲け話が好きで、自分に利がある人材に対して鼻が利く。確かな審美眼を持ち、危険と利益を正確に嗅ぎ分ける。
商人としての才は大陸でも一、二を争うだろう。
だが、カナタはあの当主が好きではない。
嫌いというよりは憎悪。
苦手というよりは不倶戴天の敵である。
それをわかっていてなお、あの当主はカナタに対して利を見出す。
ささくれた気持ちのままでセイジに再び連絡をするわけにもいかず、心が静まるまで、ひたすら無言で拳を強く握っていた。望まぬ事態として予測はしていたが、毎回毎回これは神経が擦り減らされる。
けれど、あの当主を許容する気持ちは一ミリたりともなかった。
心をようやく落ち着けた頃には、ちょうど良い時間となり再びセイジに連絡を取るために波長を合わせる。そのとき、ピリッとした痛みを感じて、ふと手のひらを見るとくっきりと血が滲む寸前のような爪が食い込んだ痕があった。
またふつふつ泡立ちそうになった怒りを必死で冷まして、繋がった波長にだけ意識を向ける。必要な事以外には思考を無にする。それだけが、あの当主と話さざるを得なかった後の対処法だった。
セイジの家に波長が重なり、本日3度目の取次ぎを繰り返す。
先程よりも待たされず、セイジに繋がった。
『カナタ?君に頼まれた件で、父に話したらすでに許可が出ているみたいだけど』
『すでに?誰が許可を』
『バランドロの魔術長殿。カナタはバランドロ出身だよね?カナタの魔法の才なら元々面識があっても不思議ではないけど。最近までバランドロに行っていたんだし、その時に顔を合わせてないの?』
『ああ。夜会で軽く挨拶したのと、その後に色々あって少し言葉も交わしたが、そんな話は聞いていない』
『父も詳細を省いて依頼されたと言っていて、何を運ぶのかについての書類も荷物と一緒に届くらしい。でも、口頭でのやりとりを聞く限りは取り扱いが危険なものではないとのことだった』
『なんにせよ、送られてくるなら誰かが運ばなければいけないものに変わりはない』
そうだね、とセイジは相槌を返した。運搬役は学園の生徒が勤めるだろうということもバランドロの魔術長が伝えていたらしい。
『レイはどうしてカナタにそれを頼んだんだろう。何より、レイはどこまで知っていて、何をしようとしているんだろう?』
セイジの口をついて出た疑問に、ひとつだけカナタはどこか確信を持って答えた。
『終わらせようとしているんだと思う』
『何を?』
『原因不明の流行病を』
まるで、すべてを見越していたかのような動揺のなさ。
これから起こる結果を知っているかのような迷いのなさ。
お膳立てされているかのような微かな不快感と、それを上回る安堵感。
すでに書かれているシナリオ通りに動いているような、動かされているような、奇妙な感覚。
けれど、カナタがサラに抱く想いは紛れもない真実だ。だからこそ、分からない。
すべてが整えられた舞台で何も知らずに奔走する『役者』がカナタたちだとしたら、脚本通りに舞台を整えていくようにも見えるレイは『何者』になるのだろう。
舞台を書き綴る脚本家か。
その舞台を管理し動かす監督か。
本来なら存在するとは思えない『救世主』は、何を思いながら舞台に介入するのだろうか?