134:終息への一歩
事前にレイのワンクッションがあったにしてもアマリリス先生とカナタは咄嗟になんと反応していいのか混乱していた。レイは二人が混乱している間にささっとファラルに近付いて両手を差し出し、猫を受け取った。
手慣れた様子で猫を抱き上げるレイにカナタはふと込み上げた場違いな質問を口にした。
「レイ、猫を飼ってたの?」
「動物を本格的に飼ったことはないわ。一時的なら何度かあったけどね。先生、この猫はすぐにいなくなりますから、医務室に連れて入ったことを見逃していただけませんか?」
「暴れたりしないなら構わないけど」
レイはありがとうございます、と小さな笑みとともに口にしたあと、おもむろに目を閉じて猫の額と自分の額を合わせてどちらも微動だにしなくなった。
ほんの数秒のことだったように思う。
レイが目を開けた途端にレイの腕の中の猫が青く燃え上がった。
カナタとアマリリス先生は驚きに声を上げようとして、けれど不自然な点に気付く。
燃えているのに啼き喚き、暴れることしない獣らしくない猫と、燃え広がるどころかレイを傷つけもしない炎に虚をつかれたように目を見開いた。
レイは状況を飲み込めていない二人に頓着せず手のひらの中の砂に戻った猫を窓に近付いてそこから撒いた。
必要な情報は全て受け取った。薬を服用したのは夕方だが効果はすでに現れている。
「では、サラに先に薬を服用させて良いですか?理論とレシピはその後です」
手をパンパンと払い、カナタとアマリリス先生の方に向き直ってそう提案したレイに、
「頼む。何かあったときの責任は俺がとる。サラに何かあったときのサラに関する決定はサラ自身から俺に一任されている」
カナタは迷いなく、そう答えた。
本当は理論を聞いてから服用させるほうが望ましいことは分かっている。けれどカナタはいち早く苦しんでいるサラに薬を服用して欲しかった。レイの使用する材料を見る限り猛毒になるような組み合わせはなかった。少なからず一般的でない薬草も混じっていたが、それらが猛毒にもなりうる類いの薬草という記憶もない。もし失敗していたとしてもすぐ命に関わることはないだろう。
「なら、カナタは飲みやすいように小瓶一本分をコップ一杯の水に混ぜてからサラに飲ませてあげて。先生にはもう説明始めておくから」
「分かった」
カナタはテーブルの上に置かれた小瓶を手に取って手際よく準備をし、サラを起こしている。
それを尻目にレイとアマリリス先生はファラルが用意した医務室の椅子に腰掛けて差し向かう。
「では、薬の効能と理論について説明させていただきます」
改まった言葉遣いは、レイが目的以外に持つごくごく小さな、病に苦しむ人間に真摯に向き合う意思によるものだということにレイを含め誰も気付かなかった。
レイは淡々と口を動かした。
「まず、流行病の症状と原因は何かについてですが、学園ではどこまで解明されていますか?」
それが分かっていなければ薬にどんな効果があり、それがどう影響して快方に向かわせるかを理解してもらえない。
「寒い地域を中心に発症者が多く、けれど罹患した患者に罹患しているという自覚が少ない。主な症状として発熱とそれによる諸症状があり、今までの死因は高くなり過ぎた熱が原因で発作や衰弱であると推測が出ています」
「寒い地域が発症地域だとして、冬はありますが寒い地域に含まれないここを含めた地域にも広がっている理由は?寒い地域が中心となっていますが寒い地域が全て、というわけではありませんし」
責めるような口調でも視線でもない。ただ全てを見通そうとするレイの目にアマリリス先生はいつの間にか言いようのない緊張を抱いていた。
「発症地域が広がってきているのは商人によって伝染したのではないかとの説が有力です。そして、寒い地域とはいってもかなり離れた地域であったり、高山地帯であったりします。地理的な要因もあるので寒い地域全てを含むことはしませんでした」
「他に、気付いたことは?」
アマリリス先生は何故だか、部屋は一定の室温に保っているのに背に冷や汗が流れる心地がした。
「他国と交戦をしていたり、凶作であったりといずれも内政不安を抱えていることから精神的な病ではないかとの意見も出ていますが、推論の域を出ていません。それではどうしても感染の説明がつきませんから。そして、ここから先は何も進んでいません」
「分かりました」
レイはそう言って一度ゆっくりと瞬きをすると怒濤のごとく原因を口にのせて吐き出した。
「私は今回の流行病は精神的なものだと確信しています。口で説明するよりも見ていただいたほうが早いのですが、この病にかかる人間は総じて魂が疲弊しています。つまり、何らかの傷を受けている魂に病が入り込み、病から身を守ろうと体が過剰に防衛反応を起こす。魂と体は密接に関係していますが、魂が疲弊するとこれ以上の負担を軽減しようと体は感覚を感じにくくなります。これが、今回の流行病で自覚症状が極端に少ない理由です。感染経路については治癒に関係ない上に予防策もありませんので今は省略して説明しますが、つまり、この病を完治させるためには傷ついた魂を癒さなければなりません」
そこで言葉をきったレイは、もう一度ゆっくりと瞬きし無表情に言った。
「たぶん賛否両論ある薬です。・・・私の作った薬は向精神薬です。それも、限りなく麻薬に近い」
アマリリス先生はサラに視線をやった。カナタはぼんやりとしているサラに薬を入れた水を飲ませ終えたところだった。話は聞こえていたはずだが表面上は動揺の色が見えない。
「何をもって麻薬に近い、と言うのですか?」
「依存性です。少量でも長期間服用すれば依存症となり最悪の場合一生この薬を服用し続けなければ生きていけなくなります。体の機能に害はありませんが幻覚や幻聴、妄言に恒常的な極度の不安や突然の怒りなど日常生活に支障が出ます」
アマリリス先生は流石に薬の副作用の危険性については慣れているのか、目で続きを促した。
「魂の傷を擬似的な高揚感、幸福感で満たすことによって塞ぎます。一度塞いで、その間に体を健康に戻し薬の効果が切れても病に負けないようにするのです。これが、完治のための方法です。薬は3日に1度。小瓶一本を水に混ぜてです。個人差はありますが依存性を考えれば1ヶ月以内に完治まで辿り着くのが望ましいですね」
「どうすれば、体を健康に戻せるんだ?」
わずかに不安そうなカナタがそう聞いて来た。
「まず、体調を整えること。次に、例えるなら薬がなくても魂の傷から再び血が流れないようにすること。個人的には後者が問題だと思う」
主だった説明は終わったので小休止のような質問には無意識に口調が少しくだけたものになる。
「そう、か。・・・サラは、どうして」
「疲れが出たのかもね。バランドロ国で色々あったし、魂に負荷がかかったのかもしれない。そんな、傷の隙間から入り込んで気付かれないように奪っていく病だから」
本当の原因となったであろう理由を、レイがカナタに伝えることはなかった。
少し考え込んでいたアマリリス先生は、薬の有用性と危険性に折り合いを付けたのか麻薬に近い、ということに関して深く言及することはなかった。むしろ、いったんほっぽり出してこう聞いて来た。
「先程レイさんが省略した感染経路は?」
「まず気付かなければならないのは内政不安の原因です。多くが凶作もしくは戦乱ですが、戦乱の原因もまた飢饉です。では、凶作の原因は何か?・・・それは“魔獣”です。記録を見てみると、ここ十数年の間に歪みによる魔獣被害が増えています。ですがもし、歪みから渡って来たその中に人の魂に寄生し力を吸い取る能力を持った“魔物”がいたとしたら?」
「「・・・・・・」」
「本能的に効率よく力を得るために、歪みは血が多く流れているところや食糧である人間が多く住んでいるところ、多くの人間が同一の負の感情を抱いているところに出現します。魔物にも転移できる種がいますが、その多くが転移できる距離は限られていますので一足飛びに他地域に移ったりはしません。これが私の出した特定の寒い地域で流行病が発症し、帝国でも流行り始めていることへの簡単な見解です」
(本当は、力を広げるのにそこまでしか制御できないからだろうけれど)
レイは心の中でそう呟いたが、口に出すことはなかった。
そんなレイを、ファラルは何の感情も浮かべていない目で見つめていた。