132:二度目の要請
レイは平坦な声で、首を小さく傾げて尋ねた。
「急にどうしたの?カナタ」
遠くから足音が聞こえたので、その方向から足音の主が現れるのを【蓮華館】の玄関に移動してファラルと2人で待っていた。そして、現れたのは振り乱した髪を気にすることなく全速力で駆けて来た、必死の形相のカナタだった。
「サラがっ、昏睡状態でっ!流行病のはずなんだ!!なのにっ」
必死に、縋るように、掴み掛かる勢いで捲し立て始めたカナタの言葉を、場違いに小さく声をたてて笑うことで遮って、
「つまり、サラが流行病に罹患し、短期間にしては前例のない重篤症状に陥ったって言いたいのね?」
と、全てを見通しているかのような言葉をかけた。
「で、カナタは私にどうして欲しいの?どうして、私のところに来たの?」
あまりにも悠然としたレイの態度に感化されたのか、カナタも警戒心という若干の冷静さを取り戻し、そして問う。
「・・・レイなら、サラを助けられるか?」
カナタの、根拠のない確信を信じている言葉に、
「友人である君が、助けて欲しいと言うならね」
カナタは、間髪入れずに、当たり前のことのように懇願した。
「サラを、助けて欲しい」
レイは答えた。至極あっさり、
「いいよ」
と。
結果の確認はまだだが師の残した製薬法にレイは揺るぎない信頼を置いている。確認が終わってから作り始めるのも、作り始めた後に確認を行うのも順序は違えど同じ結果をもたらすとしか思っていない。
勿論、レイは師が完璧な存在だとは思わない。でも、この薬に関しては師が既にその効果を知っている。だから、師の全てを受け継いだレイはこの薬の効果について一片の疑いも抱いていない。
レイはサンプルとして送られた物を全て持って学園へと向かう。幸い【蓮華館】にいる馬を二頭借りることが出来たのですぐに着けた。
「サラはどこに?」
ファラルと相乗りしていたレイは学園に到着し、ファラルが手綱を引いた馬からひらりと飛び降りると、同じように飛び降りたカナタに手短に聞く。
「医務室だ」
その答えを聞いて走り出したレイに続いてカナタも走り出す。
ファラルは走り去っていく二人を見送った後、まず二頭の馬を学園の厩に預けに向かった。
レイは息を乱すことなく医務室の閉められた扉の前に立った。
カナタには薬作りに必要な機材を一式持って来てくれるように途中で別れたのでレイ1人だ。はっきりとノック音を響かせると中から入室の許可が出る前に、その扉は開かれた。
「何度も言いますが、入ってはいけま・・・レイさん?どうして貴女が」
扉を開けたのはアマリリス先生だった。最初の言葉から推察するに何度か入室しようとした生徒__恐らくカナタ__がまたやって来たのかと思ったらしく強い口調で窘めようとしたが目の前にいるのが予想外の人物だったことに驚いて思考が混乱しているようだ。
都合がいい、とレイは思った。
「入室させていただきます。この流行病は伝染するものではありませんから」
平坦な口調で情報を一気に流してアマリリス先生が上手く状況を読み込めていない隙をついて先生の脇をスルリと通り抜けて医務室に入る。医務室の入り口から見て左の壁際にベッドが並べられていて、その一番入り口に近いベッドに真っ赤な顔をしたサラがぐったりと眠っていた。
周囲に人はいない。伝染するかもしれない病気を持った人間に割ける人員がいないのだろう。アマリリス先生の周囲は微弱な風魔法で少しだけ開けた窓から外の空気を交換しながら室内の空気を吸わないようにしている。
「発熱はいつ頃からですか?」
サラの額や首に触れて熱を測り、ベッドの傍らの台に置かれた水桶に温くなったサラの額に置かれた手巾を浸して絞り再び載せながら平然と問いかけてくるレイに、事情を問いただすことを諦めたのかアマリリス先生は、
「カナタ・シルロードが異状に気付いたのは朝9時頃ですが、恐らくそれ以前から無自覚の発熱はあったと思われます。正午を過ぎた辺りで意識混濁に陥る高熱、今は解熱剤で抑えています」
「水分はこまめに摂らせていますか?」
「30分に一度、コップ4分の1の水を摂取させています」
コップの実物を見せてもらい、多めの水と空の水差し、塩と砂糖を用意してもらう。
アマリリス先生が用意のために部屋を出て行って、部屋にはレイとサラの二人きりになった。
医師なんかはいない。薬室も遠い。この棟に人はほとんどいない。
“隔離”されているのだ。
あんなに必死になっているカナタが、まだここに来ていないのも隔離環境のせいだ。
レイは目を開けないサラのかすかに上下する胸に手を置いた。
周囲に漏れないように普通ならば視認できない魔力を行使した反発による心理的な浮遊感をものともせず、レイはサラの胸から立ちのぼるレイの目にしか見えない靄を、置いた手を通してレイの中に入れる。
サラの呼吸音が安定した。
微かにまつげを震わせ、その目は、ゆっくりと開かれた。
「・・イ、なん、で?」
擦れた、弱々しい声。目を覚ましたとはいえ意識は多少不明瞭なようだ。
「カナタに泣きつかれたから」
笑って答えるレイはサラの潤んだ瞳に差した影を、いま追求することはしない。
特別処置でレイが下げた熱は再びジワジワと上がり始めたのか苦しそうな様子でまたサラが瞳を閉じる。
「治すからね」
レイは静かにそう口にした。サラは弱々しく、どこか困ったように口元に弧を描いた。
カナタが機材を持って急いで、けれど慎重に医務室にやって来た直後、アマリリス先生が医務室に戻りカナタの姿を見て諦めたように小さく息を吐いた。
「シルロード、何故、レイさんを連れて来たんですか?」
「自分の信念を貫いただけです。このままだとミカサエルが重篤症状に陥る危険があったのに、ここには医務に割ける人員が少ない。だったら、何の資格も持たないけれど、誰をも圧倒する薬学の技量を持つレイに賭けました」
アマリリス先生は今度は薬作りの準備をしているレイに問いかける。
「レイさん、貴女の実力を確かに学園も私も買っています。けれど、いまから特効薬を一人で作り出すのは不可能です。せめて、薬学教室へ行って、いままでの資料を」
「私は言いませんでしたか?“特効薬を新たに開発すること”に協力する気はない、と」
簡単な言葉遊び。そう、レイに開発なんてする気はない。すでにレイの知るこの病に有効な特効薬は師匠によって開発されているのだから。更に言わせてもらえば、師匠は発表だってしていた。だから、人々が気付いていないことを知っていたが、それを指摘する気は起きなかった。
だってレイは、人間が嫌いだ。
師匠を、母を、利用し、依存し、迫害し、無知ゆえに切り捨てた人間がいくら死のうとどうでもいい。
でも、師匠も母も人間で、目の前で苦しんでいるサラも人間だ。
だったら、人間を救う理由はある。好きになる理由もある。
(私に欠如してるのは不特定多数に対する思いやり、かな)
冷静にそう自己分析してみるけれど、罪悪感などいっこうに芽ばえない。
人々が切り捨てた中に救いがあった。自業自得。巻き込まれた人達は残念でした。
それだけのことだ。
師匠も母も人を好きだったから神との契約で薬のレシピをこっそり流す手筈は整えていたけれど、表立って関わる気はなかったのだ。カナタに縋られる前は。
「すでに作り出され発表されているものを自分が作り出した、と言うほど厚顔にはなれません。知らない人間が再発見することは、別だと思いますけどね」
平然と言い放ったレイの言葉に、アマリリス先生は絶句して立ちすくんでいた。