127:閉ざされた心
孫の無事を確認したあと、父親は元自警団長として近所を駆け回り、半狂乱の人達を宥め、事態の解明に奔走していた。 しかし、真実はすぐに神殿や城の者からもたらされた。
曰く、
『この事態は禁忌とされている悪魔と魂の契約を結んだ双黒である緋の魔女によってもたらされた。現在、この魔女は逃亡中であり双黒の賢人が魔女を追っている』
と。
だいぶ落ち着いてきているが、まだジークフリードの服に顔を押し付けて泣いているマリアを安心させるように、その背をゆっくりと叩きながらダリアードとマリナであったモノに目を向けてはそらす。
そんな時だった。神殿から兄の家にやって来た神官がジークフリードに事態の原因を伝え、ダリアードとマリナのことは任せて欲しい、と言い放ったのは。
「ここは私の兄の家、他人にずけずけ入り込まれたくはない。申し出はありがたいが、断らせていただく」
神官はほんの一瞬不快そうな顔をしたが、すぐにその顔を隠すように頭を下げて次の家へ向かった。
マリアが泣き疲れて眠ったころには夜が明けていた。
眠ってしまったマリアを出来るだけ安全な場所__セリナ達のいる家__に連れて行く。
来る時には気付かなかったがまだ日が昇ったばかりなのに町中がざわついていて、よくよく耳を澄ませれば至る所で泣き声が聞こえた。
出来るだけその声を聞かないように空を見つめた時、違和感があった。
「赤い、雲?」
雨期なのだから雲があることは違和感にならない。でも、その雲は明らかに真っ赤だった。朝日に照らされた赤ではない。
血を吸ったような赤い雲。
嫌な感じがしてマリアを起こしてしまうかもしれないという気がかりはありつつも家路を急いでいたとき、あと少しで家に入る頃になって雨粒が1つ、ポツン、と手摺に落ちた。
医師をしているからこそ嗅ぎ慣れた鉄錆た生臭い匂い。
赤い、赤い、“血の雨”だった。
つい腕に力が入り、眠っていたマリアが起きてしまったことに、目の前の場景に目を奪われていたジークフリードは気付かなかった。
そして、次々に降り続く“血の雨”が周囲を赤く染めていく光景をマリアは見てしまった。
異変はすぐに現れた。
「マリアっ!?」
顔を青白くして呼吸が上手く出来ていない。苦しそうな様子に、慌ててジークフリードは家の中にマリアを連れて入った。
恐らく心因性の呼吸困難に陥ったマリアはそのまま意識を失い、次に目覚めた時にはぼんやりとして何にも反応しなくなっていた。
“血の雨”が降った日から数日後にダリアードとマリナの遺骸は小さな棺をダリアードと付き合いの深かった大工や材木屋に頼んで1つ用意し、その中に1粒の取りこぼし無く2人分を納め、幼い頃から懇意にしていた近所の教会で埋葬を行った。
その2日後に大神殿で大規模な葬送の儀が行われた。
多くの犠牲者の名が呼ばれ、ダリアードとマリナの名もその中にあったと両親達が言っていた。
ジークフリードもセリナも目を覚まさないマリアと、心身の不調を訴える患者につきっきりになっており、葬送の儀には参列しなかったので人づてに聞いただけである。
「マリア」
ぼんやりと、何も無い虚空を見つめ続ける彼女から一時も目を離せなかった。
問いかけても反応がない。
表情をなくし、言葉を発することなく、何度も何度も話しかけてようやく食事やお風呂を機械のようにこなす。
時折思い出したように呼吸困難を起こし、眠れば悪夢にうなされる。
そんな日々が続き、ジークフリードもセリナも憔悴しきった頃、マリが言った。
「ねぇ、マリア。ぼくの名前をよんで?」
「・・・・・・」
瞬きすらせずマリアはどこかを見つめる。
「ぼくの名前だよ、マリア。よんで、まえみたいに」
「・・・・・・」
マリは言葉がしっかりしているし、話すべきときはきちんと話す。けれど、積極的に言葉を発するタイプではない。珍しい事態にジークフリードもセリナも固唾を呑んで見守る。
変わらずソファに座ったまま微動だにしないマリアの真正面にマリが移動し、
「マリだよ。マリア。よんで」
「・・・・・・」
真っ直ぐにマリアの目を見つめて繰り返される言葉。
少し時間が経った時だった。
マリアが一度ゆっくりと瞬きをする。
そして、マリを見た。
「・・・マ、リ?」
言葉を使っていなかったせいか小さく弱々しい声で、けれど、マリアは間違いなくマリの名を口にした。
「うん、マリア」
マリは満足そうに笑った。
「うぅーっ」
今にも泣きそうな声で唸り声をあげて、堪えきれずセリナがマリアをマリごと勢いよく抱きしめた。
その状態でワーンワーンと泣き始めたセリナに子供達がアワアワとどうすれば良いのか困っている。
ジークフリードはあの日のように子供達ごとセリナを抱きしめた。
マリは抵抗しない。
マリアは泣いているセリナに心配そうに手を伸ばす。
言葉は出ない。
ただマリアを、マリを、そしてセリナを、どこまでも愛おしく思った。