124:鮮やかな姿
「レイちゃんが推察した通り、マリとマリアは兄妹ではない。・・・マリアは、僕とセリナの実子ではない。僕とセリナの間に生まれたのはマリだけだ」
そんな言葉で始まったジークフリードの話をレイは一切口を開かずに静かに聞いていた。
端的な事実を口にしてしばらくの間、ジークフリードは1人掛けのソファーに深く腰掛けて廊下側に背中を向けている。肘掛けで腕を支えて胸の前で軽く手を組み目を瞑っている姿はどう話せば良いのかまだ悩んでいる様子で、レイはその対面のソファーを勧められて浅く座っていた。
そんな中レイの視線が向かいに座るジークフリードを通り過ぎ、廊下へと続く扉に注がれた。けれどレイは表情を変えることなく、また視線をジークフリードに戻す。
この短い一連の出来事に目を閉じていたジークフリードが気付くことはなかった。
それからようやくして、ジークフリードは再び口を開いた。
「でも、血の繋がりはちゃんとある。余程の偶然でもない限り、血の繋がりが全くない養子と養母があんなに似るってちょっとないからね。マリアはマリアでマリと双子ってことを疑わなかったんだから自分も周囲も疑問を抱かないくらいに似てる」
マリアはセリナと似た面立ちで、髪も同じ赤髪。マリはどちらかと言うとジークフリードに似た面立ちで藍色の髪。纏う雰囲気は違うが、どことなく似通った2人の血の繋がりを一番感じさせるのは瞳だろう。まったく同じ色のグレイの瞳。
「マリアの父親は僕の兄、母親はセリナの妹なんだ。つまり、マリアは僕達夫婦にとってどっちとも血の繋がった実の姪っ子でマリにとっては従兄弟。・・・親としてはマリがマリアに抱いてる感情にはちょっと血が濃すぎる気がして反対はしないけど、もろてを上げて賛成も出来ないかな」
時折話を逸らしながら、その合間に何を話すのかを組み立てては修正し、ゆっくりと言葉にする。
「マリアは実の父__僕の兄の才能を受け継いでいる。兄は子供の頃から数学の得意な人で、建築家だったんだ。この住宅を筆頭にいくつもの建物を設計して、高い評価を受けていた・・・『血の雨』が降る時までは」
レイは表情を変えず、気付かれることなく、淑やかに膝の上で重ねていた手に強く爪を食い込ませた。
雨期には珍しい快晴の日だった。
ジークフリードの兄ダリアードはその日、完成したばかりの自らが設計を手がけた住宅群の最後に完成した家に弟一家と父母、義父母を連れてきていた。ダリアードの妻マリナと2歳になる娘のマリアンヌも一緒だ。
「予約したのは着工後なのに、よくこうも我が家にぴったりの物件を作ったね、兄さん。しかも、愛娘を預ける気満々の子供部屋」
軽い厭みを含む声で全体を案内された後リビングでジークフリードが間取りと内装の指摘をすれば、
「気にするな。マリアと離れるのは断腸の思いだが、一番信頼できるジークに預けるなら俺もマリナも安心だ。・・・くれぐれも、悪い虫のつかないように」
いつもの通りよく分からない理由を述べて、大工など現場の肉体労働者と渡り合う迫力を持つダリアードの笑っているのに笑っていない忠告に、諦観の溜息を漏らそうとしたとき、
「あなた、ジーク君を脅さないの。ごめんね。最近は結構大きな注文も入るようになって来てて、今が軌道に乗るかどうかの分かれ道なの。ジーク君にもセリナにもマリウス君が居るから心苦しいんだけど」
マリナはセリナの妹_と言っても双子なのだが_は何となく幼馴染みの中で末っ子の地位にあって、そんなマリナの本当に申し訳なさそうな言葉に、昔からまるで兄のように甘くなるジークフリードの頭の中に頼み事を聞き入れないと言う選択肢が無くなってしまう。溜息も出せなくなって、
「気にしてないよ。そっちはもうしばらく忙しいだろうし、仕事の間にマリアを一人だけって言うのは見逃せないことだしね。マリは手がかからないし、マリアとは中々に良好な仲を築いているみたいだし」
悪戯心をふんだんに加えた言葉に案の定、兄は楽しいくらいに反応してくれた。
「俺の目が光るうちはっ」
「はいはい。あなた、そんな大声を出さないで。子供部屋に居るマリアンヌとマリウス君がビックリするでしょう?」
「す、すまん」
子供部屋を見た後連れて来ていた2人のちびっ子が、早速目をキラキラとさせて部屋に残りたい、と拙い言葉で主張したのでセリナが監督となって子供部屋に残っている。
「孫達が仲がいいのは、同じ日に生まれたからかしら」
「偶然にしてはビックリしたわよねぇ、あれは」
「もしかしたら、とは思っていたがな」
「どちらかと言うとセリナとマリナが双子だったからかもしれんがな」
爺婆組はそんな評価を口々に下す。
同じ日、同じ時間に産気づいたセリナとマリナは2人とも安産だったため、同時に同じ医師にかかるという荒技でほぼ同時にマリとマリアンヌが生まれた。正確にはマリが若干早かったのだが。
とりあえず、そのことはジークフリードが勤める診療所のいつまでも語りぐさにされるであろう生き伝説となっている。
「さて、そろそろ商談に入りましょう」
先程までの面倒くさい親バカの雰囲気を消し去ってダリアードがそう切り出すと、ジークフリードも真剣な心持ちで人生の中でも上位を争う大きな買い物をする決断を下す。
「うん、間取りも内装も申し分ありません。契約を進めて下さい」
「では、こちらの売買契約書にサインをお願いします」
差し出された書類の文章に目を通し、自分の判断に任せると言ってくれたセリナも案内してもらったときにこちらの希望が十分に反映されているこの家を気に入っていた様子だったな、と思いながら、署名欄に自分の名前を書いた。
「これで、契約は成立です」
そう言いながらダリアードに差し出された手をジークフリードも握り返す。すると、ニッとダリアードが白い歯を見せて笑うと、
「良い買い物したぞ、お前」
「分かってるよ。兄さんの腕は知っているからね」
「そうそう。売れっ子の義兄さんにかなり要望出したのに追加金とられなかったし、身内価格でかなりオマケしてもらったり」
廊下に続く扉の向こうからマリとマリアの手を引いて嬉しそうに笑いながら現れたセリナが夫の言葉に付け足した。
「その、なんだ・・・マリアを預けるつもりなんだ、その礼の先払いだとでも思え」
「実の弟と義妹がかわいいなら素直にそういえば良いのに」
特にからかうような意図はなかったのだろうマリナの言葉に気恥ずかしさからかうっすら赤面したダリアードと事情を飲み込めない子供達を除く全員が笑い、
「ぱぱ、わたちを“あじゅけゆ”ってなぁに?」
コテン、と首を傾げて年の割に舌足らずな声でダリアードに聞いたマリアは、
「パパとママがお仕事をしていて家に帰れない日に、この家で叔父さんと伯母さんとマリとマリアで過ごすってことだよ」
「どうちて?」
「マリアが家で一人で居ると寂しくなってしまうかもしれないから。家に一人で居て、マリアが寂しくて泣いた時にパパとママが側に居られないから」
「やだっ!パパとママといっちょにしごとにいく!わたちもしごとすゆ!」
「マリアンヌの今のお仕事は、大っきくなることよ。だけど貴女が、大っきくなった時にパパと同じ仕事がしたいって思うなら、一緒にお仕事をしましょう。それまでは、マリウス君達の所でパパとママの帰りを待っていてね」
「・・・うん」
マリアは素直に頷いてくれた。
「なんて素直で健気で可愛いのー!?マリアンヌっ」
マリナの親バカな叫びと抱擁にセリナも触発され、
「マリっ、ちょっと抱っこさせて」
「なっ、ちょっ」
一応子供らしくはあるが口調がしっかりしていて早熟なマリはその手から逃れようとして結局、幼児と大人の体格差の前に不機嫌そうな様子でセリナの腕の中に納まった。マリアがマリナの反応に一瞬ビックリして次いで嬉しそうにギューッと抱きしめ返したのとは雲泥の差だ。セリナも息子の反応にマリアと比べて物足りなそうである。
「もうちょっとかわいい反応しない?マリアちゃんの10分の1でもいいから」
「ムリだよ」
「セリナ、個性もあるから」
「だって、ギューッて抱きしめ返されたい」
つまらなそうな様子のセリナを見て息子ごとジークフリードが抱きしめる。
すると今度はそれがダリアードに伝染した。
「あらあら、仲がいいわね」
「どうしてこう、幼馴染みで影響されやすいのかしら」
「兄弟でのほうが影響されやすいだろう」
「ま、いいじゃないか」
ホッホ、と笑い合う爺婆達に父と母の前から後ろからの圧迫に助けを求めて伸ばされるマリの手は華麗に無視された。
愛おしそうに、嬉しそうな笑顔のマリアを間にはさんで抱きしめ合うダリアード、マリナ。
これが、ジークフリードが思い出せる兄夫婦の、一番最後の、鮮やかに生きていた姿。
「血の雨」について、ようやく何が起こったのかを書けました。まだ、説明不足な感もありますが。