119:一番近い人
レイは転移陣のある部屋の外からマリア、マリ、サラ、カナタの4人を見送る。
カナタは実家に帰るために残る予定だったのだが、今回の件は実家に伝わったらしく家族が会いに来たので目的は果たした、と皆と共に戻ることにしたのだ。
マリアは純粋に気遣うような視線だがカナタは事情を全く把握していないにもかかわらず、サラの様子から気遣いの他に訝しみの視線を向ける。そして、マリとサラからは戸惑っているがはっきりとした懐疑の視線を受け止めて、それでもレイは微笑んでいた。
陣が輝き、4人の姿が一瞬にして消え去る。
手を振りながら見送った後、レイは近くに居た兵士に部屋に戻ることを伝え、お疲れさまです、と労いの言葉を掛けてその場を去る。
部屋までの廊下ではネレウスに何処まで話すかを考える。部屋に戻るまえに決めておかなければ部屋に戻ったあとまで考えなければいけないからだ。部屋ではファラルへの経緯という名の言い逃れの言葉を考えなければいけない。
正直、漆黒が出ばって来る可能性は低いと思っていた。その低い確率で起こる事まで事前に予測して対策を立てていれば何も出来なくなる。だから、ファラルには何の相談もしてない。
(問題はネレウスが何処まで勘づいているか。それによって話す内容を考慮しないと・・・)
いつか通る道だとは思っていた。アルはそのときまだ幼児で、あの事件のことなど知らないに等しい。緋の双黒との面識も、少なかっただろう。けれど、ネレウスは幾らか緋の双黒の事を知っている。
しかし、そんな打算を考える頭の隅で、緋の双黒本人を知っている人と彼女のについての話を聞くと言うことに浮き足立っている自分をレイはちゃんと自覚していた。
ネレウスに与えられている城の研究室に向かう。既に人払いを済ませているようで周囲には人の気配がなかった。
ノックをして返事が来た。静かに部屋に入る。文献や書類などが沢山あるがきちんと整頓されている所に人柄が出ている。
「ネレウス様は緋の双黒と親しかったのですか?」
椅子と既に用意されていた入れ立てのお茶を勧められそれを手に取りながら、関係のない話題から入ろうとしていたネレウスの先手をうって一気に切り出す。
一瞬ポカン、とした後ネレウスは笑って、
「彼女は双黒で僕は漆黒。立場上、幼い頃から交流がありました。親しい、とハッキリと口にするのは憚られますが、個人的には近しい者の1人だと思っていました」
静かなで大きな部屋の中にネレウスの声が響く。
「言葉を交わしたことは?」
「何度もありました。僕は彼女より一回り近くも年上でしたが彼女は飛び級をして僕の一つ下の学年で学んでいて、学年を越えての合同授業では何度か同じ班にもなったりもしていましたから。・・・それに、僕は彼女の夫候補の1人でもありました」
レイはカップを口元に運びゆっくりと口に含む。ネレウスの知る彼女の全てを語って欲しくはない。人によって他者の評価は違うのだ。これだけ聞くことが出来れば、十分だった。
けれど、ネレウスはレイの顔をジッと見た後、暫くの沈黙を経て口を開いた。
「僕からも、言いたいことがあります。君の身元引き受け人、及び監視人としてアルシア君の保護下にあることは聞いています。監視が必要な理由も」
感情を込めないように、努めて穏やかに、ネレウスは話す。
「君は、本当に彼女に似過ぎている。悪魔と契や」
「私は、緋の双黒を尊敬しています。けれど、それと私が悪魔契約を結んでいることには何の関係もありません」
キッパリと否定する。
「・・・でしょうね。彼女、いえ、僕の知るレインさんは本来悪魔契約などに手を出す人でも、他人に悪魔契約を良しとする人でもありませんでした。悪魔との魂の契約はレインさんが忌み嫌っていたモノの1つです。・・・だからこそ、レインさんが悪魔と契約を交わし大陸全土を恐怖に陥れたとされる“血の雨”が降った日の経緯そして、レインさんは実の弟でもある“双黒の賢人”殿に殺されたと聞いた時は、信じられなかった。誰にも言ったことはありませんでしたが、今も信じてはいません」
どうやら、ネレウスは証拠はなくとも何となく気付いていたようだ。事件の核に。
「信じていない理由は幾つかあります。その中でも3つ、大きな理由がありました」
レイは口に運んでいたカップをそっと机の上に置くとネレウスの目を見据えた。ネレウスも受けて立つとでも言うように視線を外すことなく微笑を浮かべる。
一緒に魔法を使った時も思ったが以外と好戦的な性格だ、と関係ないことをレイはどこかで思った。丁寧で穏やかな印象は本性を隠すために猫を被っているのだろう。多少漏れているが。
「1つは、彼女が悪魔との魂の契約を嫌っていたこと。彼女は力に、自分に溺れる人ではありませんでした。誰も寄せ付けないような雰囲気を纏いながらも自分が大切だと思った存在に溺れる人だったんです」
洞察力が鋭いな、と思う。だからこそ、朧げながらも真実に近付くことが出来、レイが自分自身に掛けているフィルター越しにネレウスは真実の一片を読み取った。
確かに、緋の双黒は守りたかった存在に溺れて全てを失い、このファルデン大陸からイクス大陸へと追いやられるようにして逃げ、
そして、最後にはレイのせいでその命を失ったようなものなのだ。
「2つめは、力量です。あり得ませんが、もし本当に悪魔と契約を交わしていたなら尚更彼女の力は強大だった筈。レインさんと“双黒の賢人”殿では力量が違いすぎる。確かに漆黒でしかない僕は2人に敵いませんが“双黒の賢人”もレインさんには敵わない筈です。殺せるわけがない。いくらレインさんが狂気に落ちていたとしても、元々の資質と悪魔契約によって得た力があれば死ぬ筈がないんです。だとすると、レインさんは自ら殺されるよう仕向けたか、“双黒の賢人”殿がレインさんよりも強い力を得たのか、もしくは、本当は死なず死を偽装し生きながらえたかです」
淡々と、語る口調には迷いがなかった。
レイは愉快そうに微笑むと、無言で先を促す。
「3つめは、もし本当に殺されていたとしてもレインさんの遺体が見つからなかったこと。賢人殿は消失させたと言い捜索を行っても無意味だと捜索を行わせませんでしたが、いくら双黒同士の死闘と言っても死んだ証拠が一切残っていないのはどうしても不自然です。悪魔と契約を交わしたという嫌疑があればなおのこと死んだという証拠はあるべきなのです。それがないということは、やはり生きている可能性はあるのです」
レイは3つの理由を聞いてから口を開く。
「3つの理由があったと言いましたが過去形であるということはまだ理由があるのですよね?」
ネレウスは目尻に皺を寄せて、最後の理由を口にする。
「最後に、君です。レイさんは、見れば見る程彼女に似ている。何もかもが」
それだけで十分だった。彼は全て気付いているのだろう。
レイは心の底から賛辞を送った。
「フッ、クッ、アッ、アハハッ、アハハハッ・・・おめでとう。貴方は当事者でない人間の中で真実に一番近い場所に居る」
一頻り笑った後、レイは微笑みの仮面を外した。表情が消える。何の感情も浮かべない、冷然とした雰囲気を一瞬にして纏ったレイはカップを手に取ってその手を真っ直ぐ前に伸ばしてひっくり返した。
半分程残っていた中身が溢れ、宙に溜まる。それは、見知った人の顔を形作っていく。
「レイン」
ネレウスがそう呟いた途端、それは形を無くしネレウスの目の前を横切った。レイの姿が一瞬その影になって見えなくなり、そして、次に見えたレイの姿を見た時、感じたのは懐かしさだった。
「・・・どうして、初めて会った時にこのことに気付かなかったんでしょうねぇ」
「隠していたからです。やっぱり、全力で気配を消していないと貴方のような人にはバレるみたいですけど」
「それは、認めていただいているようで光栄ですね」
ネレウスが、嬉しそうに微笑む。レイの存在を祝福するかのように。
「君は、何をしようとしているのですか?」
「正そうとしています」
「何を正すのですか?」
「最低でも、緋の双黒に関わることを」
「勝算があるのですね?」
「神々とは利害が一致しています。志しなかばで私が倒れても保険は十分です」
「・・・ここ最近何かが起こる予感はしていましたが、こんなに大きな話になるだろうとは思っていませんでした。真実を全て、語ってはいただけませんか?」
「貴方は調べたんでしょうね。緋の双黒のことを、ずっとずっと調べていた。今も調べ続けているんでしょう。でも、真実には辿り着けなかった。だとしたら、そこまで情報操作の出来る人物にも心当たりがあるはずです」
「今ここで、心当たりの名前を出しましょうか?」
「いいえ、必要ないです。だって私は今、貴方に真実を語りはしないから。まだ早いんです。だから、その名を聞いても意味がない」
表情を変えずにそう言うと、ネレウスは一瞬苦しそうな表情をした後、諦めたように息を吐いて心を落ち着かせると真剣な、けれどひどく優しい表情を浮かべた。
「面倒なことが起きれば、遠慮なく僕を利用して下さい。僕は喜んで君の手足となりますよ。アル君のもとに身を寄せていても、当時まだ幼く彼女との付き合いも数える程だった彼では行き届かないこともあるでしょう」
愛おしい存在を甘やかすような言葉だった。ネレウスが愛しているのは緋の双黒だ。だからこそ、私を愛おしいと感じるのだろう。
「・・・君のことを少し詳しく聞いても良いですか?」
躊躇いがちに聞かれる裏には心配という感情が見え隠れしていて、レイは微かに優しい笑みを浮かべ、
「何を聞きたいんですか?」
と質問に答える意思があることを示した。
「アル君からは彼が知っていること、話せることの全てを伝えられました。各国の漆黒達とも話し合い害はないだろうと判断し、現在は状況を静観しているのです。・・・これは、私の個人的な興味で誰にも口外しないことを誓った上での純粋な問いです。ファラル殿は、君にとって契約者という以外でどんな存在なのですか?そして君は今、どのような状況にあるのですか?」
「・・・それは、難しい問いですね。ファラルはファラルなんですよね。契約者、悪魔、保護者、仲間が主な関係です、と答えても納得なさらないでしょうし。そうですね、婉曲に貴方の納得する言葉を返すなら現在私に最も近く、最も私を理解する存在でしょうか。けれど、私の今の状況については簡潔に答えらます。詳しくは説明しませんが、あることが起きて私にしなければならないことが発生しそのためにここに居る」
「目的を達成する手段として僕達を利用するつもりはあるのですか?」
「ええ。事後承諾になる方も出てしまいますけど、無知である代償です。ヒントは、そこかしこにあったのに繋げて考えてみようとしていたのは貴方だけでしょう?まぁ、アルは何も知ることが出来ず、ただ巻き込まれるだけの存在になるでしょうが」
「当時、あの子は3歳か4歳だったからね。彼女と会ったのも片手の指におさまる回数です」
「一応、事後のフォローは考えてますけど多分丸投げになります。覚悟はしておいて下さい」
「彼女に縁ある君を少しでも助けられるなら、僕はたった独りでも君の為に動きます。彼女を敬愛する者として」
「・・・貴方みたいな人も、ちゃんと居たんですよね。緋の双黒には」
(ネレウスも本当の緋の双黒を見ていない。敬愛と言う言葉は相手を上に立つ存在だと言っているも同然だ。結局、孤独は埋まらない。でも、気に掛けて信じてくれる存在はちゃんと居た)
緋の双黒は、レイに語ったことがある。
自分は独りではなかったのだと。友人と呼ぶような存在も、仲間と言える人達も、ちゃんと居たのだと。けれど、孤独が埋まることはなかったと。自嘲気味な笑みを浮かべて、欲深い自分に呆れている静かな懐かしむような声音で。
母は、レイに語ったことがある。
レイの父に出会って自分の中の何かが変わったのだと。レイの父、母の夫となる男と出会って一緒に時を過ごすうち世界に自分は独りきりだと思っていた孤独が埋まったのだと。そうして、男と結ばれレイを授かった頃にはもう既に世界が変わっていた。母は恋しさと愛しさを込めてどこか遠くを見ながらそう呟いた。
そこまで思い出して急に苛立ちがレイを襲った。
「質問は以上ですか?」
内心を表面に出しはしないが会話を続けるのが面倒になってそう聞くと、
「では、最後にもう1つ」
とネレウスが答えた。視線で応えて続きを促すと、少しだけ聞くのを躊躇う素振りを見せてから意を決したように口を開いた。
「君のお父上は?」
「・・・居ますよ、生物学上は。男と女が居てそれぞれが生殖機能を正常に機能させていてやることをしてしまえば子供は出来ます。でも私の父と言う存在が何か?死に際は見てないですが死んでるんじゃないですか。どうでも良いんですよ、父親なんて。私、父と言う存在が大嫌いなんです」
いっそ笑ってくれない方がまだ父親という存在に対して認めたくない愛情があるだろうと思える笑みでレイは言い放った。
「さて、話はこれで終わりにしましょう」
「・・・あれだけの話を僕に聞かせて、言い逃げですか?」
ネレウスは質問が終わった後レイから幾つかの事情を聞かされた。
緋の双黒はレイの師匠であったこと。ファラルが召喚された経緯。近年のこの大陸の異変。そして、どんな経緯を辿ろうとレイが目指す決められた終わりはほどなくやって来ること。
口を挟むことは許されない口調だった。ネレウスは聞いていて特に、大陸の異変の話は背筋が寒くなった。
ネレウスに語るということは他に口外してもいいと思っているのだと解釈する。そうなると、すぐにでも調査を始めなければならない。言われて思い出してみると、これほどの異変に気付かなかったことが既に異常なのかもしれない。
「事情を話すために父について質問されて席を立たなかったことで満足して下さい」
レイは笑みを浮かべつつも淡々とそう口にし、
「では、私はこれで失礼します。お元気で」
「名残惜しいですが、お元気で。けれど、近いうちに会いにいきます。きっと」
お互いに別れの言葉を交わした。
これでバランドロ国編は終了です。
総数19話。
全体のバランスがやっぱりおかしくなった気がします。