117:魂の残滓
人口密度が急激に高くなった室内で散り散りに人々がゆっくりと歩き出す。
説明はあったのだろうが実際に幽霊のようなモノを見て最初は驚く者が殆どだった。けれど、直ぐに自分たちの探し求める子供がいないか真剣に探し始める。
例え骨だけになっていても見つけ出してあげたい。
見つけたい、でも、ここにいて欲しくない。
ここにいたら、本当に死んだ事を認めなければいけない。
私達より先に死んでしまったなんて、認めたくない。
見つけなければ、希望が持てる。
まだ、生きているかもしれない、と。
相反する思いを抱き、それでも幽霊のように表情も感情もない多くの子供達の顔と自分たちの脳裏に焼き付いている我が子の顔とを確かめながら部屋の中を歩き回る。
数ヶ月前に、行方不明になった我が子の姿があった。
最近は国中で子供の誘拐事件が起こっているのだから、人気のない所や遅い時間まで外で遊んでいないように口うるさく注意した筈なのに言いつけを破って・・・。
誘拐事件にどこかウチは大丈夫だろうと慢心していた自分と我が子を誘拐し殺した犯人達への怒り。
何も出来なかった悔しさ。
どれほど、恐ろしかっただろう?
どれほど、心細かっただろう?
どれほど、私達の名を呼んだだろう?
骨だけでも見つかった事への喜びなど微塵も湧いてこない。
あるのはただ悲しみと絶望だけだ。
でも、心のどこかでいつも諦めがあって、今も納得している自分が薄情で醜くて。
怒り、悔しさ、悲しみ、絶望、奇妙な平静、自己嫌悪、様々な感情が一気に自分の中で嵐のように起こり、溢れた。
「どうしてっ!!?何でっ!?」
恥も外聞もどうでも良かった。足に力が入らなくなり夫に体を支えられたがその事に気付く余裕もなかった。
目の前に置かれた、もう骨と成り果ててしまった我が子に縋り付き、泣き叫ぶ。
感情のまま叫ぶので自分でも何を言っているのか分からない。衝動のまま慟哭を上げると、同じく泣いている夫の我が子の名を繰り返し、繰り返し呼びながら自分と子供を抱く腕に力を込める。
あちこちで、泣いたり、叫んだり、語りかけたり、様々な音が部屋中に木霊す。
それは、悲しみであり、辛い再会の喜びであり、悔しさの音だった。
レイとネレウスのかけた術は魂の残滓から掻き集めた記憶に幻術で形を与えたモノだ。触れる事は出来ないし、動き出す事もない。かなりの使い手であれば魂の一部を形作ったモノに移して感情を持たせ動かす事も出来るが、残された魂は余りに少なくどんな使い手であっても動かす事は出来ない筈だった。
ネレウスはこの術の適性が少なくとも、漆黒の者としてその知識は豊富にある。だからこそ、目の前で起こった事に言葉を失った。
それは、奇跡と呼ぶに相応しい光景。
『お父さん、お母さん』
不意に死んだ筈の我が子の声がした。
周りの事など考える余裕も、自分を支える夫の腕も、かけてくれる声さえも聞えていなかったのに小さな、か細いその声が泣き喚く自分の声に掻き消される事なく真っ直ぐ届いたとき、自分達はゆっくりと「ただ形だけ」と言われた我が子に目を向ける。
笑っていた。
ふんわりと、何処までも穏やかな微笑みだった。
「「シェイン?」」
『お父さん、お母さん』
形と言われた我が子が口を動かすと我が子の言葉が頭に響いた。
急に、我が子が光に包まれ始める。行かないで、の言葉が出る前に我が子は2人の胸に飛び込んで来た。でも、感触はなかった。
触れる事なく、光と変わった我が子はそのまま消え去った。
何が起こったのだろう?
今、目の前で何が起こったのだろう?
でも、分かる事がある。
今起こったのは奇跡だ。
先程までの荒れた心が凪いでいた。
「シェイン、シェイン」
もう、変わり果ててしまった我が子の名を呼ぶ。
まだ10歳にもなっていなかった、短い生涯を奪われるという無念の最後。
それでも、思う。
「シェイン、生まれて来てくれてありがとう」
「ありがとう、僕達の子供に、生まれて来てくれて」
悲しいけれど、悔しいけれど、生まれてこなければ良かったなんて思わない。思えない。
そんな事を思うには、我が子と過ごした時間で得たモノが多すぎる。我が子に与えられた幸せが多すぎる。
今、悲しいからと、悔しいからと、幸せだった過去を忘れたいとは思わない。
でも、悲しいのは本当だから、悔しいのは偽りではないから、だから、今だけは泣かせてほしい。
泣きたいから。
幼くして死んでしまった、我が子のために。
ハッ、と目の前で起こった奇跡に呆然とし空っぽだった頭に急にある可能性が浮かびレイに密かに視線をやるが、ネレウスの視線を予想していたようで少し視線を向けただけで目と目が合った。そして、レイは悪戯が成功したような微笑を薄く浮かべる。楽しげで満足げな表情にネレウスは自分が浮かべた考えが間違っていない事を一瞬で理解した。
この部屋の至る所で起きている奇跡の数々は、レイによって意図的に起こされた必然だと。
それと同時に、その表情があまりにも自分が抱いた憧憬とほのかな・・・恋と呼ぶにはあまりにも遠かった彼女の面影に酷似していて、思わず息を呑んだ。
何処までこちらの心情を読み取っているのかは分からないが、全てを見通しているような瞳の怪しい輝きなど見つめれば見つめる程彼女に似ていると思う。
予感を確信に変えるためにネレウスは意を決してはぐらかされることを覚悟で、レイにしか聞えない声で囁いた。
「3日後の夜。時間を空けておいてもらえますか?お話ししたい事があります。・・・お聞きたい事も」
「構いませんよ。急用がない限り空けておきます。友人達はその日に帰る予定ですが上手く誤摩化します」
同じくネレウスにしか聞えない声で答えを囁き返す。
「・・・・・・僕は恩を売られたのでしょうか?」
見事な内心を覆い隠した笑みで快諾され、逆に不安になる。もしも、ネレウスの予想が当たっていたとしたら何の見返りも無く自分の話を受けるとは思えない。
「ご想像にお任せします。私の要求は他言無用。それと、そうですねぇ・・・____と____、____に___の要求があった場合この冬は下げられるギリギリの価格で輸出することです」
「そのくらいなら、生態系に影響が出ない範囲で譲歩するよう担当者に言っておきましょう。担当者の弱みは2、3ストックもありますから期待していてください」
「ありがとうございます」
「何に使うんですか?」
ネレウスが何気なく聞いて来る。
「そのうち分かります」
やはり笑みを浮かべてレイはネレウスにそう囁き返した。
結局、今日のうちに骨の引き取り手が見つかったのは全体の5分の1だった。部屋にはまだ夥しいほどの白骨が安置されている。
明日も子供が行方不明の親がやって来るが、それでも引き取り手の見つからない骨だってある。例えば、孤児であったものは特にそうだろう。もしくは、子供を売った親。
少ないけれど骨に残った魂の残滓から読み取って決して少なくない数そんなものがいたのを知っている。実をいうとその大半をレイは秘密裏に消し去っている。粉末となって土と一体化しているだろう。
同情はない。
申し訳なさも。
これは初めての経験ではない。出来ることはしたし、転生の輪の中にきちんと入れるような手配はずっと前からある条件のもとに整っている。
神々と協力関係を結んだその瞬間から。
ふと、あの大陸で一国の王になった少年の言葉を思い出してから現状を省みて、誰にも気付かれない一瞬だけ思い出し笑いをしてしまった。
『そのうち取り込まれるんじゃない?』
呆れた様子でレイに忠告した少年の言葉通りに、まだ自分はなるつもりはない。
目的を果たすその時まで。
レイの根回しの内容は?