113:突きつけられた選択
「サラ、起きなさい。目を覚ましなさい、サラ。痛みなんて何処にもないでしょう?苦しみなんて何処にもない。貴女の体には傷なんて1つもないのだから」
闇が濃くなった。何処からともなく聞こえてきた少女の声にヴァンスは滑稽なほど動揺した。そんな愚かな男を無視し、レイは闇を纏いその闇を自分の体に変えながらサラに向かって歩いて行く。切り傷1つどころか血の跡など欠片も見当たらないレイの健常な姿に先程の光景を見ているヴァンスは声を震わせて、
「く、来るなっ!!」
『邪魔』
妨害しようとするヴァンスを一言で黙らせて、動きを封じるように闇から生まれた黒い手が叫ぶ事も出来ず恐怖に震える体を拘束し、締め上げる。顔を恐怖で染め上げている男の横を無感動に通り過ぎると折り重なるように倒れているサラとカナタの側に来てしゃがむ。
「サラ」
サラの顔にレイの指先が触れた途端、サラの体がから淡い光が現れサラを包む。すると、サラの体にあった痣や傷が消え、抉りとられてしまった筈の目が現れる。
瞼が震える。まるで、何事もなかったかのように眠りから目覚めただけのような表情でサラはぼんやりとレイを見上げた。
「おはよう、サラ」
「・・・・レ・・イ?」
「今までの事、覚えてる?」
「今、まで?・・・・・・っ!!」
ぼんやりとしていたサラの目に強い光が戻る。レイの名をもう一度強く呼んだ後、自分を庇うように倒れているカナタに気付く。
「カナタっ!カナタっ!!」
傷だらけで、そこかしこに血が流れている。体温はかなり低くサラがどれだけ声をかけても体を揺すっても意識を取り戻す様子は全くない。
「ど、どうしよう!カナタが、カナタが死んじゃう!!」
「サラ、落ち着いて」
「カナタが死んじゃう!死んじゃうよ!!」
「サラサ!」
青ざめた顔で取り乱しカナタの名前を呼ぶサラをレイは強く愛称ではない名前を呼ぶだけで正気を取り戻させた。
「カナタは大丈夫。ほら、落ち着いて様子を見てて」
レイが今度はカナタの顔に触れるとサラのときと同じようにカナタの体がカナタの内側から出て来た淡い光に包まれる。死人のように白かった顔色に赤みが差し、傷が消えて行く。流れていた筈の血はいつの間にか消え、服だけが不自然に破れているのに違和感を覚える程カナタの体には傷一つついていない。
「何で?」
「飴。舐めたでしょう?アレ私の魔力込めておいたの。何かに傷つけられそうになれば傷つく前にそれを防ぐように。それと、不審に思われないように幻覚魔法が働くようにして、でも痛みがなきゃおかしいから偽物の痛みが起こるようにした」
「・・・・・・レイは、こうなるって分かってたの?」
「予測していただけ。確証も何もない予測。起きるか起きないか分からない事に対しての対策をしていたのが功を奏しただけよ」
平然と答えるレイにサラは内心複雑な想いに駆られた。
「どうして、教えてくれなかったの?」
「全部教えて貰える、なんて甘い期待をしているの?・・・こっちにも色々事情があるの」
冷ややかな言葉でサラの質問に答えて直ぐに少し冷たく言い過ぎたか、と自分の感情コントロールが上手く行っていない事を反省してどちらかというとサラのために自分の言い訳を話した。
「それに、気付くべき事には気付いたでしょう?」
口元に小さく挑むような笑みを浮かべ、後ろにいる闇に拘束された男に視線をやる。
「!! レイは、全部・・・気付いていたの?・・・それなら、あのときの言葉にも納得がいくわ。・・・あの男は、本当に、私の父?」
「うん。ほぼ確実に。顕著なのはその瞳だけど、見える目を持つ者なら繋がりが見える。サラの半分はヴァンス・ヒュースターから始まってる。だから、急な話で混乱するかもしれないけどあの男、どうしたい?」
サラが気付いた事を、否定して欲しい事を肯定したレイは慈愛に満ちた笑みを浮かべながらサラにそう聞いた。
「サラはヴァンス・ヒュースターを、サラの父であり、皆をこんな目に遭わせている男をどうしたい?」
レイはなおもサラに答えを求める。これはサラにしか答えられない事だ。
「生かすか、殺すかを聞いてるの」
ずっと、慈愛に満ちた笑みを顔に貼付けてサラの答えを待つレイにサラはある種の恐怖を覚え、そしてどう答えるべきなのか分からなかった。
レイは、サラを急かさなかった。ただ、じっとサラの答えを待っている。
混乱のためレイの顔を見ないように俯いていたが、サラは逃げ続けるわけにはいかない事に気付いていた。
気付いてしまえば、知ってしまえば、知らなかった頃には戻れない。もう、戻る事は出来ないのだ。それを全て理解した上でレイはサラはその事実を受け入れている、認めているとして聞いたのだ。
「・・・あの人が、本当にこの状況を作ったのね?」
俯いた顔を上げずにレイに問う。
「うん」
簡潔明瞭な答えが何だかレイらしくて、この状況下でサラはつい笑ってしまった。
「皆が、傷ついたのよね?」
「うん。全部幻覚でも、痛みさえも偽物でも、感じればそれは自分にとって本物だから。それに、私達だけではないから。私達の前に、犠牲になった人間が何人いると思う?」
「・・・・・・」
「1人や2人じゃないわ。何十人という人間が犠牲になってる。それ以外を合わせれば百を軽く越えてるわ」
「ふっ、ふふっ・・・そんな人が私の父なのね。私には、そんな人の血が流れているのね」
カナタの体から手を離し、自分の両手を見つめる。汚らわしい、とサラの目が言っていた。
「うん。サラがその事にどんな想いを抱こうが、真実は変わらない。過去は変えられないし、変えてしまえばサラの存在は消えてしまうかもしれない」
微笑みながら、淡々とレイは言う。
「でも、それは今私が聞きたい事ではないわ。私はサラに私の質問に答えて欲しい。あの男を、どうしたい?」
「レイは、私になんて答えて欲しいの?」
「何でも良い。サラの思うように答えれば良い。・・・答えたくないなら答えなくても良い」
ヴァンスを振り返りレイはサラに逃げ道を与える。何故か、その時にサラは頭を優しく撫でられる。
(私の方が年上なのに。・・・レイは、私よりも強い)
でも、強くても、サラの方が年上なのだ。ならば例え遅くても年上らしい事をしなければいけない。対等だけど、友人には守られているばかりでは駄目な筈だ。レイにばかり、全てを背負わせるなどしてはいけない。
サラ達よりも大人びているけど、強いけれど、だからってレイが全てを一人で背負う理由にはならない。
(なら私がすべきことは?)
サラは口を開く。
「レイは、あの人を殺すつもり?」
「今の状況ならね」
ほら、レイは自分1人で背負おうとした。
「殺しちゃ駄目。レイが、手を汚す必要はないわ。その男にこちらの手を汚す価値はないもの。私はレイに、レイの手を汚して欲しくない。だから、殺しちゃ駄目」
真っ直ぐ、レイの目を見つめるサラに迷いの色はない。
「・・・サラは、優しいね」
レイは柔らかく艶やかに笑った。その瞬間、サラは嫌な予感がした。反射的にレイに詰め寄った。
(私はレイを止めなければいけない。でも、それが駄目ならせめて)
「レ、」
『お眠り』
囁くようなレイの言葉。それを全て聞く前にサラの意識は遠のいた。
選択を提示しながらも出された答えは無視するという暴挙。
レイは本来、一部の人を除いて利己主義で自分勝手でマイペースな性格です。
そんな彼女が、どんな“目的”のために耐えているのか?