105:嫌いな花
シオンが取りはからってくれたおかげでレイは明日何時でも戻ってこられるように入城許可証を渡され、近くの森まで案内してもらう事が出来た。
王家が管理している森の一つであるらしく人間の手が入っているにもかかわらず動植物の生態はさほど傷ついてないようだった。それでも首都に近いからか危険な大型の獣の気配はない。
「大体は手に入るけど、やっぱりもう少し遠くに行かないと手に入らない物もあるか」
レイの呟きは静寂の闇の森の中に一時響き、そして消える。暖かい地域とは言っても夜になれば冬らしく吐き出す息は薄らと白に染まる。動き易い服に防寒用の上着が一枚、それ以外にレイが行っている防寒対策は何もない。薬作りに使う薬草を採るレイの剥き出しの指先を見て、もしもここにファラルいたならば問答無用で何処からかレイの手にぴったりの手袋を取り出しレイの手にはめて、レイの不服そうな視線を感情を露にする事のない目で見つめ返していただろう。
「このくらいで良いかな」
転移魔法で幾つかの森を梯子し、必要な物を全て手に入れたレイは呟く。
空には新月が浮かび、雲がその姿を隠したり風が雲を流しまた現れたりしていた。
夜はまだ長い。月はもう傾きかけているが日が昇るまではまだ遠く辺りは闇に包まれている。今直ぐに戻る事も出来るが人の多い場所は元々苦手なので急いで帰る気にはなれなかった。レイは、当てもなく歩き出した。
暫く歩いていたがある場所で歩みを止める。
視線の先には大木の根元にある冬という季節に不釣り合いな美しい大輪の花が一輪咲いていた。
その花は、とてもとても希少な花で、薬草としても毒草としても重宝される物だ。しかし、それと同時に遥か昔にはそれを見つけた者には不幸が降り掛かるともいわれていた。
レイがブチッとその花を根こそぎ引き抜くと花は一瞬で燃え上がり灰へとその姿を変えた。その灰でさえもレイは風によって飛ばされないよう手のひらに握る。次にレイが手を開くとその手の中に花であった灰は跡形も残らず消えていた。
嫌いな、花だった。
この花を見つけると不幸になる、という今はもう知る者もいなくなった噂は根拠のある事実だ。この花は元々魔界に群生している花で、ある一定の条件と偶然によってこの世界に種を落とし芽吹くことがある。
魔界では珍しくもない花だ。つまり、魔界の邪気をたっぷりと内に秘めた花でもある。手折る事によって花の内にあった邪気が手折った人間に流れ込み負の気を纏う。その負の気が不幸を呼ぶ。
はっきり言ってそこまで知ってるレイにとってその花を恐れる必要は全くないし、その花に出会う確率は限りなく低い。
それでも、レイがこの花を嫌うのには理由があった。
(嫌な事、思い出した)
初めてこの花を見つけたのはまだ母とともに森に住んでいた頃だった。
花を見つけた日、レイには不幸と呼ぶべき出来事が起こった。
のちに花に関する噂を知った時、レイはその花が嫌いになった。
魔界で見ると何も感じないのだが人間の世界で見ると途端に嫌悪感が湧く。
「嫌な予感」
無意識のうちに出て来た言葉は予想外の懸念をもたらした。
(何か、私も予想出来てない何かが起きるの?)
立ち尽くしながら暫く考えていたが埒があかない、と開き直るとレイは嫌な予感について考える事を諦めた。
(起これば分かるか)
どれだけ足掻いても起きる事は起こってしまう。だったら流れに身を任せるしかないという事をレイは幼い頃から悟っていた。
レイは昼過ぎに城へ戻った。
「あっ、レイ!」
マリアが宛てがわれた部屋に入ろうとしたレイを見つけて呼び止める。レイはシオンの所に帰って来た、と報告して来たところだった。
「どうかしたの?マリア」
「えっと、昨日の事で・・・」
「それならこの中で聞く。入って」
そう言ってさっさと扉を開けてマリアを中に入れると用意されていた茶器に用意された紅茶を注ぐ。
「どうぞ」
「ありがとう」
マリアはコクリと紅茶を持つと言い出しにくそうにレイを見た。レイは話の切っ掛けを作る為に、「で、話って?」と促す言葉をかけた。
「えっと、私、でしゃばったこと言ったから、謝りたくて。レイは気にしてないって言ってたのに、私があれだけ騒いで」
「ああ、そのこと。別に、気にしてないけど?」
「でも、謝りたくて。本当に、ごめんなさい」
「そこまで言うなら謝罪は受け取っておくけど、私としては私の代わりに怒ってくれたマリアに感謝してるよ?だから、本当にこれ以上気にしないで」
レイの言葉はあくまでも淡々としていて、マリアは変わらないレイの態度に救われた。
レイは誇り高い性格だ、とマリアは感じていた。
冷静で、同情を嫌い、他人に施されるのが嫌いで、哀れまれるのが嫌い。例え蔑まれても、嫌われても、憎まれても、どんなことをされてもレイはレイのままでいる気がする。
だから、落ち着いてからマリアが自分のとった行動を振り返ってみると、レイに嫌われて仕方がない行動をしたことに気付いたのだ。
そう、マリアはレイに同情したのだ、哀れんだのだ。
レイが時折自分たちにも見せる他人を拒絶する目、態度。
もしかするとレイは一生そんな目で自分を見るかもしれない、と思うとマリアは怖くなった。
コンコン、と扉がノックされる。
「どうぞ」
レイが声をかけるとマリが入って来た。
「どうかしたの?」
恐らくマリアのフォローついでに迎えに来たのだろう、と思いつつ尋ねると、案の定レイの予想通りだった。
「マリアがレイの部屋に謝りに行った、って聞いて兄としても謝罪しに来た」
「気にしなくていいってマリアにも言ってたんだけどね。でも、丁度いいマリに言っておきたいことがあるの。マリア、少し席を外してくれる?」
「う、うん」
レイに言われるままマリアは部屋から出て行った。
「で、話って?」
勧められるままに座ってからマリはレイに聞いた。
「質問とか一切無しで聞いてね」
レイはそう前置きをしてマリに言いたいことを語り始めた。
「マリは多分とってもプライドが高いんだと思う。例えどんなに辱められても屈することはないし、どんなに痛めつけられても痛みに泣き叫ぶことを良しとしない。我慢強いんだろうけど、時には痛みに身を任せるべきよ。話は以上」
「?」
全く意味が分からない、という表情をしているマリにレイは微かに微笑んだが察している筈のマリの疑問に対して何も答えることはなかった。
2日目の夜会。借り物の服で正装している5人とシオンは会場にいる者の注目を浴びていた。いや、レイだけは上手に気配を殺してあまり目立たないようにしていた。
レイは目に合わせた飾り気のない淡い黄緑のドレス。
マリアは真紅の上品なドレス。
サラは橙色の可愛らしいドレス。
特に視線を浴びているのはマリアだった。男共の視線に気付いたマリとカナタがジロッと周りを睨みつけるように見ると彼らの花に向けられる視線が減る。
(これだけ目立つと連れ出すのは難しいのに・・・)
周囲を飛び交う思考の渦を聞いていたレイはカナタとマリの様子に苦笑する。
「少し、外の空気吸って来るね」
レイはそう言って会場を離れる。
人気のない庭園まで来ると立ち止まってその時を待つ。
(来た)
待ちわびた瞬間、レイは後ろから誰かに殴られる。レイはそのまま気を失った振りをした。
「レイ、遅いわね」
なかなか戻って来ないレイを心配するサラの言葉にカナタが、「そうだな」と少し心配そうに答えた。
「ちょっと様子見に行ってくるね」
マリアがそう言うと、
「私も」
マリアがそう言いだし、サラが同行を申し出た。
「「ついていく」」
カナタとマリが同時に言った。
シオンは会場を抜け出すことが出来ず、4人でレイの様子を見に行くことになった。
「レイー?何処にいるの?」
マリアが闇に包まれた庭園に向けてそう声を掛けるがレイからの返事はない。
「どうしたのかしら?」
全員が顔を見合わせた時、それぞれに衝撃が走った。
そして、そのまま意識を失った。
これから先は血だらけの重たい話がしばらく続きます。