3 馬鹿一号とチャラ男がウザイ
後ろを向くと馬鹿がコップに入っていた水を、私にかけたようだ。眉間に力が入ったけど、まずは食器を片付けようと、あと数歩の距離を歩く。食器を置いたところで肩に手が掛かった。
「無視すんなって言ってんだろ、眼鏡ブス。黙ってないで何か言えよ」
ぐいっと引っ張られて馬鹿のほうに向きを変えられた。それと共に、フードが頭から滑り落ちて、顔が露わになってしまった。
ギッと睨みつけたら、馬鹿の目が大きく開き大口を開けた間抜け面で、私のことを見つめている。
ガシャン カラン カラカラ
近くで食器を落とした音が聞こえた後、食堂は静寂に包まれた。
「離せ、馬鹿」
「……あっ?」
力が入って指が肩に食い込んでいるんじゃないかと思うくらいに痛い。それを端的に指摘したのに、馬鹿はわからなかったようだ。間抜けな声が聞こえてきた。
「痛いから離せって言ってんだよ、馬鹿」
「あっ? ああ! 悪い……」
茫然とした顔で馬鹿が答えて、手を離した。私はフードを被り直すと、背を向けて食堂の入口へと歩きだした。
「待ってくれ……待ってください。あの、その、君!」
焦ったような馬鹿の声が聞こえてきた。それだけでなく、左手をつかまれた。仕方がないから向きを変えて馬鹿のことを見た。
「探していたんだ、ずっと。初めて会った時から、君のことが忘れられなくて。な、名前を教えてくれないか」
頬を染めて目を潤ませてそんなことを言ってくる馬鹿に、私は蔑みの視線を向けた。
「さっきまで罵倒していた相手に、よくそんなことが言えるな」
「違う。人違いをしたんだ。いけ好かない眼鏡ブスがよく身に着けているマントと、君が身に着けているマントが同じ色のものだったから。も、もちろん、君が身に着けているもののほうが似合って素敵だよ」
私は尚更目を細めて、ありたっけの軽蔑の気持ちを込めて馬鹿のことを見た。
「間違えてないよ。私はあんたがよく知る、眼鏡ブスのカミーラ・ユンテスだ。わかったら手を離せ」
馬鹿は「そんなバカな」と、顔色を青ざめさせて手を離した。また茫然としたようだから、そのまま置いて歩き出した。
なのに、食堂の扉の手前でまた手をつかまれた。しつこいなと思いながら振り向いたら、騎士団の中でもイケメンといわれるチャラ男がそこにいた。
「カミーラ、君はひどい人だね。その可憐な姿を今まで隠していたなんて。いや、解っているさ。そこのディクソンみたいな、単細胞から身を守るためだったのだろう。私が見つけるのを隠れて待っていたのだろう。安心したまえ。これからは私がカミーラのことを守るからね」
自分に都合よく解釈するチャラ男にムッとした。それにあろうことかチャラ男はフードを滑り落とすと、愛おしいものを見るような顔で私を見つめ、頬へと手を伸ばして来た。
シュッ
「あれ?」
チャラ男はそう言うと自分の頬へと手を当てた。手についたものの感触に、あれ? という表情をして、その手を自分の顔の前に持ってきた。指には血がついていた。
「うわぁ~」
「こら、ミポル。勝手に攻撃しちゃだめでしょう」
チャラ男は悲鳴をあげた。私は気配がする方に声をかけた。小さな光を纏った人影が姿を現す。
「だって~、カミーラに~、触ろうとするんだも~ん」
「それにしては馬鹿の時には何もしなかったじゃない」
「え~、そろそろ鬱陶しかったから~、思い知らせておこうかな~、って思ったんだ~」
いいことをしたでしょう、という顔で見てくる妖精のことを、「フ~ン」と見た。ミポルはにっこりと笑い返してきた。その姿をしばし眺めてから、まあいいかと結論づけた私はフードを被り直し、食堂を後にした。
廊下に出る前にチャラ男のことを見たら、チャラ男も青い顔でミポルのことを見ていた。頬の傷はかまいたちで切ったものだから、それほど深くは切れていないようだ。擦ったあとの傷口には玉のように血が盛り上がっていたけど、流れ出すようには見えなかったから。
◇-◇
食堂を出て廊下を歩いていると、後ろからバタバタと足音が聞こえてきた。緊急時でも廊下を走るなと言われているのに、どこのバカだと振り返った。走ってくるのは、頬を赤く染めて興奮した顔の男達、数名だった。
「げっ」
私の口から淑女にあるまじき声が出た。……そこ! 『誰が淑女だ』と、思っても言うなよ。私は育ちから言葉は悪いけど、学院にいる間は淑女で通っていたんだからな。それなりの言葉使いや作法は心得ているんだぞ。
と、また、現実逃避気味に考えながら、廊下を早足で歩いて行く。
「待ってくれ、カミーラ。カミーラ・ユンテス殿」
男達の声に、これから食堂に向かうだろう人々が、私のことを見てくる。何事かと思っているのだろう。私はその視線を無視して早足で歩いたけど、とうとう男達に回り込まれてしまった。囲まれてしまっては止まるしかなかった。
「カミーラ嬢、是非今度、街に出かけませんか」
「いや、私と食事をしに行きませんか」
「お前ら、抜け駆けすんな。カミーラさん、いま王都で流行っている観劇に行きませんか」
この様子に、驚いた眼を向けてきていた人々が立ち止まった。そして信じられないものを見るように、私達のことを見ている。中にはミポルの姿に気がついたのか、小声で「妖精だ」と言っている声が聞こえてきた。
「チッ」
思わず舌打ちが漏れた。