003 人によく似た
強い日の光が目にあたり、たまらず目をこらす。侍従が起こしに来たのだと思い、メアリーは大きな欠伸をして起き上がった。
しかし、ベッドの質感がいつもと違うことに気づく。
「お目、覚めに」
「お目覚めにっな、られ」
いつもメアリーを叩き起こす侍従の声とは違った。違和感を感じ、寝ぼけた表情のまま顔をうえにあげる。
そして近くにいた侍従の顔を見た瞬間、眠気は綺麗に吹き飛んでいった。同時につい悲鳴を漏らしそうになる。
「お目、覚めに」
「おっ着替え、を」
言葉が不自由な侍従がふたり──もとい顔のない人外が二匹、ベッドの傍らに佇んでいた。
その時にあれは夢じゃなかったのだと、目覚めて早々に一気に現実へ引き戻される。悪夢だと思っていたものが現実で、現実と思っていたものが寝ぼけざまの夢だった。
起きてすぐに言いようのない絶望が押し寄せる。
「おっ、着替え、お着替え、を」
「こち、らへ」
ベッドから降りてすぐに着替えは始まった。やけに慣れた手つきでパジャマを脱がされ、可愛らしいワンピースへ着替える。
用意された服のサイズは、不思議とメアリーの体の大きさとぴったりだった。無論、採寸をした覚えはない。
「こっちらへ、こちら、へ」
「こちら、へ」
侍従に案内されるまま、メアリーは部屋を後にした。部屋を出る直前、一瞬だけだが振り返って部屋の中を見渡す。
メアリーの年齢に合わせたのか、部屋には興味を惹かれるものが沢山あった。しかし全てが微妙な色で統一され、興味はそこまでわかなかった。
だれが揃えたのか謎だが、あまりいい趣味をしているようには思えない。
階段を降り、ある部屋の前まで案内される。城内は全体的に不気味な内装で、所々に蜘蛛の巣があった。
案内した侍従が扉を開け、メアリーへ入るように促す。恐る恐る入ると、そこはどうやら食堂のようだ。
「やっと起きたか」
縦に長いテーブルの奥には見覚えのある人物が頬杖をついて座っている。出会ったばかりなのにかなり素っ気なく、印象も最悪のままなあの男だ。
メアリーは男の名前をまだ知らない、教えられていない。
妙に悪趣味なデザインの椅子へ通され、人間向けに作られただろう朝食が目の前に並べられた。
「腹減ってるなら食えよ」
「……」
「変なものなんてなにもない。いいから食べろ」
「……ぅ、はい」
とげとげしい口調の男が怖く、言う通りに朝食を食べ始める。もう少し彼の愛想が良ければ、メアリーも多少は好感が持てたかもしれない。
恐る恐るフォークを手に取り、先端をソーセージに突き刺した。
「つうか、メアリーはなんであの森にいたんだ?」
「え、どうしてそれを知ってるんですか。いったい、どなたから聞いたんです?」
「どなたって、俺がメアリーをここに連れてきたんだよ」
男からの質問に驚き、つい質問で返事をする。男は素っ気なく「これで満足か?」と答えた。
返答の言葉にさらに驚き、ソーセージを刺したフォークを皿の上に落とす。てっきり、彼だけは自身と同じ人間だと思っていた。
ほかにも男がなにやら話しているが、正直なにひとつ頭の中には入ってこない。彼がメアリーをここに連れてきた張本人、その事実だけが脳内を埋め尽くした。
そして不意に、この男は魔王の手下なのではと考えが脳裏をよぎる。
森で感じた膨大な気配は尋常ではなかった。あれは人から発せるものではないと確信しているが、魔王がわざわざひとりの生娘に対してあんなことをするだろうか?
答えは否だ。確証はないが、自身を拉致した男は魔王の直属の部下、あるいは側近あたりではないかと結論に至る。
仮にそうであれば、気まぐれ程度に娘のひとりやふたり、連れ去ったところで不思議ではないと思った。魔王が生娘をさらうことはないと謎の確信に満ち溢れる。
「……私、逃げ出したんです」
「なにから?」
「大好きだった婚約者に以前から他の愛する女性がいると知って、悔しくてあの森に逃げ込みました。本当に馬鹿なことをしました」
魔王の側近がこんなに近くにいては、逃げ出せる可能性は跡形もなく潰えた。どこかで逃げ出すチャンスを練っていたが、メアリーにさらなる絶望がのしかかる。
もう逃げられっこないと心は悟り、自虐的な笑みを浮かべて事の真相を話した。
「気の毒に。そいつは自分の事しか考えていない、とんだ腰抜け野郎だな」
「……」
「なんだ、まだ未練があるのか? 考えてみろ、既に愛する女がいるならメアリーと婚約なんてしないだろ」
「……たしかに、そうですね」
「自分の保身を気にするあまり、愛する女も大事にできてない。そいつはミジンコ以下だ」
男から的確な箇所を指摘され、メアリーはいくつかの点に気づく。思い返してみれば、思い当たる節も何個かあった。
また怒りがわきだし、テーブルの上で握りこぶしを作る。一瞬叩きかけたが、どうにか堪えた。
「思い当たるところがあるみたいだな」
「ありすぎます。私、面食いなんですけど顔だけしか見てなかった自分が許せないです……あんなちゃちな男に現を抜かすなんて!」
「いいぞ。もっと言ってやれ」
「あの薄らとんかち、ミジンコ以下! たま」
そこまで言いかけたところで、男から「それ以上はやめとけ」と制止が入る。メアリーもふと我に返り、恥ずかしそうに口元を両手で隠した。
途端に気まずい空気が流れ、頬の熱りを感じながらも口を開く。
「ご、ごめんなさい。止めていただいて助かりました」
「まぁ、嫌いじゃないが場所は選ばないとな。見た感じ令嬢っぽそうだが、よくそんな言葉知ってるな」
「はは。母に似て少し血の気が多いらしく……昔はよく男の子を追いかけていたばかりに、知ってます」
恥ずかしさと落胆から肩を落とした。女性はしおらしくあるべきという固定概念が、メアリーの心を少しずつ蝕んでいく。
が。リュウはすかさず「いいんじゃないか」とフォローを入れた。
「快活な女性がいたっていい。いわゆる上流階級は知らんが、それがメアリーの性にあってるならいいんじゃないか」
「お優しいんですね」
「場所はちゃんと選べよ」
初めて肯定された気がして、嬉しさからつい涙ぐむ。それが余計にリュウを困惑させたが、敢えて表には出さなかった。
朝食に毒は入っておらず、数分後には完食する。意外に味も美味しく、メアリーは心から満足した。
男はすでに朝食を済ませているのか、ずっとテーブルに頬杖をついている。行儀が悪いと感じつつも、メアリーから指摘することもなく朝の食卓は終わった。
「あの、あなたの名前をおうかがいしてもよろしいですか?」
「あぁ、俺のことか。気軽にリュウとでも呼んでくれ」
「は、はい。ではリュウさんで」
男もとい、リュウの(先ほどと比べて)寛容的な対応にひとまず安堵の表情を浮かべる。リュウとは一風変わった名前だが、思えば彼の顔立ちも幼く見えた。
声や振る舞いからして年上で間違いないだろう、それも相当な年齢差があると思える。だが幼くも見える顔立ちは、異邦人でもあり得るのだろうかと疑問に思った。
「あの、私はこれからなにをすればよいのでしょうか? 痛いのは嫌なので、拷問される人質の演技なら頑張ってやりますよ」
「いきなり怖いことを言うのはやめてくれないか? なにもしないよ」
朝食の後はなにをするのか気になった為、不意にリュウに近づいて問いかける。人身御供にする、と言われたらそこまでになるが、一応尋ねてみた。
が。一切予想していなかった返答が返ってくる。単にメアリーの発言がおっかなかっただけだが、それでも驚かずにはいられなかった。
「本当ですか?」
「そうだよ、なにも。メアリーの好きなように過ごせばいい」
「えっ、え?」
予想外すぎる返答に、メアリーはすっかり困惑する。もっと恐ろしいことを言われるものだとばかり思っていたため、逆になにもないことが怖く感じ始めた。
さらなる説明が必要だと察したリュウが、少ししんどそうに溜め息をこぼす。
「俺は別に、メアリーを攫ったのは生贄とか嫁にするためじゃない。それだけは言っておくぞ」
「なら……、なんのためですか?」
我に返るとそんなことを口走っていた。そうでないのなら、男はなんのためにメアリーを連れ去ったのか。
疑問はただ募っていくばかりだった。しかし、リュウはメアリーの問いかけには「さぁな」とだけ答える。
どうやらそれ以上のことは答えるつもりがないようだ。肝心のところで黙秘され、メアリーは途端に眉にしわを寄せる。
そして腕を組み、頬を膨らませ「それはいけませんね」とこれ見よがしにすね始めた。が、リュウに「あーはいはい」と冷たくあしらわれる。
「あぁそうだ。城内は好きに行動していいが、迂闊に外へは出るなよ」
「何故ですか?」
「ここは元々魔王の領域だ。俺がいるから多少の問題はないと思うが、外には女子どもを餌にする輩はいくらでもいる」
「き、気を付けます……」
珍しく他人の忠告を素直に聞き入れた。普段のメアリーならまずあり得ないが、ここは魔物の陣地でもあるためそのほうが良いと判断する。
メアリーが目にした人外は数匹の女侍従と、人語を解する獣、そして人によく似た姿のリュウだ。すっかり油断していたメアリーは、改めてここは危険な地域にあるのだと認識する。
そして別の意味でも、元から逃げ出せるチャンスなどなかったのだと思い知った。