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001 プロローグ

 鼻孔をくすぐる匂いは、その時に初めて嗅ぐ。しかし、どこか懐かしい感覚を覚えたのも確かだった。

 目に映る光景は無数の矢が降り注ぎ、自分はいま戦いの場にいるのだと理解する。


 そして降り注ぐ矢から少女を守っているのはひとりの魔王(おとこ)だった。魔術を使う余裕もなく、魔王は少女に覆い被さるように守っている。

 その背中には幾本(いくほん)もの矢が突き刺さり、傷口からは血が流れ出ていた。

 不格好ながらも魔王は少女・メアリーを抱きしめ、矢が刺さらないように身を(てい)している。

 その時、メアリーは自身が俗に言う異世界からの〈転生者〉であることに気づいた。

 頭の中に今生の記憶だけでなく、いわゆる前世の記憶が蓋を開けたように溢れ出していく。


 前世の自分(メアリー)は極々平凡な人生を送っていた。見たこともない文字の名前だったことも思い出す。

 しかし高校に進級する直前、交通事故で両親を失った。入学後は些細な理由でいじめにも遭う。

 そして十六歳を迎えた後、あれは確か夏の出来事だった。


 ──たったひとりの兄を置いて死んだ、大きな車体が目前にあったのを覚えている。


 両目からぽろぽろと涙があふれ、目の前にいる人物に目線を向けた。どうしてここにいるのかと、悲しみと同時に疑問が生じる。

 そして彼が誰なのか、メアリーは確かめるようにその名を口にした──


 ※


 鏡に映る見目(うるわ)しい少女は、どこか不機嫌そうな顔をしている。色素が薄く艶やかな髪、瞳も宝石のように輝いて見えた。

 数人の使用人に囲まれ、良質な生地の服に身を包んでいく。

 御歳十六を迎えるメアリーこと、

〈メアリー・グレイセス・ボールドウィン〉


 彼女は数日前に決定したばかりの縁談が心の底から嫌だった。

 しかし縁談の相手が辺境伯の子息らしく、子爵令嬢のメアリーには断るすべもない。

 けれどゴネにゴネて、一度会ってから決める……という話にどうにか持ち込んだ。辺境伯が人の好い方で良かったと、メアリーは今更になって思う。

 こうして嫌々身支度を済ませ、父親といっしょに竜車に乗った。

 朝方に領地を出発し、辺境伯が所有する領地に着いたのは昼を過ぎた時間帯。馬だと半日かかる距離を、家畜化された竜ならものの数時間で移動することができた。

 辺境伯邸宅前に竜車が停まり、父親とメアリーが順番に降りる。邸宅の玄関前には辺境伯とその使用人たちがおり、ふたりを手厚く出迎えた。


「よくぞいらっしゃった。ご足労いただき感謝する」

「いいえこちらこそ、お招きいただき感謝します」


 辺境伯と父親が世間話をしている間、メアリーは周辺を見回す。無論下手な行動は出来ないため、目だけがきょろきょろと動いていた。


「メアリー、ご挨拶なさい。お前の義父(ちち)になられる素晴らしいお方だぞ」

「はい」


 辺境伯に向き直り、必要最低限の簡単な挨拶で済ませる。これでも精いっぱいの粗相をしたつもりだったが、誰も気づいていないようだ。

 長年一緒にいる父親にさえ気づかれなかった為、メアリーは人知れず溜め息をこぼす。


「では話の続きは屋敷の中で。息子は恥ずかしがり屋なものですまない、応接室で待っている」

「いえいえ、お気になさらずとも」


 父親は辺境伯相手にへこへこしているが、メアリーはムッとした表情を浮かべた。例え縁談の相手が自分より爵位が下だとしても、出迎えるぐらいのことはしていいはず。

 出会う前から子息に対する好感度が底まで下がったのは言うまでもなかった。

 応接室に通され、そこでようやくメアリーと子息は対面を果たす。好感度は底まで下がっていたが、子息の姿を見た瞬間まるで射貫かれるような感覚を覚えた。


「初めまして私、アレクサンダーと申します」

「は、初めましてっ……わっ私は、その……メアリーといいます」


 かみかみになりながらも、なんとか自己紹介をする。初対面からとんだ姿を見せ、メアリーは恥ずかしさのあまり顔を火照らせた。

 そうだった、とあることを思い出す。メアリーは生粋の面食いだった、ゆえにさわやか系のイケメンにとことん弱かった。


「ははは。お元気なお嬢様ですね」

「すみません。なにせ慣れていないものですから、どうか長い目で見てやってください」


 誰もが見惚れるような眉目(びもく)秀麗しゅうれいさに、メアリーがひと目で恋に落ちるのも無理はない。

 彼の名前は、

〈アレクサンダー・アストレア・コーンウェル〉

 御歳二十一歳を迎える若き騎士だ。外交を勤める辺境伯の父とは違い、彼は祖父の稼業であった騎士を受け継いでいる。


「ではこちらにお掛けするといい」

「ありがとうございます」


 思いのほか縁談はとんとん拍子で進み、その日は辺境伯(コーンウェル)邸に泊まることとなった。

 最初は嫌々受けた縁談だったが、今では天に昇るような気分にメアリーは浮き足立つ。幸せとはこういう物をいうんだと、その時に初めて実感した。

 この時に初めて、この縁談を持ってきた父親へ感謝したほど。


 しかしメアリーに訪れた幸せに感じる時間は、そう長くは続かなかった。

 辺境伯の領地に移り住み、婚約式の日取りも決まったある日の昼下がり。メアリーの目の前には婚約者のアレクサンダーと、その隣には面識のない女性がいた。


「メアリー、本当にすまないと思っている。どうかこの私を許してくれ」


 アレクサンダーが申し訳なさそうに詫びる。

 珍しく彼からお茶会の誘いを受け、急いで来てみればこの状況だった。慣れないおめかしをして、嫌いなお下がりの服に頑張って着替えたのに、この仕打ちである。

 混乱した頭を落ち着かせるため、メアリーは冷静さに努めて口を開いた。


「あの、そちらの女性は?」

「この()はカーラというんだ。メアリーと婚約が決まる前から私と睦まじい仲にある」


 アレクサンダーの口ぶりから察するに、ふたりは随分前から一線を越えた仲らしい。さすがにそのくらいのことはわかった。

 では何故、彼はメアリーとの縁談を受け入れたのか……?


「縁談が決まる前、君はだいぶごねていたらしいね」

「……はい」


 いきなり痛いところを衝かれ、声が喉元で(つか)えた。ゆえに数秒遅れて返事をする。

 アレクサンダーは気にすることなく話しを続けた。


「メアリーと会ってお終い……かと思って安心していたら、まさか婚約式の日取りまで決まるとは。びっくりしたよ」

「……」


 隣の女性、カーラと身を寄せ合いながら悩まし気に語る。それはまるで、自分が被害者ぶっているように見えた。

 言葉には出さないが、目が物語っていたらしい。アレクサンダーに「そんなに怖い目で見ないでくれ」と指摘を入れられた。


「メアリー……申し訳ないと思う。けどこの事は内密で、君から婚約を無かったことにしてもらいたい」

「……え?」


 アレクサンダーの申し出に思考がたちまち停止する。か細く消え入りそうな声がやっとのことで出した反抗的印だった。


「お願いしますメアリーさん」

「頼むよメアリー」


 今まで黙り続けていたカーラもこの時にようやく口を開く。涙ぐみ、ハンカチで口元を隠す仕草を見せた。

 ふたりの悪びれているようで悪びれていない態度、味方のいないこの状況。メアリーは今にも泣き出したい気持ちに駆られた。

 しかし心の中で自分を激励し、ぐっと堪える。


「申し訳ないと思っている。けど、君には僕らの仲を裂くことはできなかったということだ」

「……はぁ?」


 カーラの肩を抱き寄せ、とどめの一言を口にした。

 その時、メアリーの中でプツリと何かが切れる感触がする。恐ろしい表情で勢いに任せて立ち上がり、飲みかけのティーカップを持った。


「どの口がそれを言うのよ!」


 カップをアレクサンダーに投げつけ、ふと思い立ってその場から走って逃げ出す。後ろから自身の名前を呼ぶ声が聞こえたが、構わずに走り続けた。


 ※


 どのくらい走り続けただろう。陽も暮れ出し、辺りは暗くなりつつあった。

 辺境伯の領地は発展途上中で、人が繁殖した域より無人の地域のほうが広い。

 メアリーは息も絶え絶えの状態になるまで、森の中を無我夢中に走り続けた。取り返しのつかないことになっていた事からも目を背けたまま。


「ここ、どこかしら……」


 敢えて道なき道を選んだせいで、自分がどこにいるのかもわからなくなっていた。どこへ続いているのかも、どこでこの道は終わるのかも知れない。

 遠くでフクロウの鳴き声が聞こえた。辺りは真っ暗で、足元もおぼつかない。


「ぱ、パパ……ママ……」


 ぽつりと大好きな存在の名を口にするが、この状況が変わるわけではなかった。

 脚が震え、腰の力が抜ける。挙句、メアリーはその場で泣き崩れてしまった。

 長いこと会っていない両親の顔を思い出し、不出来な娘だったことを後悔する。


 ──きっと今夜、野獣に喰われて死ぬんだ。


 先のことを考えなかった自分の愚かさを恨み、誰もいない空間で懺悔した。

 どれほど泣き続けたか、ふと辺りが妙に静まり返っていることに気づく。先ほどまで聞こえていたフクロウの鳴き声もピタリと止んでいた。


 ただ聞こえるのは、風が吹き抜ける音と木々のかすかなざわめき。


 屋内育ちのメアリーでもわかった。泣いている場合じゃないほどに、なにかがおかしいと。

 息を潜め、周辺の様子をうかがう。暗くてなにも見えないが、空気の流れを必死に感じ取った。

 が。なにかを感じ取れるわけでもなく、時間だけが過ぎていく。


 メアリーの背後で()()()が降り立つ音がするまでは、だが。


 先述したように子爵の娘で屋内育ちといえど、メアリーは少なからず魔術を扱うことができる。ゆえに微弱ながらも魔素の流れを感じ取ることも可能だ。

 それも人か、それ以上に大きい生き物に対してだけ。

 メアリーの背後に降り立った()()()は、体調に支障をきたすほど大きな存在感を放っていた。強烈な頭痛が一気に押し寄せ、同時に吐き気を覚える。

 やけくそ気味に、もうこの際はどうにでもなれと後ろへ振り返った。が、メアリーはすぐにそうしたことを後悔する。

 彼女の後ろには、外套(がいとう)を羽織ったひとりの人物が佇んでいた。なぜそこにいるのかはわからない、ただじっとメアリーのことを見下ろしている。


 ──その人物は後に、自身を『魔王』という。

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