7章 夢は正夢
前回はいつもよりも長い文章でしたが、今回は前回よりも長いです……。
そういったのは、浅沼さんだった。
「なんで?」
「咲希はきっと……何も覚えてなくて、でも、行くべき場所があって、ここに留まってるんじゃないかな。俺は、そう思う」
「どうして?」
と春花さんが聞くと、浅沼さんは言った。
「……夢を、見たんです」
「夢?」
「夢の中で、咲希に会ったんだ」
「え、どんな夢ですか?」
「なんて言えばいいのかな……」
咲希が目の前にいた。そこは花畑でね、美しかったさ。その花畑とは反対に目の前の咲希はぼろぼろの格好をしていた。
『湧真先輩……!何故、ここに?ここにいたらだめなんですよ!』
「じゃ、なんで咲希はここにいるの?咲希もダメなんじゃ……」
『私は、ここにいなければならないんです。あの川は……』
その時、凍えるほど冷たい風が川の方から吹いてきたんだ。夢なのに、その風は本当に震えてしまうほど冷たかった。一方、咲希はその風が吹いてくる方……川の方を向いて、心地好さそうに微笑んでいたよ。咲希がその風にあたっていると、ぼろぼろだった姿がだんだんと元に戻っていった。それと同時に、咲希から何か、美しい霧のようなものが出ていって、美しい光の道を作ったんだ。
そして、風は止んだ。
そしてこちらを振り返った時、咲希は悲しそうに笑って、話し始めた。
『……あなたは、あの川と渡し舟の恐ろしさを知らないのですね』
思わず、「えっ?」って聞き返してしまったんだ。
咲希は話し続けた。
『なら、私がお教えしましょう。あの川の先にあるのは、死の国です。私達のように死を認められた者は、死の国に行かなければならないので大丈夫なのですが、あなたのように生きている人にとって、あれは恐ろしいものでしかないのです』
「どういうこと?」
『もうすぐ渡し舟がきます。その時に、あなたはきっと死にます。船が来ると、誰もがそこに引きつけられてしまいます。……生きている人でさえ、この花畑にいる人ならば。いくら抵抗しても、あの川と渡し舟の力には敵いません。ですから、渡し舟が来る前に、あなたはこの扉から現世へ帰ってください』
いつの間にか、そばに扉が現れていた。
この扉を開ければ、現世に戻れるんだと分かった。だから、出来るなら咲希も連れて帰りたかった。
「なら……一緒に……」
『嬉しいお言葉ではありますが、私はもう死んだのです。最終的には死の国に行きますが、その前に、行くべき場所があります。そこには大切な人がたくさんいます。だから私はあの道を……霧の道を渡ることにしたのです』
霧の道。それは、さっき出来た光る道のことだった。
『あなたも私も、似た者同士ですね。だって、あなたは亡くなった方を大切に思っていたはずですから。そうでなければ、あなたはここにはいないはずです。そう、例えるなら……私が自らの記憶を全て無くしてでも……自らの記憶を全て霧の道に変えてでも、大切な人たちにこれから会いに行くのと同じぐらいに、あなたはその方を大切にしていたのでしょうね』
そして咲希は、『さようなら』と言ってその道を歩き始めた。俺は呆然としながら咲希を見送って……咲希が見えなくなった頃にあることに気付いて、「……えっ⁉︎」って声を上げてしまった。
咲希は『自らの記憶を全て霧の道に変えてでも、大切な人たちにこれから会いに行く』って言った。それに、咲希は俺を相手に話しているにしては、変に丁寧な敬語を使って話していた。俺のことを『湧真先輩』って呼ばずに、『あなた』って呼んでいたし。
……つまり咲希は、記憶を無くしている、ということに気付いたんだ。
咲希が自分の記憶を犠牲にしてまで会いたかったのは誰なんだろう。
そんなことを考えながら、俺が扉を開いて、その中に足を踏み入れた時……目が覚めたんだ。
「そういえば……うちも夢の中に咲希が出て来ました!」
西野さんが叫んだ。
うちが見た夢では……咲希はうちの目の前にいて、うちに笑いかけてました。そこは、咲希が人身事故に遭った駅のホームでした。咲希はぼろぼろの格好をしていて、うちは『咲希が亡くなった』っていうラインを受け取ったばかりで。思わず聞いていました。
「何、その格好……どうしたの?」
『私ね……人身事故に、遭ったの。私はもう、ここにはいられない』
「……あのラインは、事実だったの?ねぇ……嘘だって、言ってよ……」
『……本当だよ。本当は私だって……嘘だって、言いたいけどね。でも、約束する。必ず、戻って来る。もしかしたら、楓のことを覚えていないかもしれないけれど、ここに戻って来るよ』
「本当?」
『私が嘘ついたことはある?』
「冗談ならあるけど」
『冗談でもないからね。約束よ』
「分かった」
『ありがとう』
その時、金色の光に包まれて、咲希が消えたんです。うちが改札の外に出て、そこで夢は終わりました。
「そういえば……思い出した。うちも、見たよ。花畑の中に、咲希が出て来る夢……」
その花畑には見覚えがあった。一度、病気で死にかけた時に来たことがあったんだ。だから目の前に咲希がいると分かると、うちは急いで咲希を連れて現世に戻ろうとした。手を握って、言ったんだ。
「早く……早く現世に戻ろう!道を知ってるから、ついて来て!」
でも、私がいくら手を引いても、咲希は動かなかった。悲しそうに、笑って言った。
『琴音先輩、私はもう死を認められた者です。もう現世に戻れません。もうすぐ渡し舟が来ます。ここに着く前に、この近道を使って、現世に戻ってください』
いつの間にか、扉が現れていた。
「渡し舟のことは知ってる……でも、」
『私はもうすぐ現れる「霧の道」で、みなさんに会いに行きます』
「霧の、道?」
咲希は頷いた。
『その道を通って、皆さんに会いに行きます。でも、多分皆さんからは姿は見えません。それに……』
「それに?」
『……何でもありません。もう少しで渡し舟が来ます。だから、早く……!』
うちは咲希に急かされて扉に入った。花畑の時は、早く、短く、あっという間にすぎるものだと知っていたからね……。そう、そこで夢は終わったの。
しばらくの間、しんとしていた。
その沈黙を破って話し始めたのは、春花さんだった。
「……みんな、咲希との別れに気づいていたんだね。……実は、うちも気づいていたんだ、数年前に……。久々に、小さな頃の夢を見たよ。夢みたいだったけど、本当の事だった……」
春花さんはさっき髙橋さんや中野さんにした話と全く同じ話をした。
その場にいる人全員が絶句した。
「……そろそろ、お守りを持ってみたら?」
ぽつりと言った春花さんの言葉に、私はぎくりとした。春花さんは静かに続けた。
「もうサックスパートのみんなは、きっと、全部気づいてるからさ……」
「えっ?」
3人が戸惑いの声をあげた。
私は、目を閉じた。
もしも3人が、気づいて、いるなら……。
私は深呼吸をして、目を開けた。
そして、お守りを持った。
「皆さんは、私のことをご存知のようですが、私は、皆さんのことを……覚えていません」
その言葉で、十分だった。
「……咲希!」
3人は一斉に声をあげた。
「じゃあ、あの夢は、正夢だったの⁉︎」
「多分、そうですよね?」
「咲希、本当に俺らのこと、覚えてないの?」
「……残念ながら」
しばらく間が空いた。
ガラガラ、という音と共に、教室の扉が開く。
中野さんだ。
中野さんは教室の入り口で言った。
「ねえ咲希、今日の午後、学指揮がやる合奏があるんだけど出ない?」
え……どうしよう。
出るならそれはそれで楽しそうだが、私は何も覚えていない。そんな状態で出てもいいのだろうか。
「もちろん咲希の自由だから、咲希が後悔しない方を選びなよ」
中野さんは、そう言った。
しばらく迷って、決めた。
「合奏、出ます」
「分かった。……待ってるからね」
笑顔で言って、中野さんはいなくなった。
「さ!合奏の支度しよ!」
春花さんが私にそう言った後、こう3人に向けて話し出した。
「ちょっと譜面もらって来るからさ、3人は咲希に教えてあげて、色々。なんとなく覚えてるところもあるみたいだから」
そして、春花さんはいなくなった。
3人は私に楽器の持ち方や吹き方を教えてくれた。不思議なことに、なんだか懐かしくて、違和感は何もなかった。指が自然に動いてくれた。楽器を持っているときはお守りを持てないけど、代わりに手首にお守りをかけていれば周りの人に姿が見えることも分かった。
なんだ、心配しなくてもよさそうだな。
……演奏面に関しては。
それ以外については、正直に言って不安しかない。でも、そんなこと言っていてもしょうがない。もう決めたことであった。