1章 事の始まり
——私は、どこにいるんだろう。
ここは、少し広めの部屋だった。なにやら黒くて大きなものが置いてある。沢山の机や椅子が並んでいるこの場所には、何人かの人がいた。でも、何だか……引きつった雰囲気だ。みんな笑顔だけど、何かあると崩れてしまいそうだ。だからか、私が部屋に入って来たことに、ここにいることに、誰も気づかない。でも、それ以上に気になることがある。
それは、この場にいる人がみんな私の知らない人ばかりなこと。そして、なぜ自分がここにいるのが分からないこと。
(あれ……?)
一人で首を傾げていると、立て付けが悪いのか、軋んだ音を立てて扉が開く。そして入ってきたのは、セミロングの茶髪を持つ女の人。やはりと言うべきか、その人も私の知らない人だった。
「湧真おはよう! 楓ちゃんもおはよう! それから……」
茶髪の人が垂れ目を細めて笑いながら、青いパーカーを着た男の人と黒髪ボブカットの女の人に話しかけたが、急に話すのをやめた。青パーカーの男の人は表情を凍りつかせ、黒髪ボブカットの女の人は悲しげな顔をしたからだ。それだけではない。部屋中の空気が気まずげな雰囲気に一変する。茶髪の人はハッとした表情をして、
「そうだ、そうだったね……ごめん、みんな」
そう呟いた。
「——何か、あったのですか?」
勇気を出してそう問いかけたが、なぜか全く気づかれない。何度話しかけても、結果は同じだった。
「なんで……」
呟いた時、また扉が軋んだ音を立てる。そしてやってきたのは、灰色のパーカーを着て黒いズボンを履いた男の人だった。
「おはよう、凛」
「あ、湧真だ。おはよう。……えっ⁉︎」
灰色パーカーの人は、私を見て、大声を出した。
な、なんでよ。そんなに大声出すことないでしょ? ほら、あの青パーカーの人も首を傾げてる。
「どしたの?」
「いや……なんでもない」
灰色パーカーの男の人はそう言って苦笑いすると、荷物を机に置きながら私に近づいてくるなり、
「こっちに来て」
耳元でぼそりと言って、私の腕を掴むなり部屋の外に連れ出した。え、ちょっと、という抗議の声は無視される。
部屋の外は、廊下だった。扉から数歩離れてから、唐突に灰色パーカーの人が立ち止まる。だから、突然何するんですか、と文句を言おうとしたけれど、その人が言葉を発する方が早かった。
「さきちゃん、さきちゃんだよね?」
「えっ?」
……さきって、誰?
……って言うか、この人は誰なの?
こういう時は、私から名乗るべき?
……あれ?
私の名前……なんだっけ?
「どうして、ここに?」
灰色パーカーの人が問うのが聞こえたけど、そんなの、私が知りたい。そう思ったけれど、頭の中が混乱していて言葉が出てこない。ようやく絞り出せたのは、
「……あなたは、一体……誰なんですか」
これだけだった。
「えっ⁉︎」
何故かこの質問に、この人の方が驚いたようだ。一重の垂れ目を丸くして、呟くように尋ねてくる。
「お、俺のこと……分かんないの?」
「分かるわけないじゃないですか、初対面なのに」
何を当たり前のことを言っているのだろう。
私が呆れていると、灰色パーカーの人は少し考え込み、そして、ゆっくりと話し出した。
「——ごめんね、急に。びっくりしたよね。僕は、髙橋凛。高校二年生だよ」
たかはし、りん……さん?
「吹奏楽部の部長なんだ。ファゴットを吹いているよ。背高のっぽの楽器でね、このぐらいあるんだ」
このぐらい、と言いながら彼は手で高さを指し示す。そんなことされても、楽器の姿は分からないのに——。
「君の名前は……」
……キイッ。
「凛、何時だと思ってんの? ミーティング! 全くもう、何してんの?」
「あー、ごめん千尋。今行く!」
あの部屋の扉が開いたかと思うと、大柄な女の人(多分、千尋さんと言うのだろう)に呼ばれた髙橋さん。返事を返してから、私に手を差し伸べてきた。
「さきちゃん、おいで。ミーティングだよ」
見ず知らずの人が私のことを『さきちゃん』と呼び、ミーティングというものに出るように促している。
普通なら、怪しむべきことなのかもしれない。
でも、その声はとても優しくて、聞いたことがない声なのに、聞き覚えのある、なぜか懐かしいもののような気さえしていた。
だからだろうか。
私は、髙橋さんと一緒に部屋に入った。
2019/11/07 1:53 改稿




