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肉食系女子  作者: こめこ
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01

あらすじにもありますが、遅筆すぎるため自分の尻叩きのために掲載することにしました。

よろしくお願いします。

 美佳子はずっと前から可笑しかった。

 美佳子の家の隣に住んでいた私は、所謂幼馴染というやつで、当然のように小学校も中学校も同じだった。私たち二人の成績も家と同じように肩を並べていたから、高校まで同じだった。

 だから、美佳子が可笑しかったことなんてとっくの昔から知っている。

 私たちが初めて邂逅したのは小学一年生のころ、桜よりもランドセルで季節を判断していたころだ。

当時の美佳子は、クラスの中でも一等背が低く、ぷっくらとした頬で無邪気に笑っていた。私たちはその時、机まで隣に並べていたから、一番初めに美佳子と仲良くなった。人見知りの私は、快活な美佳子に引き摺られるようにして歩いていた。

 朝、家の前で待ち合わせをして登校するときも、美佳子の後ろに隠れるようにしてクラスメイトや先生に挨拶をした。昼、授業中も、彼女が得意の算数で張り切って手を挙げた後に、上げなければいけないという義務感でそっと手を挙げた。夕方、帰る時も美佳子がクラスメイトと遊び始めると、空気のようにそこへ混じって、美佳子が満足した後に帰った。

 当時の美佳子は人気者だった。何をするにしてもみんなの中心、まるで台風の目だった。

体を動かすことが好きだった美佳子は、特に鬼ごっこが大の得意だった。給食をかきこむようにして食べた後、誰よりも早くグラウンドへ向かい、決まって自分から鬼に立候補した。すると、クラスメイト達は一斉に「えええー、みかちゃんはいやだ」「こわいよー」とブーイングコールを始めるのだ。

 美佳子は小さな体をしなやかに使いこなし、動物のように四足でグラウンドを駆け回った。彼女は快活な眉毛を吊り上げて、獲物を見定めるかのような鋭い眼でクラスメイトを睨み付けた。そして、獲物を決めると、あとはもう一直線にただ追い詰めるのみだ。一番小さなはずのその体が、広大なグラウンド一帯を支配していた。まさしくそれは、サバンナを駆け巡るチーターのように。

 彼女は運動会のかけっこでも、不動の一位を誇った。ピストルの音に誰よりも早く反応し、彼女の世界にはゴールしか無いかのように脇目も振らず駆け抜けた。

 彼女は走っているときが一番生き生きとしていた。楽しくて仕方がないかのように、口角が常に上がっていた。ただ、先生が「みかちゃん、手を使って走らないの!」と注意したときは、身に覚えのない罪に罰せられたかのように不可解で怪訝そうな顔をした。

 運動、特に走ることが苦手だった私は、一度美佳子に「どうしたらそんなに速く走れるの」と聞いたことがある。彼女は簡単な足し算の答えを聞かれた時のように、「わたし、チーターだから」といった。そういうものだろうか、と思った。

 私が美佳子の異常性を認識したのは、この年の秋。遠足で、近所の動物園まで向かった時だった。

 小学校から子供の足で一時間ほど歩いたところにあるその動物園は、さほど大きくもないが定番どころの動物はしっかりと押さえていて、休日にはほどよい集客を誇っていた。とはいえ、遠足が行われた日は平日であったため客足は少なく、ほとんど私たちの貸切りだった。

 ライオン、キリン、ペンギンと次々と人気のある動物のところへ、先生の引率のもと歩き回った。クラスメイト達はライオンのあくびやキリンの咀嚼を見るたびに歓声を上げ、大声ではしゃいだ。

中でも私たちの人気者だったのは、北極をモチーフにしたような水色のプラスチックで作られた安っぽい岩場の日陰で、だらりと手足を投げ出して寝そべるシロクマだった。顔に力を入れる気力もないというように、だらしなく舌も垂れていた。

「おいみろよ、あのシロクマ! やる気なさすぎだろ!」

「ほんとだ! 国語のときのけんやくんみたい!」

 シロクマを指さして笑った男の子は、女の子にすかさず言葉尻を捕えられ、気まずそうに頬を掻いた。私たちはそんなけんやくんの様子にまた、きゃらきゃらと笑い声をあげた。

 美佳子のお気に入りはうさぎだった。柵で囲まれた小さな広場で、芝生を駆けている白い毛並みのうさぎを簡単そうに捕まえあげると、美佳子は嬉しそうな顔でその耳を撫でた。ゆっくりと優しく撫でられる感触が心地よいのか、うさぎの耳は小刻みに揺れていた。

 その時の私は、ボーイッシュで快活な美佳子にも、女の子らしい一面があるのだと発見したような気持ちになって、なんだか嬉しいと思っていた。やはり私が一番美佳子のことを知っているのだと、人気者と仲良しだということを再確認して自尊心を保っていたのだ。

 けれど後になって、美佳子の話を聞いて私の印象は一転した。動物園内の広場で、自由にお弁当を広げている最中に、彼女にうさぎが好きなのかと尋ねた時のことだ。「うん」と頷いた彼女は、そのまま恍惚とした表情になって、

「うさぎはねえ、後ろ足の付け根のあたりかなあ。うしろ足の付け根の、ぷっくりお肉が乗っているところ、あるでしょ? あそこにがぶっと噛り付いたらね、ぷちって裂けた肉の隙間から肉汁が溢れ出して、芳ばしい香りが口の中にそっと広がって、もう最高に美味しいんだよねえ」

 涎を手の甲でぬぐう彼女に、私は言葉を失った。引き攣る喉をなんとか動かして、「た、食べちゃうの?」と尋ねると、彼女はまたあの心底不思議そうな顔をした。

「え、食べないの?」

 彼女は握るようにして持ったフォークを、ウインナーに勢いよく突き刺した。皮が破けた隙間から溢れた肉汁がお弁当箱の底に広がった。

 今にして思えば、あの白ウサギは彼女から何かを感じていたのかもしれない。あの耳の揺れは嬉しさからくるのではなく、純粋な恐怖心から来ていたのかもしれなかった。

「うさぎ、いいよねえ」

 目を細めて口元をゆがませて笑った彼女の笑顔は、いつもの表情とは似ても似つかないが、彼女の顔にとてもよく似合っていた。それは、女の子らしさなんかでは到底なくて、むしろ彼女の異常性の発露だった。

 当時のクラスメイトや先生たちは彼女の異常性には気づいていなかった。多少の違和感は持っていたのだろうが、「奔放で野性的」なところがあるという一言で納めてしまえる程度のものだと思っていたはずだ。彼女はそんな簡単な一言で表してしまえるようなモノではなかったのに。

 小学五年生のころ、クラスで飼っていた金魚が死んだ。鮮やかな赤色を身にまとわせて、手入れの杜撰さからうっすらと苔の張った水槽を、何も考えていないような顔で泳いでいた金魚だ。それは突然だった。ある朝登校してみると、中身をすべて失ったかのように、金魚はぷかぷかと水面に浮かんでいた。いつもよりも鈍い赤色をまとっていた。やっぱり何も考えていないような顔だった。

 その日、早速学級会議が開かれ、責任感の強い委員長の男の子が眼鏡をずり上げながら、「誰か知っていますか」と金魚が死んだ理由を問いただした。その質問には誰も手を挙げなかった。場は静まり返り、誰かに責任を押し付けようとする見えない圧が全員にかかった。けれど、会議が長引くにつれてみんな金魚が死んだ理由などどうでもよくなったようで、クーラーのついていない蒸し暑い部屋にいたということもあっただろうが、男子が適当に上げた「暑すぎて死んだんじゃね」という言葉に満場一致した。

 教室は問題が解決したという安心感で満たされていたが、私はそのとき寒気が止まらなかった。朝には確かに水面に浮かんでいたはずの金魚。それが、学級会議が始まる前には一匹だけを残して姿を忽然と消していた。金魚の話をしているのに、クラスの誰もが気付かないほどの早業だった。まさか、という思いで二つ後ろの席を振り返る。美佳子が、悪戯が成功したかのような顔で、あの時と同じように口元をゆがませていた。私はその唇に、金魚たちの血の跡を幻視した。

 あの瞬間、私だけが彼女の残虐とも呼べる異常性に気付いていたのだ。わたし、わたしだけが。その事実は私の背筋をちくちくとさせる冷たさをもっていたが、その一方で言葉にしがたい優越感で私を甘美に酔いしれさせた。

 しかし、次第に美佳子の異常性は周知の事実となってゆくのだった。美佳子の中に潜む獣が、彼女がフツウの枠内にいることを許さなかったからだ。そして、彼女自身も自分の中にいる獣をフツウのものだと誤解していたのだ。

 中学校へ進学して、体が大きくなり、みんなが見えないフツウに縛られ始めたころ。美佳子は水面に浮かんだ蓮の葉のように、周りからぷかりと浮かび上がった。大きな事件があったわけではない。ただ、彼女の価値観のずれが少しずつ周りにもわかってしまっただけだった。

 小学校という時間を共に過ごしたクラスメイトの感覚は、野性的な彼女の性分を多少麻痺した感覚で受け入れていたが、彼女のことを知らない人ばかりがひしめく中学校ではそううまくはいかなかったのだ。

 例えば、下校中に段ボールに入れられた捨て犬を見つけたとき。周りの子が「可哀そう」「誰か家で飼えないの?」と眉を下げているのに、美佳子だけはシャープな眉をさらに吊り上げて「やったね、自由になれたじゃん。好きなもの食べ放題だよ」と弾んだ声を上げたこと。その瞬間の彼女とクラスメイトの間には大きな隔絶があった。

 例えば、給食の時間に余ったハンバークを巡るじゃんけんをしたとき。彼女は最初にパーで一人勝ちしてさっさとハンバーグを手に入れていたのに、またじゃんけんの群れへ戻って二個目のハンバーグを狙った。もちろんクラスメイトは大ブーイングだ。けれど彼女はまたきょとんと「食べ物が手に入るうちにたくさん食べておかないと」と当然のように言うのだ。そして手に入れた三つのハンバーグに犬歯を突き立てた。あれも、クラスメイトの反感を買い、彼女がフツウからはじき出されるきっかけになったのだろう。

 些細な、事件とも呼べない出来事が重なって、彼女はフツウからずれていった。一度ずれてしまえば、今まで見逃されていた過去の行動も、「ああそういえば」「あれも」「これも」と芋ずる式にフツウではなかったのだと認識されてしまう。美佳子を気味悪がるクラスメイトを前にして、小学生からの顔なじみが当時の彼女の奔放さを語ってしまったことが、彼女を輪から弾き出す動きに一層拍車をかけたのだ。

 中学三年生になるころには、美佳子は完全にクラスの輪から弾き出されてしまった。彼女の姿や声は完全になかったものとされ、自分を貫いてきた彼女の力強い目が少しずつ虚ろになっていくのが見えた。幼いころは人の中心に立っていたはずの彼女は、教室の隅っこで縮こまってご飯を食べるようになった。

時折、美佳子が下駄箱前で立ち尽くしている姿や、快晴の日に全身をずぶぬれにして教室に入ってくる姿を見かけた。胸がキュッと締まって、訳もなく手足が震えた。

 けれど私は何もしなかった。私は私でフツウにしがみつくのに必死になっていたから、幼いころは誇りに思っていた美佳子の幼馴染という立場もなかったことにした。姿をなくされていく美佳子の道連れにはなりたくなかったからだ。怖かった。あれほど気高い肉食動物でさえ牙を抜かれてしまったのだ。ましてや私なんか、ひとたまりもない。

 あれほど甘美に感じた彼女の秘密も、私だけのものではなくなった。そうなれば、それはもう秘密ではない。ただの異常だ。

 私はいったい何を考えていたんだろう。美佳子の異常さが受け入れられないのは当然だった。フツウに馴染むように諭すべきだったのだ。甘美に震えている場合ではなかった。本当に私が彼女のことを一番理解しているのならば。

 ある日の放課後、私がトイレに向かうと、扉も閉めずに個室の清潔とは言えない床に座り込んでぼんやりとしている美佳子の姿があった。ずぶ濡れだった。彼女の艶やかな黒髪からは絶えず水が滴り落ち、紫色の唇を小刻みに震わせていた。マフラーを手放せないような冬の日のことだ。

 足音に気づいて、美佳子が緩慢な動きで振り返った。その虚ろな瞳と目が合った。

 私は頭が真っ白になって、トイレから教室へと走り、鞄から真っ白なタオルを取り出して再びトイレへと走った。彼女の水晶のような目に責め立てられるように。

 先ほどと全く同じ格好のまま座り込んでいた美佳子の頭から、広げたタオルをすっぽり覆い隠すようにかけた。雪が降った時のために大きめのタオルを持ってきていてよかった。これで、彼女のあんな姿を見なくても済む。

 美佳子の境遇を察してはいたけれど、自分の目で見ると目を覆いたくなるような後悔に襲われた。私がこっそりと大切にしていた彼女の異常性。それが、彼女をこんなにもボロボロにした。そうだ、私が間違っていた。あの日、金魚を食べた美佳子をひっそりと美しいと思っていた自分を殺す。消し去る。なかったことにする。

 あのとき、私が彼女に「お前は可笑しいのだ」と堂々と指摘していれば、彼女が蜘蛛の巣に絡みつかれて動けなくなることはなかったのかもしれない。私は罪悪感と、それから気味の悪い彼女を大切にしていた自分の気味の悪さに塗れながら震える口を開いた。美佳子は私を見ていた。

「美佳子、フツウになりなよ」

「……フツウ」

 美佳子は、口に馴染まない言葉だ、というようにたどたどしく反芻した。

「そう、フツウ。美佳子はフツウじゃない。フツウはウサギを食べたいと思ったりしないし、食べるために教室の金魚を殺したりしない。犬はペットだし、おかわりは大抵一つまでって相場が決まってる」

「……そうなの?」

「……そうなの。周りから外れないように、周りとおんなじ顔をしてればいいの。そのためには自分のやりたいこととか思ったこととかは殺さなきゃならない」

「殺す」

 美佳子は、ああ、やっと知っている言葉が登場した、というようにすんなりと口にした。

 私は悲しかった。彼女がフツウを全く知らなかったことが。彼女が自分の異常性を殺してしまうことが。

 次の日からも、美佳子のいじめは続いた。私は何もしなかった。

 隣をこっそりとうかがって時間をずらして登校したり、他の子に合わせて美佳子の悪口に頷いて見せたりするたびに、美佳子への後ろめたさで消えてしまいたくなった。あの位置には私が行くべきだったのではないかとも思った。

だから、高校まで美佳子と一緒だと知ったときは、見知った人がいるという安堵は全く感じられず、ただただ身のすくむような思いだった。

 けれど、高校に入学するころには彼女はいたってフツウの女の子になっていた。カメレオンが周りの景色に同化していくように、彼女は色を変えたのだ。

 美佳子は女子バスケットボール部に入ったようで、チーターのような足の速さを存分に生かして二年になるころにはチームのエースとなった。小学生の頃は小さかった身長もぐんぐんと伸び、すらりとした手足を持つようになった。食欲が旺盛なところは唯一変わらなかったが、もう四足歩行することもなく、動物を食という観点から見ようとすることもなくなった。代わりに、「お腹すいたー」というチームメイトたちと一緒に「腹減ったー」と騒いでいる彼女や、クラスメイトの持ってきた雑誌のモデルに「カッコイイー!」と声を合わせる彼女を見かけた。美佳子はいつの間にか、またクラスの人気者へと返り咲いていた。

 私はそんな彼女を見るたびに、胸の中でほっと息をついて、少し落胆する心を見て見ぬふりをした。少し前まではフツウという概念を持っていなかった美佳子の足元がぐらついているような危うさを感じたのも、きっと私の醜い心がそう見せているだけなのだと思った。


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