最初の犠牲者
ふと誠は近づいてくるスーツ姿の男に気が付いた。年は三十代後半、ジャケットは脱ぎ、ネクタイを緩めている。
その向こう側には同じようにスーツを着崩した男が座っていた。こちらの男は三十台前半。二人は先輩と後輩の様だ。
後輩の男は不安そうに見守っている。周りもそれに気付き、緊張した空気が流れた。だが男は二人に見向きもせず木を見詰めながら歩いてくる。
木までたどり着くとそのまま枝につかまり登り始める。するすると登っていき、登った時と同じように滑らかな動きで木を降りてきた。
男の手には赤い果実が握られており、チラリと誠の方を見た。誠は簡単に登って行った姿に軽い嫉妬を覚えた。
男はそのまま後輩の所まで戻り、座りながら果実にかじりつく。
「先輩、それ食えるんですか?」
「そんなの知るかよ。どうせこんな状況だ。もうどうでも良いよ」
旨そうに食う先輩を後輩はうらやましそうに見ていた。
「先輩、一口。俺にも一口下さいよ」
「食いたいなら自分で取ってこいよ。まだ生ってたからよ」
他愛もないやり取りがとても日常的だ。それが周りの空気を溶かしてくれたように感じる。他の人達もお互いに会話を交わし始めたようだ。確かに旨そうに食べる男を見ると自分も食べたくなるだろう。
「恵子、ほら見ろよ。食べても大丈夫そうだぞ」
「そうね。でももう少し様子を見ましょう。あの人には悪いけど後でどうなるか分からないじゃない」
誠はドキッとした。恵子の視線に冷たいものを感じた。恵子は自分を見詰めている誠に気が付き、笑顔を見せる。
「あっ、ごめん。でも一口位でどうにかなる事は無いと思うから安心して」
恵子が気遣ってくれるのは嬉しい。だが恵子は気付いていないかもしれない。
木に生っている果実の数は決して多くない。もしここの人達が全員登ったっておそらく半分近くが無駄骨に終わる。
「うわあぁぁっ!! 先輩! 何か地面がヤバいッスよ! 助けて下さい。ひ、引っ張ってぇ」
「バカッ! 離せ!!」
後輩は必死に先輩の男に掴まろうとするが男はその手から逃げる。
「先輩お願いです。引っ張って下さい。どんどん沈んでいくんですよ。お願いします」
その言葉通りどんどん後輩は地面に呑みこまれていき、もう腰の辺りまで埋まりつつあった。
先輩はただ呆然と眺めていた。後輩は必死に助けを求め続けるが先輩は動かなかった。
後輩は必死に地面を引っかくが芝がブチブチと千切れるだけで沈み込むスピードは衰えなかった。先輩はとうとう走り出したがそれは後輩とは全く違う方向だった。
「もう嫌だ、誰か助けてくれ。俺をここから出してくれ」
「畜生ォォ! 俺を見殺しにするのかぁ? 貴様、殺してやる。絶対だ! 絶対殺してやる!」
後輩は涙を流し呪いの言葉を絞り出す。だが先輩は振り返らずにそのまま霧の中へ消えていった。
「誰か。誰でも良い、助けてくれ。お願いだ。なんでもする。助けてくれ」
後輩はもう首もまわらない様子だがそれでも必死に周りに呼び掛けている。
誠は固まったまま動けなかった。だが恵子は立ち上がり、走り出した。誠は恵子の手を掴んでそれを止めた。
「やめろ、危ないぞ」
「何を言っているの? あのままじゃあの人、死んじゃうかもしれないのよ」
誠達のやり取りが聞こえたのか後輩は誠を見た。誠はその時の目を忘れる事は無いと思った。
その後、後輩は泣き叫びながら地面の中へ消えていった。恵子はその場で膝を突く。誠はそんな恵子の肩を抱きしめる。二人はショックを隠せなかった。
恵子はもっと早くに駆けつけるべきだったと後悔していたし、誠はそんな恵子を止めた自分を恥じた。