果実の誘惑
誠は無言で果実を恵子へ差し出す。恵子は受け取るとマジマジと果実を観察した。
「良い香ね。でも全然予想してたものと違うわ。何かしらこれ?」
恵子は新しい発見を素直に喜んでいるようだった。誠もそんな恵子が素直に可愛いと思えた。これなら不安と恐怖は暫く心の奥にしまって置けそうだ。
恵子は果実を一口かじってみた。突然の行動に誠は立ち上がる。
「ちょっと、食べて大丈夫か?」
恵子は眉間にシワをよせ、かじった所を凝視している。
「何これ?」と恵子は誠にも見せる。誠はそれを受け取り、彼女のかじった跡を見た。
皮がリンゴの様に赤いだけではなく、その中も赤かった。そして小さくて黒いイチゴの種のようなものが沢山覗いている。独特の匂いも増し、誠は喉が鳴った。
誠も一口かじってみるとさっぱりした甘さが口の中に広がる。思ったより柔らかく、種がプチプチしてなかなか美味しい。何より喉が潤うのを感じた。
得体の知れない果実だが今なら二、三個は食べたい気分だった。
「食べちゃったの?」
恵子は心配そうに聞いてくる。誠はなぜそんな事を聞くのか分からなかった。恵子が真っ先に食べたんじゃないか。
「私は怖いから出しちゃったけど…」
誠は驚き恵子の足元を見ると、恵子の足が何かを隠した。
「ちょっと、見なくて良いから! それよりどう? 大丈夫?」
「う、うん。美味しかった」
恵子は何か言おうとしたが「そう、良かった」と言うに留めた。
恵子は別に味を心配した訳ではないが食べてしまったものは仕方ない。
誠は何か納得がいかない。確かに見た事も聞いた事も無い果実をいきなり食べてしまった事は軽率だった。でも恵子がかじらなければ自分も食べなかったのに。
誠は恵子に果実を突き返す。
恵子は果実を受け取ると木の下へと座り込み、不思議そうにそれを眺めた。誠も恵子の隣に座り、その様子を見守る。
果実に毒があるなんて話を誠は聞いた事は無い。それでも腹を下したりする事もあるだろう。
何も無いこんな所で腹を下した自分なんて想像したくない。だけどこうも蒸し暑いとどうしても喉が乾いてしまう。もう一口食べたいという衝動が湧き上がってくる。