最後の対決
誠にとって恵子の父の好意はとても嬉しかったが、同時に辛く耐えられない。恵子の死の責任が自分にあると思っているからだ。誠は決心しなければならない。
このままあの木に取り込まれれば更に犠牲者を増やしてしまう。恵子やその両親の為にも何とか食い止めなければならない。
誠は恵子の家からの帰り道、一つの金物屋に寄った。そこで丈夫そうな、重さもある包丁を購入した。
誠はこれが何と言う包丁か知らないし、箱には達筆すぎる文字が書いてあり何が書いてあるのかも分からなかった。
家に着くと誠はシャワーを浴びて着替えた。……どうしてもスッキリしない。誠の心を恐怖が掴んで離さない。
そこで誠は気が付いた。あの木は恐怖の心が好きなんだ。だから悪夢を見せる。恐怖に囚われた今、あの木がもの凄い速さで成長しているのを感じる。
この調子なら今夜が最後になるだろう。だから今夜までにどうするか決めなければいけない。……でも選択肢はとても少ない。
誠は夜になると簡単に食事を取り、TVを付ける。ゆっくりTVを見るのも久しぶりな気がするが全く内容は頭に入ってこなかった。
深夜零時を回り、いつものように寝る支度をする。普段と変わらず歯を磨いている自分が不思議だ。
買ってきた包丁を箱から出す。包丁を手に持ってみるとじっとり掌が汗ばむのを感じた。
誠は包丁を握ったままベッドに横たわった。新しい包丁はカーテンの隙間から入る月光を鈍く跳ね返している。誠はゆっくりと目を閉じる。
誠は木を見上げていた。自分の体を見てみると下半身が地面の中に埋まっていた。誠の右手には包丁が握られたままだった。それを誠は地面に刺し、土を掘り起こしてゆく。
地面から抜け出した誠は木を見上げる。既に木は立派に成長していた。
誠は木に包丁を突き立てた。切っ先が2センチ程突き刺さった。今度は斧のように包丁を叩き付けるが結果は同じ。
木の幹は1メートル近くあるように思える。傷ついた幹からはうっすらと霧が出ているように見えた。触ると木の中で何かが流れているのを感じた。
今度は包丁で木の皮を剥いでみる。皮を剥ぐ位は出来るようだ。皮を剥いで行くとどんどん地面が柔らかくなってきた。
半分程剥いでいくと足が地面に埋まりそうだった。枝がざわめき、辺りの霧が濃くなってくる。
木にしがみつきながら何とか皮を一周剥ぐことが出来たが、ずぶりと足が地面に埋まり、 誠は地面に倒れ込んでしまう。霧が濃くなり、とうとう一メートル先も見えない。
地面にどんどん体が沈んでいく。一度埋まった手足はもうビクともしなかった。
誠の体は首から上を残し、地面に呑みこまれてしまった。誠に後悔は無い。やれる事はやったんだ。
真っ白な世界の中、ただ枝のざわめきだけが聞こえていた。
恵子の家を訪れてから二日たった。誠は全く自炊をしないのであの夜以来、包丁はずっとキッチンに仕舞われたまま。
今日も誠はあの木の夢を見た。木の様子は今までとは明らかに違っていた。
夢の中で誠は木の下で大の字に寝ており、辺り一面木の葉で埋め尽くされていた。木を見上げると全ての葉が落ちており、霧は晴れていた。立ち上がり、木に触れてみると空っぽな感じがした。
昔、小学校の授業で木の皮を一周剥ぐと枯れてしまうと聞いていたが本当だったようだ。
玄関の郵便受けに何か入れられる音がした。誠の家には集合ポストが無いため直接郵便受けに入れられる。その上、郵便を受け取る籠が無いからそのままボトリと落ちてしまう。
包みを見ると病院からのメール便だった。診断結果が書いてあるが特に異常は無と書いてあった。
誠はつい笑ってしまった。久しぶりに笑った気がする。診断結果をテーブルに置き、誠は出掛ける準備を始める。
あの医者に会って自分が体験した事を話してみようかと思ったのだ。
自分の話を信じるか判らない。それでも何か役に立てるかも知れない。もしかすると他の人達を救えるかもしれないし、恵子なら多分そうするだろうと思ったから。