その時々に応じた答えを見つけていこう
ドーピングという言葉が使われなくなったのはいつ頃からだろう。
時は21XX年。
全人類がスポーツを愛し、全人類がプロスポーツ選手を目指す時代。
プロになる人間は勝ち組といわれるが、なれない人間は負け組ではない。なぜなら、なれなかった者に待ってるのは死のみだからである。
バタッ。
俺の前で100メートル走をスタートした男の子が走り切る前にグランドに倒れた。
だが心配する人なんて誰もいない。
ゴール付近でタイムを測っていた先生がダルそうに倒れた男の子に近づきグランドの隅に運んで行く。
そして50メートルほど離れたところから俺に声を掛ける。
「すまん41番!準備はいいか?」
「大丈夫ですよ」
41番というのは俺のことで、俺が先生と呼ぶ者は倒れた子よりも次にスタートする俺の様子の方が大事そうだ。
そしてスタート準備をする俺の後ろの数人は倒れた子の方を見てヒソヒソ話をしていた。
「やっぱり倒れたか」
「おかしいと思ったんだよ。こんな短期間でタイムを1秒も伸ばすなんてさ」
「才能ないからって薬飲み過ぎなんだよ」
バンッ。
笑いながら倒れた子をバカにする奴らの声を背に、先生の合図で俺はスタートし、ゴールラインを走り抜ける。
「良いタイムだ!トレーニングは順調のようだな」
「ありがとうございます」
俺はこの学校で一番足が速いだろう。いや、この学校どころか世界でもトップクラスの走力である。そんな俺が言うのもなんだが、この世界の価値観は間違っている。
「すげェな41番!」
「どうやったら100メートルを8秒で走れるんだよ!」
「なぁどんな薬使ってんだ?」
「大したものは使ってないよ、量も平均的だと思うよ」
「マジかよ、やっぱ才能がある奴は違うな」
「才能なんてないよ、その分練習でカバーするしかないから努力してるだけだよ」
「努力?笑わせるなよ、今の時代どのスポーツでも結果を出すには薬の質と才能でしょ」
「そ、そうだね……」
現代の医学は進んでいて、各スポーツの中でも伸ばしたい力に合わせて薬が存在する。
例えば陸上競技だったら、トラック種目、長距離種目、投擲種目、跳躍種目などに分かれている。
それにスポーツにも人気順があり、人気なスポーツであればあるほど、多くの種類の薬が存在する。それと同時に死者も多い……。
こんな世界は間違っている。
結果だけを求めてやるスポーツなんて楽しくもなんともない。
誰もが自由に、幼い頃から、小学校から、中学校から、高校から、大学から、いつからだって本人の意思でスポーツを始めて、いろんなスポーツをやってもいいし、ずっと同じスポーツを続けてもいい、その中で結果が出なくても頑張ってやれたなと思えればいい。
途中で辞めてしまったり、諦めてしまっても、その経験を人生の中の何処かに生かしていけばいい。ただあんなことやったなぁと思い出になるだけであっても十分だ。
結果が出なくたって自分のベストを尽くすために頑張る。
その努力が評価される……そんな時代が来るといいな。
かつてスポーツをやっていた私にとってドーピングというのは、やってはいけないとわかっていても試してみたいと思ってしまってました。それは誰もが考えることだと思いますが、全員がドーピングしてしまったらどうなるのか……想像するだけでぞっとします。